ぬいぐるみ
室内にて、睨み合う男性二人の姿。一人は、首元にしっかりとネクタイを絞め、スーツを着ている。のりの効いたワイシャツはすでに汗のせいか、べたつきが激しい。そのべたつきは男の苛立ちを高めていく。自然と右足は貧乏ゆすりを始めた。苛立ちに飲まれないように、男は口を開く。
「何故、この様な事を?」
質問に対し、対面に座っている男は鼻で笑い、精悍な顔付きを歪ませながら返事をする。
「そんな疑問を持たれる事が可笑しい。私は、ただゲームセンターで好きなぬいぐるみを、取ろうとしただけではないですか」
まるで、信じられないとでも言いたげな表情で、首を左右に振りながら、質問者に発言する。
そんな男の態度に、はらわたが煮えくり返りそうになったが、長年の経験がその衝動を抑えつけた。舌打ちをこらえ、質問を続ける。顔には苛立ちが募っていた。
「周りの喧騒に気付かなかったか?」
次の質問に対し、男は腕組みをし、踏んぞりがえりながら答える。
「周り?何故、周りなんか気にする必要があるんですか。人間誰しも、好きな事に夢中になれば、気付かないものですよ」
先程と同じ表情で答える。精悍な顔つきも相まってか、私が正しい。私は間違っていない。と全身から、その雰囲気が伝わってくる。その態度に、質問者は自分の気持ちが引っ張られていかないように、また、質問を続ける。
「そんなに夢中になってまで、ぬいぐるみが欲しかったと?」
鼻持ちならない表情で、男は黙って頷いた。当然であろう。と表情だけで物語っている。
更に、質問は続く。
「質問を変えますが、私の姿を見て、何か思われませんか?」
男は、眼を見開き、粘つく視線で質問者の姿を数秒間凝視するも、
「特に、何も思いませんね。何か問題でも?私の知り合いではないようですね」
男の返事を聞き、向かい合って座っていた、質問者は大きく項垂れた。右手に持っているボールペンで、自分のこめかみを押さえながら、頭を上げ、呆れた表情で問いかける。
「ぬいぐるみは、どのようにして取られたんですか?」
「ゲームセンターのUFOキャッチャーに決まっているではないですか。一万、二万は軽くかかりましたよ。何日も前から、目を付けていましてね。ずっと、アームの強さ、ぬいぐるみの配置等を記憶し、挑み続けていました」
「なるほど……」
始めて、共感を得られたせいか、男の笑みが深くなり、独白が続く。何が何でも、自分の言葉を聞き入れて欲しいようだ。
「あのぬいぐるみはプレミアムが付く程の、レアな物でしてね。通販で買う?そんな馬鹿な真似はしません。何の為に、わざわざゲームセンターへ、足蹴く通っていたと思うんですか。あのつぶらな瞳。撫でたくなる毛。抱き心地の良いであろう形……誰でも、あのぬいぐるみに心奪われたと思いますよ」
唾を飛ばし、前のめりになりながら、発言を続ける。鼻息も荒い。熱気が質問者のほうにまで届く勢いだ。思わず仰け反る体制になる。回答者は、その姿勢に全く動じず、発言を続ける。
「私のすごさ、熱心さ、愛情、情熱を全て、あのぬいぐるみに捧げる為ですよ。苦労して、手に入れた物程、愛着がわきますからね。取れた瞬間の嬉しさは、どんな言葉でも表現出来ない程でしたよ」
満足気な表情で独白を続ける男。興奮のせいか、頬に赤みが差し始めていた。口の両端には、話続けた為か、小さな泡が目立つ。
質問者は、その恍惚とした表情に恐れを抱いた。首元に巻いているネクタイを少し緩め、ボールペンを愛用する手帳に挟み込み。いつの間にか汗ばんでいた両手をズボンで拭きながら、口を開く。
「そこまでで結構です。ありがとうございました」
回答者は満足気な表情から一転。不満を露わにする。
「は?まだ、私の話は終わっていないですよ。今から、ぬいぐるみを取ったテクニック等について、話を……」
「では、失礼」
話を遮り、メモ帳とボールペンを持つと、椅子から立ち上がりきびすを返す。鉄製のドアを開け、廊下の方へと出て行った。
「はあ?ふざけるな!今すぐあいつを連れ戻せ!話は終わっていない!聞いてないのか!」
始めの冷静な態度が嘘のように、両足を振り回して暴れだす男。興奮で眼が充血していた。
後ろに待機していた、二人の警察官に抑えられる。
「くそっ。このガラスさえ無ければ、とっ捕まえてでも、聞かせてやったのになあ!」
目の前にあるガラスに向けて、忌々し気に唾を飛ばしながら、悪態をついた。
廊下に出た男は、溜息をつきながら、喫煙所に向かう。スライド式のドアを開け、喫煙所に入る。
喫煙所に入ると、部下の一人と目が合った。部下は、上司である男の姿を見て、慌てて手元にあった煙草の火を灰皿で揉み消し、頭を下げた。
「お疲れ様です!」
「おう。気にせんで一服してていいぞ」
「あの……例の男はどうでしたか?」
その質問に対し、頭を左手でかきむしりながら答える。
「ありゃあ、駄目だな。自分が何をしたのか、全く分かってねぇ。本当にとんでもない奴だ。遺族の方に何て言えばいいのやら」
「可哀そうですね。あんなに小さな子が」
煙草に火を付けながら、忌々し気な表情で口を開く。
「憶測だが、自分の狙っているぬいぐるみを取られると思ったんじゃないか。子供は、お金も入れず、ただスイッチを押して、遊んでいたらしい」
話終え、煙を吐き出す。鬱屈としたこの胸のもやもやも、煙草の煙と一緒に吐き出せないかと、男は思う。
「本当にいたたまれない事件ですね……」
部下は上司の表情を見て、同じように顔をしかめる。喫煙所のガラス越しに見える、精神科の待合室の方へと、視線を向けた。
待合室には大きなテレビが壁に取り付けられている。かなりの大音量の為か、喫煙所内にも、聞き取りやすいニュースキャスターの声が耳に入ってくる。
何度も同じ報道が流され、チャンネルを変えても、どのテレビ局も同じ内容を繰り返し報道し、有名なコメンテーター等を間に入れ、議論する番組もあった。
ニュースキャスターが原稿を読み上げる。読み上げる女性の無表情が、事件の残酷さを引き立てていく。
『先週、B市のゲームセンター内で、子供が首を絞められ、殺害される事件が発生しました。更に、容疑者は子供を殺害後、すぐにクレーンゲームの続きを行っていたとの事。容疑者のすぐ側で、死亡している子供を母親が見つけ、通報。容疑者はその場で逮捕されました』
『逮捕後、容疑者は一貫して、ただぬいぐるみが欲しかったと主張。警察は、専門家による精神鑑定の必要があると話を続けています。遺族からは、死刑を求める声が挙げられています……』
ニュースキャスターの報道を聞き、二人の表情は険しくなる。煙草を吸う本数も増え続ける。溜息と同時に煙を吐き出した。部下も珍しく、煙草を吸い続けている。上司の前では、すぐに出ていく者だったが。
上司である男に、再度尋ねる。眼は虚ろであり、今回の事件の異常性についていけていない様子が伺える。
「何なんでしょうか。この事件、奴はどうしてあんなに、熱心にゲームセンターに通ってたんですかね……」
部下が沈痛な面持ちで上司に尋ねる。男は、すでに三本目に差し掛かった煙草に、火を点けながら答える。
「さあな。そもそも、現場となったUFOキャッチャーは、すでに景品が取られていて、中に何も置かれていない空の状態だったそうだ。空のまま放置していた、ゲームセンターもどうかと思うが、奴の眼には、何が見えてたんだろうな」