火
物語を読むことは退屈だ。なぜならそれは読むものではなく、あるとすれば生きられるものであるから。私は他人の話に興味がない。もっともそれは他者に興味がないということではなく、その話にどこか直接的ではない動物の和やかな奮闘を感じ、たとえば人間は人間を知らないのだから、そんな話以外の他人には、物語の必要があったことを冷めて思わずにはいられない。ところで横でカレーを温めながらなのであれだが、正直小説はつまらない。小説は手段であり、何のための手段であったかが面白い。で、まず目的がつまらない。目的が文学であってはつまらない。目的はないものだ。ないものがあるように言われていることが真剣で面白いということはあるが、それはちょっと美観が考えなしで何かを語るかのような、美の形式の力であり、しかし形式は洗練の場所としてまた美しくもある幻想である。横でカレーを温めながらなのであれだが、美は、何が美かを知っているから、どんどん美しくなることが目的だ。たとえばそれは物語かもしれない。
物語を読むことは退屈だ。なぜならそれは読むものではなく、あるとすれば生きられるものであるから。しかもその必要のない、生きる楽しさを邪魔するものを物語と呼んでおけばよい。退屈しのぎや、真実を求めたり、共感のために、小説は死滅した。めでたしめでたし。