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百物語

吟遊詩人

作者: よる

 吟遊詩人特有のたっぷりと布を使いながらも動きやすく、色合いは少々派手目な衣装を嫌味なく着こなすまだ若い青年だった。

 フードの陰から覗く肌は世界を行脚して廻る者らしくよく焼けて小麦色だったが、おそらくそんなことに気を取られる者はほとんどいないだろう。好奇心に駆られ、もしくは、ふとした偶然で目にした顔立ちがそれほどだったら−−−。

 “眉目秀麗”、古典的な四字熟語を思い出し、まさしくそれは彼のためにある言葉じゃないのかと感じさせるような吟遊詩人が一人、下街の小さな酒場で優雅にリュートをつま弾いて唄を歌っていた。

 しっとりと心地よい歌声に、酒場はいつもよりずいぶんと静かだった。

 大酒を飲んで暴れることが一日の疲れを取る方法だと信じるような男たちが今日は大人しくテーブルに着いて、唄を肴にしてグラスを傾けている。

 世の中には魔術というものがあるらしいが、これもある種の魔法だなと、酒場の店主はしみじみと思ったものだ。


 一曲を終えて優雅な礼を取った吟遊詩人が次に歌いだしたのは、過去に栄えた王国とその絶頂期とも言える最後の国王の栄華を賛美する唄だった。

 人々は、彼を畏敬の念を持ってさいごの皇王とも、真の英雄———世界に平穏をもたらした英雄とさえも呼び讃える。

 この唄を知らない者は誰もいない名曲だろうが、少々堅い。喧噪が溢れる巷の安酒場の流行からは少々外れた古めかしい選曲だと言えた。

 店主は固唾を呑んで様子を見守ったが、歌い手の技量で騒ぎ出す者はさいわいいなかった。

 耳にした酒飲み達は、かつて起こった王と魔族との戦いを夢想する。

 詳しいことは知らない。でも確かに、王によって血塗られた日々は終わったのだ。だから、今がある。魔族が絶滅したわけではない。元通り、魔族は人間と一定の距離を置き、無闇に襲われることはなくなったのだ。

 壮大な唄だった。

 王が魔族の王を打ち破る栄光の叙事詩———。

 華やかではあるがどこか漠然とした現実味の薄い唄だろう。

 しかし、そんな唄が何らかの事情で特別な思い出に直結する者がいたら−−−。

 一流の歌い手による唄はなおさら深く心の深く染み込んでゆくのだろう。

 過ぎ去り、日常の中で忘れかけていた時間と感情を、思いがけず揺さぶられることになってしまったシュヴァルは、いつのまにか自己の中に没頭してしまって唄が終わったことにも気付かなかった。

 だから、突然、すぐ近くに覗き込まれるように声を掛けられた時、思わずテーブルの脇に立て掛けていた剣をひっ掴むほどに驚いていた。

「戦士さま、お一人ですか?よろしければ相席をお願いしてもよろしいでしょうか?」

「・・・ああ。俺は一向に構わないよ」

 先ほどまで店の奥の一角に腰を下ろし歌っていた吟遊詩人だった。

 動揺を隠せないシュヴァルの引き攣った表情を包み込むような、にっこりと人懐っこい笑顔で訊ねられて、シュヴァルに断る理由はなかった。

 承諾すると、吟遊詩人はテーブルに着き、料理を注文した。

 しばらく沈黙が降りたが、詩人はシュヴァルが匙を置いた頃合いに話しかけた。

「貴方はあのお唄、お好きなのですね?私も気に入った曲でさまざまな場所で歌ってきましたが、貴方のように涙を浮かべて聴いてくださった方ははじめてでした」

「・・・そんなとこまで見られていたとは・・・。目の良い方だ」

 近くはないはずなの、詩人の距離を超える眼力に苦笑したシュヴァルは、どうしたものか一瞬悩んだが、下手な嘘を考えるのは面倒だった。

「恥ずかしながら−−−。あの唄には色々思い出が詰まっていてね・・・今となってはそれは哀しいものだったのか、当時は気付かなかったが実は結構楽しい時間だったのか、なんだかもう判断が付かないんだけどね・・・ただ、無性に懐かしくて・・・」

「そうなのですか・・・貴方にとって本当に特別な唄なのですね・・・」

 ひっそりと微笑んでグラスを傾ける黒に身を包む戦士の風情はなぜか人生に疲れている老人のようで、決して外見相応の二十代半ばの者のものには見えなかった。

 詩人はそんな様子をひどく熱心に見ていたが、思い出と酒に酔う戦士は人の目にも慣れているのか気に止めなかった。

 二人はその後もしばらく当たり障りのない世間話をして、夜は更けていった。

 店内の客もまばらになったところで、シュヴァルも頃合いだとした。

「今日は楽しかった。またどこかで−−−」

 テーブルの上にあったその手を詩人はそっと押さえていた。

「?」

 面食らうシュヴァルに詩人は手を握ったまま、にっこりと笑う。

「−−−こんな話をご存じですか?今は無き大国の最後の王の話です。王朝の憂いーーー魔族を率いて人間を襲った魔王に、戦いを挑まれた若き王は、大国最後の奇跡———ついには魔王をうち倒した、けれど、栄華の喪失———まもなく戦いの中で身に負った怪我が元で崩御されてしまわれた。次の王があまりの愚王で大国はその後二十年も保たず分裂して、小国が乱立する今に至るわけですが・・・」

 詩人の表情は真剣そのものだった。

 迫力に呑まれて戦士は怪訝な顔をしながらも、黙って話を聞いた。

「最後の王は、強い戦士というだけでなく長い銀髪を靡かせる歴代一の美しい方だったとか・・・」

「もう一人いたんだから、最後の王じゃないだろうが・・・」

「いいえ、最後です。次の男は巷では王とは数えられませんので」

「ひでぇ・・・」

「あなたはとてもお美しいですね」

「・・・そうか?」

「最後の国王と同じ銀の髪をしていらっしゃる」

 シュヴァルは口元に薄い笑みを浮かべた。

「・・・そうらしいな・・・褐色の王家で、一人浮いていた存在だったらしい・・・」

 そしてその後は、からっと口調を変えて、

「でも俺は短いぞ・・・ああ、俺も伸ばすかなあ〜」

 どこかめんどくさそうにしながらも、詩人の話に明るく合わせていたシュヴァルだったが、次の言葉に大きく目を見開くことになる。

「それは、貴方ですか?」

「は?」

 古王国が分裂して現在の新しい国に生まれ変わったのはかれこれ百年以上前の話のはずだった。

 そんな歴史上の人物かと詩人は真剣に訊ねたのだ。

「———変わった冗談だな・・・」

「ところが冗談ではないのですよ、ね。戦いの中で魔王の血を全身に浴びた国王含め戦いに赴いた戦士たちは、祝福か呪いか、それ以来不老不死の身になって、まだこの世界に留まっていらっしゃる−−−という話をご存じのない方が変わってますよね?」

 確かに、その噂話は各地に広まって信じている者も少なくないと聞く。

「ただの噂だろうが。あんたはそれを信じているのか?・・・俺に突拍子もないことを言いだした根拠を聞きたいものだな・・・。銀髪と俺のつらの良さ、そしてさっき唄を聴いて泣いていたところか?それはあまりに短絡的だと思うが・・・」

「いえ、それだけではありません」

 それまでの笑みを消し大きめの口の端を歪めた戦士に、きらりと詩人は青い目が輝かせた。

「何ものより確かなものーーー」

 シュヴァルの目付きがひどく険しくなったのは気のせいだったか。あまりの一瞬でわからなかった。なぜならーーー。

「それは、私の第六感がそう告げるのです!」

 すぐにやってきた自信に満ちた吟遊詩人の言葉に、戦士・シュヴァルは呆れて絶句したから。




「別にどうこう貴方にご迷惑を掛けようとか、ずっと一生付きまとおうと言っているわけではありませんっ。しばらくの間だけ、道行きの共にしていただくだけでいいのです。そうすれば、きっと貴方を讃える素晴らしい唄が創れると思うのです!!」

 ああ、もちろん、秘密は漏らしません!と真剣な顔で付け加えられたが・・・。

「だから、な・・・。何度も言うが根本的な問題だ。噂は認めてもいい、が、俺は違う!勘違いだ、あんたは全くの人違いしているっ!!」

 シュヴァルは何度も否定したが、強く信じてしまっているらしい詩人に、当然、埒はあかなかった。

「ええ、それはわかっています。簡単にはお認めになられないことです!」

 シュヴァルは舌打ちをすると、少々乱暴に制止を振り切って席を立った。

 そのときには荷物は抱えられていた。止める間もなく、鮮やかな身のこなしでどんどん離れていってしまう戦士を追って吟遊詩人も慌てて立ち上がった。

「だったらっ、だったら、こういうのはどうですかっ。そう・・・タダで連れにしてくれなんて言いませんっ。・・・恥ずかしながら所持金は乏しいのですが、そうだ、その間、食事の支度や雑用などすべて私が請け負いますからっ!!」

 すでに用意していたらしい戦士と違い、食事代の小銭を取り出す際に手間取った詩人が店外に飛び出したときには目的の戦士の姿はもうどこにもなかった。

 夜も更け、開いている店ももうほとんどなく、人気の少ない通りにも隠れるようなところなどないように思えたがしばらくうろうろとあたりを探してみても、まるで消えてしまったかのように銀髪の戦士を再び探し出すことは出来なかった。

「・・・腕に齧り付いても離れるんじゃなかった・・・」

 しばらく立ち尽くしていたが、仕方なく、とぼとぼ歩き出した詩人から悲痛な呟きが漏れていた。涙ぐんでさえいた。

 驚くかな、彼にとってそこに一切の疑いなどなかったのだ。あの戦士は間違いなく“伝説の皇王”だった、この奇蹟のような出会いーーーしかし自分の不甲斐なさで呆気なく見失ってしまったのだ。

 深い後悔と失意、絶望に沈んだ詩人の肩を、後から、誰かがぽんと叩いていた。

 振り向いた先に待っていたのは、詩人に言わせるなら、信じられないような再度の奇蹟の具現だった。

「あんた、さっきの本気か?」

「あ・・・もちろんです!あなたの本当の御名は−−−」

 そこじゃない、と不機嫌に遮ると

「そのあとの道連れにしたらその間、飯の支度すべてするんだな?・・・料理、できるんだろうな・・・?食えるもの作れるんだろうな?」

 妙に凄味の利いた確認に、深い灰青の瞳を真っ直ぐ見つめかえした詩人は涙を滲ませながら何度も頷いていた。

「俺はあんたの旅の安全、あんたは俺の食事係、当面の道連れ。そういうことでいいな?・・・後は勝手に好きに空想していてくれ、あんまりうるさかったら放り出すかもしれんが、俺としては毎日の食事作りがほとほと大問題でね・・・食べないと空腹に襲われるし・・・」

 当然のことを大問題のようにシュヴァルは言った。



 少し変わった吟遊詩人と大雑把な銀髪の戦士はこうして出会い、珍道中ははじまったのだ。







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