『その代りの約束』
童話1.
むかしむかしあるところに、2人の兄妹がいました。
兄の名前は、ピーター。
妹はメアリーといいました。
2人は流行病で両親を亡くし、途方にくれながら、旅を続けていました。
両親を亡くしてから、およそ1か月。
お父さんとお母さんが残してくれた僅かな財産も、底をつきてしまいました。
2人は振り続ける雪に凍えながら、ある村の、1つのドアを叩きました。
ドンドンドン。
ドンドンドン。
兄のピーターが、言いました。
「お腹が減って死にそうです。お願いですから、パンを分けてください」
しかしそう言っても、家の中の人は、ドアを開けてはくれません。
家の中の人は、言いました。
「お前に分けられるパンなんてないよ」
兄妹は別の家に向かい、今度は、妹のメアリーが尋ねました。
「お願いです。なにか食べ物を恵んでくれませんか?」
家のなかにいる人が言いました。
「私の死肉でよければ、喜んで恵んでやろう」
2人は、悲しげに顔を見合わせました。
兄妹はすべての家のドアを叩きましたが、誰も食べ物を分けてはくれませんでした。
ピーターとメアリーは諦めて、この村に来る途中にあった空家で、寒さをしのぐことにしました。
中に入ると、2人は驚きました。
誰もいないと思って入った家には、住人がいたのです。
その人は、腰のひん曲がった老婆でした。
「おやおや。どうしたんだい?」
老婆は、ひどくしゃがれた声で、そう優しく問いかけました。
「すみません。誰もいないと思って……。
あの、一晩でいいので、ボクたちを泊めてくれませんか?」
老婆は少しの間、じっと2人の顔を眺めました。
そして、今度はニッコリと微笑んで、こう言いました。
「いいともいいとも。さあ、外は寒かっただろう。今あったかいミルクをいれてあげようねぇ。暖炉のそばで、まずは体を温めるといい」
そうして老婆は、台所の方へと歩いていきました。
2人は顔を輝かせ、なかば走るようにして、暖炉がある暖かい部屋へと入りました。
ピーターとメアリーが暖炉のそばで体を温めていると、老婆が戻ってきました。
その手には銀色のトレイがあり、ホットミルクと、厚いスライス肉が乗せられた美味しそうなパンが、2切れもありました。
「さあ。お食べなさい」
温かい料理は、両親が死んでしまった日以来でした。
泣きながら、2人は夢中になって、パンとミルクを胃の中に詰め込みました。
食べ終わるのを見計らって、老婆がメアリーに言いました。
「お腹がいっぱいになったら、今度はシャワーを浴びておいで。せっかくの可愛い娘が台無しだ」
「なにからなにまで、ありがとうございます」
メアリーは頭をさげ、そうお礼を言いました。
メアリーにシャワー室の場所を教えてから、ピーターと2人っきりになった老婆は、ピーターに、こう訊きました。
「お父さんとお母さんは、どうしたんだい?」
ピーターは顔を伏せて、答えました。
「ここから少し離れた村で、流行病にかかって……」
「そうかい。
それじゃあ、お前さんたちがいなくなっても、誰も気にはしないね?」
彼は驚いて、老婆の顔をみました。
老婆の頭には、さっきまではなかった、恐ろしいツノが2本も生えていました。鋭い爪に、鋭利な牙。
老婆は、人間ではなかったのです。
「わたしは鬼魔女。鬼に憑りつかれた、古代の魔女さ」
ピーターは、メアリーに危険を伝えようとしましたが、それより先に、鬼魔女が言いました。
「おっと。口は閉じたままの方がいい。その気になればお前たち兄妹なんて、数秒で殺せるんだ。わたしはね、取引がしたいだけなんだ」
「……取引?」
ピーターが訊きました。
「鬼に憑りつかれた者は、人間の肉を食べなければ生きられない。
お前の妹は食べないから、その代り、お前の肉を食べさせろ」
ピーターは考えました。
そして、妹が生きるためにはお兄ちゃんが頑張らないと、と思いました。
ピーターは、その取引に応じました。
老婆は、ピーターを地下室に移動させました。
地下室はカビ臭く、湿っていました。
ピーターは恐怖に震えつつも、老婆の言うことを素直に聞き入れます。
そうして老婆は、錆びた鉄の首輪で、ピーターの首をガッシリと固定しました。
ピーターが暴れても、その鎖はガシャガシャと音を鳴らすだけで、ビクともしません。
老婆は壁に掛けてあった血のこびりついた斧を、彼の右腕に叩き付けました。
鮮血が飛び散り、痛みと恐怖に泣き叫ぶピーターの悲鳴が、暗い地下室いっぱいに響きわたりますが、その声は妹の耳にはとどきません。
「来週は右足、再来週は左足、その次は左腕だ。そうだね、お前の命は、もってあと1か月というところだろう」
鬼魔女はそう言って、ピーターの腕を薬草で止血してから、切り落とした右腕を持って、地下室をでていきました。
老婆は血の付いた服を着替え、腐らないようにと、その右腕を専用の冷凍庫にしまいました。
鬼魔女は人間の姿に、再び化けました。
しばらくして、メアリーがお風呂からあがってきました。
メアリーは、老婆に訊きました。
「お兄ちゃんはどこ?」
「わたしに迷惑をかけたくないと、1人で家を出ていってしまった」
「大変! わたしも行かないと!」
「行っちゃいけないよ。彼と約束したんだ。妹の面倒を、しっかり見るってね」
それから、1か月が経ちました。
メアリーは、老婆のことが大好きになっていました。
だから、せめてもの恩返しにと、優しいメアリーは精一杯働きました。
メアリーがシャワーを浴び始めるのを見計らって、老婆は商材が置いてある地下室へと、下りていきました。
「メアリーは無事か?」
手足がなくなり、胴体と首だけになったビーターが、泣くこともせずに訊きました。
「無事だとも。さあ、今日は首をいただくよ。最後に言いたいことはあるかい?」
放ってあった斧を掴むと、老婆は歯のない笑いを浮かべました。
ピーターは老婆を睨み、静かに言いました。
「妹は、妹だけは、絶対に…………」
老婆は頷いてから、斧を高々と振り上げました。
「ああそうそう。言い忘れていたよ」
目を瞑って怯えるピーターに、老婆は斧を振り下げながら、言いました。
「『その代わりの約束』が適用されるのは、どちらか一方が死ぬまでだ」
それを聞いたピーターは、唸り声と共に老婆に噛みつこうとしましたが、首をはねられ、息絶えました。
老婆はビーターの髪の毛を鷲づかみ、頭を持ち上げました。
次に、持ち運びができるようにと、老婆はビーターの胴体を、細かく斧で切り分けました。
兄ピーターの死から、1か月が経ちました。
老婆の人肉冷蔵庫には、もうあまり、蓄えがありません。
「良いことを思いついた」
老婆が言いました。
翌朝。
老婆は、メアリーにこう言いました。
「わたしは今から買い物に出かけるけど、地下室にだけは、行ってはいけないよ」
地下室の存在を知らなかったメアリーは、この家に地下室があっただなんて! と驚きましたが、それを顔には出さず、「分かったわ、お婆ちゃん」とだけ答えました。
老婆は、地下室への階段が見えるよう、絨毯を少しだけめくってから外に出ました。
老婆が家を出ると、メアリーはすぐに、部屋の掃除にかかりました。
食器を洗って窓を拭き、洗濯が終わってから、トイレの掃除もしました。
最後の仕上げに、床のモップがけをしようとしたメアリーの目に、少しだけ翻った絨毯が映りました。
よく見ると絨毯の下には、重そうな鉛色の扉が見えました。
メアリーは考えました。
「お婆ちゃんが隠そうとするものって、いったい何なんだろう」
メアリーには、それがとても気になりました。
ですがメアリーは、約束を破ることを嫌いました。
だからメアリーは、すぐに扉から、目を離しました。
老婆が家を出て行ってから、10分が経ちました。
メアリーはまだ、約束を守っています。
床のモップがけが終わり、次は洗濯です。
それから30分。1時間と、早々に時間は過ぎ去っていきました。
メアリーは、まだ、約束を守っています。
家のお手伝いも終わり、メアリーは、とうとうやることがなくなってしまいました。
メアリーの頭の中で、老婆の言った地下室という言葉が、何度も繰り返されました。
けれど兄が行方をくらましてしまった今、メアリーには、親しいヒトが老婆しかいません。
うつむいて悩んでいると、銀色の扉が、誘うように顔をだしていました。
メアリーは飛ぶようにしてその取っ手を握りましたが、思いとどまります。
お婆ちゃんがいなければ、私たち兄妹は、確実に死んでいたはず。
命の恩人に背いてまで、この扉は開けるべき物なのかしら……。
メアリーは結局、地下室を見るのを止めることにしました。
彼女が絨毯を綺麗に戻すと、それと同じくして、老婆が帰ってきました。
手には何も持っていません。
「買う物が多すぎたから、荷物は送ってもらうことにした」
メアリーの疑問を聞いて、老婆はそう答えました。
翌日。
人肉冷蔵庫が置いてある隠し部屋の入り口を開けっ放しにして、老婆はまた、買いものに行きました。
メアリーは、「とびっきり美味しい肉料理を」という老婆のリクエストに答えようと、キッチンにある冷蔵庫を開けました。
しかし、冷蔵庫の中にある食材は、飲み物だけでした。
肉はおろか、野菜すらありません。
そういえば、1ヶ月くらいずっと肉料理だったんだわと、メアリーは悩みました。
困ったメアリーは、急いで老婆の後を追いました。
しかし、家を出ると老婆の姿はありません。
まだ老婆が家を出てから1分も経っていないうえ、遥か遠くまで見通せるにも関わらず老婆の姿が見えないことに、メアリーは混乱しました。
仕方なく家に戻ると、メアリーは新たな発見をしました。
今まで見たことのない部屋を発見したのです。
奥に入っていくと、そこには大きな大きな冷蔵庫が置いてありました、
メアリーはおもむろに、その冷蔵庫に手をかけました。
驚いたことに、その中にはメアリーの望むものがありました。
肉です、沢山の肉が、その中には保存されていました。
「やったわ。これで大好きなお婆ちゃんのリクエストに応えることができる!」
メアリーは歓喜して、さっそく執りかかることにしました。
お婆ちゃんがいつ帰ってくるか分からないメアリーは、冷めても大丈夫なようにと、肉を煮込むことにしました。
調理器具を出して、準備を整えてから、メアリーは疑問に思いました。
それにしてもこのお肉は、いったいどこの部位なんだろう。
見ると、その肉は固そうでした。
歯のない老婆では、食べられそうにありません。
もっと柔らかいお肉はないかと、メアリーは、冷蔵庫の中を調べることにしました。
3つのドアがついているうちの、1番上。
そこには、なにも入っていませんでした。
動物の血で、少しだけ汚れているだけです。
メアリーは冷蔵庫を閉めました。
3つのドアがついているうちの、真ん中。
さきほど、メアリーが開けた場所です。
そこには、1つの固そうなブロック肉が置いてあるだけです。
ほかにお肉はありません。
メアリーは冷蔵庫を閉めました。
3つのドアがついているうちの、1番下。
メアリーはしゃがみこんで、冷蔵庫を開けました。
そこには、兄ピーターの首がありました。
血の気が一切なくなり、白くなった顔の造形は、生前とは違い醜く歪み、固まっています。
髪の毛は逆立ち、口からは、舌が大きくはみ出ていました。
右目はメアリーを見据え、左目はえぐられたのか、綿状の白いものが垂れ下がっていました。
「…………え……」
それが兄であることに、メアリーは一瞬では気づけませんでした。
しかしメアリーは、兄のことが大好きでした。
メアリーは、それが兄であることに気づきました。
「ぃや……」
首の下には、白い紙が置いてありました。
無造作に置かれた紙には、こう書いてありました。
12月28日。ピーター。13歳。男。肉固し。
その日付は、兄の誕生日ではありませんでした。
利口だったメアリーは、それが兄の命日であることに、気づいてしまいました。
誰がと考える必要はありません。
メアリーは、すぐに逃げることにしました。
すべての荷物を置いて、メアリーは玄関へと駆けていきます。
しかしそこで、少しだけ翻った絨毯から、重たそうな鉛色の扉が見えました。
メアリーは利口でしたが、幼くもありました。
最後に1度だけ。メアリーは、地下室を下りてみることにしました。それは好奇心でした。
扉は、簡単に開きました。
階段に足をかけると、メアリーは絨毯を抑えながら、ゆっくりと扉を閉めました。
地下室には、明かりがありませんでした。
両手を壁に着きながら、メアリーはゆっくりと、下へと降りていきます。
やがて、1番下に着きました。
「なにも見えないわ……」
真っ暗闇の空間に、メアリーは怖くなりました。
寒いし、嫌な臭いもします。
メアリーは、もう戻ろうと思いました。
振り返って片足を上げると、後ろから、小さな明かりが付くのが分かりました。
大きな階段のうえに、メアリーの影と、もう1つ。揺らめく影が、大きく照らし出されました。
メアリーは、咄嗟に振り返りました。
暗い部屋の隅。
ロウソクを持った老婆は、そこにひっそりと佇んでいました。
「やっと来たわね。メアリー」
「ひ……………………っ!」
メアリーは絶句して、階段を駆け上がりました。
階段の最上段に着き、メアリーは扉を押し開けようとしましたが、しかし扉は開きません。
「無駄さね。私が魔法をかけたから、どちらかが死ぬまで、その扉は開かないよ」
ロウソクに灯った火が、ゆらゆらと動きました。
老婆が近づいてきているのです。
急いで階段をおりて、メアリーは壁伝いに、必死で奥へと逃げました。
しかし、行き止まりでした。
メアリーは、逃げ場がないことを悟りました。
「信じてたのに……! ひどいわお婆ちゃん! ずっと騙してたのね!」
「そうさ。わたしは、鬼魔女だからね」
老婆は悪びれることもせずに、そう言いました。
「お兄ちゃんを返してよ! なんで、お兄ちゃんを……うぅう……」
メアリーはその場で泣き崩れました。
頭の中で、兄ピーターの無残な首が思い出されたのでした。
階段の一歩手前で、老婆はメアリーに近づくのを止めました。
メアリーの体が照らされ、周囲も少し、明るくなりました。
涙で溢れた視界の中から、メアリーは、兄ピーターの筆跡を見つけました。
地面に書かれた赤い文字は、ところどころが切れていて、読みづらいものでした。
しかしメアリーは涙を拭い、「信愛なる妹、メアリー」という始まりで書かれた文を、しっかりと目で追いました。
信愛なる妹、メアリー。
この言葉が、君の目に入らないことを願う。
兄ちゃんはメアリーが大好きだ。パパとママと一緒に、遠くから見守っているよ。
兄ちゃんは先にパパとママに会いにいくけど、いいよな。いままでずっとお兄ちゃんだったんだ。ボクだって、もう少し甘えてみたい。
それじゃあ、最期まで幸せにな。メアリー。大好きだよ。
兄ちゃんより。
それは、ピーターが自分の血で書いたものでした。
文字は乱雑でしたが、確かにピーターの筆跡でした。
「取引をしないかい?」
鬼魔女はニヤリと笑いながら、メアリーにそう訊きました。
「しない!」
メアリーは涙を堪えながら、叫びました。老婆が尋ねます。
「お腹いっぱい、美味しい物を食べさせてあげようか?」
「いらない!」
メアリーは、首を振りました。
「お金はどうだい? 欲しいだろう」
「いらない!」
メアリーはまた、首を振りました。
「なら、お前の家族を生き返らせてやろう。パパもママも、あの兄もだ」
けれどその質問に、メアリーは、首を振ることができませんでした。
静けさが部屋を支配します。
「本当に……?」
か細い声に、鬼魔女は、ニヤリと笑いました。
「わたしは鬼の魔女さね。鬼の力と魔法を合わせて、できないことなんてないよ」
メアリーの心は、揺らいでいました。
「その取引って……どういうの?」
「なーに。私がお前の家族を生き返らせる。その代り、そのあとでいいから、お前の体が欲しいってことさね。お前の犠牲1つで、3つの魂が救われるんだ。良い取引だろう?」
メアリーは悩みました。
浮かんだのは、パパの逞しい腕と、ママの美味しい料理。そして、メアリーに向かって優しく微笑む、兄ピーターの顔でした。
メアリーは、頷いてしまいました。
「契約成立だね」
不思議なことが起こりました。
メアリーの右手には、ロウソクが乗せられた丸皿が握られていました。
座っているはずなのに、メアリーの視線は高い位置にありました。
目の前には、出入口の階段がありました。
「え?」
そう発音してメアリーは、自分の声がひどくしゃがれていることに気が付きました。
「ああ、どうやら完璧だねぇ……」
老婆が言いました。聞き覚えのある声でした。
老婆の姿を見て、メアリーは身を固くして、驚愕しました。
老婆は老いぼれた姿ではなく、メアリーの体を持っていたのです。
「入れ替われる体を、ずっと待っていた……。これでやっと、おじいさんのところに逝ける……」
メアリーの体に移った老婆は、そう言うとメアリーへと近づきました。
「お礼に、教えてあげよう。わたしが生き返らせた人間は、もうじき、死んだ場所で蘇ることになっている。前とまったく同じとは、いえないけどね。
それと、もう2つ。
鬼は自殺することはできないし、人間の肉を食べないと、記憶を失くして殺人鬼となってしまうからね。それだけ気をつけな。
本物の孫ができたみたいで、楽しかったよ。ごめんね、メアリー」
最期に微笑んで、老婆は崩れるようにして、地面に倒れこみました。
曲がりきらない腰を曲げながら、老婆の体をもったメアリーはしゃがみました。
心臓の音を確かめてみましたが、何の音も聞こえません。
メアリーは、鬼魔女が死んだんだと思いました。
ロウソクは、もう半分もありません。
するとメアリーの背後で、物音がしました。
メアリーが振り返ると、そこには兄ピーターの姿がありました。
鬼魔女は、しっかりと約束を果たしてくれたのです。
「おに――」
お兄ちゃん! そう叫ぼうとして、メアリーは止めました。
ピーターの体を見て、無性に人間の肉が食べたくなってしまったのです。
メアリーは利口でした。
いまの自分の体。ヒトを食べたいという欲求。それらを考えて、メアリーは、大好きな兄に駆け寄るのを止めました。
「め、メアリー……? おい……?」
ピーターは素足で、老婆の遺体へと向かいました。
「よくも、よくも……!」
対峙しているのが妹とも気づかない様子で、ピーターは、老婆の風貌をしたメアリーに叫びました。
大好きな兄に睨まれ、悲しむ姿をみて、メアリーも泣きそうでした。でも、メアリーは泣きませんでした。
メアリーは解っていました。
自分が鬼になってしまったことを。
もう誰も、呪われた自分を愛してくれないことを、メアリーは解っていました。
だからメアリーは、真実を打ち明けないことにしました。
ピーターは泣きながら、動かない死体を、強く抱きしめました。
メアリーは鬼ですが、魔女ではありません。
『その代わりの約束』を使うことはできないと分かっていましたが、メアリーは契約という言葉を選びました。
「ピーター。契約をしましょう」
「ちくしょう、ちくしょう!
守れなかった。兄ちゃんなのに、ボクが、お兄ちゃんだったのに……ちくしょう、ちくしょう!」
「ピーター。私を殺してください」
燃え尽きる寸前のロウソクを床に置いて、メアリーはそう願いました。
大きな粒を、目からボロボロと落としながら、ピーターはそっと、メアリーの体を置きました。
ピーターは立ち上がり、壁に掛けてあった斧を握ります。
「ごめんよ…………メアリー」
「その代わり、パパとママがいた家に戻ってくださいね」
ピーターが、斧を振りかぶりました。
老婆の姿をしたメアリーが、斧を振りかぶるピーターと向かい合います。
斧はしっかりと背中まで振りかぶられ、シワの刻まれた黒い瞳を、ピーターは殺意をもって睨みつけました。
抑えていた感情が溢れだして、老婆の口が開きました。
「死んだメアリーは、お兄ちゃんのことが大好きでした。
死ぬそのときまで、ずっとそう言っていました。
追いかけっこで転んだとき、顔に雪玉がぶつかったとき、嫌いな野菜がご飯にでてきたとき、ママに怒られたとき、お腹が空いたとき、いつもいつも、どんなに些細なことでも、お兄ちゃんが守ってくれた。
お兄ちゃんのおかげで、メアリーは幸せに生きることができました。
だから今度は、私がお兄ちゃんを守る番なんです。
だからお兄ちゃん。私だけのお兄ちゃん。
死んでも、幸せになってね。そう、言っていました」
「そうかい」
斧を握る手に、ピーターは力を込めました。
「お前のウソも、これで最後だ」
メアリーは、いま言った言葉が全て、ウソだと思われていることに気が付きました。
メアリーはとても悲しくなりました。
せめて兄を慕うこの気持ちだけは、正直に受け取ってほしいと、そう願いました。
「ウソじゃな――」
しかし老婆の口は、最後まで音を発しませんでした。
ピーターは、老婆の首に何度も何度も、斧を叩きつけました。
1撃目で、老婆の首から大量の血が噴き出しました。
老婆は仰向けに倒れ、ピーターは斧を頭上に持ち上げました。
2撃目は、狙った場所に当たりませんでした。
頭蓋骨が割れ、中から赤い色の脳ミソが飛び散りました。
3撃目で、首と胴体が切断されました。
老婆の腕が、足が、びくびくと痙攣し、すぐに動かなくなりました。
でもピーターは、それだけでは止まりませんでした。
老婆の頭部が跡形もなくなるまで。床にまみれた血で足を滑らせるまで、ピーターは憎しみに斧を振り続けました。
ピーターは無気力感に包まれていました。
斧を投げ捨て、血まみれになった体で、メアリーの遺体を持ち上げます。
ロウソクの火は最後に揺れて、誰にも気づかれることなく、静かに消え入りました。
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ピーターは妹の遺体を抱えて、血まみれで家に帰りました。
せめて遺体だけでも、パパとママの近くに埋めてやろうと思ったのです。
だけどそこには、生き返ったパパとママがいました。
ピーターは、起きたこと全てを語りました。
楽しかったことなんて、ほとんどなかったけれど、ピーターは全てを話しました。
辛くて、悲しくて、泣きじゃくりながら、しかし浮かんでくるのは、妹メアリーの屈託のない笑顔ばかりでした。
ピーターは言いました。
「魔女が最後、悲しそうに何かを言おうとしたんだ。
その雰囲気が、メアリーにとても似てて。
いま思えば、口調も違ってて、なんだか俺が
「その代わり、お前の肉を喰わせろ」
ピーターが言いました。