最終話 上編『君が残した宝モノ』ー1
プルルルル。プルルルルル。
何度目ーーいや、既にその回数は二桁に突入しているかもしれない。
ただ、それでも向こう側の反応はなかった。
時間が早いからか?
そんなわけない。携帯に表示されている時間を確認すると、そこにはAM7:28の表示がされていた。
大体の御家庭なら既に活動時間になっている時間だ。
なら、なぜ出ないかーーーー。
考えられるとすると、あの子を探しに出ていて、家には誰もいない。なんて、不自然なことはあり得ないか。
後はーーーー
この時、なぜか知らないけど、俺は思い出した。
そうか。だから、出ないのか。
その理由が予測ではあることはわかったが、ここでこのまま電話を切った場合、近くにいる高柳に不審に思われるかもしれない。
それだけは、なぜか知らないが勘弁。
なら、やることはーーーー
「私、藤島と申します。えーと、仲波さんのお自宅であってますか?」
プルルルルーーーープルルルルーーーー
演技。
コール音が聞こえてくる中、向こう側と連絡が取れたことを演じた。
「あのですね。 昨夜のことなのですが、私のもとに、仲波さんの娘様の奏絵さんが参られましてーーー」
プルルルル。プルルルル。
「はい。 わかりました。 では、本日中には仲波さんのご自宅にお連れ致しますので、宜しくお願い致します」
プルルルル。プルルルル。
「はい。 では、失礼致します」
一通りの演技を終え、電話を切った。
あとは、高柳にばれてないことを祈るだけ。
「お、あちらさんとは連絡取れたんだ」
どうやら、こいつはあれが演技だと気づいていない。
「ん? まーな」
子機を充電器の上にセットする。
「あの子が起きて、ゆっくりしてから、あの子を連れて行くよ」
「そっか。 っと、もうこんな時間か。 ゆっくりし過ぎた」
「これから出社か?」
「まーな。 俺はお前と違って社畜なんだよ」
「そりゃ、大変だ」
「うっせ。 その分、お前で発散してんだ」
「最悪だな、それ」
「んじゃ、そいつはどうする?」
「んー。 明日にでも渡したいが、帰ってこれる自信がないな。 出るまでには済ませるから、いつもの場所に入れとく」
「おう。 了解した。 気をつけて行けよ」
「あぁ。 お前も出勤中に事故るなよ」
担当編集者ーーー高柳は慌てて出て行った。
「さーて、まだ起きてきそうにないから、やるか」
俺は、仕事に取り掛かった。
*
少女ーー仲波奏絵が起きてきたのは、予想していた時間よりも遅い午前9時を少し回った頃。
「んー」と、未だに眠気が取れ切っていない様子で客間から出てきた。
ちなみに、彼女に着せているのは昨夜来ていた私服ではなく、俺の下ろしたてのパジャマ。
「起きたかー?」
「んー」と、なんとも覇気が全く感じない返事。
「あー」
で、そんな彼女を上から下までを見てから、
「そのまま、洗面所に行って、顔洗ってこい」と、洗顔を薦める。
なんせ、彼女の髪の毛は見事なまでに噴火しており、昨夜の髪型が皆無であった。
「場所は、大丈夫だよな?」
「んー」
ま、昨夜、あれからお風呂に入れさせたから大丈夫だと思うが。
「おはようございます」
顔を洗ったことで、先ほどまで残っていた眠気が完全に消え去った彼女が最初に口にした言葉。
まさか、この家で、生身の人間からこの言葉を聞くことになるとは思いもしなかった。
テレビ越しでは何度も聞いたことがあるがーーーー両親が他界し、この業界に足を突っ込み、一人暮らしをし始めて数十年。
久しぶりに聞いた言葉だった。
あの、高柳も早朝に原稿の回収に来るが、その際の言葉は『原稿出来たか?』だ。
電話越しでも、聞いたことがない。
そう思うと、挨拶って素晴らしいものだと改めて実感した瞬間だった。
「あー、おはよう。朝飯なんだけど、食パンでいいか?」
「はい」
「了解」
袋から山崎の食パンを2切れ取り出し、ホームセンターで一目惚れしてから愛用しているパントーストにセットする。
「コーヒーはいるか?」
「はい。 あ、できれば甘めでお願いします」
「おう」
んでもって、一目惚れしたパントーストと一緒に買ったコーヒーメーカーで抽出したレギュラーを二つのマグコップに注ぐ。
「甘さは、君で調整して」
と、片方を彼女に差し出すと、彼女はそれを両手で落とさなように受け取った。
「ありがとうざいます」と、目の前に置かれているシュガースティックを3本とクリーミーポーションを3つ淹れた。
外見からして少女で、恐らく中学3年生か高校生になったばかりの女の子にはブラックは無縁なのだろう。
ーーーーはて?
中学3年生か高校生ーーーー?
「あのさ、君」
「はい?」
相当、猫舌なのだろうかマグカップを両手で持ちながら、息を吹きかけて冷ましていた少女。
「学校は?」
今日の曜日は、木曜日だ。
何を見なくとも、それはわかる。なんせ、毎週木曜日は高柳が出社前に顔出し、回収をしてくる曜日なのだ。
しかも、祭日ではなく、平日。
「休みました」
少女は、ケロっとした表情で答えた。
「………だよな」
ま、彼女がサボっていたとしても、俺には何ら問題ないし、影響もない。
「あのー、おねがいがあるんですが?」
少女が、先ほど渡したいがマグカップの淵を撫でながら、頼みごとをしてきた。
「ん? なんだ」
「あのですね……『君』って呼ばれ方なんですが、慣れてなくて……そのー」
淵を撫でながら、少女は言った。
どうやら、あの呼ばれ方には慣れていないためか、恥ずかしかったのだろう。
むしろ、彼女くらいの女子が、異性から『君』呼ばれすることは極めて低い。
「まー、それなら仕方ないが……」
ここは彼女の意見を取り入れる事にしたが、問題があった。
「今後は、何て呼べばいいんだ?」
そう、呼び方だ。
「そうですね。家と学校では名前で呼ばれてるので、、名前でおねがいします」
「な……名前だと!!」
あわや、口にしていたコーヒーを吹き出すところだった。
最近の彼女くらいの年代の女子が考えることは、斜め上すぎる。
こういうのを、時代の違い。ジェネレーションギャップと言うのだろう。
「名前って………俺たちは出会ってまだ2日かそんくらいの関係だぞ?」
いくら、相手が中学生か高校生のどちらである少女でも、名前で呼ぶには躊躇ってしまう。
「出来れば……苗字はダメか?」
苗字なら、躊躇わずに言える自信があった。
「ダメです」
だが、要望は無常にも拒否られた。
彼女が躊躇いどころか、考える時間すらなく、速攻で。
「なんでだ?」
「だって、苗字だとお母さんと一緒にいたら、区別できません
「区別って……
君のお母さんの事は、すみれって呼んでいた。なんて、言えなかった。
それに、これから十数年間ぶりの再会を果たしても、そう呼べるかどうか怪しかった。
「わかった。名前で呼べばいいんだな?
「うん
挫けた俺が見たのは、満面の笑みを浮かべた少女の顔。
そして、その表情は……一度は完全に忘れていた。融けたことで10年近くも思い出すことができなかったはず。
どんなに、願ってもーーーー
どんなに、望んでもーーーー
思い出せなかった。
忘れてしまっていた。
消えていた。
それが、少女の表情で蘇った。
「………すみれ………」
十何年ぶりに口にした彼女の名前。
二度と口にすることがないと思っていた、彼女の名前。
「…………似てるんですか?」
彼女の問いかけに答えたくなかった。
「あ………あぁー」
思い出したくなかった。このまま、忘れていたかった。
いや、忘れるというか、消えていて欲しかった。
でも、もう無理だ。
「似てたよ。きーー奏絵ちゃんと君のお母さんはーーー」
敢えて、出来ることとしたら、この子の前では彼女の名前を呼ばなようにすること。
それは、どうでもいいようなことかもしれない。いや、どうでもいいことだった。
「そうなんですか……」
これは、参った。
ただでさえ、彼女とのやりとりが気まずかったのに、さっきの一言でさらに気まずくなった。
こうなってしまうと、誰でもいいから来て欲しいものだがーーあの担当編集者は、今日来ることはない。
後は、郵便や宅配便頼みだが……ここ、最近、奴らを利用したことがない。
「あ、あのーーーー」
彼女が何か問いかけてきた刹那、パントーストが『チンッ』とパンが焼けたことを知らせる音を鳴らした。
話題をそらすのに、最高のタイミングだ。
「お、焼けた焼けた
助かった。
トーストからこんがりと程よい焼け具合のパンを抜き、適当な皿に置く。
「ジャムとバター、どっちがいい?」
「バターでお願いします」
「了解」
冷蔵庫からバターを取り出した。
最終話は3部(上・中・下)となります。