間話2 手紙の外から向こう側へ
あの夏が終わり、2学期になってからの私は、あの頃の彼が知っている私に戻ろうと努力した。
でも、変わってしまってることは知ってるのに、なにが変わってるのかわからなかった。
あれからの彼との文通の回数は増えることもなければ減ることもなかった。
週に2回のやりとり。
月曜日に私が手紙を出して、水曜日に彼から返事が返ってくる。その返事に私は答えて木曜日にもう一度出して、土曜日に届く。
そんなやりとりだった。
内容は、今思えばどうでもいいことだった。
私が知っている先生の異動や友達の恋バナとか………ただ、顔を合わしたり、事前に電話をしあったわけではないの私たちの手紙の内容は同じ内容で埋まっていた。
だけど、離れて暮らす私たちの唯一の繋がりがそれだけで、不思議なことに電話をかけることはしなかった。
たぶん、彼の親には知られたくなかったかもしれない。
でも、何回も手紙を出していても、私には伝えることができないことがあった。
あの時に思い知らされた、変わってしまった私。そのことについては、改めて謝ったけど、千城君から『それは、僕もだよ。お互いに成長したんだから変わるのは仕方ないよ』と返事が届いた時、私はなぜか知らないけど泣いた。
自分の部屋で声を出して、泣いた。
当時はなんで泣いたのかわからなかった。たぶん、解放されことが嬉しかったと思っていたのだろう。
でも、数日後に改めてその理由がわかった。
解放されたことへの嬉しさではなかった。
彼ーー千城君も私と同じであったことが嬉しく、泣いた。
私は私自身が変わってしまって、千城君は変わってなかった。そう、私は思っていた。
だけど、彼から見た私は、変わった私ではなく、成長した私であった。
そのことに気づかせてくれたのが彼だった。そのことに気づけたからこそ、私は悔しくって泣いた。
変わっていたのは、私だけじゃなかった。
彼も、私と同じように変わっていた。
あの頃のような、そのことだけしか思えなく、それに足掻こうとしていた小さかった私たち。
今は、足掻いてない。
もう、決まったレールの上を歩いている。走っている。駆けている。
彼の言葉にはそれが含まれていた。そのことが嬉しかった。
だから、私は何年ぶりかに自分の部屋で声をあげて泣いた。
*
その翌年、私たちは中学生としていられる最後の年を迎えた。
中学三年生。そして、高校受験の年。
私は、第一志望の公立高校に受かった。
だけど、そのことに対しての嬉しさは微塵たりともなかった。
それ以前に、嬉しさを感じることができなくなっていた。
そして、気がついた時には彼との手紙のやりとりが無くなっていた。
彼から送られてこなくなったのではなく、私自身が辞めてていた。
*
高校に入学した私は、即座にアルバイトをすることにした。
もちろん、校則上禁止になっているが、申し出をすれば免除されることをしったので、そちらも済ませておいた。
アルバイト先は、高校から自転車で十分もかからないところにあり、個人経営の喫茶店。
アルバイトをすることで、私は一人になってしまう時間を少しでも少なくしたかった。
家に帰ったとしても、両親は共働きのため、確実に一人になって、あの頃を思い出してしまう。
それが嫌だった。嫌いだった。辛かった。逃げたかった。
少しでも、あの頃を忘れるためにも、私はがむしゃらになっていた。
なんで、私はあの頃を忘れようとしていたのだろうか。
自分でもわからない。でも、忘れたかった。
たぶんだけど、理由は一つだけある。
それは、私たちはただ大人になりたいがためにとってしまった過ちとその結果。
本当なら、その結果だけは彼にも伝えるべきなのだが……怖かった。
彼がそれを知ったことで、彼に起きてしまう変化が怖かった。
だから、彼との唯一の連絡のやりとりだったあの手紙をやめてしまったんだ。
その反対は、どうでもよかった。
おそらくだけど、私はお母さんは好きだけど、お父さんは好きに慣れていなかったかもしれない。
お父さんの転勤で、私たちは離れてしまった。
まだ、あの頃は互いを異性との好感よりも、同年代の友情としての好感を抱いてかもしれない。
そして、久々にあったあの夏であの過ちを犯してしまった。と、私は思っている。
それから半年後。あれから一年後の夏。
私が感じていた幸せが崩れ出したのは、きっとこの時からだったんだろう。
私が好きだったお母さんが持病の発作と悪化で亡くなりました。
*
その日の夜。
私は、自分の部屋で顔に枕を押し当てて、泣いた。
声をーー私の中にある心からの悲鳴を上げた。けれど、押し当てていた枕がそれをかき消してくれた。
なんで、こうなってしまったのだろう。
なにが、いけなかったのだろう。
きっと、お母さんが死んでしまったことに私が悔やんだりしても、なんも意味がないかもしれない。
むしろ、私の意思なんて無関係に違いない。
でも、私は悔やんでいた。
悔やむことしかできなかった。
そもそも、お母さんは元から持病を携えていた。
そのことを知ったのは、私が小学校に入学してからのことだった。
夜にお母さんとお父さんがそのことについて話ているのを盗み聞きしてしまった。でも、当時の私は、そのことを理解できなかった。
お母さんの持病の恐ろしさを知ったのは、入学した小学校から千城君と出会った小学校に転校して数日後のこと。
そこの図書室にあった辞典で、それを知った。
でも、その頃の私は、それの恐ろしさよりも彼とともにいることで感じられた暖かな時間の流れを重視していた。
そして、お母さんを休ますための最後の転校。
たぶん、その時には既にこうなるんだってことを二人は知っていたんだーーーー
部屋から出て、一階に降りると居間の灯りが点いていた。
「お父さん」
消し忘れかなと思い、居間を覗くと居間、お父さんがいた。
「んーーーあぁーー純玲かーーーー」
顔を見なくても、お父さんがすごくショックを受けているのが感じた。
でも、それ以上に、お父さんが私の名前を呼ぶことに懐かしさを感じた。
「ーーーーーごめんな」
お父さんの謝罪。
「黙ってて」
違うよ。と、言葉にしたかった。口にしたかった。
だけど、なぜか知らないけど、口は開かなかった。
「本当ーーーー純玲には迷惑をかけたな」
迷惑なんて感じてない。
「知ってたんだーーーー」
今のお父さんは、お父さんなのに、初めて会う人がそこにいる感じがした。
「純玲ーーーーお前に好きなやつがいたんだろ」
お母さんには彼のことを教えていた。でも、その時はまだ、クラスの中で一番仲が良かった男子だった。
お父さんには、なにも言わなかった。ただ、クラスの中でうまくやってることだけを言った。
だけど、お父さんはそれに気づいていたんだ。
「…………違うよ、お父さん」
今はそうかもしれない。でもーーーーあの頃はーーーー
「あの頃は好きな人はいなかったよ」
あの頃の私が彼に抱いていたのは、好きなんて好感じゃなくて、友達としての友情感。
だから、好きじゃなかった。ただ、気になる友達だった。
「だからねーーーーお父さんは謝らなくていいんだよ」
居間の灯りは点いている。
だけど、いつもより暗いと思うのは、きっと雰囲気がそんな感じだから。
それに、私からも、お父さんからもその暗さを膨張させるなにかが漏れているから。
「それにーーーー」
私はお父さんが嫌い。ーーだった、訳じゃない。
苦手。ーーでもない。
ただ、私は家族の中で一番頑張ってるお父さんに迷惑をかけたくなかった。
心配されたくなかった。
邪魔になりたくなかった。
そして、なにより、
「もう、これ以上、謝ることないよ、お父さんは」
私は、自分が思っていた以上にお父さんが好き。だったんだ。
居間のドアを閉めると、その向こうからお父さんのすすり泣く声が聞こえてきた。
「ありがとう」と、小さく呟き、私はその場を後にした。
*
部屋に戻り、ベッドの上に転がりーーー自分の感情と向き合う。
彼のことを一番の友達だと感じていた、あの頃。
夏に再開して、一番の友達から好きな人になった。
でも、あの時に渡そうとした私の思いをそのまま詰め込んだ人生始めてのラブレターを渡すことなく、私はビリビリに破り捨てた。
もし、もう一度、あれを書こうとしても不可能だよ。
もう、私の中にあの時の私の思いがなくなってる。
去年だったら、少し違ってる内容になるかもしれないけど、それに近いのならかけていた気がする。
「なんでーーーー」
部屋の電気は消えている。豆電球も点けてない。
それでも、部屋が明るいのは、外から侵入してくる月や街灯の光。
「私、受け入れちゃったんだろう」
もし、あの時の私が今の私の状態を知っていたら、あの夜はきっと違った夜になっていたに違いない。
あの頃の私は、まだ子供だった。幼かった。
人生経験的にもーーーーそして、なによりも人として。
だから、あの夜を体験したことで私は『大人になった』と勘違いしていた。
『大人になった』ことで、離れ離れになった時間も環境も学校もーーーーどんなものにでも立ち向かえることが出来る。
そんな、勘違いをしていた。
結果として、私はーーーーどんなに変わっていたとしても『私』でしかなかった。
『お互いに成長したんだから、変わるのは仕方ないよ』
彼からの手紙に書かれていた一文が私の中に浮かび上がる。
まるで、それは魔法のような言葉。
「無理だよ……やっぱ」
あの手紙を読んだ時、私は自分の未熟さを知り、無色透明で触ることが出来ないのに、その向こう側に抜けることが出来ないのに囲いから解放された。
はずなのに、私はまた、その中に自分の意思で戻ってきていた。
お母さんが死んじゃったから、私は弱くなったんだ。あの夏、私は強くなれた。
と、お母さんのせいに出来れば、楽なんだろう。
「違うよーーーー」
でも、それが出来ない。
だってーーーー「私は、どんなに頑張っても私でしかないんだから」
*
あの夏から二年後の夏。そして、お母さんが亡くなって、一年後の夏。
私は、お酒で酔ったお父さんに襲われ、犯された。
二度目の行為だった。
初めての時は、痛みを感じた。転んだ時や虫歯になった時とは違う、凄い痛みを感じたが、私の中に満たされていく温もりがそれを解消してくれた。
でも、二度目は違った。
ただ、痛かった。
痛くって泣いた。叫んだ。暴れた。抵抗した。殴った。叩いた。蹴った。振り払った。
でも、お父さんには届いてなかった。
私に届いたのは、私の体の痛みだけじゃなく、私としての心の痛み。
そしてーーーーお母さんを亡くしたお父さんの痛み。
お父さんが私に覆いかぶさりながらお母さんの名前を呼んでいた。
それが届いた時、私は抵抗することやめ、お父さんの背中に腕を回した。
当然、痛みがあった。
だけど、そこには愛があった。
お父さんからお母さんに伝えたかったものがあった。
ふと目が覚めた。
ベッドの下に落ちていたスマホを拾い、時間を表示する。
既に、日付は翌日の日付になっていた。
何回、出されたんだろう。と、考えたくないのに、その疑問が真っ先に私の思考を埋めてくる。
そして、それを物語るように私の周りに散らばっている丸まったティッシュと、乾燥してガビガビになった学校指定のワイシャツ。
それを見て、私はまだ制服を着ていたことを思い出した。
制服ーーー特に、スカートにこの汚れが無いか確認しないと。
汚れがあったら、すぐにクリーニングに出さないといけないし、替えのやつを出さないといけなかった。
スカートを脱いで、それを確認すると、運が良かったことにその汚れはなかった。
ただ、シワが付いていた。
「…………」
シワなら、アイロンで直すことができる。でもーー
「なんでーーーーなんでーーーー」
私の身体はどんなにたっても、どんなことをしても、一度の過ちを直すことができない。
そして、私自身の過ちも。
なんで、私は受け入れてしまったのだろうか?
お父さんが悲しそうだった。から?
お父さんが辛そうだった。から?
お父さんが好きだった。から?
幾らでもそれっぽい理由は思いつく。でも、それらは私が求めている答えなんかじゃない。
なら、私が求めている答えって何?
「うっ……うっ………」
それを物語っている感情が湧き出し、私の中から外に出ようとする。
それはーーーー私自身の愚かさ。
「わぁぁぁぁぁぁぁっ、うわぁぁぁぁぁぁーー!!」
私は、泣いた。
大声で。
叫び声で。
私は泣いた。
*
あの夏、私は成長した自分が嫌いになり、私自身が嫌いだった。
だから、私はお父さんを受け入れた。
私の中に別の人の何かが混入したら、私が嫌いな私でなくなり、別に私になると思った。
別に、私の中に混入させるほかの人のものは
なんでもよかった。
唾液。
涙。
血。
精液。
なんでもよかった。だから、私は最後のものを受け入れた。
結果、私は私が嫌いな私のままで、今まで以上に嫌いな私の中に眠っていった感情がわかった。
そして、私は自分の愚かさを知った。
私は、私が嫌いじゃなかった。
嫌いだったのは、あの夏に一歩踏み出せなかった私だけ。それ以外の私は好きだった。
それに、ずっとしまっていた彼への想いにも変化が起きていることに気が付いた。
彼が好きだった。大好きだった。
それは、ずっと前も今も同じこと。
でも、愛してなかった。
多分、私は彼のことを小学生のときからーー初めて出会ったあのときから好きになっていた。そして、その気持ちを抱えたまま中学生になり、転校して、孤独なりーーーーそれでも、その気持ちと想いが残っていた。だから、私は彼のことが好きだった。
人として。
異性として。
元クラスメートとして。
一番の親友として。
だけど……だけど、本当にそのなかに『愛』がなかった。
だから、私はあんなに悩んでいたんだーーーー
「バカ……だなー………。私」
自分で自分のことを誹る呟き、部屋に漂う重い空気が私を包んだ。
「ほんと………バカだ」
私は、泣いた。
声にならない声で。
自分でなんて言って泣いてるのかわからない声で。
自分でも初めて聞く声で。
*
季節は流れて、冬。
あと一ヶ月もすれば、今年という一年が終わる。
『拝啓、藤嶋千城様』
初めて書いた時と同じで、使い慣れているシャーペンで文頭を書き出す。
こうやって、彼の名前を書き出すのは何度目だろうかーーー
『今年も押し迫ってまいりましたが、千城君はお元気でお過ごしのことと拝察いたします』
辞書をめくって見つけた使い慣れてない言葉を書く。
だけど、それは続けれなかった。
理由は、簡単。
私がこうだと思った言葉を辞書で引いても、それらしい文章がなかったから。
『さて、堅苦しい挨拶もなんなのでここからは、前と同じように書きたいと思います』
うん。これがしっくりくる。
多分、こう書く私が、彼が一番知ってる私になるんだと思う。
『なんか、3年間手紙が送れなくて、ごめんね』
気がついたら、私はそこに、謝罪文を書いていた。
本当なら、電話で伝えるべきこと。または、実際にあって、直接伝えるべきこと。
でもーーーーもう、それは出来ない。
電話をすることはできるけど、会うことは絶対に出来ないし、絶対にしたくない。
だから、私はこれを気がつかないうちに書いていたんだ。
そしてーーーそれは止まらない。
その後も、数行に渡って、私の謝罪文が続いた。
ここまで長いと読まれない可能性がある。けど、それでもかまわない。
とにかく、どんな形でもいいから、謝りたかった。
そのあとは、私の周りのどうでもいいようなことを書いた。
それは、なんとなくだった。
アルバイトのこと、高校のことーーーー本当に、どうでもいいようなことを。
それらを書いて、1枚目を終わらした。
まだ、余白は十分にあり、書くことができる。
だけど、本題は2枚に書きたかった。
『ごめんなさい』
最初の6文字が書かれる。
『仲波純玲は、藤嶋ーーーー』
それ以上が書けなかった。
違う、書けなくなった。
シャーペンの芯がなくなったわけじゃない。
言葉が思いつかないわけじゃない。
ただーーーーいつの間にか流れ出していた涙がポツポツと手紙の上に落ちて、滲んで、文字が書けるような状態じゃなくなっていた。
「なんで………なんで………」
自分でも、その理由がわからない。
あの夏に、私は彼のことが好きでも愛してなかったことを知った。
あの夏に、私は私を汚した。そして、私が穢された。
だから、私は自分の中に眠っていた想いを知った。
なのにーーーーなのにーーーー
「うっ……うぅっ……」
なんで、涙が出るの?
なんで、こんなに視界がぼやけてるの?
なんでーーーーこんなに胸が苦しくって痛いの?
「ごめんね…………ごめんなさい」
誰かに謝りたかった。
違う。誰でも良かったんじゃなくって、ただ、彼だけに謝りたかった。
私がこんなに苦しいなら、彼はこれ以上の苦しみを感じてる。
それを謝りたかった。
でも、彼には会いたくなかった。
今の私を見て欲しくなかった。見られたくなかった。
「ごめんなさい」
何度目かの謝罪の声が、凛として何も音がしない私の部屋に小さく響き、私の心を強く締付ける。
なんども、涙で濡れた手紙を交換した。
なんども、涙で書いた文字が滲んだ手紙を交換した。
なんどもーーーー何度もーーーー
『ごめんなさい。仲波純玲は、藤嶋千城君とは二度と会いたくないです』
たった一文。たった、数十文字の言葉。
私が、自分の本当の思いに気づき、葛藤して、辿り着いた答え。
そして、私の偽りの恋の終わり。
*
翌朝の天気は雪だった。
しかも、もうすでに雪が足首付近まで積もっていた。
この地域では珍しくらしく、早朝から友達のメールラッシュになった。
「はー」
体温を奪われ、痛みを感じる両掌にぬるい息をかけて、擦り付け合う。
失敗した。
家からポストまでの距離が徒歩で5分ちょっとだったから大丈夫だと慢心していたことが失敗だった。
もし、向こうで同じことを経験していたら、間違いなく手袋をしていただろう。
「はー」
今度は溜息をついた。
「ほんとーーーーなんなんだろ」
私自身でも自分が何に対して伝えたいのか、何を言っているのかわからなかった。
ただ、空を見上げた。
白い雪が降り続ける。
ふわりーーーーふわりーーーーと。
ザクッ
歩み出す。
ゆっくりと。
雪を踏みしめ、慣れていない雪道を歩く。
ザクッーーー
雪を踏みしめる音が聞こえる。
ザクッーーーザクッーーーザクッーーー
私がそこの足を踏み入る度に、その音が聞こえる。
本来なら、この音は車の走行音で掻き消されるぐらいに弱く、低いものなのかもしれない。
だけど、今はそうじゃない。
車が一台として走っていないため、その音が容易に私の耳に入ってきた。
「はー」
吐いた息が白い靄のようにふわり、ゆらりと私の前に漂い、瞬間として消える。
そして、私はそこに到着した。
普通に歩けば5分ぐらいで着く距離なのに、だいぶ時間がかかったように思えるのは、雪道だっただろうか。
あるいはーーーー錯覚なのか。
目の前にあるのは、白い雪の傘を被った赤いポスト。
この中に、これを入れるだけ。
私の恋の終わりを書きつづった、二度目で最後になるラブレター。
いや、違う。
この中に、愛なんてない。恋なんてない。
あるのは、別れのみ。
そして、これを投函すれば、私の幼い頃から抱いていた偽りの恋が終わる。
なのにーーーー
出来なかった。
行動に移せなかった。
私の中の気持ちや思いは、すでに決められていた揺らぎなんてなかった。
だけど、私の身体はそうじゃなかった。
すでに汚れた身体なのにーーー私の身体の中には、彼のではない遺伝子で穢されたはずなのにーーーー
揺らぎがあった。
戸惑いがあった。
躊躇があった。
まだ、私の身体は彼を求めているの?と、答えもしない身体に問いかける。
そもそも、人って精神と身体でこんなに違いがあるものだろうか。
私の問いかけに答えてくれない。
所詮は、身体だからーーー。
器だからーーー。
「もうねーーーー」
呟く。
「いいんだよ」
諭す。
「これでーーーー」
それを投函した。
それは、無音でポストの中へと飲み込まれていった。
*
そこから動けなかった。
または、動こうとしなかったとも言える。
私は、ただ、ポストを見つめていた。
この中に、私の恋の終わりが入ってるんだ。
もう、私自身の力と手段で、この中からそれを取り出すことも、取り戻すこともできない。
今、私の恋は終わった。と実感する。
そして、それが彼の元に届いた瞬間、私と彼が共にいた時間が終わり、彼と共にいる未来、将来は二度と来ない。
「はー」
吐いた息が白い靄となり、漂いーーーー瞬間として消える。
ふと、私は空を見上げた。
ここに来る途中に見上げた時にと何一つとして変わらない、暗い空が広がていた。
星も、月もなくーーーー光や灯りがない空。
あるのは、降り続けている雪。
「まるで、私みたいな空」
呟いて、気づいた。
それは間違っていた。
今の私みたいじゃなくって、あの時の私みたいな空だ。
もし、今の私を冬だとすると、あの時の私は、春か夏になるのかな?それじゃ、去年の私は秋?
そう思ったけど、それはどうでもいいことだった。
そう。もう、終わったことだから。
身震いがした。
別に身の危険を感じたわけじゃない。
どうやら、雪に当たりすぎたみたいで、寒気を感じた。
「帰ろーっと」
そう。もう、後には戻れない。
だから、前向きで行かないと。
振り返り、足を踏み出した刹那ーーーー
キッキィィィィィっ!!
けたたましい音が響き、私の視界が白一色に染まった。
その白さは雪の白さじゃない。
雪よりも、明るく、眩しくーーーー