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間話1 手紙の外から中へ

2年後、俺は秦野市立の公立高校に入学した。

そして、この日から新しい日々が始まることに僅かながら期待感と恐怖心を胸に、俺はクラス編成表を見上げながら、その向こう側に広がる雲一つ無い青空をも見上げる。

クラス編成表には、知っている人の名前や、知らない人の名前が書かれ、それらの中から自分の名前を難なくと見つけることが出来た。

だが、俺は自分の名前よりも違う奴の名前を探した。

絶対にそこにないと分かっていても、そこにありそうな気配がないことがわかっていても、探してしまう。見つけようと、自分の視線を何度も上から下へ巡らしてしまう。

あの名前を――

そして、現実というのは自分の期待や希望を悉く潰していくもので、何度も確認しようが彼女の名前はそこに無かった。いや、ないのが当たり前なんだ。

俺は、何時しか自分でも嫌気がさすほどに現実逃避をし易くなっていた。むしろ、現実逃避をする自分が当たり前の自分になっていた。


新しい教室の中には、知っている奴は誰一人としていなかった。同じ中学卒業の奴が俺のクラスには誰もいなかった。隣のクラスには両手で数え切れないくらいいるのに、このクラスだけには奇妙なことに誰もいなかった。

いるのは俺だけ。

後は、知らない人ばかり。

まるで、昔のあいつの環境を体験させてもらっているような感じだった。

そして、高校初めての席はあの時と同じ場所だった。

そこからあたりを見回せば当然の如く、あの時とは違う景色や環境が見える。けど、俺はまたその中であいつの姿を見つけていた。

いるはずの無い人の姿を――見えたとしても、それは昔の姿であり、自分が作り上げた虚像。

「……すみれ……」

そっと、誰にも聞き取られないように小さな声で呟く。

いるはずの無い人の名前を。

いて欲しいと願う人の名前を。

何時しか俺たちは文通をしなくなった。

中学2年の終わりまではやりあっていたの。純玲から送られてきた手紙の返事を送り返したり、時々は返事ではなくどうでもいいようなことを書いたりした。

例えば、純玲が知っている教師が異動してしまうことや、知っている奴が付き合いだしたこと。知っている店が潰れてしまったことや新メニュー商品のこと。

それは、本当にどうでもいいことだったと思うけど、あの頃の俺と純玲からしていれば、共有しあうことが出来る唯一の話題だった。

他にも、純玲が住む地区のこと。

一度だけ純玲の元に行ったときに立ち寄った場所のこと。

後は、互いのクラスや学校、帰り道とかで起きたことを書いたりした。

猫がいたとか、こんな人を見たとか――今思えば、本当に俺たちがやりあっていた文通の内容はどうでもいいようなことだったんだ。

でも、どうでもいいようなことが離れて暮らしている俺と純玲を繋げている唯一の接点だった。

だけど、その接点は忽然と途絶えてしまった。

それは、中学3年になって3ヶ月ぐらいしてのことだった。

それでも、俺は純玲に手紙を送り続け、何日も――いや、毎日、その返事が来ていないのか家のポストを開けた。

一日に何回も。

朝、学校に行く時。夕方、学校から帰ってきた時。バイクの音が聞こえた時。

休みの日になれば、ほぼ一時間置きに確認していた。

だけど――純玲から手紙が送られてくることが無かった。

純玲からの手紙は途絶えてしまった。

高校に入ってからの俺は自分でも分かるほどに変わった。

変わったといっても、ただそう感じて、思えるだけで、何が変わったのかその詳細は不明。

中学に転校した時は、部活や委員会に入ろうとはしなかった。

いや、入りたいと思っていなかった。むしろ、そんな時間が無かったというべきだったか。

あの頃は、まだあいつが近くにいて、あいつが側にいた、

だから、部活や委員会に入ろうとは思いもしなかった。どちらかというと、そんなのに入って時間を費やしたくなかった。

そんなので時間を費やすなら、少しでも長くあいつと一緒にいたかった。

一緒にどうでもいいようなことを話したかった。

一緒にどうでもいいようなことで笑いあいたかった。

ただ、あいつの顔が見たくって、声が聞きたくって-―とにかく、あの頃の俺はあいつと共にいられることが幸せだった。

だけど、今は違う。確実に違う。

高校に入り、俺は人生初めての部活としてテニス部に入部し、我武者羅に頑張った。周りの奴らはみな中学の頃からテニスをしている経験者ばかりで、未経験者であり初心者でもあったのは俺だけだった。そして、その差は肉眼で確認が出来るくらいに大きかった。

それでも、俺は諦めたくなかった。その差がどんなに広かろうが大きかろうが――そんなのはどうでも良かった。

ただ、俺は逃げたかっただけなのかもしれない。

独りになってしまう時間から。

後ろを見ることが慣れてしまった自分から。

そして、その半年後に俺はレギュラーの座につくことが出来、初めて出場した大会で優勝も果たした。

だけど、そのときの俺は嬉しいと感じることが無かった。

俺は、目標を失ったことにショックと見たくない現実を再び目にすることの残酷さだけを感じた。

県大会で優勝した時もそうだった。もともと俺が通っていた高校のテニス部はそんなに強いわけでもなければ弱いわけでもなかった。だけど、県大会で優勝したことは一度も無かったみたいで、俺が初めてだった。その為か、顧問の教師や部員の先輩や同輩の奴らがまるで自分のことのように喜び合っていた。

そして、翌年――高二に上がった俺は、部活を辞めた。

そのとき、顧問の教師から辞める理由を聞かれ、俺は「自分でも分かりません」と答えた。

部活を辞めた俺は、生徒会役員に立候補した。

別に学校を変えようとか、そんな立派な理由なんてなかった。

ただ、俺は一人でいる時間をなくしたかった。一人でいたくなった。

そして、難なく俺は生徒会役員の書記に任命された。

その後日から、俺は時間がある限り生徒会室にいて、書記としての活動をするようになった。

そして、季節は流れ冬。

長い月日と空白の時間が経った今に、純玲から手紙が届いた。

家のポストからそれを取り出した俺は、それを凝視した。

そして、戸惑いを感じ、疑いも感じた。

その日の夜、俺はベッドに転がり、それを見つめた。

封を開けるべきか、否か――ただ、その選択肢が俺の頭の中をぐるぐると回り続けている。

恐らく、中学の頃の自分だったら迷わずこれを開けていたことだろう。だが、今の俺はそのことに躊躇いを覚え、困惑してしまっている。

そう、あの時の約束は果たせなかった。

俺は、何時しか変わってしまった。変わっていた。

時間が流れ、互いに手紙を交わさなくなって、俺は変わった。

恐らく、離れた場所で暮らす純玲も同じなんだと思っていた。

だけど、それは俺が自分勝手に思っていたことで、実際にはこうして手紙を送って来るんだから、変わっていないような気がする。

ただ、それでも分からないことがあった。

何故、一年の年月を置いて、再び俺の元に手紙を送ってきたことがわからなかった。

だから、これが届いた時の俺の中には、嬉しさと恐怖が半々に浮かび上がっていた。

「……」

俺は、それを通学用のリュックの奥に押し込み、布団を頭から被り、瞼を強く閉じた。


翌日の放課後、俺は生徒会室にいた。

今の時期は、生徒会としての活動が無いため、生徒会室に誰か人がいる可能性は低く、ある意味空き教室と同じだった。

誰もいない生徒会室に来た俺は、適当な場所に座り、昨夜リュックの奥に押し込んだ手紙を取り出し、その封を開けた。

『拝啓、藤嶋千城様』と、手紙の始めに懐かしく、変わっていなかったあいつの文字で書かれていた。

『今年も押し迫ってまいりましたが、千城君はお元気でお過ごしのことと拝察いたします』

その次に書かれていた文は、どこか大人びた文章だったが、その文字にはどこか幼さが残っている丸文字であったため、ギャップの差が激しく思えた。

『さて、堅苦しい挨拶もなんなのでここからは、前と同じように書きたいと思います。なんか、3年間手紙送れなくて、ごめんね。別に、手紙や千城君のことを忘れていたわけじゃないよ。これでも、送れなかった理由はちゃんとあるんだから。でも、それをね、今ここに書きたくないし、千城君に教えるつもりもないから安心してなのかな?この時は安心してもらうよりも気にしてないでいて言ったほうがいいのかな?でもでも、人ってさ、気にしないで。て言うと、不思議なことに気になるんだよね。だから、安心して。て言ったほうが千城君は楽になるのかな?それにさ、私たち受験生だったから、正直あまり時間が取れなかったのが事実かな』

そこに書かれている文も文字も――その手紙そのものがまるで純玲本人が俺の近くで読んでいてくれている、言ってくれている、そんな感じがした。

『でも、この手紙はね、そんなときに書いてないよ。受験が終わって、高校に入学して、学校の前にある駅の近くにある喫茶店の中で書いています。あ、千城君のことだから、当然高校に行っているよね?まさか、落ちて早い浪人生活を満喫していますなんてことないよね?そうそう、私が通っている館二(正式には、下館第二高校だよ)の制服だけどね、なんと中学校の制服と全く同じ。不思議でしょ。勿論、男子の制服も学ランだよ。もうね、そっちにいた頃には考えられないことばかり。そういえば、そっちの制服って男子はブレザーで女子はセーラー服かな?もしそうだったら、羨ましいな。私も一度でいいからセーラー服着てみたかったです』

これを書いている純玲は、もう俺の知っている頃の純玲とは違っていた。でも、姿形が変わっていたとしても、純玲でしかなかった。

そして、純玲が変わってしまっているのなら、きっと俺も純玲が知らない俺に変わっていることだろう。

『でね、今手紙を書いている喫茶店は二葉カフェっていうところでお店を開けて二年ぐらいたっていうそうだけど、綺麗で落ち着いていて、大人の雰囲気を感じさせてくれる喫茶店です。とか言っているけど、実のところ喫茶店に行ったのはここが初めてのことです。

それに、二葉カフェのマスターはとっても優しい人だし、マスターだけじゃなくてスタッフのかたがた全員が優しいです。あと、ここで飲むコーヒーはとても美味しくって、お薦めします。普通のカプチーノとかも美味しいですが、ここでしか飲めない特別コーヒーの二葉ブレンドが私の一番のお気に入りです』

何故だろうか。

俺はただ、この手紙に書かれていることを読んでいるだけなのに、これを書いている純玲の様子が思い浮かんできた。

俺が行ったことがない喫茶店で、なぜか知らないけど一人で手紙を書いている純玲が――だけど、高校に行けばきっと友達がいるに違いないと、俺は思った。

確信を持つことは出来ないけど、不思議とそうに違いないと思えた。

『なんか、私のことばかり書いてごめんね。えっと、話は変わるけど、この手紙を出した理由について書きます。本当なら、電話して私の口からちゃんと言いたかったけど、いざ電話の前に立つと、緊張して身体が動きませんでした。だから、手紙に書いてあなたに教えることにしました』

そこで、手紙が終わり、

「二枚目……?」

二枚目の手紙に繋がっていた。

そして、俺はゆっくりとした動作で一枚目と二枚目を交換し、それに書かれている純玲の文字を見た。

『ごめんなさい。仲波純玲は、藤嶋千城君とは二度と会いたくないです』

たった一文。たった、数十文字の言葉。

それは、俺の中にある全てのものを砕き、壊した。

塵も埃も陰も痕跡も――なにもかもが無くなった。

そして、不思議なことに俺は涙を流したり、それを拒否したりすることが出来なかった。

涙を流そうとしても、俺の中にそれがなくなってしまっているかのように流れる様子もなければ浮かぶあがる様子すらも感じられなく、この文は冗談だと自分に言い聞かせても、奇妙なことに俺はこれが現実なんだ。と受け入れてしまっていた。

更にその下にもう一枚別のものが挟まれていた。

それは、あの時に撮った一枚だけ欠けた残り半分のプリクラだった。


俺はそれから視線を外し、窓越しから外の景色を眺めた。

静かに雪が降り出していた。

俺が二度目の下館に訪れたのは冬休みに入り、年明けが間近に迫ってきた12月27日のことだった。

ここに来るまでは、あの時のようなアクシデントが無く、予定通りにやってこれた。そして、あの時と同じ方角の出入り口から駅を出ると、目の前に広がる景色はあの夏と変わっていなかった。いや、実際は大分変わっていた。

あの時は、夏祭りが催され、人が大分いた。けど、今俺の目の前に広がる景色は、冬を思わせる寂びた景色。祭が催されていなければ、人の数も少なくも無く多くも無い。

「・・・・・・」

そして、俺はこの時になって初めて自分の行いに欠点があったことに気付いた。

もともと、ここを訪ねた理由は純玲本人の口から直接にあの手紙に書かれていた言葉を聞きたかっただけ。勿論、あの手紙を送られてきてから、今日訪れるなんて純玲に伝えていなかった。いや、それ以前にあんな手紙が送られてきたのにも関わらず、俺のほうからそんなことをかいた手紙を送るなんて出来なかった。だから、ここに来ることは約束された行動ではなかった。その為、俺は純玲が今現在、この地域のどこに住んでいるのか分からなかった。

ただ、あの時と同じ道を歩くだけ。むしろ、そうすることしかできなかった。

純玲がいないと何も知らなく、見たときも無く、歩いた時もない、未踏の街。

その中で、独りきりの俺に何が出来るというのだろうか?

行く当てもなければ、頼りになる案内役すらもいなし、更にはその代役を果たせる地図だって持っていない。

そんな状態の俺が、この街で唯一出来ることといったら、あの夏に歩いた場所を歩くだけ。

駅前の大通り――あの夏では、ここで納涼祭が催され、日本一重い神輿が揺れていた。

でも、今の俺の前に広がるその姿は、そのときの姿だけが特別であるように感じさせる錆びえた姿。

でも――その中を大分歩くと、周りの景色から浮いて見える建物が目に入った。

『しもだて地域交流センターアルテリオ』。この中には、美術館もあるらしいけど、あの時は中に入らなく、そのままこの対面上にある『筑西しもだて合同庁舎』のほうに曲がっていたのを覚えている。けど、それから向こう側の道をどう歩いていったのか覚えていない。

多分、あの時の俺は周りの景色や風景、歩いいた道などを覚えることなく、ただじっと久々に会ったあいつの顔や姿、動作、表情、声、繋いだ手から流れきる体温――純玲の全てだけを目で捉え、覚えていた。

断片的な記憶ではなく、長いフィルムのような動画的な記憶として。

だけど、その記憶に写っているのは、純玲だけ。

それ以外のものはぼやけていて、薄っすらとしか思い出せなかった。

どれくらいの時間を歩いていただろう。そして、思い出そうとしていただろうか。

気がついたときには、西の空が赤く染まり、その上には夜の到来を感じさせる暗い青の姿が確認できた。

右腕の裾を軽く捲り、そこに隠れていた腕時計を一瞥。

17時58分の表示。

「・・・・・・ここにいても、何も無いし帰るか」

俺は、軽く捲った裾を元に戻し、歩いてきた道を戻った。

時間的に夕方であった為、そして季節が冬であった為に吹いてくる風は冷たく、俺の身体とその中を冷やしていくのを感じた。

閑寂とした下館駅のホーム。

今日来た時も同じだったから、この閑寂な姿に問題があるわけもなければ、恐らくこの姿が本来のものだろうか。

あの時と同じ側からホームに入り、目の前に見えるのは水戸線の下り架線。その向こうに見えるのが二車線の上り。更にその向こうには、ここに来てはじめてみた一車輌の電車。

確か、私鉄だったと思う。

そして、そのまま右のほうに振り向くと、そこにも電車が停まっていた。

いや、それは電車なんかではなく汽車。

正真正銘のSL汽車。

だけど、今の俺からしてみればそんなのはどうでも良かった。

目の前に見える水戸線の線路。その向こうの町並み。

停まっている汽車。停まっている一車輌のしてる電車。

今、こうして俺の目に映る全てが。

今、こうして俺の耳に聞こえる音が。

どうでも良かった。どうなっても良かった。


ただ、俺は――


俯きながら、上り線のホームに立つ自分。

こんな風景を見たくってここに来たわけじゃい。

こんな音を聞きたくってここに来たわけじゃない。

俺は、ただアイツに逢いたかった。

逢って顔や姿を見たかっただけなのに――

「寒くない?」

突然聞こえた、女性の声。それは、あたりの騒音を物ともせずに直接、俺の耳に響いてきた。

それは忘れもしない声。そして、忘れようとしても忘れられなかった声。

俺はゆっくりと顔と視線を上げ、その声がした方向――自分の正面を向いた。

そこにいたのは――

俺がその姿を確認する前に、突然水戸線が下り車線のホームに入って来た。

そして、それが大きな壁となり姿を確認することができなかった。が、運が良かったのか、あるいはその姿が本来の姿なのか、ホームに入ってきた電車の乗客数は僅かだった。

更に、あの女性は隣にいる子供となにやら会話しあいながら、あいている座席に座ることなく、そのまま反対側のドア――つまり、俺がいる方――に歩み寄ってきた。

そして、その人が視線を子供から離し、俺のほうにゆっくりと向いてきた。

まるで、俺の存在に気付いたみたいに、ゆっくりとした動作で。

だが、あと少しその顔が見れると思った刹那、俺の前に上り電車がホームに入ってきた。

新しい壁だ。

そして、その向こう側に停まっていた電車が動き出した。


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