ジェイコム・バレンの遺体
三章 ジェイコム・バレンの遺体
ジェイコム・バレンの遺体の損壊部位がゼシリア・セルリコットの部屋から出て来たというニュースが屋敷中を震撼させたのは、言うまでも無いことだろう。
しかし、屋敷内にいた者全員の反応が一様かと問われれば、違ったと答えざるを得ない。
ある者は単純に驚愕し。
あの者は冷静に沈思黙考し。
ある者は青ざめた顔で忙しなく周囲に視線を飛ばしている。
特に、最後の反応が最も顕著だったのは使用人達の方だった。
シリアを除く使用に二人――――ロディックとロゼディ――――の慌てようといったら上気を逸していた。
まるで心ここにあらずというより、魂ごと別世界へ旅立ってしまったかのようだった。
「……それで、主人はいつ帰って来るのでしょう?」
誰もが言葉を失う中、そう口火を切ったのはシリアだった。
彼女だけが気丈にも冷静さを失わず、この中で唯一まともな思考回路を持った者であるとハワードは思った。
端的に言って、強い人だと。
「捜査が終了し次第、お返し出来ると思います」
フランクリンの説明に納得した訳でも無いだろうが、一応その場は、シリアは引き下がってくれた。
「……それで、遺産はどうなるの? 生命保険にも入っていたはずだから、そっちの受け取り人は?」
「そちらはまだ何とも……我々は管轄外ですからそれぞれの専門へ問い合わせをしないと」
ことここに至ってもまだ金の話か。
ハワードがロティに抱いた印象は最悪に近かった。第一印象からさほどよかった訳ではないが、それでも軒並み右肩下がりに悪くなっている。
それはおそらく、彼女以外の全員が思っていることだろう。
思っていて、口にしないのだ。
なら、彼がわざわざ荒波を立てるようなことをすることもない。
「あの……」
ロディックが弱々しげに挙手し、発言権を求めて来た。ロティが彼をひと睨みすると、ロディックは怯えたように肩を竦ませ、小さくなってしまった。
おそらく、黙っていなさいという合図なのだろう。
発言の許可は、別の場所からもたらされた。
「大丈夫よ、ロディック。何か言いたいことがあるの?」
それまで黙って傍観に徹していたクリスタだ。ロティは彼女のことも睨んだが、クリスタはどこ吹く風とばかりに涼しげな顔をしている。
「何か」
フランクリンが促すと、ロディックはおずおずといった様子で口を開いた。
「ゼシリアさまの部屋で見つかったのは、本当にご主人さまのものだったのですか……?」
「ん? それは、どういう意味?」
質問の意図を図りかねて、フランクリンが問い返す。ロディックは慌てて補足しようとしたが、いい言葉が浮かんでこなかったのか泡を喰ったような顔をしているだけだ。
そんな彼を責め立てるように、隣に並んでいたロゼディが肘で彼を小突いた。
彼のかわりに彼女が言う。
「ロディックはこう言いたいんだと思います。『ゼシリア様の部屋にあった腕やなんかは本当に私達のご主人様のものだったのか』、『別人のものではないのか』と」
隣でロディックがうんうんと頷いている。
彼らの質問に対し、フランクリンは(少なくとも表面上は)自信たっぷりに首肯した。
「ああ、ジェイコム氏のもので間違いないだろう。単にこの屋敷で見つかったというのが根拠ではあるが、回りの庭園も調べたがそれらしいものは出なかったことからも彼のもので間違いないと思われれる。解析に来てもらえるよう既に連絡済みだ。結果を待つとしよう」
「そう、ですね」
異論を挟む余地無しと判断したのか、ロディックもロゼディも固く口を閉ざした。
発見された遺体がこれまで仕えていた主人のものであると断言されれば、こんな反応にもなるか。ハワード達は、揃ってその程度のことしか考えなかった。
ただ一人、メタリアを覗いては。
彼女の瞳は、疑念に揺れていた。
◆ ◆ ◆
一同を食堂から解放し、再び捜査を開始して三十分後。
ハワード、フランクリン、ステファニー、メタリアの四人はゼシリアの部屋にある冷凍庫の前にいた。
本部にはすでに連絡済みだ。あと二時間もすればこちらへやって来て、損壊部位の検死に入るだろう。
そうなれば、ここに入っている手足がジェイコム氏のものであるという確固たる確証が得られるはずだ。
だが同時に、それ以降この中のものには指一本触れられなくなる。
その前に、もう少しだけ絞り取れる情報が無いか確認しに来たのだ。
「……切り取られた手足に殺人を立証する以外のどんな情報があるっていうのか、はなはだ疑問だけどな」
そうこぼしたのはフランクリンだ。彼は言い出しっぺのメタリアがいかにも信用ならないといった様子で鼻を鳴らした。
ステファニーも同様の態度を取っている。
唯一違うのは、この中で(メタリア除く)最年少のハワードくらいなものだ。先輩二人の態度があまりにも硬質過ぎて、自分はどう反応を示せばいいのか決めかねているようだった。
結果、中途半端な及び腰になる。
「おい、本当に何かあるんだろうな?」
「そんなことを私に訊かれても」
困るなぁというふうにメタリアは眉を寄せた。
彼女は中身がどんなふうになっているのか知っているはずだが、フランクリン達に一言の断りも無く冷凍庫を開けた。
中のものがおしげも無く外気に晒される。
「……何だこりゃ」
「ひどい……」
二人とも愕然としたように、目を見開いている。そこに哀れみや同情のようなものは無く、ただ純粋に驚いているようだ。
後になって、じわじわと恐怖が喉元からせり上がって来るのだが、まだ二人にはその気配は無かった。
メタリアは冷凍庫から袋詰めにされた手足の内の一本、右腕に該当する部位を取り出し、ハワード達の前に掲げて見せた。
「これがジェイコム・バレン氏の右腕だ」
「なぜ断言出来る?」
「胴体だけの遺体を見た時に彼の傷口は見た。そして、ここにある傷口。これがあの傷口と一致している。これは一繋がりになっていた体をバラバラに切断する際についたものだ」
「……だから、それがジェイコム氏のものであると?」
「そういうこと」
メタリアはご明察とばかりににやりと笑んだ。そんな顔が出来るのは、世界広しといえど彼女だけだろう。
実際にこの場にいる刑事は全員、吐き気を堪えるのに必死だった。
「……く、つまり、だから何だ?」
「………………」
メタリアがゴミムシでも見るかのような目でハワードを見やった。
ハワードは何となく居心地が悪くなり、目を逸らした。
「これがこの場所にあったことが何を意味するか、きみ達なら分かるはずよ」
彼女、メタリアは不遜な態度を崩さない。己の立場がどんなものであるか理解しているはずだが、下手に出ることがないのだ。
数秒から数十秒の間があって、ステファニーがやっと一つの考えに辿り着く。
「……犯人は、ゼシリア……?」
遺体の損壊部位はゼシリアの部屋にあった。ならば、彼女が真っ先に疑われてしかるべきだろう。
その考えには、フランクリンも至っていた。
だがしかし、口にしなかったのには理由があったからだ。
「俺達は彼女とはまだ会っていない。この状況も、他の住人であればどうにかして作り出せるやもしれないし、今彼女を犯人と決めつけることは出来ない」
「そうね……」
理路整然としたフランクリンの台詞に、ステファニーは同調の意を示した。
確かに、先ほどのあれは結論を急ぎ過ぎたかもしれない。あくまで彼女も容疑者の一人として見るなら構わないが、犯人と断定するのなら話は別だ。
もっとしっかりとした証拠が無いと、逮捕に踏み切ることは出来ない。
性急過ぎたと自分で自分を戒めるステファニーを無視して、メタリアは続ける。
「さっきステファの言っていたこと、私も考えたわ。でも、違うとすぐにその考えは捨てた。フランクリンの言っていたようなこともそうだけれど、何よりもまず彼女には動機が無い」
「は……? 動機ならあるじゃないか。金だろ?」
フランクリンが訳分からないというように問うた。が、その答えを口にする前に、メタリアは一つの仮説を立てた。
「もし仮にメタリアが犯人だとすれば、金ズルを殺すような真似はしないと思う」
「でも、彼女はジェイコム氏の正妻だったのでしょう? だったら……あ」
言いながら、ステファニーはあることに気づいた。
「そう。彼女は正妻だった。しかしそれはジェイコム・バレンの正式な妻としてではなく、他のブラフと違い彼女に真の寵愛を捧げていたという意味。書類上は全くの他人。そんな人間が保険金を受け取れると思う?」
「………………思わないわ」
「なら、彼女がジェイコム・バレンを殺す動機が無くなる。彼女は職についていた訳でも無かったようだし、自分で自分の首を絞めるような行動をするとは私にはとても思えない」
「だもだったら、それは他の妻達にも言えることじゃ?」
訝しげに呟くハワード。
ゼシリア以外の妻――――クリスタ、ロティ。この二人にも先と同じ理由でジェイコム氏を殺害する動機は無くなる。
そう考えていたハワードの思考は、メタリアの次の一言で遮られた。
「そもそも、ゼシリア・セルリコットは生きているのかしら?」
「ッ! ……どういう意味だ?」
ハワードはメタリアの言葉にビクッと肩を揺らし、おそるおそる訊ねた。
「そのままの意味よ。彼女は現在、こうして私達が彼女の部屋で、夫の遺体の一部を肴に盛り上がっているこの瞬間、果たしてこの世にいるのか、という」
「それは彼女が死んでいるということか!」
フランクリンも声を荒げる。
メタリアは全く怯えた様子も無く淡々と告げる。
「さぁね、まだ分からないわ」
肩を竦める彼女の動作に重さは無く、酷く演技臭かった。
その態度に苛立ったのか、そもそも苛立ちを募らせていたのか、フランクリンがメタリアの胸倉に掴みかかった。
「何だその態度は! 人が一人死んでいるかもしれないんだぞ!」
「止めてくれる? 服が伸びるわ」
冷ややかな態度。
彼と彼女の視線が交錯する。
怒りと憎しみに燃え上がる炎の視線と氷のように冷徹な氷の視線。
どちらも、一歩も引か無かった。
彼は彼女を睨みつけたまま、数秒間動きを止めた。
そして再び時が動き出す。
「……チッ」
舌打ちとともにメタリアを解放し、フランクリンは苛立たしげにもとの位置に戻った。
この一連の騒動の中で、誰もフランクリンを止めようとしなかったことに、遅まきながらハワードは気がついた。
自分も含めて。
「まぁ、色々と言いたいことはあるだろうが、一つ私の作戦に従って欲しい」
「作戦?」
訝しげに眉根を寄せたのは、ステファニーだった。他二人も、訳が分からないというようにぽかんとしている。
彼らを見回して、メタリアはニッと口の端をつり上げた。
「そう、作戦」
何となく、いい予感がしないハワードだった。
◆ ◆ ◆
午前二時二十二分。
物音を立てないよう、ゆっくりと扉が開けられる。
足音を殺して、目標が眠っているはずのベッドの近くまで忍び寄る。
案の定、そいつは眠っていた。すやすやと気持ちのよさそうな寝息を立てて。
そのまま、永遠に眠ってしまうとも知らずに。
「………………」
思わず口の端が釣り上がってしまう。
この場でこいつを殺せば、以降の捜査に支障をきたすことは請け合いだった。
そうなれば、ゼシリア・セルリコットが夫を殺した犯人として断定されるだろう。
そこまで行けばこっちのものだ。警察が彼女を見つけることは出来ない。
私の勝ちだ。
スカートの内側から、千枚通しにも似た細身の刃物を取り出す。
これでも、心臓を性格に貫けば絶命に至らしめることが出来る。
あとは先のジェイコム・バレンのように四肢をバラバラにしてどこぞへでも捨ててしまえばいい。
彼をオブジェにと考えた私は愚かだった。
同じ過ちを繰り返すことはしない。
ひと思いに殺し、ひと思いに葬る。
そうすることで、私達は不動の信頼を得ることが出来る。
さぁ、やってしまおう!