宮沢由紀(1)-1
「ねえ、ねえってば、桜木」
「……」
「桜木!」
なんだこいつ。
このやる気のない態度、ほんとイライラする。
ぐうぐう寝やがって。
「うっし、寝た」
桜木がいつものように腕を伸ばしている。
寝た、じゃねえよ。
「桜木、次音楽」
私はそれだけ伝えて席を立つ。
「んー」
「なんで由紀、馬鹿正直に桜木の世話してんの?」
私を待っていた理恵が突っ込んできた。
「隣だし、今日日直だし」
「それだけー?」
「それだけって?」
「由紀さ、桜木と同じ水泳部だし、ほんとは仲いいんじゃん?」
それを言うか。
それを言ったらあいつに私は足下にも及ばない。
この高校は珍しく温水プールがあって、水泳部はとても人気がある。
1学年30人くらいはいるはずだ。
1軍と2軍で分けられていて、それ以下は幽霊部員か、
勝手にグループを作ってシンクロなど別種目をやっている。
桜木は1年のときから選抜候補にいて、
練習内容も練習するグループも、上級生と一緒だった。
2軍の私は、練習する日が違うことも多い。
同じ部活でも、目指している場所も居る場所も違う。
「別に仲良くないよ。私が水泳部って知らないんじゃん?」
「んなことないだろ」
「あるある」
私があんまり選抜の人を知らないし。
「それに、この前の日直からずっとじゃんか」
桜木は音楽の授業に来なかった。
というか音楽以降の授業全部いなかった。
でも今日は木曜日。私は桜木がどこにいるか知っている。
2週間前の木曜日、2軍がプールを使える曜日だから早めにロッカーへ来ていた。
しかし着替えてシャワーを浴びてプールサイドに向かうと、すでに先客がいた。
男子だ。
見とれてしまうくらいに綺麗な泳ぎ。
それは静かな泳ぎで、スピードが速い。
選抜の人だろう。
今日はランニングや陸でのトレーニングのはず。
でもまだ早いし、先輩だとそんなことを言ってられない。
残念だけど少し待とう。
他の人がくれば気付いてくれるはず。
選抜だからといって無理矢理プールを使うことは顧問の先生が許さない。
あっ、桜木……。
クロールの息継ぎから覗いた顔が桜木だった。
あいつは授業に出ないで泳いでいるのか。
体育の授業は……そっか。
あいつは適当に授業をさぼってるわけじゃなかったわけか。
桜木は最後のストロークを流して、
ゆっくりとプールサイドに手をついた。
勢いよくジャンプをしてプールサイドに上がる。
「ふおっ、くわー!ひゃー!!」
そして両手を上げて雄叫びを上げている。
なんだあれ。やっぱり馬鹿だったのか。
それでも気持ちが分からないでもない。
桜木はプールを挟んで反対側にいる。
誰もいないと思ってるな。
「桜木!」
驚かせてやろうと思って、桜木を呼んだ。
ゴーグルを外さずにこっちを見てくる。
特になんの反応もなくプールサイドの椅子に座った。
めんどくさいな。
私は2軍の他の子がくるまで、ロッカーに戻ってようと思った。
「宮沢!」
思いの外大きな声で私の名前が呼ばれた。
私が振り向くと、すぐ後ろに桜木がいた。
泳いで反対側に来たんだ。
気配をほとんど感じなかった。
ほんとに無駄のない泳ぎをするんだな。
「宮沢、泳がないのか?お前らの日だろ?先輩待ってるのか?」
「あ、うん」
私が水泳部だって知ってたんだ。
いや、今知ったのかもしれないし。
「わ、私が水泳部って知ってたんだ?」
私は桜木が思いのほか近くにいることで気が動転してしまい、
わけの分からないことを聞いてしまった。
「そりゃ知ってるだろ?」
どうやら当たり前だったみたい。
「うん、2軍だけどね」
「そんなの関係なくない?」
「関係なくなくない」
こういう奴が一番むかつく。
「そういえばお前、もう少し体重落したほうが……」
「はあ?」
こいつ……。
競泳だからって思ってやらないと殴ってしまいそうだ。
「由紀!こんちゃ!」
「おつかれさまですー」
「桜木君だ。なにしてるの?」
「ああー」
部員の女子たちが続々とプールサイドにやってきた。
2軍になってまで練習に来るのは、ほとんど女子だけ。
男子で残ってる部員は競泳で鍛えながら
シンクロもどきをやっていて、これが意外と人気がある。
文化祭の出し物として毎年披露されて、歓声を浴びている。
集まってくる先輩や後輩に挨拶をしていると、
桜木はいつのまにかいなくなっていた。




