宣告
「ここがお前の部屋だ」
最上階を去り、エレベーターで四階まで降りた善は、一度レイスを個室の部屋に案内した。〈イレブン〉施設には四階から七階のフロアに、兵士やその関係者の生活できる空間が宛がわれている。レイスもその利用者の仲間入りをするのだ。部屋の前には彼の荷物や生活に必要な支給品が運ばれており、善はドアの鍵を外すとそれらを一つ抱えて中に入れてやる。
「こんな良い部屋、使っていいのか!」
レイスは部屋を見たとたんに歓声を上げた。彼があまりにもはしゃぐので、善は改めて部屋を見てみるが、己か使用している部屋と間取りは一緒だった。彼はレイスの反応に首を傾げる。
部屋はベッドとシャワールームがあるだけのこじんまりとした物であり、豪勢ではない。
「早く、荷物を片付けろ。これから特殊部隊のメンバーにお前を――」
気を取り直し、彼を急がせようとする。しかし物音が聞こえたような気がして、善は油断なく辺りを探る。しばらくしてそれはドアの向こう、廊下から聞こえてくる話し声だと気づいた。
「おいっ、あんまり押すなよ。バランスが崩れるって」
「そんなこと言ったてぇ、見えないんだものぉ。耐えて!」
「耐えろって限界があるぞ。コラッ、ケイスお前あんま出しゃばんなよ」
「僕の後輩になる人がいるんですよっ。ていうか、男には興味無いって言って癖になんでターナー先輩が一番前にいるんですかっ」
「……そ、そりゃぁ、〈イレブン〉内の俺のマイスイートが取られるような、いけてる男だったら困るからに決まってるだろ」
「何がマイスイートですか、先輩は一体どれだけ女の子を口説けばいいんです!」
「ケイス、落ち着け。善にバレるぞ、ターナー頑張れっ」
「頑張れって、グレイスさんも押さないで――うわぁ」
とコソコソざわめく声に、善は頭を抱えた。明らかに聞き覚えのある声。しかも数が多い。彼は隣で笑いを堪えているレイスを見て小さく息を吐くと、気づかれないようにドアに近づき、それを素早く内側へ引いた。
『うわぁぁぁあ!!』
案の定ドアの隙間から覗き行為をしていた者達が、折り重なるように倒れ込んでくる。人数は四名、全員特殊部隊のメンバーだった。
「……よ、善。久しぶりだな」
一番上に倒れた人物と目が合うと、彼は引きつった笑みで善に手を挙げてみせた。
「久しぶりだな、約二時間ぶりじゃないかグレイス」
「へへへ」
「仕事はどうした。まだ書類は沢山あっただろう?」
「いやぁ、それが……」
愛想笑いを浮かべ、大きな体を必死に小さくしているグレイス。善は一度だけレイスの方を振り返ると、彼は口元を抑え爆笑している。
「第一、私はお前以外には新人の話はしていないはずなんだがな」
「だから……」
更に善が問い詰めるが、グレイスは言い訳を探して何か喋ろうとするのだが、まるでなにも言葉にできていなかった。そんな微妙な空気が流れ始めたとき、グレイスの下からうめき声が聞こえてくる。
「おぉぉいっ、潰れる、潰れる! 死ぬ、重いっ」
「あ、すまん」
唸るような声にギョッとして、慌ててその場を退く。すると一番下に埋まっている人物が残り二人が降りるよりも前に這うように出てくる。三人分の重みに耐え切れなかったようだ。
「どけっ、どけっ」
何とか下から這い出してきたのは、若葉色の長い髪をくしゃくしゃにしたターナー。彼は善を見上げるなり、物凄く怒った様子で睨みつける。
「リーダー、水臭すぎる! 何で俺らには教えてくんないんですかっ!?」
「そうですよぉ」
彼に便乗するように、声が重なった。
「……うるさい」
こうなるからだ。善は心の中で呟く。彼は床に這うメンバーを目で確認しながら、一人足りないことに気づいた。
「で? イヨール以外は仕事をさぼって来たわけだな」
てっきり全員来てしまったのだと思っていたのだが、と辺りを見回す善。しかしメンバーは苦笑いして互いに顔を見合わせて首を横に振った。
「いや、イヨール先輩は……」
「ビバ、シャッターチ-ャンス」
突然、妙に棒読みでカタカナだらけの声が響いたかと思えば、善の目の前でフラッシュが二回瞬いた。カメラのシャッター音が聞こえたが、気のせいだろう。善は一瞬現実逃避に走った。
「撮影完了です。リーダー、新人の身分証明の写真はこれで大丈夫ですから」
言葉にならない。善はレイスの顔を見るのが怖かった。最後に入ってきたイヨールは、真顔でカメラを構えている。心なしか顔に満足感を浮かべているのが善には辛かった。おそらく生真面目なイヨールのこと、初めのうちはこの覗き行為に反対したのだろう。しかしターナー辺りに、これも仕事のうちだと騙されて来たに違いない。善は頭を痛めながら改めて全員を見渡す。
「つまり……」
全員で仕事をさぼったんだな。
『はい……』
「まぁ、ちょうどいい。せっかく全員ここにいるのなら、自己紹介しておけ」
怒る気にもならない善は、グレイスを一瞬睨みつけた後一人部屋を出る。
「あ、善。どこいくんだ」
ここでようやく、レイスが声を上げた。突然沢山の人間を前に残されることに戸惑っているようだ。
「私はこれから研究所に行く。お前の用事が済み次第来いとの呼び出しがかかっている。あとのことはそこのグレイスに聞いてくれ」
善は振り返ることなく答えると、また歩みを再開する。
「……え?」
返事は待たずに、善は早足で進む。長々とあの人数に混ざりたくないからだ。呼び出しされているからでもあるが、どうにもあの雰囲気の中にいることが彼には馴染めない。
「おーい!」
「頼んだぞ」
半ば逃げるように善は、エレベーターではなく、階段を駆け登っていった。
*****
〈イレブン〉本部ビル十一階。
白衣に身を包む研究員が忙しなく歩き回るフロアで、善は人と人の合間をすり抜けてながら、一番奥の“治療・研究室”と札が貼られたドアの前まで息を整えながら歩み寄った。
〈イレブン〉は組織としての戦闘力や統率力だけではなく、アバランティアのエネルギー利用、兵器の開発、科学分野の研究にも優れている。十一階はそんな研究員達の仕事場であり、同時に組織の医療施設でもあった。
「失礼します」
ドアを軽くノックして開く。甘い薔薇の香りが、鼻を一瞬通り過ぎた気がした。
「相変わらず喪服のようだな、特殊部隊。毎日葬式のような仕事ばかりしているからよく似合ってはいるが」
黒い上下のスーツのことを言っているのか。
いきなり嫌みを吐いた人物は、診察室と思わしき部屋の角に置かれた机にかじりついて、くるりと振り返った。そしてドアを開いたまま立ち止まった善を煙たそうに見上げると薄く笑う。
「いつまでそこにおる。早く座ったらどうだね」
――猫背の背中、白髪混じりの茶色い髪。病的に白い肌に尖った鼻、色を失いつつある唇。
「……はい」
年は善よりふた廻りは上のはずだが、つり上がった金色の瞳は若者のようにギラギラ輝いている。
いつ見ても不気味な人物だ。善はそう思いながらドアを閉めて近くの椅子に腰掛けた。
「アルフスレッド博士、検診の結果は……」
善はここ数ヶ月、アルフスレッドの元へ診察ために何度もここへ訪れていた。
「まぁ、待ちたまえ。そう急かす必要も無かろうに」
アルフスレッドは善が席につくなり再び机に体を向けてしまった。何やら書類に書き込むことに忙しいようである。
「そういえば、今日新人が来たとか?」
「……はい」
「私も先ほど書類を拝見したところなんだがね、《剣聖》とは、なかなか凄い人材を捕まえたものだね。どうだね、彼は?」
忙しい割には、しっかりと話しかけてはくる。善は一呼吸して、なかなかできる奴です、と口を開いた。
「ほう。お前からその言葉がでるとは、《剣聖》の名も伊達ではないようだな」
「……先ほどリオール・アバランティアを狙いに来たハザード共と戦闘になったのですが、彼が一人で八割方始末していました。おそらくあの場に私がいなくても場を収めていたはずでしょう。その上、ハザードが組織体制で動いていることも見抜いていました」
「素晴らしい」
感心するアルフスレッド。どこか楽しそうなのは何故だろうか。しかしそれに対して善は、大きく首を振って否定する。
「……駄目です、彼はまだ若い。仕事を冷淡にこなす心構えができていません。テクニックはあっても動きにまだまだ無駄があるし、何より感情的な戦い方をしている」
「そして更に時限爆弾付きときているか……レイス君だったか? 彼は“結晶化病”なのだろう?」
「そうです」
ふむ、と頷いたアルフスレッドは書類に走らせるペンを止めた。
「良い人材ほど、早く逝ってしまうらしいな」
「……同感です」
今度は頷いた善は、視線をどこか遠くへ向けた。その黒い瞳に一瞬痛みにも似た色が挿したようにも見えた。
「それはそうと、検診の結果を」
「わかった、わかった。ほらこれだ」
感傷に浸るのは約三秒間。目的を思い出した善がアルフスレッドを急かした。
仕方ないとアルフスレッドはペンを机に叩きつけるように置く。そして目の前に並べられた資料の中から年期の入ったファイルを引き出すと、そこから検診の結果表らしき紙を投げて渡す。
直ぐさま文面に目を通した善は、長い沈黙の後小さく息をついた。彼は見落としが無いかともう一度紙を見つめた後、ゆっくりと検診表からアルフスレッドへ視線を上げる。
「酷くなっているような?」
彼が零した言葉には心なしか非難が混ざっていた。
「仕方なかろう。君は我々の試作品の開発に協力しているのだから、予定の範囲外ということもあるさ」
アルフスレッドはどこか飄々と言葉を返し、静かに己を睨みつけてくる善に肩を竦めてみせる。その適当な反応に善は何かを言い返すそぶりを見せたが、声として現れるよりも前にアルフスレッドが小さな紙袋を差し出してきたため、口を閉じて大人しく紙袋を受けとった。
「では、次も頼むぞ。少々副作用がキツいものだが……」
中身は見ずとも分かる。大量の処方薬だ。善はアルフスレッドの気まずそうに話す態度を見て、薬の量が増えた事も容易に推理でき、再びため息をつく。
「構いません」
うんざりとした気持ちが顔に出ないように努めて了解の意を示した善。何事も無ければそのまま退出するつもりだったのだが、手にした紙袋に何か堅いものが入っているような感触を覚えて、彼は首を傾げて中を探った。
「タイマー?」
それは手のひらにすっぽり収まる大きさのタイマーだった。
「次の物は時間制でね。タイマーは効果限界十五分前、五分前、三十秒前に鳴るから。それを目安にしてくれ」
「……分かりました」
善は大きく頷いて立ち上がる。表情はどこか堅く揺るぎないものだった。その顔つきを見たアルフスレッドは、ここでようやく善を真っすぐ見据え、金色の瞳に力を込める。
「善よ、私が言うのは可笑しな話なだが、本当に“サンプル”になっていいのか? 断ろうと思えば――」
「気遣いは無用です。これは上層部直々の命令ですので。それにこの研究はあなたの出世にも関わることです。私の事など気にするべきではありません」
善はアルフスレッドを見下ろして厳しく言い放った。手にした紙袋がグシ
ャッと嫌な音を立てたが、彼はそれに気づいていない。
「……アベル統括は知っているのか?」
善の厳しい言葉に気後れしたのか、次に紡がれたアルフスレッドの台詞は小さな声だった。
「いえ、統括にも連絡されていないようです。もちろん私の部下にもです」
では私はこれで。善は答えながら、早くこの部屋から出たいと焦っていた。
アルフスレッドにこれ以上あれこれ言われつづければ、自分の決心が崩れてしまうかもしれない。善はそれが嫌だった。
「……罪悪感は人をここまで狂わせるのか、哀れだよ。善」
「失礼します」
これ以上は限界だった。善は深く一礼するとドアを開けて部屋から脱出した。