納得できない気持ち
「僕は、納得できません!」
オフィスに、男性にしてはやや高めの、どこか怒りを含めた声が響く。
ターナーが開発のために放置してある何かの金属片が声によって微かな振動を起こし、ノイズのような共鳴音を鳴らした。グレイスにはやけにそれがうるさく感じるのか、耳を押さえながら、溜め息と共に口を開く。
「ケイス……落ち着け」
声の主はケイス・ストリーグ。彼はグレイスの制止を聞く耳を持たないようだった。息は荒く、整った形の眉をキツく吊り上がっており、頬は朱がさしている。どう見ても、穏やかそうではない。
「どうして、レイスとの面会許可が下りないんですか?」
特務総合部隊のオフィスには、本日の仕事を終えたメンバー全員の顔がそろっており、どこか険悪な空気に包まれていた。
それもそのはず、いつもは大人しいケイスが善のデスクの前で、声を荒らげているのである。グレイス以外のメンバーも、二人の口論を気にしているものの口出しできる雰囲気ではないため、そわそわしながら様子を伺っていた。
シエルがいつの間にか買ってきていた、可愛らしい犬の絵柄がついた場違いな時計は、午後八時半ばを示している。
本来大きな任務の時を除いて、オフィスに全員がそろっている時間ではない。
「お前がこんなにもしつこいとは思わなかった」
昨日からほぼ徹夜で仕事に当たっている特殊部隊のリーダー善は、眉一つ動かさない無表情な顔でコーヒーを口にしながら、見下ろすケイスの鋭い視線を受け止めていた。
「やばいな……」
先程から傍観しているグレイスは二人の睨み合いに少なからず恐れを感じていた。
ケイスの怒りはほぼ限界に等しい。レイスが牢に入れられた三日前から、彼なりに深く思い悩んでいた。グレイスには彼の心情が理解できる。
しかし、ケイスの怒りが限界なように、善もまた苦しい状態にあるのだとグレイスは長年の付き合いから分かっていた。その理由が何なのかも。
「今、混乱状態はレイスが引き起こしているかもしれません。確かめに行くだけなんです」
脱走者ありという警報機が鳴り、続いて火災の警報機までが作動した。二つの関連性は分からないが、誤報なのかそうではないのか、現状ではまだ分からない状態だった。
善が右手の甲に左手の爪を立て、痒いところを掻くように、ひっかき始めた。グレイスはそれが彼が苛ついているときにやる癖だと知っている。
「だから何度も言っている。L-10(える-いちまる)との面会は、彼の処罰が決定するまで、何人たりとも許可出来ない。ノワール様他、月の間の幹部達の決定だ」
L-10とは、レイスの囚人登録コード名。善は敵と認識した彼を名前で呼ぶことをあえて避けた。部下達に早くレイスとの関係を断ち切らせたいのだろう。
「申し開きの機会も与えないというのに、今度は面会をも禁止するなんて、理解できません」
「お前が出来なくても、上の決めごとは絶対だ。……第一、我々に発言権など無い」
「ですが、リーダー」
「いい加減にしろ」
相手が思わず、身を竦めてしまいそうな程冷たい言葉。特殊部隊に配属されて一年弱、慣れてきているはずのケイスだが、つい言葉を失っていた。
「お前の甘すぎる話は聞き飽きた。いいか、ケイス。現実を見ろ、目をそらすな。私達はそんなことが許される立場ではない」
正論だ。善の言っていることは素晴らしいくらい正論だと思える。だが、ケイスの口元から歯が擦れる、固い音が聞こえた。
「……目をそらしているのはリーダーの方ではありませんか」
善の表情に明らかな驚きが表れる。言葉の内容ではなく、ケイスの挑発的な台詞に驚いているようだ。
「レイスの言葉を真っ正面から受け取れないなんて」
「やめとけって、ケイス! 言い過ぎだ」
だが、ケイスが言葉の続きを口にしようとしたとたん、今まで黙って見ていたターナーが割り込んだ。彼は強引にケイスの口を塞ぐ。
「ふぁーなーふぇんふぁい、なひふるんふぇふは! ひゃまへふ。(ターナー先輩、何するんですか! 邪魔です)」
「うるさいわ! お前は黙れっての」
ターナーは必死にもがくケイスを怒鳴りつけて、押さえ込む。そして、何回も折り畳まれた一枚の紙をスーツの胸ポケットから取り出して、善の前に置いた。
「ケイスは言い過ぎているところがありますが、言っていることは別に間違ってない。あまりにも目に余るので止めに入りましたが、リーダー。俺も言いたいことはあるんですよ」
「……なんだ」
お前も何かあるのか。グレイスには無表情な善がそう心では思っているだろうと想像できた。
「しらばっくれないで下さい。この紙はリーダーが今、頭を抱えてる任務の一つのはずです」
目に力を入れ、言い逃れを許さないと言わんばかりのターナー。傍観を決め込んでいたシエルやイヨールも、書類という単語に耳を澄ました。
「これは?」
善の右手が動き、ターナーの置いた紙をつまんだ。無数のひっかき傷がついた手の甲が痛々しい。ターナーは無意識の内に彼の手元から目をそらしながら、つぶやくように口を動かした。
「レイスの部屋にあった書類ですよね」
「……これをどこから?」
「言いたくありません」
ターナーは首を左右に振る。彼の情報収集の早さは誰もが認めるものであり、出何所は実に様々。追求することは躊躇われた。
「レイスは本当に裏切り者だったんですね……それも、最初から」
他のメンバーが息を飲むのが分かる。特に口を塞がれているケイスは、喋れない代わりに、驚愕の表情を浮かべていた。
善は、大きくため息をついて、再び右手の甲に爪を立て始める。まだその仕草には迷いが見え隠れするのがうかがえた。
「まだ、確実性に欠ける事だから、話さないでいようと思ったんだが……」
「やはりレイスは〈リジスト〉の?」
自分の仮説が事実だったことを理解したターナーの顔に、焦りが走る。
今更ながら、ターナーの口調がやけに丁寧だということに善は気づいた。そういえば、三日前にレイスを拘束させたあの時も皮肉じみた言葉一つ言わなかった、と善は思い返す。
ケイスもそうであるが、ターナーも最近態度がまるで違う。いや、これが二人の本来の性格なのかもしれない。
「アルティス傭兵団に探りを入れているところだが、おそらくは……そうだろうな」
「どういうことですかぁ?」
とうとうシエルも、話に入った。ターナーと善のやり取りでは理解出来ない事が多すぎるようだ。
「それは……」
善は、不本意そうに苦々しい表情を浮かべている。自分の計算に狂いが生じたことを悟ったのだろう。グレイスは善の心情を読みながら、相変わらずだと、ため息をついた。
善は、現段階ではまだこの話題を部下達に話したくなかったのだ。ターナーにも言っていたが、確実ではないのに混乱を招くような情報を提示したくない。そう考えているに違いない。彼が部隊のリーダーになって徹底していたことの一つに、部下の精神面の管理がある。部下の精神面を蔑ろにするということは直接、任務遂行能率を下げることに繋がるからだと、グレイスは彼がそう公言していたことを思い出した。
「話せよ、善」
しかし、それは時と場合によるものだとグレイスは思う。
「……分かった、話す。各自、それぞれの席に着け」
グレイスが善の心情を理解できるように、善も彼の考えていることが何となく理解できている。グレイスのまなざしを受けている善の目に諦めの色が差した。
「待っていました。リーダー、貴方がそう言うのを」
最後まで口を挟まずにいたイヨールも、少し安心するように言葉を吐き出して手元の書類にペンを走らせる手を止める。彼女もグレイスと同じことを考えていたに違いない。
「全員、席に着いたな」
一つの空席を除いてデスクが埋まると、善はその場に立ち上がった。
一同はどこか不安げな面もちで、善の言葉を待っている。
「実は――」
*****
「話し中すまない! 善、緊急命令だ」
善がおもむろに話し始めようと口を開きかけた時、オフィスの扉が慌ただしく開いた。
目を向ければ、いつもの白いコートではなく、特殊部隊の正装である黒のスーツを着込んだアベルの姿が映る。
思わずといった様子で、グレイスが脱力した。いつかも大切な話の最中にアベルが乗り込んできたことがあったのを思い出したのだろう。
「いかがなされましたか?」
話が止まり、がっくりする面々とは違い、元々話すことに躊躇いがあった善は、さも良いところに来たと言わんばかりにアベルに歩み寄った。
「月の間から、緊急召集がかかった。戦闘系部隊の殆どが月の間に集まっている。言うまでもないが、特殊部隊にもお呼びが掛かってね。そして善、君は私と二人でくるように言われているんだ」
血相を変えて時計にも目をやりながら話す彼は、酷く深刻そうな表情でどこか殺気立っている。
「緊急召集に私が? 統括一人で十分ではありませんか」
善は首をひねった。
通常、幹部が集まる月の間には、善のような部隊長クラスが召集されることは殆どない。(最近の善の場合、何度も足を踏み込んでいるので例外と言えなくはないが)まして緊急召集となれば、上位管理職者である統括クラスの人間だけが呼ばれるのが、無駄な情報の拡散を防ぐベストな方法であるはず。
「今回は、そんな悠長なことを言っている場合じゃないんだ。レイスが脱走した」
だがアベルは、そんなお決まり事などドブに捨ててやると言わんばかりの形相で、彼らしくもなくその場で叫んだ。
アベルの言葉は、レイスの裏切り事情を知らない人間にとって衝撃的だったに違いない。メンバーの殆どがその台詞に息を止めていた。
あれはやはり、誤報ではなかったのだな……と、その中でもいち早く冷静さを取り戻したグレイスが呟く。彼の目はとっさにオフィスの窓際に立てかけられた二振りの刀に走った。長年の経験が、これから血なまぐさい現実を予期しているらしい。
「くそっ、やっぱりこうなった」
冷静なグレイスとは全く逆の、明らかに穏やかではない誰かが、イスを乱暴に蹴って立ち上がった。
ローラーがついたイスがひっくり返っている。穏やかではないその人とは、レイスの事情を大方理解していたターナーであった。
この何ともいえない空気をまとめるために口火を切ろうとしていたグレイスは、呆気にとられて、怒るターナーを見ることしかできない。
「腹立だしい! 上層部は何をしてたんだっ」
彼は何に苛ついているのか分からないが、相当怒っているのが分かった。しかし、いかなる事情があるにせよ仮にも統括クラスの人間いる前で言って良い言葉ではない。
「直ちに戦闘準備をしろ。私は月の間に行く。私が戻るまでは待機だ」
気が付いたグレイスが、ターナーを咎めに入ろうとしたその時、低く抑えた鋭い声が割り込んだ。グレイスはおろか一同が再び思考停止する。
「全員、心して聞け。〈イレブン〉に害をなす者は何人たりとも排除しなければならない。それが数日前まで自分の背中を預けていた仲間でもだ」
唯一、冷静な態度をとる、善。彼は目に力を入れてメンバー全員を見回す。
善の重い言葉は、ケイスの顔に影を落とさせる。
今回のこの騒ぎは、ケイスに〈イレブン〉のいち兵士であることを理解させるのにいい機会だ。善はそう納得して、気にせずに言葉を続ける。
「レイスは裏切り者だ。それも、リオを誘拐しようとするもっと前からずっと」
レイス、と今度はコード名ではなく名前を善は口にした。そちらの方がより状況を深く受け止めてくれる、という淡い期待を込めて。
「ターナーもそんなことを言っていましたね。どういうことですか?」
口早に淡々と言う善の言葉を、首を傾げているイヨールが止めた。
「レイスは〈リジスト〉の間諜だ」
そんな素振りなんて全く無かったのに、とイヨールが驚いて目を見開いている。レイスの正体を見抜けなかったことを驚いているようだ。レイスはどう見ても演技が上手い人間には見えない。それにもかかわらず、間諜のスペシャリストである彼女がそれを感知できなかった。正直、善も不思議には思っていた。
「証拠になりうる物はターナーが持って来た資料を見れば分かる。詳しい事は悪いが後だ」
しかし今は、ゆっくり皆に説明をする事はおろか、そんな疑問を追求していられる状況ではない。できるだけ簡潔に言葉をまとめた善は、メンバーの疑問の声を無視し、改めてアベルのいる部屋の出口へと動いた。
「統括、行きましょう。連絡しなければならないことは簡潔ですが伝えました」
腕を組み傍観者となっていたアベルは、善の言葉に頷くと何も言わずに歩き出した。よほど上層部は緊迫した状況にあるらしい。ピリピリしたアベルの背中を見て、そう推測した善はふとポケットのタイマーに目を落とした。
残りが二時間半ほどしかなかった。
アルフスレッドに渡された、制限時間付きの厄介な薬は六時間おきに服用しなければならない。
「……保つだろうか」
先に出たアベルを更に待たせる気はないのだが、善はタイマーの残り時間の半端さに顔をしかめた。
恐らく、脱走者に対応するために月の間への緊急召集がかかったのだから、そう長々議論を展開する羽目になるとは思わない。
だが、万が一長くなることになれば、と彼は考える。月の間では、真剣で且つ静かな話し合いが行われるはず。そんな場所でうっかりタイマーのアラームを鳴らすという間抜けなことをしたくなかった。
「善、早く行かなくては」
足を止めている善に気づいたアベル。不思議にまるで凍り付いたように思考している彼の姿に、なにやら不安要素を感じたようだった。
「すみません。少し忘れ物を」
善は小走りでデスクに向かい、掌に収まる銀色の薄いケースを手にとる。それがアルフスレッドの与えた薬の入れ物であり、善はそれを胸ポケットにしまうと今度こそアベルの後を追った。
*****
「ケイス、ターナー。いい加減落ち着いてくれ……それとシエル、お前もだ。俺達は敵に情けを掛けるようなことはできない」
善がオフィスを去って約十分。
命令通り戦闘準備をする一同だが、どこか落ち着きがない。レイスの裏切りの話を聞き、仕事だと割り切れるほどケイスやターナー、シエルは兵士としての勤めが長くなかった。
何を言っているのかまでは聞き取れないが、どうやらそれぞれ思う事を呟いているらしいことはグレイスにも理解できた。
唯一無言で支度を進めているイヨールも、数年前までは特殊部隊に配属されていたわけではなく、他の部隊の人間だった。だから仕事と理解していても、内心は穏やかではないだろう。
「グレイスさん、リーダーはどうしてあんなに冷静なんですか!? いくら数週間でも仲間だった事には変わりない相手だったんです……どうして今すぐにでも殺せるようなことが言えるんですか」
グレイスが押し黙っている彼女の心配を始めた時、苛立ちを募らせたケイスの声が爆発した。
「リーダーが間違いを言っているとは思いません! 思いませんが……リーダーは切り替えが早すぎる、異常な程に。僕だって自分が甘いことを言っていることは分かってはいるんです、でも僕にはリーダーの早さについていけない」
せき止めていた物を吐き出すように言うケイスの言葉。グレイスはそれにすぐには答えず、ただ聞いてやろうと開きかけた口を閉ざした。気が済むまで言わせてやればいい。善の行動の弁解はその後でも充分間に合う。彼ははまるで父親にでもなったような気持ちで、ただケイスの顔を真っ直ぐ見つめた。
「俺も右に同じく。リーダーは明らか感情の神経が焼き切れてるか何かしてる。そもそも、仲間の俺達にレイスのことを隠してたことに腹が立つ。俺が追い込まなかったら絶対話す気なんて無かったはずだ、あの氷頭」
ケイスがしゃべり出したことできっかけを得たのか、ターナーも苦々しい顔で小さく頷く。冷徹さが売りの善を“石頭”ではなく“氷頭”と言うところ、彼はまだ余裕があるようだ。
「私も、そこは気に入らないわぁ。私達だって一緒に動くんだから、いずれはレイスのことを知るだろうしぃ、戦うこともあるかもしれないじゃない? なのにどうして隠すのかしらぁ?」
一通り、支度を終えたのだろう。桃色の口紅で染まる形の良い口元を、への字に歪めたシエルが、人数分のコーヒーを持って話に入り込んだ。
三人とも言いたいことは大体同じのようだった。つまり、善のやり方についていけないし、理解できないと言いたいのだろう。
グレイスはやれやれと首をすくめて苦笑いする。どうやって説明したらよいのやらと、彼はさりげなく黙っているイヨールに向けた。
「リーダーは私達に無駄な心労を増やさせたくないがために、不安要素でしかないレイスの話をあえて伏せていた……そうではありませんか? グレイス」
グレイスが困っていることを察したのか、静かにコーヒーを口にしていたイヨールは軽く目を伏せながら、呟くように言った。
「さすがだ。俺の感だとおそらくその通りだと思う」
彼女が言う言葉にはどこか説得力がある。冷たい、と人から言われる彼女だが、氷のような冷静さの善とはまた違う、人間味のある冷たさなのだろう。グレイスはそう思いながら三人の反応を待つ。事実、イヨールの言っていることは間違いではない。
「じゃあ、何だよ。リーダーは俺達がレイスを相手に戦えば本気を出さないとでも思っているのか!? 」
怒りを抑えたようなターナーの声。かれは今の発言で、自分の実力を低く見積もられたと捉えたらしい。
「……私達、信用がないのかしらぁ?」
シエルも納得するはずもなく、黙っているケイスもどこか半信半疑という様子だ。本当に、なんて言えば分かってもらえるのやら。グレイスは知らないうちに頭を抱えていた。
イヨールも同じことを感じているらしく、小さくため息をつくと“私にはもう無理よ”とサインを送ってきた。
仕方ない。分かってもらえるまで話すしかないな。決心したグレイスは、落ち着かない気持ちを抑えるようにゆっくり長く息をつく。
「お前達には、一つ言っておかなくてはならないことがある」
空気が変わった。穏やかな雰囲気を脱ぎ捨てた、凛とした重みを現したグレイスの声にその場にいた誰もがそう感じて押し黙る。
「指揮をとる人間というのは基本的に、部下を信頼しない。信頼しすぎて失敗する事が愚かだからだ。いいか? ……でも勘違いするなよ。それは失敗した時に備えて、いつでも対処し、被害や損害を最小限に抑えるために行うことだ。誰も好きで仲間を疑ってる訳じゃない」
まぁ、中には本気で信頼したくなくて疑っている馬鹿な指揮官もいるだろうがな。グレイスはそう付け加えた。
「リーダーという人間はいつも最悪な状況を想定して物事を考えている。……特に人を信頼することに関して、ガードが厚すぎる善には尚更あてはまることだ」
何かしらの組織に身を置いているものなら誰もが感じている当たり前の話。だが、その当たり前のことを完全に理解して受け入れている人間は少ないだろう。
そもそも人を纏める為に存在するリーダーという人間がチームワークを乱す考えを抱えているのだから、矛盾していないと言えば確実に嘘になる。
悲しいことに、有能なリーダーこそ、その矛盾した考えを大切にしているのだ。人間は常に疑うことで初めて、失敗を防ぎ、多くの人材を効率良く統括できる生き物なのだと見せつけられているようで、耳が痛くなる話だった。
「例外として、長いキャリアを積んだ兵士で、且つ連携の行動歴が長い者なら、全面的に信頼する指揮官もいるかもしれない。だけどな、お前達は特殊部隊に配属されて年数が少ないだろう? 〈イレブン〉の利益を最優先する、兵士の鏡のような善が疑いを捨てられないのは仕方がないことだろう?」
「……まぁ、確かにな。俺はまだ三年目だし」
「そうねぇ、あんまり責めたらリーダーがかわいそうかもぉ」
黙って聞いていたターナーとシエルがグレイスの長々とした説明に、根負けして渋々といった様子で納得した。
「ケイス」
「……はい」
二人を納得させられたことで自信がついたグレイスは、まだ顔を背けているケイスへ一歩、歩み寄る。
「善は、非情な奴かもしれない。だが、あいつほどお前達のことを考えている人間はいない。レイスの始末だって真っ先に自分から行おうとしたのは、この部隊の忠誠心を〈イレブン〉に見せつける為に……この部隊の信頼を揺るぎない物にするために行ったはずなんだ」
「信頼を揺るぎない物にするため?」
ケイスの顔に困惑の色が差した。
「グレイスさん……?」
心配するように、ケイスの目線がグレイスに向けられる。すると、グレイスの小さな声が返ってきた。
「……不思議に思ったことはないか?」
「はい?」
ケイスの困惑の色はますます濃くなっていく。
「俺達特殊部隊にはどうして多くのキャリアを積んだ年長者がいないのかって」
思いがけない質問に言葉を失う。シエルもケイスもターナーも、その疑問に幾度かぶつかったことがあるが、答えがその辺りに転がっているわけでは無いために考えないようにして、ごまかし続けていた。
特務総合部隊は、ここ数年に新設された部隊ではなく、〈イレブン〉創設からあるいわゆる古株部隊である。にもかかわらず、リーダーである善は部隊長クラスでは最年少。特殊部隊の統括であるアベルも同じ地位の人間の中でも若い手の部類にいた。更に、部隊メンバーですら、善とグレイスを除いて五年を超える配属期間のある兵士がいない。
平均年齢すら二十四そこらというのだから、新人ばかりなのは誰の目にもわかる。
どう考えても、何かがおかしい。
「理由は簡単。この特殊部隊は、一度壊滅寸前までに追い込まれたことがあるからだ。……壊滅、いや、上層部の圧力によって特殊部隊自体が廃部になりかけていた」
「壊滅? 廃部?」
どういうことだよそれ? ターナーが首をひねる。特殊部隊は存在を消されてしまっていたかもしれないという事に、同時に彼は驚いていた。
「五年前、ジアス・リーバルトの追跡・確保を命じられた特殊部隊の当時のメンバーはグレイスとリーダーを入れて九名。二人を除くメンバーはキャリアがある年長者ばかりだったわ。だけどジアスがかなりの抵抗を見せ、一名の死者を出している」
疑問に答えるのは、イヨール。彼女はただ淡々と書類を読み上げるように、簡単に特殊部隊旧メンバーの行方について、話を紡いでいった。
「そしてジアスが捕まり、始末された後一年間で四名の兵士が亡くなった。更に前リーダーが年齢により引退、残り二人は、次々に倒れていく仲間の姿に耐えられず辞表を出していった」
あくまでこれは、私が耳にした当時の話なんだけど。と、イヨールは最後に付け加え、黙る。すると入れ代わるようにグレイスが少し自嘲気味に口を開いた。
「気づけば、オフィスにいたのは俺と善だけ。上層部が、二名しかいない部隊に必要性を感じなくなるのは当然だろう?」
「どおして、そんなにも人が亡くなってしまったのぉ?」
五年前の事件で死者出てしまったのは理解できる。だが、その後の四人はどうして亡くなったのか?
相変わらず柔らか過ぎる口調のシエルだが、彼女は顔面蒼白だった。
「“結晶化病”だよ、シエル」
「レイスみたいな?」
結晶化病と聞いて、シエルの頭には真っ先にレイスの顔が浮かんだ。だが、グレイスはその言葉に残念そうに首を振る。
「いや、レイスのよりもあれは酷い。ジアスを捕らえた後一年間は地獄だった。研究施設ですら手も足も出ないほどに、あの人たちの病状の悪化は早かった。前例ない進行速度だったらしい。病状に気づいても俺も善も、何もしてやれなかった」
自分の咎だと言うかのように、小さく笑うグレイスはどこか痛々しく見える。
「まぁ、とにかく。いろんな過程を経て、特殊部隊は二人だけになってしまった。俺達はさすがに廃部は免れないことだと思っていたんだが、ノワール様がそれを跳ね飛ばしてな」
「ボスが?」
ケイスが信じられないと、目を丸くする。巨大な組織なだけにトップに立つ者の存在など、まだ若い兵士である彼には護衛はできても、干渉することなど想像もできないはずだ。
俺だって驚いたさ、とグレイスが肩をすくめる。
潰されると諦めかけていた四年前。荷物を纏めようか、と善と二人でコーヒー片手に途方に暮れていたとき、“ノワール様のご意向で特殊部隊の廃止処分は白紙になった”と朗報が入ってきた。だがすぐには信じられず、喜ぶよりも先に伝令兵を質問責めにしたことを、グレイスはため息混じりに思い出す。
「その場で善が特殊部隊のリーダーに任命され、数日後には負傷して飛空挺を降りざるおえなかったエースパイロットのアベルが、特殊部隊の統括として収まった。……後は、分かるよな?」
「イヨールがその年のうちに、情報伝達部隊からこっちに移動して、その一年後に俺がやってきた。シエルは……」
あぁ。と頷いたターナーが確認するように、周りのメンバーの顔を見て、シエルのところで止まる。
「シエルは、二年前の人身売買の現場を潰しにいく任務で、グレイスさんが被害者だった身よりのないシエルの身元保証人になって」
「無理を言って、この部隊へ強引に入ったわぁ~」
にっこりと満面の笑みを浮かべるシエル。自身の過去の事などどうでも良いように、自分に向けられた視線をケイスへと受け流した。
「そして、僕が今年入隊した……」
ケイスが苦々しい表情で小さく唸り、それでも頷く。グレイスはそれを見とめると、改めて一同に向けて声を張った。
「如何にこの部隊が継ぎ接ぎだらけの不安定な状況なのか、分かるよな? 善は自分の信用を取り戻すためだけに動いているわけじゃない。あいつはこの部隊を潰されたくないから、あえて険しい道を選んでいるんだ。この隊がなくなって、お前達が他の部隊へ盥回しにされるのを一番嫌がっているんだよ。本人はそれを言うと誤解だと言い張るがな」
弱音の一つくらい言ってくれれば、ケイス達だって、善の気持ちを理解できるだろうに。グレイスはそう思いながら心の中でため息をついた。そんな事を善が言うことはまずないと分かっているからである。
わざわざ弱音を口にするような分かりやすい人間だったら、苦労することなんてないんだがなぁ。グレイスがいくらそう思っても善自身が変える気がないのだから、諦めもついているのだが。
「若者が上に立つ部隊だ、よく思わん連中が多くいる。あいつは俺達が見ていないところで何か圧を受けているかもしれない。そんな、いつ何を仕掛けてくるか分からない連中からお前達を守るには、それだけ上層部に認められる隊にしなければならないんだ。だから」
「迷ったり、悩んでいる余裕なんかないってことか……けっ、物凄くかっこいいことで」
ターナーがうめいて、気に食わないと言わんばかりに毒づいた。反論するにも、善の行動には責め立てられる要素がない。むしろありがたく思わなくてはならない事の方が多いのだが、ターナーは素直にそう考えることができないのだろう。
「さぁ、分かったらさっさと仕度しろ!! 何度もいうが、お前達には罪人に情けを掛けられるような余裕はこれっぽっちも無いんだからな」
拗ねたような態度のターナーに小さく苦笑して、グレイスはパンッと手をたたいた。暗い話はここで終わりだ、と彼は窓際に歩み寄り、立て掛けている双刀に手をかける。
「はぁい」
「……はい」
なんとか納得させられるけとがようだ。二人の返事を背中で受け止めて、グレイスはようやく肩の力を抜いた。




