<イレブン>の悪魔
善が花畑に現れる約三十分前。
「善、今回の薬の効き目はどうだね?」
十一階。善はアルフスレッドの元にいた。片手に聴診器を持ったアルフスレッドは対峙して椅子に腰掛け、どこか視線が上の空の善に声をかける。
「善?」
「……失礼。なんでもありません」
声を掛けられたことは気づいていたらしく、ゆっくりと彼は視線を戻した。その目はまだどこか虚ろであり、前回ここで受け取った薬をポケットから覚束ない手つきで取り出す。
「効き目は恐らく今までで一番強いと思います。が、何が入っているんですか? 先ほどから私に軽い麻薬の反応があるのですが」
必死に何かを堪えるように拳を強く握り締めている善。アルフスレッドはなるほど、と善の目にライトを当てて眼球を見た。眼孔が開いている。明らかな麻薬作用だった。
「君は既に末期と言っていい状態だ。体の自由が得られるほどの効果のある薬にはやはり麻薬作用が必要になる。やはり少し強すぎたか?」
「私は薬物耐性を訓練でつけているので、十分もすれば自己回復が可能ですが、一般向けにはかなり強すぎだと思います」
訓練を受けた者ですら、作用が起きているのだから相当強い薬物が混合されていることになる。善は内心ゾッとしつつ、麻薬が切れるまで目を閉じた。
「最近、ハザードに新種が現れたようだね」
善の意見を何やらレポートに書き込んでいたアルフスレッドは、沈黙を避けるように言葉を紡ぐ。
「黒い騎士……人型のハザードです」
「しかも、姿はジアスに似ているとか」
「あくまでも“似ている”ということです」
善はアルフスレッドが続けようとする言葉を遮って、少し鋭い声を上げた。
善の釘を打つような態度に内心驚いたアルフスレッド。彼は少しの間をつくると、再び口を開いた。
「どちらにしてみてもだ。善、今度は情に流される事がないようにな。相手は敵だ」
「愚問です。二度も同じ過ちを繰り返すつもりはありません。五年前はまだ私も子供だったということです」
立派に説教か? 善は鼻で笑いたくなる気持ちを抑え、小さく苦笑いをした。
「私には善。まだまだお前は子供のように見える。気をつけるのだな、《イレブンの悪魔》とは呼ばれていれど組織の者は皆、五年前の事件のお前の行動を忘れてはおらん。次に何かすれば」
余裕だという構えでいることに不安を覚えたのか、アルフスレッドはさらに付け加える。
「重々承知しております。今の私は一つの部隊をまとめる身。その様な私情を挟み、ミッションを失敗させる程愚かではないと自負しているつもりです」
「口では何とでも言えよう」
信用されるわけがないか。冷静にそう考え、善は伏せた目をゆっくりと開く。視界がだいぶはっきりするようになっていた。もう動いても問題ないだろう。
「薬の副作用が切れたようですので、私はこれで」
「また、あのサンプル体の所へ行くのかね」
腰を浮かしかけると、アルフスレッドが呆れるように苦笑しながら溜め息をついた。何か言われると思った善は反射的に動きを止める。
「君は既にアバランティア制御プロジェクトから任を解かれているだろう」
「休憩時間を利用して、リオの所へは向かうようにしています。勤務時間に足を向かわせるような真似は」
「違う、私は命令違反などとは言っていおらん。ただ、どうしてまたその辛い体を引きずってまでサンプル体の所へ行くのかと思っただけだが」
何を勘違いしているのだ。と言わんばかりに、アルフスレッドは肩をすくめてみせる。善は少しだけ返答に詰まった。
「癖といったところでしょうか」
「微妙な言い訳だな。そんな見え透いたこと君が口にするとはね」
「分かっておられるのなら聞かなくても良いことではありませんか」
何とか言い返した善の言葉に笑みを浮かべるアルフスレッド。少しだけ不快に思う善は、立ち上がって部屋を出ようとした。
「気をつけることだな。五年前よりも君は遥かに組織に忠実になった。《イレブンの悪魔》だと讃え、恐れる者もいる。だが、いまだに甘い考えがあるように私には見える。君達特殊部隊をよく思わない人間がこの組織には多い。くれぐれも足をすくわれるような真似は避けるのだぞ」
「ご忠告ありがとうございます」
そういう貴方が我々の失脚を望む人間ではないのか? 善は舌打ちしたくなる気持ちを抑えて、深く一礼し、ドアを閉じた。
「甘い考え方か」
少し嫌味を含まれた言葉ではあったが、アルフスレッドの言ったことは的を射ていた。
レイスが〈イレブン〉にやって来て、善にリオールを護衛する任務は解けた訳なのだから、彼がわざわざあの花畑に足を向かわせる必要はない。
だが、善は足を止めなかった。いつものように花畑へ向かうつもりで階段まで進む。
――何故? こんなにも無意味なことをするなんて馬鹿馬鹿しい。
善も分かっていた。自分が何度もリオールを守った所で何か起きるわけでも、改善されるわけでもない。だが、五年前に作った心の古傷が歩みを止めることを許さなかった。
――許されるはずがない。自分がしたことは裏切りだ。最も大切にしていた物を自分で傷つけ、組織の犬であり続けている。彼女の妹を守る程度で償おうとしているとは、おこがましいにも程がある。
「過去の償いの真似事とは」
善は口元に自嘲を浮かべ、そんな考えを振り払うように階段を早足で駆け上がる。
たかが最上階へ登るだけで息切れる。戦闘兵士でもある人間とは思えない疲れ方だ。最上階にたどり着き、またも自虐的な気分になりかけた時、エレベーターから見覚えのある白いコートの人物が現れた。
「おっ。善じゃないか」
「アベル統括」
双眼鏡片手に歩み寄って来るアベルは、にこやかに善の肩を叩く。
「随分お疲れだね。まさか一階からここまで階段を駆け上って来た訳じゃないだろう?」
「……はぁ、まぁ、そんなところです。アベル統括は? また悪趣味な覗きですか」
「覗きじゃないと言ってるだろう。上からの命令だ」
「……」
「な、なんだその疑いの目は。私も暇じゃないのだから命令でなければこんな事はしない」
アベルは慌ただしく言い訳を並べているが、本当のところ彼の監視が命令であることは月の間に行ったときに聞いているため分かっていた。
「それより善。今、花畑が凄くロマンチックな雰囲気になっているみたいだよ」
「ロマンチック?」
「レイス君はリオールと仲直りしたみたいだね。とても仲睦まじくしているのを見てしまって……」
仲睦まじい? 少し年寄り臭いアベルの言い方に善は呆れてため息をついた。だが、何故だか引っかかる何かを感じたため、急いで花畑へ続く扉に向かい、二人の警備兵を押しのけて扉に耳を当てて静かに集中する。
「野暮な真似は止めとておくんだ。君こそ悪趣味だそ。少年少女のピュアな恋を――」
「静かに」
「えっ?」
善の行動を誤解しているのアベルは善の腕を引っ張ろうとして、固まった。
善の表情は堅く、険しい。さすがに何かいやな予感を感じたアベルも彼にならうように耳を澄ませた。
『……リオール、逃げるんだ!〈イレブン〉から。そして自由勝ち取ればいい』
扉を越え、聞こえてきたのはレイスの強い意志を感じさせる声。その内容は決して穏やかなものではない。
「……アベル統括。急いで下の戦闘部隊の兵士を呼んでいただけませんか?」
善もアベルも冷静にレイスの言葉の意味を理解していた。が、捉え方はそれぞれ違ったためによって二人の次の行動に差ができてしまった。
「アベル統括っ」
最初に動き出したのは善。彼は険しい表情のまま扉を睨みつけ、なかなか動かないアベルにもう一度声をかける。
「聞いたはずです。レイスはリオを連れ〈イレブン〉より脱走するつもりです。一刻も早く対処が必要――」
「それは……彼が本気で言っていると君は断定して言っているのか?」
「……は?」
何を言っているんだ。善は驚いてアベルの顔へと視線を切り返す。しかし、当のアベルは冷静そのものであり、馬鹿にしたようにこちらを見る善へ、鋭い目を向けた。
「率直に言おう。善、何を焦っている? 彼が本気でリオールを実際に〈イレブン〉より連れ去ろうとしていると決めつけるにはまだ早くないか、と言いたいんだ」
アベルは善の心を見透かすように、鋭く言葉を投げかける。何を甘いことを言っているんだ、と善はそう思ったが、アベルの言葉の裏に何が意味があるように感じたために少し口ごもった。
つまりこれでレイスを捕らえてしまうということは、完全にリオールの肥やしとしての運命は決まった事となる。アベルはあえて違う言葉を口にしているが、おそらく本当はそう言いたいのだろう。
だが、善はそんな彼の気遣いなど気づかないように振る舞った。
「貴方は以前、声の調子を聞けばだいたい相手が何を考えているか分かると言いましたね。では、レイスのあの声色が冗談で言っているように聞こえているのですか」
「……」
「早く、戦闘部隊の兵士に連絡をして下さいアベル統括。貴方は我々〈イレブン〉を形作る大切な地位についているはずです。情に流されないで下さい」
そういう私の方が情に流されかけているのかもしれないな。善は真っ直ぐこちらを見るアベルの瞳が“本当にいいんだな?”と問われているような気がして、彼は頷く訳でもなく、それを素通りした。
「レイスは《剣聖》です。余命がわずかで本調子でないとしても並大抵の戦力では抵抗されたときに対処できません。上司であるアベル統括にこのような事を頼むべきではないと分かっていますが、貴方が命令すればすぐに戦闘部隊の兵は動きます!」
「……分かった。くれぐれもレイス君を説得してから戦うんだ。いくら《剣聖》でも、君では彼を殺してまう」
どこか憂いを含めた表情で頷き、そこまでいうのならとアベルは重い腰を上げた。そしてエレベーターではなく、階段の方へと足を向けかけ、思いとどまって善に一声かける。
「ソフィアのような思いをリオールにさせたくないが、ジアスのように“肥やし”を助けようとする人間が散っていく姿も見たくない。善、君は今何を考えて動いているんだ?」
返事はしない。いや、できなかった。善は返答すれば墓穴を掘る気がして、口を開かない。アベルは返事が無いことに少し苛立ちを覚えたようであったが、すぐに考えを切り替えて、階段へと駆けていった。
慌ただしく階段を降りていく足音だけが耳に届き、善は深く深く息を吐き出すと、目の前の扉に手をかける。そして、両側に並んで立つ、双子の警備兵に命令した。
「お前達はここで待機していろ。万が一、私がレイスにやられることがあれば君達がここを死守するように。絶対に逃してはならない。いいな?」
『……りょ、了解!』
双子の警備兵はどうしてかいつものような息ぴったりな返事ではない。命令の内容が厳しいものだったからだろうか、と善は少し気になったが、それよりも先に花畑へと続く扉を静かに開いた。
「そこまでだ」




