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Avalantear アバランティア  作者: 海豹
第一幕 ―起―
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苦しい訳


『やろうと思えば出来ることがたくさんあるのにっ!!』


 新人が叫ぶ声が耳を通り過ぎる。

 善はレイスが叫んでいるときに天窓の外、つまり屋上からその様子を一人眺めていた。落下防止の手すりに寄りかかり、花畑の様子を目を細めて見つめる彼の髪を、冷たい風が揺らしては去っていく。気持ちの良い陽気だった。


「なかなか、仲良く……というわけにはいかないみたいだね、善?」


 しかし一人だと思っていたのは自分だけのようだ。善は少しだけ身構えて背後を振り返る。五歩ほど離れた距離で佇み、朗らかに笑うアベルと視線がぶつかった。かなり近い距離にいることに驚く善だが、上司を前に小さくまずは一礼する。気配を消すことが上手いことは薄々気づいていたが、こんなところに来ているとは思わなかった。善は気配に気づけなかった己を深く反省した。


「仕事は終わったのかい?」

「一通りは。今は休憩時間です」


 アベルの気の抜けるような言葉に善は堅い声で答える。貴方こそまだ山のような報告書があったはずです。彼は更に付け加える。


「私のことなら大丈夫だよ。それよりコッソリ覗きとは、二十六になる人間の割には趣味が悪い」


 アベルは柔らかな口調を崩すことなく、善の言葉を捌いて話を変えた。実際、統括は仕事を後回しにするのを嫌う人だから、しっかり終わらせてきたのかもしれない。善は歯がゆい思いでため息をついた。


「それいうなら貴方はどうなんですか、見たところ私と同じ目的で来ているようですが……」


 アベルの左手には双眼鏡。随分と用意周到である。善を覗きだとからかうには、ひどく滑稽な持ち物だった。

 それを指摘され、彼は誤魔化すように頭を掻いて、善の隣にまで歩み寄った。


「ボス直々の命令で、あの二人を観察するように言われたんだ」

「すぐバレるような嘘はやめてください」


 彼もまた善と同じように、手すりに寄りかかり双眼鏡を構える。すかさず善が突っ込みを入れたが、アベルは今度はお茶を濁すような態度ではなく静かに首を振って見せた。


「嘘かどうかは君が考えればいい」


 意味深なことを言う。善は知らず知らず眉間にシワを寄せていた。

 善の機嫌が損なわれたのを肌で感じたのか、アベルは双眼鏡を降ろしポケットからタバコを取り出した。


「どうだい一本?」

「私は禁煙中でして……」


 善は一瞬タバコに目を奪われたが、すぐに首を振る。親切心で差し出したつもりのアベルは、はっと我に返って表情を曇らせた。


「そうか、体を大事にしなきゃいけなかったんだったね」


 アベルは善に差し出したダバコを自分の口にくわえて、ライターで火をつける。


「……怒っているみたいだね」


 煙を吐き出しながら、屋上の柵に寄り掛かりアベルは呟いた。下のレイスのことを行っているのだろうか。善はそう解釈して、大きく頷いた。


「リオが感に障るようなことを言ったのでしょう。あの子は少し世間を知らなすぎるところがありますから」

「レイス君のことじゃないよ。君の事だ」


 アベルは、視線を空に立ち上る煙へと逃がしながら重々しく言った。

 私が怒っている? 善はまさかと首を振った。彼にはアベルに不満を持っている要素などなく、困惑する。


「どうして突然君をリオの護衛から外したのか、話してなかっただろう」


 しかし、続けられたアベルの言葉に善は押し黙る。アベルはちらりと善の表情を確認して、自嘲気味に笑った。


「理由は二つ。一つは上層部からの命令だ。私は何も知らないが君には違う命が下っているようだね。その仕事に支障が出ないようにとのお達しだ」


 私も知らない任務。

 アベルの不機嫌そうな言葉に、善は頭にアルフスレッドの不気味な顔が浮かんだ。善はそれに対して返す言葉はなく、さらりと流す。


「上層部からの?」


 アベルの言葉を咀嚼しているうちに善は首を傾げて、疑問を反芻した。

だが、直ぐに考えるのを止めた。上層部の者達の企みなど知ったところでどうにかなるわけではない、そう思ったのだ。


「そしてもう一つ、君は否定しているがやはり体調のことだよ」


 ここからが本題だ、と言わんばかりに語気を強めるアベル。善は、再び押し黙り、言葉を紡ぐのをやめる。


「最近の君はどこか頼りない。いや、仕事が出来ていないというわけじゃない。この間の健康診断では貧血の忠告も出ていたし、何かが違うことくらい私にだって分かるさ。初めて会った時の君と比べて、随分弱々しく見えるんだよ」

「考え過ぎでしょう」


 善は間を開けず、アベルの言葉を否定した。その言葉の鋭さに、アベルが一瞬悔しそうな顔をしていたが、善はあえてそれを見なかったようにふるまう。


「では、私はこれで」


 早いところ退散しなければ。善はこれ以上の詮索を避けるために、歩み始めた。

 アベルは隙を見せればそこへ付け入ってくる男だ。善は簡単に話を切り上げてその場を去ろうとする。


「何を隠しているんだ」


 しかしアベルはそんな彼の行動など見抜いていたようだ。

 上げられた言葉は強く、鋭い声だった。怒鳴っているわけではないのに、身がすくむような迫力がある。いつも穏やかな口調なだけに、善はつい立ち止まった。


「私が特殊部隊の統括になる前までは飛空挺のパイロットだったことは知っているな。空は不鮮明な無線機だけが他者との接触ツールだった。だからではないが、耳には自信がある。声を聞けば相手の状態を大胆は理解できるつもりだ。今の君の声はどこか現実から逃げているような雰囲気を感じさせるんだが」

「アベル統括、貴方は一体――」


ピピッ ピピッ ピピッ


 アベルの鋭い指摘に対して何かを言い返しかけたとき、アルフスレッドから与えられたタイマーが小さく電子音を響かせた。


――まずい、三十秒前だった


 途端に体の硬直が消え、気付けば善は走り出していた。


「おいっ、善」


 アベルが驚いて何か叫んだようだが、彼の耳には届いていない。




*****




「はっ、はっ、はっ、はっ」


 屋上のドアを蹴り開けて、折り返しの階段を三段跳びで降りていく。既に息は絶え絶えだった。すれ違う人という人が何事かと猛スピードで駆け降りていく善を凝視する。

 目指すは七階の自分の部屋、アルフスレッドからもらったあの紙袋。


「あ、善! ちょうどいいところに――」


 七階の扉の前、護衛の任務を終えたらしいグレイスが善に声をかけようと立ち止まっていた。


「邪魔だ どけっ」

「へ? ぜ、善」


 グレイスは口をポカンとさせて、物凄い形相の彼に道を譲る。


「すまない」


 何とか其れだけを口にして、善はグレイスの脇を駆け抜けた。


――あと五秒


 部屋が見えてきた。善は鍵を取り出し、ロックを外すと体を投げ出すよう

にドアを開き、部屋に滑り込んだ。


――ジャスト0秒


 体が途端に重たくなる。走ってきたせいもあるが呼吸が荒く、何故か咳が出初めた。体に力が入らずその場に膝をつくと、立てなくなった。善は床を這うように進み、ベッドの上においてある紙袋を手にする。


「ごほっ、ごほっ」


 苦しい、息が出来ない。体が熱い。紙袋に手を入れて、彼は中から薬を取り出した。頭の中ではアルフスレッドの顔が浮かんでは消えていく。

“君は我々の開発に協力している”

 水を準備する余裕がない。そのまま口に入れて噛み砕いた。


「馬鹿だな、まったく」


 そのままベッドに倒れ込み、薬が効いてくるのを待つ。朦朧としてきた意識に抗えず、熱にうなされるように善は思考することを手放した。


「ソフィア……すまない」


 やがて薬の効果が得られ始めると、善の意識はそのまま深い眠りへと引きずられていった。




******




「善、善」


 耳元で大きな声が聞こえてハッと我に返る。何が起こっているのか善は理解出来ず狼狽した。


「グレイス……?」


 夕暮れ時の照明がついていない部屋は暗く辺りの様子はよく分からない。そんな状態でも善がすぐにグレイスの存在に気づけたのは、それだけ彼が善の顔の近くにいるからであった。血相を変えて大声を上げるグレイスは、善の両肩に手を置いて揺すったり叩いたりを繰り返している。


「どうしたんだ?」


 善の声が耳に届いたのだろう。グレイスの赤い目が大きく見開いた。そして直ぐさまそれは安堵のしたように細められる。


「善……よかった」


 よほど焦ったのだろう。グレイスは善の体から手を離すとぐったりとその場に座り込んでしまった。


「だから、一体何がだ?」


 訳が分からないと善は目で訴える。まったくお前というやつは……と、善の反応に呆れた様子でグレイスは唸った。


「さっき階段で、俺の横を物凄い形相で駆けてっただろう。だから何かあったのかと思って心配になったんだ」


 善はグレイスに邪魔だと怒鳴りつけたことを思い出す。確かにあれは相手を不安にさせる行為だったな。善は緊急だったとはいえ己の行動に反省する。


「一回はオフィスに戻ったんだが、やっぱり気になって来てみれば……用心深いお前がドアの鍵を閉めていないし、部屋に入れば真っ青な顔で眠ってるお前がいるし。そりゃビックリしたもんだ」


 初めは死んでるのかと思ったんだぞと、グレイスは安堵の息を吐いた。


「そうか」

「そうか、って……大丈夫なのか? アベル統括からお前の体調が悪いことは聞いていたが、ここまでだったんだな」


 善の素っ気ない態度に、グレイスは責め立てるように声に力を入れる。しかし言われている善本人は彼の言葉が理解できないといわんばかりに首を傾げていた。


「ここまでって、私はここで寝ていただけだろう? 珍しいことじゃない。いつもの貧血だ」


 何でもないように嘘を吐いた善だが、何故彼がここまで焦るに至ったのか、その理由が知りたくなった。


「貧血ってお前出血したのか? ほらこれ」


 探るようにグレイスを見ると、彼は真剣な面持ちで善の右手を指差す。指摘され素直に目を向けた善は愕然とした。


「なっ」


 右手が赤黒い。鼻を近づけると鉄の匂いがした。湿り気はないが明らかにそれは血だった。信じられないと手を動かしてみれば、パラパラと乾いた赤黒い塊が落ちていく。

 善は思い返す。意識が途切れる前、右手は咳をする時に当てていた。――つまり先程彼は、吐血していたということになる。


「本当に大丈夫なのか?」


 グレイスは呆然としている善へ、壊れ物に触れるかのようにそっと声をかけた。部屋が薄暗いことで、顔についたであろう血までは見えないのだろう。善は慌てて顔をそむける。


「大丈夫だ」


 吐血していたのなら苦しいわけだ。善はグレイスの問いに即答し、体を起こす。まだ少し体全体が熱っぽいような気がしたが彼はあえてそれに構わなかった。


「本当か?」

「大丈夫だって言っているだろう」


 薬の影響か? そんなことを考えながら疑わしいと睨むグレイスを軽くあしらう。


「これは今日の任務でついたんだ。忘れていただけだ」


 我ながら酷く嘘っぽい嘘しか浮かばなかった。善は小さく笑いながらベッドから降り立つとグレイスに向き直る。


「でも、心配してくれたのなら礼を言うさ。ありがとう、相棒」

「お? おお」


 相棒という言葉に少し照れるグレイス。めったにそういったことを口にしない善が零した一言が響いたグレイスは疑う思考を停止した。親友として嬉しかったのだろう。

 何とか誤魔化せたと善が思ったとき、ドアがノックされた。


「なんだ」

『特殊部隊リーダー、善。伝令です。至急、“月の間”に来るようにとの召集がかかっております』


 相手は情報伝達の専門部隊に属する兵士だった。善は反射的に相手の気配を探りながら、用件を聞いて頷く。


「月の間だって!?」


 しかしすぐ横でグレイスの驚く声が上がった。なんでたってそんなところにと、呟くのが聞こえたが、善はドアの向こうに立つ人物に声を投げる。


「誰からの伝令だ?」

『我らがボス、ノワール様です』

「……分かった。すぐ行くと伝えてくれ。わざわざご苦労」

『了解』


 善は深い溜め息をつき、水道へ寄って手を洗う。乾いた血はすぐに水を濁らせた。しばらくの間、部屋には水音だけが響く。


「善、何か俺に隠していないか?」


 今日この台詞を耳にするのは二回目だ。善は背後でグレイスの発した固い声を聞き、更に溜め息をつく。


「何も隠してないさ」


 違和感の無いように小さく笑みを作り、善はグレイスの言葉を一蹴した。

 苦しい言い訳だ。そう思いながら。



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