ダメな男
あの野郎。
孝輔は、怒りに奥歯を噛み合わせる。
唐突に、古傷をえぐられるハメになるとは思わなかった。
3年ほど前、孝輔は一度ヒキコモリを体験していたのである。
女にフラレた──2年付き合った女だった。
原因は、彼の仕事を理解できなかったため。
ゴーンゴーンゴーン。
ショックの余り、何度も寺の鐘が頭の中に響き渡ったのを覚えている。
だが、フラレた痛みも時間がたつにつれ癒え、そのあと数人と付き合い、別れるを繰り返した。
もう、同じことが起きてもヒキコモリにはならない──多分、フラレ耐性がついたのだろう。
今となっては、ただの暗い過去だ。
だが、それをサヤに知られることの方が、あの瞬間はいやだった。
自分の人生で、一番カッコ悪い時代なのだから。
そんな古傷よりも。
いまは、ヒキコモリアイアイである『グレムリン』をどうにかしなければならない。
サヤがいった、グレムリンの気持ちが分かるというのは、まったく悪意のないものなのだろう。
ただ、孝輔が機械好きというところで、共通点を見出しただけなのだ。
オレがグレムリンなら、か。
孝輔は、手の中でボールペンを回した。
どうやら──苦手な国語の時間が始まったようだ。
「ちっと、デパートでテストしてくる」
孝輔は、兄にそう言い置いて事務所を出ようとした。
その途中で、サヤと鉢合わせる。
興味深そうな目だ。
さっき、彼が端末で物凄い勢いで打ち込みをしているのを見ていたのだろう。
何か話しかけられたような気もするが、没頭していたために返事をしたのかしてないのかも覚えていなかった。
えーっと。
「……来る?」
試しに聞いてみると、ぱぁっと明るい笑みに変わった。
「はい!」
誘われて嬉しくてしょうがないみたいだ。
効くなぁ。
太陽光線ばりのそれに、孝輔は胸が疼いた。
何とも複雑な気分だ。
一番ひどい古傷を、思い出したせいだろうか。
「あ、帰りにデパ地下で、キアラのシュークリームを買ってこいよ」
孝輔の気持ちも知らない兄から、暴君的な指令が飛んでくる。
そんな店を、彼が知っているとでも思っているのか。
舌を出しつつ、サヤと事務所を出た。
※
「捕まえられそうですか?」
車での移動中、彼女は本当に興味深げだった。
「わかんねぇ」
自信を持ってカッコイイことを言えないのが、微妙に悔しい。
分からないから、テストに行くのだ。
グレムリン君が、孝輔の予想通りの動きをしてくれるかどうか。
それがうまく行けば──
「何を作られたか、楽しみです」
にこにこ。
サヤなら。
笑顔の彼女を、ちらりと横目で見ながら、彼はふと思った。
サヤならきっと、孝輔の仕事を理解してくれるだろう。
いままでの彼女たちの、誰もができなかったそれを、楽々クリアできるのだ。
それどころか、自分こそ彼女をもっと理解できないといけないだろう。
天然ものの霊能力者と、付き合ったことなどないのだから。
あー。
そんな理屈は脇においておいたとしても。
孝輔は自分の頭をかく。
朝頑張ったセットとやらが崩れるが、この時ばかりは気にならない。
心の中でうごめく、モヤモヤ。
それが何なのか。
自分のことは、自分でよく分かっていた。
そう。
既に孝輔は、彼女が気になってしょうがないのだ。
エキゾティックで、エキセントリックなサヤ。
兄の持っていた彼女のファイルでは、いま25歳。
孝輔より二つ年上とは思えない、掴みがたい雰囲気。
10代の少女のように見える時もあれば、深い情緒をかもし出す時もある。
だが。
サヤの気持ちが、孝輔を向いていないのは分かっていた。
かといって、直樹の方を向いているとも思えない。
同じ仕事場の人たち。
いまの彼の立場は、せいぜいそんなもの。
孝輔の恋愛姿勢は、ややずるい方になる。
相手の気持ちが、完全にこっちを向いていると分かるまでは、迂闊にしかけきれないのだ。
かといって、外堀から埋めていけるほど器用な人間でもない。
厄介なこった。
要するに、相手から好きになってもらう以外、彼には手立てがない、ということになる。
これまで付き合った経緯も、たいてい向こうからの告白だった。
「孝輔さん?」
彼が黙り込んでいるのに気づいたのだろうか、怪訝にサヤが声をかけてくる。
「あ?」
慌てて返事をすると。
「デパート…通り過ぎましたけど」
「げ」
斜め後ろを指されて、孝輔は針路変更を余儀なくされる。
カッチョワリィぜ、オレ。
自殺点を入れてしまったサッカー選手のように、孝輔は内心でがっくりうなだれたのだった。