ヒキコモリの気持ち
すっきりした。
サヤは、晴れ晴れと深呼吸する。
やっとあの精霊の正体が、『グレムリン』だと思い出したのだ。
先進国を中心に潜んでいる、機械の精霊。
一度グレムリンに目をつけられると、計器が故障や誤動作を起こし、場合によっては破壊されてしまうこともあるらしい。
インドでも、大都会から少し離れたところに住んでいたサヤには、無縁すぎる精霊だったために、思い出すのに時間がかかってしまった。
日本にいる頃、兄から話だけ聞いたことがあったのだ。
兄が苦手とする、近代の精霊の話として。
そう、近代の精霊はとても扱いが難しいのだ。
人間が進化するように、彼らもまた進化した精霊だった。
情緒にとぼしく、自然のサイクルからも足を踏み外している。
存在理由も不明のまま、突如として現れ、還るところもなく突如として消えていく。
恨みも妬みもない、ただのお騒がせ精霊。
前に会った九十九神とは逆の、使い捨て世代の霊だ。
「んー」
さわやかなサヤとは対照に、孝輔はうなり声を上げた。
精霊の情報により、彼も仕事をやりやすくなったのかと思いきや、そうでもないようだ。
「何か問題でも?」
兄が苦手とするのだから、同じ方式を受け継ぐサヤも苦手な相手になるだろう。
説得や環境の変化や浄化では、決して消えそうになかった。
しかし、ここの人たちは違う。
まさしく近代の技術を用いているわけだから、真正面から対峙できそうなのに。
「厄介だな、こいつ」
孝輔の操作している端末の画面には、グレムリンの文字。
普通のインターネットサイトではなく、その筋のしっかりしたデータベースなのだと教えてくれた。
画面には、ぎっしりとした文字情報。
「厄介?」
サヤが首をかしげると、孝輔は人差し指を1本立ててみせた。
「1つ、動きが非常に素早い。うちにいる老体では、追いきれない」
至って真剣な表情だったが、何か不穏な表現が含まれていなかっただろうか。
「私は、ピチピチの28だ!」
「2つめは……」
所長席の声を無視して、孝輔は二本目の指を立てた。
「こいつは、電化製品を自由に行き来できる。電源ケーブルでつながっていたりすればどこへでも。たとえ離れていても、1メートル以内くらいなら平気で飛び移れる」
要するに──逃げ放題。
「どうやって、捕まえるかが一番難しいな」
眉間に縦ジワを寄せて、孝輔は唸った。
確かに。
極秘調査の時も、素早くそれは消えてしまったではないか。
直樹のスピードと体力がいかほどなのかは分からないが、簡単にはいかないだろう。
「機械大好き精霊、ね」
天井を仰ぐ孝輔。
そんな彼のために、サヤはコーヒーを入れることにした。
少し、息抜きをしたほうがよさそうだ。
給湯室に向かって歩き始める。
ここのコーヒーは、インスタント。
粉をサジですくってマグカップに落とす。
ミルクも砂糖もなし。
湯沸しポットからお湯をそそいで、くるっとかきまぜると出来上がり。
「孝輔さんなら、きっと捕まえられますよ」
まだ唸ってる彼に、マグカップを渡す。
はっと気づいたように、彼はそれを受け取った。
「無責任なこと言うなよ…」
顔をぐしゃーっと歪めながら、彼はコーヒーに口をつけた。
苦かったせいではないだろう。
飲む前に、すでにその顔だったのだから。
「でも、グレムリンの気持ちが、一番分かるのは…孝輔さんじゃないですか?」
機械が大好きなのは、彼も同じだ。
何しろ、ここにある装置は、全て彼の組み立てによるものなのだから。
この事務所の中の誰よりも、グレムリンに近い男。
「グレムリンの…気持ち?」
いぶかしそう顔が向けられた。
霊の感情というものを、うまく理解できない顔だ。
彼らには、霊感がない。
そのために、生きている人間とは違う彼らが、何故そこにいるかを理解できない。
だからこそ、物理的な処理できるのだ。
そんなグレムリンの、物理情報といえば。
S値は低い。
自分が存在することに対しての強い力はない、ということ。
R値は普通。
少し霊能力のある人なら、気配くらいは感じる程度。
E値は、ムラっけのある変動型。
S値が低いことから、うまく捕まえられさえすれば、難しい仕事ではないらしいのだが。
「オレが、この『機械をいじってるだけの、ひきこもりヲタク』の気持ちを理解できると?」
孝輔なりの、グレムリンに対する解釈なのだろう。
思わず、笑いがこみ上げるような絶妙さだ。
サヤが吹き出すより先に、事件がおきた。
「おー、それならお前にしか理解できないな」
ついに──直樹参戦。
所長席を離れ、近づいてくるではないか。
「3年前のお前はひどかったなあ……ミユキちゃんだったっけ? エリコちゃんだったっけ」
メガネをキラキラ光らせながら、美しい思い出をよみがえらせる目になった。
「わーわーわー!!!」
突然大きな声を張り上げて、孝輔が兄の言葉をかき消そうとする。
その剣幕に、サヤは驚いて固まってしまった。
ミユキ? エリコ?
どう聞いても女性の名前だ。
「それ以上しゃべったら……色男にしてやるぞ」
直樹の胸倉をつかみ上げ、鬼気迫る雰囲気で脅す弟。
「いやー…もう時効だろう」
しかし、兄の方はまったく動じていない。
孝輔の顔に、暗い影が差す。
「アニキだって、エミさんの時は…」
ぼそり。
地の底から響き渡るような、低い声で呟かれる名前。
一瞬、孝輔の声とは分からなかった。
「あー…いい思い出だな」
目をそらし、直樹は遠い目をする。
どうやら、お互いの触れてはいけない過去を、つつきあっているようだ。
しかも、どちらも女性関係で、悪い結果に終わってしまったのだろう。
きっとこの兄弟は、女性受けはいいに違いない。
「……」
あれ?
いまサヤは──何に引っかかったのだろうか。