表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

裸で立つ渡り鳥

あとがき

作者: 名前が登録されていません

 これはかつてあった話であるかもしれず、また、これはいつか起こる話であるかもしれない。


 これはかつて事実であったかもしれない。或いは、これはいつかの空想であるのかもしれない。


 それは私自身の経験が語る事であるかもしれないし、また、私が誰かから伝え聞いた事かもしれない。

 或いは私が全く知らないことだって有り得て、その場合、私はこれを書いているのだろうか。


 その結末は決まっているかも知れず、未だ終わりを知らず何処かで進行している事なのかもしれない。

 或いは貴方がこれを読んだ今この時に、それは終わったのかもしれないし、終わることが決められているのかもしれない。

 それとも、未来方向の何処かでこの物語は四散してしまうのだろうか。それとも、筋書きには無い、今は存在しない何かが急に差し挟まれて、物語は別の方向へ向かうのかも解らない。


 そして何より、今これを書いている私が、その時もまた私であると、私には断言できない。



 前置きとしてこうして書いた様に、私は「かつての私」とも「いつかの私」とも違い、また「どのような経験」も「どのような予感」も考慮せず、今こうして書いている。

 それゆえに、私はこれ以降私が書くであろう幾つかのテキストに一切の責任を持たないし、それに対して含むべき言葉も一切持たず、同時に何ものをも語る権利を有さない。


 では、ここにしか存在しない私は、存在しない記憶にない何ものをも語らずにいなくて、何を書けばよいのだろうか。

 多分、私が私に「あとがき」を書く役割を振った理由は、何も語らないという事こそにあると、私はそう思っている。

 こうして最後に、この何も語らないことの説明を淘淘と語ることによって生まれる蛇足が意味を持たない事こそが、私が求めていることに他ならないと、私はそう考える。

 ただ、私にとって意味という基準が無いために、それが私の意図にとってどのような意味が有るのかは解らない。或いは無いのかも私には解らない。

 ただ私の中で、「解らない」ということだけは、自明である。



 それだけは、確かに、解らない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ