あとがき
これはかつてあった話であるかもしれず、また、これはいつか起こる話であるかもしれない。
これはかつて事実であったかもしれない。或いは、これはいつかの空想であるのかもしれない。
それは私自身の経験が語る事であるかもしれないし、また、私が誰かから伝え聞いた事かもしれない。
或いは私が全く知らないことだって有り得て、その場合、私はこれを書いているのだろうか。
その結末は決まっているかも知れず、未だ終わりを知らず何処かで進行している事なのかもしれない。
或いは貴方がこれを読んだ今この時に、それは終わったのかもしれないし、終わることが決められているのかもしれない。
それとも、未来方向の何処かでこの物語は四散してしまうのだろうか。それとも、筋書きには無い、今は存在しない何かが急に差し挟まれて、物語は別の方向へ向かうのかも解らない。
そして何より、今これを書いている私が、その時もまた私であると、私には断言できない。
前置きとしてこうして書いた様に、私は「かつての私」とも「いつかの私」とも違い、また「どのような経験」も「どのような予感」も考慮せず、今こうして書いている。
それゆえに、私はこれ以降私が書くであろう幾つかのテキストに一切の責任を持たないし、それに対して含むべき言葉も一切持たず、同時に何ものをも語る権利を有さない。
では、ここにしか存在しない私は、存在しない記憶にない何ものをも語らずにいなくて、何を書けばよいのだろうか。
多分、私が私に「あとがき」を書く役割を振った理由は、何も語らないという事こそにあると、私はそう思っている。
こうして最後に、この何も語らないことの説明を淘淘と語ることによって生まれる蛇足が意味を持たない事こそが、私が求めていることに他ならないと、私はそう考える。
ただ、私にとって意味という基準が無いために、それが私の意図にとってどのような意味が有るのかは解らない。或いは無いのかも私には解らない。
ただ私の中で、「解らない」ということだけは、自明である。
それだけは、確かに、解らない。