朝食は本格派の麻婆豆腐
小さい頃は毎年、夏に母方の実家へ帰省していた。
そちらのおじいちゃんは、僕が物心つく前には亡くなっており、おばあちゃんのひとり暮らし。泊まっている部屋の窓から砂浜が見えるような、海の近くの家だった。
その砂浜は一応、海水浴場だったらしい。しかし高校生や大学生くらいの若者を時々見かけるくらいで、小学生や親子連れなどが泳ぐ姿は全くなかった。
「そろそろ海に近づいちゃ駄目な時期だからね」
とおばあちゃんが言っていたのは、今思えば「お盆以降は海に入ってはいけない」という話だったのだろう。
あの世から来た霊たちに海中で足を引っ張られるとか、秋が近くなって波が激しくなるといった理由に基づく習慣だ。
当時の僕も、詳しい事情はわからないものの、それに素直に従っていた。ただ何となく「せっかく海辺の田舎まで来たのになあ」という気持ちはあり、惹かれるようによく海を眺めていたのだが……。
あれは確か、小学校に上がった年だったと思う。
「涼太のランドセル姿、おばあちゃんにも見せてあげようね!」
と母さんが言い出して、夏休みだから必要ないのに、わざわざランドセル持参で帰省。
実際、ランドセル背負った僕を見て、おばあちゃんは大いに喜んでくれたようだ。着いた日の夜は、例年以上に豪勢な料理でもてなされた。
食べ過ぎてお腹が少し苦しくなるほどであり、そのため早めに部屋で休み始めた。
母さんは居間でおばあちゃんと話に耽っており、僕は一人、布団に入ったのだが、目を閉じても眠くはならない。ならば少し夜風にでも当たろうと、窓を開けて外を眺めてみた。
夜の海水浴場は、完全に無人。
海も砂浜も黒々としているが、波の砕ける辺りは白く泡立っているおかげで、境目となる波打ち際ははっきりと見てとれた。
そんな中、ほんの数十メートル沖合の海上に、淡く緑色に光る存在。見ようによっては手足が生えているようにも見えるし、あの距離ならばちょうど大きさは人間くらいだろう。
「人型の発光物体……? きっと宇宙人だ!」
驚き勇んで、母さんとおばあちゃんを呼びに行く。
二人を連れて部屋に戻ってきても、緑の人型はまだ海の上に留まっていた。
「ほら……!」
と母さんの袖を引っ張るが、彼女は唖然と硬直。
その隣では、おばあちゃんが両手を合わせて拝みながら、小声で呟いていた。
「ああ、正介さん……」
僕の目に映ったのはぼんやりとした人型だったが、母さんとおばあちゃんには、違う姿で見えていたらしい。
亡くなったおじいちゃんの姿であり、その名前が『正介』だった。
「おじいちゃんも、大きくなった涼太の様子を見に来たのね」
「さあ、正介さんにも見せておやり」
母さんとおばあちゃんは盛り上がって、僕はまたランドセルを背負うことになった。
窓の前でファッションモデルみたいに僕がくるりと一回転すると、それを見て本当に満足したのか、おじいちゃんの幽霊は消えていく。
これでこの件は片付いたと思ったのだが……。
翌日の朝食は麻婆豆腐になった。
おじいちゃんの好物だったので、おじいちゃんを偲ぶ意味で、それを食べることになったらしい。
「正介さんはハイカラでね。わざわざ本場から取り寄せた花椒を使って……」
おばあちゃんが懐かしそうに説明した通り、本格的なスパイス使用の麻婆豆腐だ。
今ならば珍しくない花椒だが、当時の日本――しかも田舎――では、入手困難なスパイスだったに違いない。
色々な思い出が蘇るのか、母さんもおばあちゃんも泣きながら食べていた。僕も一緒になって涙を流したので、
「涼太は優しい子だね。おじいちゃんのこと、覚えていないだろうに」
と褒められたほどだが……。
その場で否定できずに笑って誤魔化し、その言葉を受け入れてしまったのは、嘘をついたことになるのだろう。
本当はおじいちゃんを思って泣いたのではない。本格派の麻婆豆腐は、朝から食べるにしては重たいメニューだったし、それに涙が出るほど辛かったのだ。
(「朝食は本格派の麻婆豆腐」完)




