27話 楔という法則
理事長は机の上に広げた巻物を指で押さえた。
古い紙はわずかに波打ち、ところどころインクが掠れている。
だが描かれている魔術式は、今の時代のものよりもはるかに整っていた。
円。
それを囲む線。
そして中央の黒い点。
理事長はその中心を指した。
「これが楔だ」
梓が一歩机に近づく。
「紋様の形が似ています」
「御影君の胸にあったものと」
理事長は頷いた。
「同じ系統の術式だ」
俺は巻物を見ながら言う。
「封印術ですね」
「だが規模が違う」
理事長は小さく笑った。
「さすがだ」
それから指を円の外側へ動かす。
「世界には境界がある」
「我々の世界」
次に外側。
「そして異界」
梓が言う。
「異界共鳴」
理事長は頷く。
「二つの世界は完全に分離しているわけではない」
「わずかに重なっている」
巻物の線が歪んだ部分を指す。
「この歪みが共鳴だ」
俺は地球の夜を思い出す。
屋上。
空間の軋み。
黒い紋様。
理事長は続ける。
「共鳴が弱ければ問題ない」
「魔力がわずかに漏れる程度だ」
だが、と続ける。
「共鳴が強くなると」
巻物の線をなぞる。
「境界は歪む」
さらに指を動かす。
「やがて裂ける」
梓の表情が固くなる。
理事長は静かに言った。
「境界が裂けると、異界の魔力が流れ込む」
「魔物が現れ、土地が変質し、世界の法則が崩れる」
俺は短く言う。
「異界侵食」
理事長は頷いた。
「そうだ」
それから中央の黒い点を指す。
「それを止めるのが楔だ」
俺は巻物を見ながら言う。
「境界を固定する支点」
理事長は肯定する。
「楔は歪んだ境界を固定する。
世界が裂けないよう繋ぎ止める存在だ」
梓が低く言った。
「でも」
言葉を選ぶ。
「それって」
理事長を見る。
「人ですよね」
理事長は沈黙した。
数秒。
それから静かに言う。
「楔は人間だ」
部屋の空気が止まる。
理事長は続ける。
「正確には共鳴者。世界の境界と強く繋がる人間だ」
俺は聞く。
「選ばれるわけじゃない」
理事長は首を振る。
「共鳴する」
巻物の中央を指す。
「共鳴が起きた人間の体に紋様が刻まれる。それが楔の刻印だ」
梓が小さく言う。
「……御影君」
理事長は頷いた。
「御影凪は共鳴者だ」
俺は腕を組む。
「だがまだ不完全」
理事長が頷く。
巻物の黒い点の周囲を指でなぞる。
「楔は通常、封印術で固定する。
術式が完成して初めて安定する」
俺は言う。
「まだ完成していないですね」
理事長は頷いた。
「理由はわからないが、途中で止まった。
世界がまだ早いと判断したのか、御影凪に何かあるのか。それとも……」
理事長と梓の視線が俺に向く。
理事長は続ける。
「だが逆に言えば、まだ確定していない」
梓が顔を上げる。
「どういう意味です」
理事長は静かに言った。
「楔は移せる」
沈黙。
俺は理事長を見る。
「移す?」
理事長は頷く。
「共鳴値の近い人間がいれば」
「楔はそちらへ移る」
梓の拳が強く握られる。
意味は明白だった。
俺はゆっくり息を吐く。
「つまり」
理事長の視線が俺に向く。
「凪を救う方法はある」
部屋の空気が重くなる。
理事長は静かに続けた。
「別の楔を作ることだ」
俺は巻物の黒い点を見る。
世界を固定するもの。
そして。
誰か一人を縛るもの。
理事長は言った。
「君は一度それをやっている」
「地球で」
梓の兄。
屋上。
黒い紋様。
俺は何も言わない。
だが理事長は視線を外さない。
「だから聞いた」
静かな声。
「覚悟はあるか、と」
部屋の空気が止まる。
その沈黙を破ったのは、理事長だった。
理事長は巻物をゆっくり閉じる。
それから窓の外を見る。
夜の学園。
静かな屋根の向こうに、第零組の生徒たちがいる。
理事長は小さく言った。
「……古い記録がある」
梓が顔を上げる。
「記録?」
理事長は窓の外を見たまま続ける。
「世界が歪んだ時代。
それを止めた者たちの記録だ」
梓が言う。
「楔ですか」
理事長は首を振った。
「違う。楔ではない」
少しだけ間を置く。
「剣だ」
俺は眉をわずかに動かす。
理事長はゆっくり続けた。
「古代には、世界を守る十の神刀があった。
――十神刀」
その言葉は静かだった。
だが妙に重い。
梓が小さく言う。
「……神話ですね」
理事長は否定しない。
「記録は残っている。
だが刀はすべて失われた」
夜風が窓を揺らす。
理事長は静かに言った。
「もしそれが本当に存在したなら楔とは別の方法で、世界を守る力になるかもしれない」
俺は小さく息を吐く。
「伝説の話です」
理事長は静かに笑った。
「この学園には伝説がよく落ちている」
俺は巻物を見る。
黒い点。
楔。
そして今聞いたばかりの言葉。
十神刀。
世界には、まだ知らない方法があるのかもしれない。
だが俺は小さく呟く。
「それでも」
「最後は一人になる」
理事長は何も言わなかった。
ただ静かに、俺を見ていた。




