26話 理事長の呼び出し
夜の学園は静かだった。
昼間の戦闘が嘘のように、廊下には人の気配がほとんどない。
窓の外では風が木々を揺らし、遠くで寮の灯りが揺れている。
俺は本館の廊下を歩いていた。
目的地は決まっている。
最上階。
理事長室。
扉の前で足を止める。
古い木製の扉には魔術刻印が刻まれている。
簡易的な結界だが、軍の侵入を警戒して強化されているのが分かる。
俺は軽くノックした。
「九条朔夜です」
すぐに声が返る。
「入れ」
扉を開ける。
理事長室は広い。
壁一面が本棚で、古い魔術書や研究資料が整然と並んでいる。
窓の外には夜の学園が見えた。
机の向こうに、理事長が座っている。
白髪の老人。
細い体。
だが目だけは鋭い。
その横には、もう一人いた。
梓だ。
腕を組んだまま、窓の外を見ている。
俺は眉をわずかに上げた。
「……同席ですか」
梓が振り向く。
「私も呼ばれました」
理事長が静かに言う。
「君一人の話ではないからな」
俺は椅子を引いて座る。
理事長はしばらく俺を観察していた。
沈黙。
そのあと、静かに言った。
「軍は撤退した」
俺は肩をすくめる。
「一時的に、でしょう」
理事長は否定しない。
「王国軍は楔の存在を完全には理解していない」
「だが」
「異常には気づいている」
梓が低く言う。
「凪のことですか」
理事長は頷いた。
「そうだ」
そして机の上に一枚の書類を置く。
魔力測定結果。
共鳴反応。
異常値。
いくつもの数字が並んでいる。
「御影凪の共鳴値は、王国の観測記録の中でも極めて高い」
俺は言う。
「だから軍は確保しようとした」
理事長は指を組む。
「数値で動いた結果だ」
それから俺を見る。
「だが」
少しだけ声が低くなる。
「問題はそこではない」
俺は聞く。
「何です」
理事長はゆっくり言った。
「楔だ」
部屋の空気が少しだけ重くなる。
梓の視線が鋭くなる。
理事長は続ける。
「凪の胸に刻まれた紋様」
「君は見ただろう」
俺は答えない。
だが否定もしない。
理事長は静かに言う。
「君は一度、それを完成させている」
短い沈黙。
地球。
夜。
屋上。
黒い紋様。
俺は椅子の背にもたれながら言う。
「……古い話です」
理事長は首を振る。
「いや」
「これからの話だ」
梓が小さく息を呑む。
理事長は机の上の書類を閉じた。
「御影凪の楔は、まだ不完全だ」
俺は目を細める。
「固定されていない」
理事長は頷く。
あの時は運良く収まったからな。
「共鳴だけが起きている状態だ」
梓が言う。
「つまり」
「まだ戻れる?」
理事長はすぐには答えなかった。
数秒、考える。
それから言う。
「可能性はある」
梓の肩がわずかに揺れる。
理事長は続ける。
「だが」
「時間は長くない」
窓の外で風が強く吹いた。
夜の学園の屋根がかすかに軋む。
理事長は俺を見る。
その目は、さっきまでよりも鋭かった。
「九条朔夜」
俺は視線を上げる。
理事長は静かに言った。
「もう一度聞こう」
部屋の空気が止まる。
「もし楔が完成した場合」
「君はどうする」
俺は少しだけ考える。
長くはない。
答えは最初から決まっている。
「それが一番確実なら」
小さく言う。
「俺がやります」
梓の拳が強く握られる。
理事長は目を閉じた。
そして小さく息を吐く。
「……やはりな」
それからゆっくり言った。
「だからこそ」
「次の話をしよう」
理事長は立ち上がり、本棚から古い巻物を取り出した。
机の上に広げる。
そこには、複雑な魔術式が描かれていた。
円。
線。
そして中心に黒い点。
理事長がその点を指した。
「楔とは何か」
静かな声だった。
「世界の理屈を説明しよう」




