10話 理事長室
適性検査が終わったあと、俺はそのまま学園本館へ向かった。
石造りの廊下は、昼でも薄暗い。
壁の魔導灯が淡く光り、床に長い影を落としている。
階段を上り、突き当たりの扉の前で止まる。
理事長室。
ノックを一度。
「入れ」
「失礼します」
低い声が返ってきた。
扉を開ける。
広い部屋だった。
高い窓から午後の光が差し込み、机の上に書類の影を落としている。
机の向こうに座っているのは、王立魔術学園 理事長――アルト=ヴァルグレイ。
年齢は60を越えているはずだが、背筋は真っ直ぐだ。
白髪混じりの髪を後ろに流し、鋭い目でこちらを見ている。
「用件は分かっている」
俺が口を開く前に言った。
「御影凪の徴用の件だろう」
「そうです」
俺は机の前で止まる。
「取り消せ――してください」
理事長は眉一つ動かさない。
「国家命令だ」
「学園は教育機関です。
軍の人材供給所じゃない」
理事長はゆっくり椅子にもたれた。
「理想論だな。現実は違う。
この国は今、戦力を必要としている」
「だから学生を徴用するんですか?」
「転移者は例外だ」
その言葉に、俺は少しだけ目を細めた。
「例外?」
「転移者は世界の外から来た存在だ」
理事長は机の上の書類を指で叩く。
「魔力の質が違う。共鳴値も高い。
軍が欲しがるのは当然だ」
「だから差し出すと?」
理事長は首を横に振った。
「違う。選ばせている」
「本人の意思で?」
「そうだ」
俺は小さく息を吐く。
「凪は選んでいません。
選ばされました」
理事長の視線が鋭くなる。
「九条教師」
俺の名字を呼ぶ声は低い。
「一つ聞こう」
「君は、“楔”を知っているだろう?」
心臓が一瞬だけ止まる。
……知っている。
知らないはずがない。
だが俺は悟られないように表情を変えない。
「伝承でしたら」
理事長は小さく頷く。
「世界には、歪みが生まれる。
異界との境界が揺らぐ。
それを固定する存在が楔だ」
窓の外を見る。
遠くに結界塔が立っている。
「人が楔になることもある」
その言葉の重さを、俺は知っている。
理事長は続ける。
「御影凪の共鳴値は高い。高すぎる。
放置すれば、いずれ何かが起きるだろう。
だから軍は管理したい」
「管理?」
「保護でもある」
俺は腕を組む。
「拘束の言い換えですね」
理事長は否定しない。
数秒、沈黙が続く。
やがて理事長が言った。
「君は優秀な教師だ。
だが一つ欠点がある」
「何です」
「背負いすぎる」
その言葉に、わずかに胸が軋む。
理事長は続ける。
「世界は時々、誰か一人を選ぶ。
その時、教師が出来ることは少ない」
俺はゆっくり言う。
「だから差し出せということですか?」
理事長は首を振った。
「違う。選択させる。
そして、その選択を支える」
机の上の書類を俺に差し出す。
徴用命令書。
名前が書かれている。
御影凪。
俺はそれを見る。
数秒。
それから書類を机に戻した。
「断ります」
理事長の眉がわずかに動く。
「教師として?」
「そうです」
理事長は静かに笑った。
「いいだろう。だが覚えておけ」
「君が“楔”を作ったあの夜のような状況が来た時」
その言葉に、背中の奥が冷える。
……なぜそれを知っている?
理事長はゆっくり言った。
「君はまた、“正しい選択”をするのか」
俺は何も答えない。
答えは、もう知っている。
だが口には出さない。
理事長室を出る。
廊下の窓から、夕日が見えた。
訓練場の方角だ。
あそこには、あいつらがいる。
俺は小さく呟く。
「……今度は違う」
誰にも聞こえない声だった。




