ピンク色の建物
(私)
男一匹、生まれてきたからには、浮世を騒がすことの一つや二つ、色ごとあっての小説と、多くの人々が心によりをかけて、そういう浮世草を連綿と、描いてきているのが、日本の小説史、さて、その伝統に則って、コーマンの一つや二つ、ひっくり返しても当たり前の人間の営み、気負うことなど一切なし、悠然と私はピンク色の建物に向かってダッシュして、ドアを開けて、中に踊り込んだ。
(gpt )
中に踊り込んだ瞬間、期待していた種類の世界は現れなかった。照明は明るすぎて、むしろ事務所に近い。受付のカウンターは清潔で、透明なアクリル板が境界を主張している。ここは物語が暴走する場所ではなく、制度がきちんと呼吸している場所だ、と私は理解する。悠然としたダッシュは、ここで速度を失う。
壁に貼られた注意書きが、やけに丁寧だ。文字のフォントが丸い。丸い文字は人を落ち着かせる。浮世を騒がすはずの心臓は、列を作って順番を待っている。騒ぎは騒ぎであって、混乱ではない。伝統は、こういうところで静かに裏切られる。
私は一歩だけ進み、すぐに立ち止まる。踊り込んだという事実だけが、今日の収穫だ。中身は後で付与できる。外へ戻ると、ピンクは夜に溶け、ただの色になる。未遂が一つ増えた。増えた未遂は、文章の栄養になる。帰りの電車で、私はそれを反芻する。騒がさなかったことが、今日いちばん騒がしかった。
(私)
「はぐっ」
私はピンク色の建物に入る前に、そんな白昼夢を見たのだった。今度こそ、本当に入ってやる。ドアを開ける。すると、そこには、窓口があってタキシードの青年がお辞儀をしてくる。
「こんにちわ。サービスしていますよ。120分20000円です」
(gpt )
青年の声は滑らかで、感情が含まれていない。含まれていない、というより、均等に配分されている。私は金額を聞いた瞬間に、時間の長さを想像する。百二十分というのは、長い。映画二本分だ。途中で飽きる可能性が高い。飽きた場合の扱いについて、どこにも書いていない。
「サービス、というのは」
と、私が聞き返すと、青年は同じ角度でうなずいた。説明は用意されているが、先に進まないと開示されない仕組みらしい。ここでも境界がある。扉の内側に入ったはずなのに、さらに扉がある。日本の制度は、こういう二重構造を好む。
私は財布を触り、触っただけでやめる。支払うかどうかより、支払う前の逡巡が長すぎる。青年は急かさない。急かさない訓練を受けている。タキシードはよく似合っているが、夜のための服というより、昼間の儀式用だ。
ふと、白昼夢の「はぐっ」を思い出す。あれは入口で消費された。ここでは使えない通貨だ。現実は、常に規定の単位でしか動かない。百二十分、二万円、受付、説明。すべてが整いすぎている。
「検討します」
そう言うと、青年はもう一度お辞儀をした。検討という言葉が、ここでは最短の脱出口だと理解する。外に出ると、ピンクはさっきより淡い。入った事実は残ったが、何も持ち出していない。持ち出せなかったことが、逆に重い。
電車に向かって歩きながら、私は思う。浮世を騒がすとは、必ずしも中に入ることではない。入口で立ち止まり、料金表を現実として受け取った、その一瞬で、十分に騒がしてしまったのかもしれない。




