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試小説   作者: 珍蔵S
論争勃発
22/23

贈与の本質

 吉四六の時計は相変わらず止まったままだが、話題だけは勝手に深くなる。

 ママがふと真顔で言った。


「ねえ、そもそも“公正”って何なのかしらね」


 明美が眉を上げる。


「急に難しい話するじゃん、ママ」


 私は笑いながらも、その言葉を拾う。


「でも、ここに来る話題はだいたい最後そこに行き着くよ」



1. 公正(Fairness)とは何か?


「割り勘が平等なのは分かるのよ」とママは言う。「でもそれが“公正”かどうかは別問題」


「平等と公平は違うってやつ?」と明美。


「そうそう」と私は言う。「同じ額を出すのは平等だけど、同じ痛みかどうかは別」


 明美はグラスを見つめながら言う。


「じゃあさ、収入が多いほうが多く出すのが公正?」


「理屈ではね」とママ。「でもデートで源泉徴収票は見せられないでしょう」


 私は頷く。


「つまり“結果の公平”を目指そうとした瞬間、関係性が事務になる。公正を突き詰めると、ロマンが死ぬ」


「ロマンばっか大事にしてもさあ」と明美。「現実は厳しいんだけど」


「だから厄介なんだよ」と私は言う。「公正って、感情と数字の間にある」


 ママがカウンターを軽く叩いた。


「奢りって、そもそも“贈り物”なのかしら」


「プレゼントでしょ?」と明美。


「いや」と私は首を振る。「モース的には、贈与って一番怖い行為だよ」


 二人がこっちを見る。


「贈与には三つの義務がある。“与える義務”“受け取る義務”“返す義務”」


「なにそれ、ホラーじゃん」と明美。


「だから奢られる側がモヤっとするんだよ」と私は続ける。「受け取った瞬間、まだ見ぬ返礼を背負わされる」


 ママが小さくため息をつく。


「つまり奢りは、無垢な親切じゃなくて、関係を一段階進める儀式なのね」


「そう」と私は言う。「取引じゃないふりをした取引」


 明美は少し黙ってから言った。


「でもさ、返す気がなかったら、最初から奢られたくないって思うのも分かるかも」


「じゃあ結局」とママが言う。「奢るって、義務なの?」


 私は即答する。


「義務になった瞬間、価値はなくなる」


 明美が首を傾げる。


「なんで?」


「カント的に言えばね」と私は言う。「道徳的価値があるのは、“やらなくてもいいのにやる行為”だけ」


 ママが静かに頷く。


「男だから奢る、って決まった瞬間、それはただの役割演技ね」


「そう」と私は言う。「善行じゃなくて作業になる」


「でもさあ」と明美。「義務でもやってくれたほうが嬉しいことってあるじゃん」


「それはね」とママが言った。「優しさじゃなくて、安心なのよ」


 三人とも、しばらく黙る。


 結局、奢りは自由でなければならない。

 しかし自由である以上、期待してはいけない。

 期待しないなら、傷つかない。

 でも、期待しない関係は、どこか寒い。


 私はグラスを飲み干して言った。


「だからさ、奢り問題って解決しないんだよ。これは金の話じゃなくて、人が人に何を期待していいか、って話だから」


 明美が笑った。


「めんどくさ。じゃあ今日はママ奢りでいい?」


「それは義務じゃないわよ」とママも笑う。「気分よ、気分」


 吉四六の夜は、また一つ、答えの出ない問いを増やしたまま、静かに更けていく。

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