論争勃発
スナック吉四六は、時間が止まっている。止まっているというより、ぐるぐる同じところを回っている。カウンターの内側にいる静子ママは、氷を割りながら言った。
「私はねえ、割り勘派よ。だって今どき、男のほうが稼いでるって前提、もう無理があるでしょう」
これが第一声だ。
隣でグラスを傾けていた爆乳の明美が、待ってましたとばかりに胸ごと前に出る。
「でもさあ、それ言い出したら夢がないじゃん。デートなんて非日常なんだから。男が奢ってナンボでしょ?」
私は焼酎のお湯割りをすすりながら、少し遅れて口を挟む。
「いや、だからこそ女が奢ればいいんじゃないの」
二人が同時にこっちを見る。吉四六のカウンターは、いつもこの瞬間、裁判所みたいになる。
「現実の話をするならさ」とママが言う。「女のほうが稼いでるケース、珍しくないわよ。年功序列も崩れてるし」
「でも平均したら、まだ男のほうが上でしょ?」と明美。「だったら男が出すのがフェアじゃない」
私は首を振る。
「平均の話をデートに持ち込んだ瞬間、もうロマン死んでるよ。統計学と一緒に飲みに来てるわけじゃない」
ママが笑う。
「確かにね。平均年収で割り勘計算する男、嫌だわ」
明美は少し真面目な顔になる。
「でもさ、男がリードするって、そんなに悪い? 頼りたいときもあるじゃん」
「リード=奢る、って短絡じゃない?」と私。「道案内と財布は別物だろ」
ママが氷を入れ替えながら言う。
「そもそも“リード”って言葉が古いのよ。今は並んで歩く時代でしょう」
「でもさあ」と明美は引かない。「並んで歩くって、誰かが最初の一歩出さないと始まらなくない?」
「だから、その最初の一歩を女が出したらいいんだって」と私は言う。「金も含めて」
ここで話が一段、濁ってくる。
「男が奢るのって、誠意じゃない?」と明美。
ママは少し間を置いてから言う。
「誠意にも見えるし、支配にも見えるのよね。受け取る側の気分次第」
私は頷く。
「奢られるってさ、好意でもあるけど、同時に“貸し”でもあるんだよ。後で何か返せって言われない保証はない」
「そんな男ばっかじゃないでしょ!」と明美。
「だから逆に女が奢るの」と私は言う。「貸しを作るのが嫌なら、最初から自分が出せばいい」
ママが笑ってグラスを置く。
「それ、一番自由ね。誰にも借りを作らない」
⸻
結局、結論は出ない。
静子ママは割り勘を信仰し、明美は男の甲斐性を信じ、私は女が奢る未来を夢想する。
ただ一つだけ、三人の意見が一致した瞬間がある。
「要するにさ」とママが言った。「金の問題って、人間関係の比喩なのよ」
奢る・奢られる・割り勘。
それは財布の話じゃない。
どこまで対等でいたいか、どこで甘えたいか、どこまで支配されたくないか——その全部が、グラスの底に沈んでいる。
吉四六の夜は、今日も答えを出さないまま、薄い水割りみたいに続いていく。




