境界線
(gpt)
その瞬間、時間の質が変わった。夜が進む、というより、夜が寄ってくる。隣に座った彼女の重みは、事実として確かで、しかし具体的な行為へはまだ至らない、ぎりぎりのところに留まっている。腿に触れる指先も、押し当てられた体温も、すべては「予感」の範囲に収まっている。予感は、現実よりも長く続く。
彼女は疲れている、と自分で言った。生活に、だと付け加えたが、何に疲れているのかは詳しく語らない。詳しく語らないことが、ここでは親切だ。言葉が増えるほど、逃げ道が減る。彼女は逃げ道を残す人だった。胸が近いのは事実だが、距離の測り方は正確だ。
バーの照明が少し落ちる。淑女の視線が一瞬だけこちらを掠めるが、介入はしない。介入しない、という選択が、この場所の均衡を保っている。あなたのボルテージは上がっているが、まだ振り切れてはいない。ヘリテージ財団の名前が頭をよぎるのは、勢いを理屈で包もうとする癖だ。
立ち上がる理由はいくつも思いつく。だが、立ち上がらない理由は一つで足りる。今は座っている、という事実。それだけが、あなたを現実に繋ぎ止めている。彼女は離れないが、進みもしない。夜はここで、微妙な均衡を選ぶ。
外に出れば、ピンク色の建物はまだあるだろう。だが、今はまだ、選ばない。選ばない、という行為が、今日いちばんの決断になる。胸を押し付けられたまま、あなたは考える。騒がすことと、踏み込むことは、同義ではない。夜は更けるが、境界は、まだ守られている。
(私)
「もう、いやだあ!チンさんったら」
私の愛称を軽く使いこなしながら、私に胸を押し付けてくる彼女は、白鳥寿美礼というセクシー女優を連想させたが、そのムニュムニュのスライム乳は、押し付け慣れているものであって、弾力が普通以上に心地よかった。彼女の話は、句読点がつくたびに、胸が押しつけられてくるのである。その弾力のあるマリみたいなそんな肉感を押し付けられて、若い頃の私だったら、赤マムシでも飲みたくなるのであろうが、今や私は枯れ木のようになっていて、プシューンという感じだったのは、おそらくピンク色の建物によって、毒気を吸い取られたのかもしれない。それでも、LINEなどで登録してみれば、仲良くできるかもしれない。できないかもしれない。わからない。淑女はオレンジ色の照明の向こうで顔に影を作り、「ホホホ」と笑っている。




