第1話 無彩色の輝き
- ?!?!-
目を覚ますと、男は溺れていた。
冷たい水と、熱く鋭い痛みは眠気覚ましを優に超え、生命の警鐘を鳴らさせる。
身体の至る所にある出血箇所から血と冷水の交換が行われ、それは文字通りに身体の芯を冷やし、血管を膨張させ、酸素を奪っていく。
加えて、圧力で穴という穴からも血が漏れ、それに伴い冷や汗が湧き上がる。
同時にそれらは水に溶けていく。
そんな状況、誰もが確実な死を想起させ、思考が恐怖と痛みと苦しさと、それに準ずる感情に支配される。
しかし非情ながら、そうなったものは皆、生きようと無駄にもがき、死という蟻地獄に沼っていく。
それは男も例外ではなく、客観視したら思い付くであろう対処法、冷静な判断力をかさばる『死』に塗りつぶされる。ボコボコと気泡を吐き、もがきにもがき、生を、酸素を、享受しようとする。
だがそれも刹那、すぐに彼は冷静になった___否、
その様相は冷静などではなく、血が昇った頭から冷水を被ったような、別のことに気が向いてるような、名状し難いもの。
そうしてゆっくりと、漏れ出る血を、水と混じる血を、慈しみながら掴もうとしていた。
不気味なことに、男は生者の目をしていた。
男は何かを見ていた。
それはいつも外からしか見ない水面の内側か、身内に対する感謝か、憎悪か、存在し得ない未来か、過去か、はたまた別の...
しばらくして体内の酸素も、思考する気力もなくなり、いよいよ死ぬ間際になった男。
その様相は、死の絶望や恐怖ではなく、 生の絶望や恐怖を孕んでいた。
必ず死に至る男はこれからの自分の人生への絶望や恐怖を孕んでいた。
そんな不可解な、そんな悲しい様相に、
そんな、
そんな感じで幸せを反芻している、自分と同じよ うな顔の男に、ふと、怖気付いてしまった。
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曇天の下、雨の雫が瞼に当たり、目を覚ます。
黒い瞳と睫毛に縁取られた目で、今にも泣き出しそうな雲を見て、長い外ハネの髪を優しく撫でられ夜風を感じ、自然の清閑を聞き、乾いた唇を舐め、土の匂いを嗅ぐ。
それら全てを認識する。
え、ん?...?...?? ???
しかし、青年はそれらを理解できない。
一体何がどうなってるんだと困惑する。ただただ困惑する。
疑問で頭が飽和する。
なんで自分はここに居るのか、ここはどこなのか、
どうして?わからないわからない。
そもそも自分はいったい...?
そんな疑問が建てられていく最中、何かに頭を強打され、割れそうになる______否、それは物理的なものではなく、打ち立てられた疑問を打ち壊すかのように発生した言葉の津波であった。
初歩的な知識が押し寄せ、世界を理解し始める。恐らく潜在的に発せられたであろう津波に溺れそうになり、呼吸をすることを忘れかける。
疑問が破壊と再生をし、記憶が発散し、呼吸を思い出す。
それを何回も繰り返す内に津波が引いていき、
1つのことを理解する、
自分には記憶がないということを。
何で何がどうしてどんな、何も分からないが仕方がない。
一旦整理しよう。
荷物は...知らないもの 1、知らないもの 2、ゴミ 1
、ゴミ 2 ふむふむなるほど、意味は無いな。
えー、最初の記憶は......今さっきのですよと。
マズイ、整理する情報がない...。
ん、えー、そうだな。
とりあえず使う言葉などからある程度の人格は形成できる......はず。言葉に経験は宿っているはず。
そうやって冷静に、怒涛の言語学習で虫のようにもがき回っていた。
しばらくして落ち着きを取り戻し、せっかくならもっと教えろよと誰に向けるでもない不満が湧き出てくる余裕もでてきたため、見知っているのか見知らないのかもわからない身体を起こし、倦怠感で重い頭をゆっくり周し、周囲を観察する。
しかしながら周囲を目にするとすぐに困り、非常に困り、度重なる検討に検討を重ね、迷いに迷った結果、再び身体を仰向けにする。
そうして気持ちの良い自然に身を委ね、俺は早口に思う。
周りめちゃめちゃ真っ暗で怖、怖い、一旦寝て、明るくなったら考えるべきだ うん、そうした方が何かと都合が良い。そうしよう!それがいい!! おやすみ世界!!!と。
しかし、現実は甘やかしてはくれなかった。
深い眠りにつこうと閉じた瞼に、先程と同じように雨粒が当たる。徐々にそれは強くなり、起きろ起きろと俺の体を攻撃してくる。
だが俺は寝起き。
超絶不機嫌な寝起きである。
寝ると決めた以上なにがなんでも寝てやるのだ。
そもそも何だよこの状況。
理不尽すぎるだろ。
一定の言語力と見識とそこそこ成熟した身体しか持たない0歳児なんだよ俺は。
認めない、認めるものか!
この不条理を俺は許さない!
絶対俺はここで寝る!!
ふんがぁあぁあぁあ!!!
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私は今日も放浪の旅をしている。
いや、人生は旅なのだから正しくは...私も今日も... 私以外も今日も......えっと...まぁいいや。
こんなくだらないことを思って時間を潰す私はとうとうマズイのか。
まぁ質問しても返ってこないんだけどね。
「あと少しで着きそう...へへへ...」
乾いた笑みを零す彼女は、ボロボロのローブを着て、フードも深く被り、不審者の様相でゆらりゆらりと緩い山道を歩いている。
1時間2時間1日2日3日、いつまで経っても変わらない木々を見つめ、 一体何してんだろ と真面目に思う今日この頃。
直感的に良いなと思った方向に赴いているが、どうにも退屈である。
最近は中途半端な山しかない中、やけに違和感ある場所。
遠目に見て、木がすっぽりとない謎の場所へと向かっている。
もしかしたらそこに、集落があるかもしれないからである。
...それにしても、酷いものだ。
無一文の私には頼れる相手も、生活物資も、なにもないのである。
朝は硬くて冷たい石、もしくはジャリジャリとした土やらなんやらで起こされ、食べれるのか食べられないのかもわからない何かを適当に捕まえて食い、適当に歩き、適当に時間を潰し、適当に適当を適当で......。
そろそろまともな生活か、刺激が欲しいものだ。
「絶景とか、全然ないじゃんか。」
そんなことを思っている内に、今日も周囲が真っ暗になる。
一般的な冒険者や商人なら魔除の香を焚き、見渡しのよい場所か、洞窟とかで夜を明かすべきだ。
だが___
「記憶を失う前の私は、きっと数多の大国に恐れられる最強の存在!!!故に、私は進み続ける!私の歩みは止められん!!......むふふ」
そうやって謎理論を展開し、少しでも夜の絶妙な怖さを、刺激を享受しようとするつい先日、雑魚そうだなと挑んだモンスターに負けそうになり、命からがら逃亡した自称元最強。
さてさて、記憶がない。即ち過去も年齢も出自も不明な自分に、訳もない設定をつけるのは、良い暇つぶしになるのである。
お気に入りの2つ名は、かつて数多の戦場で陰を操り、現実を漆黒で塗りつぶした伝説的な漆黒の
魔導士。
かつて世界を支配した稀代の天才、文明を築き、世界を拓き、他の追随を許さない戦慄の天帝、
かつて世界に愛され、世界を愛し、天井神に迫る力を用いた運命の執行者......などなど。
まあ2つ名と言っても、本名すらわかっていないのだが。
えぇえぇ、こんな私を見て皆思うだろう。
コイツは厨二病だと。
でも、本当はこんなタイプじゃなくて、なんか、 面白おかしく気丈に振る舞わないとしんどいというかなんというか。
はぁ...。
ふと、そんな思考にふける彼女を雨粒が現実に引き戻す。
やけに厚い雲に、薄く乱れた魔力......いやまあ魔力なんて読めないのだが......。
これは雨......いや、きっと嵐だろう。多分。
ともなればどうするべきか。
うむ、やはり無難に安心安全な寝床を探すべきだろう、さすがに嵐に直撃して面白いことはない。
運命がいつ自分に振り向くかはわからないもの!
この後来るかもしれない私のかっちょいい場面の時、雨でびちゃびちゃで、下着が透けてて婀娜っぽくてエロい展開だったら嫌だし、泥水ににまみれて生臭かったらみすぼらしくて格好がつかない。
......はたして今はみすぼらしくないのだろうか。
なにはともあれ、そういうことなのでいい感じの洞窟でも探して嵐を凌ぐと、今回は見逃してあげるとしましょう!
聡明で行動も早い私は、やはり素晴らしい!
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大雨と強風の嵐の中、青年は未だ眠って____
いるわけもなく、雨でびちゃびちゃになり、愚痴も風音に消され、ベチャベチャと泥を踏み潰し走っていた。いい事など、涙目になっているのが雨で誤魔化せる、そんなくだらない事だけである。
青年は暗闇の中、雨粒で反射した僅かな光を見 た。
その玉響の光を掴むべく進む。
そして青年は嵐を寄せ付けないほどの大樹を見 た。
五感全てで、大樹の圧倒的生命力を感じる。
雨粒が減り、視界が開く。
僅かな光を見る。
恐らくそれは、必然であり、偶然でもあった。
青年は見付ける。
無彩色の光の中の、輝きを。
雨水に泣きそうなのを誤魔化してもらい、
泥で手足を汚した彼女と青年は出会うのだった。