2話 洋風の屋敷
この日は、いつもよりずっと早く感じられた。
それは、心の片隅に理由の分からない悩みをずっと抱えていたせいかもしれない。
得体のしれないモヤモヤをどう処理すればいいのか分からなくて、
ようやく仕事終わりの時間になると、私は椅子にもたれて小さくため息をついた。
「沙音! 今日、ご飯食べて帰らない?」
ぼんやりしていた私に、奏音の明るい声が顔を覗き込んできた。
いつも優しい奏音だな…。その想いが浮かび、つられるように笑顔を返す。
「奏音ー行きたいっ…!でも、今日ダメなんだよね…」
「何か予定あったの?」
「うん、お母さんに呼ばれてて。久しぶりに家族でご飯食べたいって言ってたの。
せっかく誘ってくれたのに、ごめんね。明日は絶対行こう?」
彼女の誘いに乗りたかったけれど、脳裏に今日の予定が浮かんでしまい、残念な気持ちがこみ上げた。
「明日は必ず」と約束し、片づけを終えて一緒に会社をあとにした。
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会社を出た私は、いつもより少しゆっくりとした足取りで歩いていた。
ガラス張りのビルに映る夕暮れは、水に溶けるような色で何故だか胸に引っかかった。
目的地は、とくにない。
ただ、まっすぐ家に帰る気にはなれず、気づけば足はいつもの交差点を越えていた。
そして、立ち止まったのは見慣れたあの洋風の屋敷の前。
やけに静かな風が、塀越しに私の髪を優しく揺らしていた。
その時―
「…え?」
一度は真っすぐ通り過ぎた。
けれど、ドアの横をすり抜けた瞬間、誰かの声が聞こえた気がして、私は立ち止まった。
しばらく扉をじっと見つめたあと、引き寄せられるように手を扉の取手へと伸ばす。
少し開けると、キィ、と控えめな音が鳴り、一瞬ドキッとしながらも、そっと足を踏み入れた。
外から見たときは、もっと暗かった気がしていた。
でも今は、少し薄暗いながらも、やわらかな明かりが灯っている。
入ってすぐの広間。
その中心には、大きくて古めかしい時計がひとつ。
振り子が、一定のリズムで時間を刻んでいた。
ふと、床に反射する色とりどりの光に気づいて見上げると、
そこには鮮やかに輝くステンドグラスが。
「なにこれ…違う世界に来たみたい。」
さっきまで胸に引っかかっていたモヤモヤは、いつの間にか消えていた。
今の私は、探検家の気分。
小さな声で「誰かいますか?」と問いかけながら、
ゆっくりと辺りを歩き回る。
色彩が差し込むステンドグラスのある二階へと、私は足を進めていった。