本日まだ続きがありました。
森山の話が終わり、蝋燭が消されて室内の暗さが増す。語り部たちの前にある蝋燭立てには、火が消えた蝋燭のみが立っている。
別に、人魂がふよふよしだすわけでもなければ、ラップ音が鳴り響くわけでもない。
しかし、部屋の角には歪みが視えた。
「お疲れ様でした。本日の百物語は終了となります」
神谷の言葉で、一同、話を続ける緊張からは解放された。部屋の照明も点き、明るくなっていく。
しかし、その向こうにエレベーターがあるはずの角の違和感に、新たな緊張が広がっている。
岩田には、水族館の水槽のような透明な何かが見えた。
透明なので、見えない。
水族館の水槽は、すぐそこに魚たちが泳いでいるようでいて、実際には数十センチの厚みがあるという。
見えないけど、何かがある。岩田のイメージでは妖怪ぬりかべだが、神谷や羽生には違うものが視えているのだろう。神谷が、またリュックからお札作成グッズを出している。
岩田は、荷物を出して非常口寄りの角に向かう。森山も同様だ。羽生は荷物にかまわず、二人の前に立った。
「森山さんは、あれ、どう視えるんです?」
森山は、神谷の年上の甥にあたるのだという。怪談話の中で視えるような話はしていないが、相川が血まみれに視えた話は聞いた。
「色は視えないけど、なんか、透明な壁が押されて来てるみたいな感じ? なんか、満員電車のドアがぎりぎり閉まんない風」
「この部屋に入りたい勢がいるようですね。話をしているうちは大丈夫だったのに」
先ほどの田中の母のように、突破できたものはまだいないということのようだ。
怪談話を継続しているだけで、抑止力が働いていた? 謎だ。
神谷は迷いなく札を作っている。
この事態を予想していたのかいなかったのかはわからないが、不満も驚きも見えない。そんな隙は見せないということなのか、当たり前のように準備を進めている。
岩田としては、冬彦がちゃんと仕事を終えているのかが心配だ。
先ほどの彼らをどうしたのかは知らないが、先ほどの入り口が閉じてから一時間半くらいしか経っていない。閉まるときはまだ彼らを眺めているだけだった。あの後、ちゃんと仕事をしたのだろうか。
神谷が、席を立つ。
「先に、廊下への扉と非常口、上へのルートを封鎖します。中からも出られなくなりますが、神社への道が閉じたら解除されるようにしておきます。不測の事態が起きたときは、各自のお札を信じて好きな方から逃げてください」
それは、神谷が失敗したときのことだろうか。
その場合、どちらのルートも通りたくないのだが。
入れなくなるのはお化けたちもだろうが、石井もだ。ぬりかべが押されているのが、岩田にもわかる。
満員電車の人々がぬりかべを押し倒す前に始めないと、ヤバいのだろう。
石井は、昨日も終わってすぐ来たわけではない。今日は田中や岩田の途中離脱予定もある、昨日より来るのは遅いかもしれない。石井は待てない。
神谷が、廊下の扉へ移動し、二枚の扉の間に手を触れる。一言言って、岩田たちがいる角までの間に移動し、吹き抜けを二本指でさし、また一言言う。どうやら「封」と言っているようだ。次に岩田らの後ろに回り、非常口の角に手をあて、一言言う。また次の角に行き、梯子の上を指さし、一言言った。そういえば、梯子があったか。
そうして、前回と同じ位置に立つ。
「始めます」
流れは同じだった。脇の壁にお札を貼り付け、手指を複雑に絡ませ次々と印を結ぶ。お祓いの神主さんのようだったり、お葬式のお坊さんのようだったり。そういえば、お葬式も宗派によってお葬式いろいろだよなあと岩田は思う。仏教だけでも、お経を詠んでいるだけかと思えば音を出すものもあればお坊さんが結構動くものもあるし、途中で気合を入れるようなものもある。神谷は、それらすべてをごちゃまぜにしても足りないごちゃまぜ具合で、強烈な空間を作り出している。冬彦もこんなことができるのだろうか。
「急急如律令」
神谷が、口からそう発すると、お札を中心にまた、壁に場が開いた。先ほどと同じだ。ならば、向こうにはまた、冬彦がいるのか。
見れば、直径二メートルほどに開いた穴の向こうには、先ほどと同じ場が展開している。送られた者たちは姿を消している。
そして、一番奥に、冬彦が立っていた。
乱れた様子もない。ちゃんと仕事を終えたのだろうか。
気を取られているうちに、透明な塊が角から染み出してできていた。先ほどのものより大きい気がする。
確か、三十年前は五人が亡くなったと聞いた。それなら、さっきと同じ大きさなのではないか。体が大きい人でもいたのだろうか。
「森山拓」
神谷に呼ばれ、塊から男が剥がれ出る。森山の父だ。左胸に、短刀が突き刺さっている。
彼は、その場にいる人たちを不思議そうに見る。森山を見て、わずかに首を傾げた様子があった。
亡くなったのは、三十年前。森山が十歳の時のことだという。はっきりとは、我が子だとわからなかったのかもしれない。
彼は、神谷に促されて境を越えて行った。
「外宮冬海。宮内冬子」
神谷は、続けて二人の名前を呼んだ。
ぺらりと、二人が塊から剥がれてくる。白い着物に袴の、髪型までそっくりなおばあさんたちだった。
後ろの塊はまだまだ大きい。
二人は、互いに顔を見合わせて、にこりと笑った。その前首には、お揃いの太く赤い筋。そこから、血が流れ落ち着物を赤く濡らしている。
双子のおばあちゃんが殺されたと、冬彦から聞いている。かわいがってもらったと言っていた。
二人も、境目を越えて行った。
「神谷冬勝」
白い着物に袴の、五十前後の男が現れる。首も顔も腕も、傷だらけの血まみれだ。よほど抵抗したのだろう。血まみれの顔に、目だけが白く見える。その目は、目の前の神谷を睥睨するように見ていた。
神谷は、ただ穴を示す。男は神谷を睨みながら進み、穴の奥を見ると、慌てたように境を越えて行った。そうして、冬彦に対し正座して頭を床につけるようにして平伏した。偉い人だったのかもしれない、昔は。
ここまでで四人。次は、森山の母か。
「奈々谷津冬十郎」
神谷が、違う名を呼ぶ。
六十前後の男が現れる。白い着物と袴。男の態度は、先ほどの男に近い。いぶかしみながら穴の方へ行き、奥を見ると速やかに境を越えた。背中が真っ赤だった。
「神谷冬五郎」
また、男の名前だ。先ほどの男よりは年配に見える、よく似た男。名前も似ているから、兄弟か何かなのだろう。こちらも白い着物と袴だ。体格は大きくないが、威厳たっぷりに仁王立ちで現れた。胸から腹にかけて滅多刺しにされたらしい。それを堂々とさらして、何者だというように、神谷を睨む。
これに対して、神谷も睨み返している。
これまでの霊と違い、この男は存在感が強い。力比べのような睨み合いが発生した。
多分、これは睨み負けたらダメなやつだろう。しかし、睨み合う必要もないはずだ。おっさんの方が悪いと思う。
無駄な数分間が過ぎる。神谷から汗が伝い落ちていくのがわかる。けれど、姿勢も何も変わらない。決して、押し負けてはいない。
男の気配がふっとゆるむ。飽きたのか、視線を反らした先の空間に気づいたようだった。
神谷を再び見る。神谷が穴を示す。
男は神谷の脇まで行き、穴の向こうを見る。しばし状況を眺め、やがて静かに境を越え、先に進んだ者たちと同様に、平伏した。
神谷が、深く呼吸するのがわかる。
長く長く、息を吐く。
角の塊は、あと二人くらいか。
そのうちの一人は、森山の母だ。
「神谷冬音」
呼ばれて、塊が半分になった。
岩田と同じくらいの年の、けれど、とても美しい女が現れた。
田中の母もきれいだと思ったが、こちらの方があでやかさがある。真っ赤なワンピースの、裾だけが白い。ワンピースが肌に張り付き、水に濡れたようだった。
違う。
女の靴下も赤い。これは、上の方だけ白い。
ワンピースも靴下も、もともとは白なのだ。赤い色は、すべて、犠牲者たちの血と、己の血。
その首の右側には深い傷があり、赤い肉が見えていた。
妖艶に笑み、佇む女。
さっきの神谷冬治とは全く違う。あの男の妻だというが、悪いが冬治は小物だったとしか思えない。
神谷があの態度の悪いおっさん方よりも後回しにしたのは、それだけ扱いが難しい相手だとわかっていたからなのだろう。
女は、岩田ら三人には欠片も関心がないようだ。森山にも。
こちらには、ちらりとも視線を寄こさない。
ただ、唇を笑みの形に歪ませて、ゆっくりと、神谷だけをみつめながら進んで行く。
先ほどの冬治は背が捕まっていたが、彼女に束縛はない。何故か、近づくごとに体が大きくなっていくように見える。錯覚かと思ったが、神谷まであと三歩という辺りで立ち止まった彼女は、身をかがめても神谷を見下ろせるほどに大きくなっていた。
神谷は、ただ強い視線を向けていた。
上を見上げて。
目尻を下げ、妖艶にほほ笑む女の、その狂喜の目に対峙している。
女が更に身を屈めていく。その両手が、神谷の顔に伸ばされていく。
パアンッ。
その音に、一瞬にして女が縮んだ。縮みながら、音がした穴の方を見る。
ずっと動くことがなかった冬彦が、両手を少しずらして合わせている。今のは、冬彦が手を打った音だったのだ。
普通サイズになった女は、冬彦を見、よろめくように近づいていく。境を越え、平伏する者たちの方へと進み、膝から崩れるように座ると、その場に、平伏した。
それを見届けて、神谷が再び前を見る。
残り一人分の塊。
「奈々谷津冬春」
神谷の声は、まだ力強い。しかし、水をかぶったように髪も服も汗だくなのがわかる。
現れたのは、がっしりした体つきの男だった。
一目見て、岩田はこれはダメだ、と思った。
話が通じないタイプの悪顔だ。品のない笑い方をしている。それでいて、この男は冬治と同じように背がぬりかべに張り付いてしまっているらしい。両足を踏ん張って胸を反らせて大きな体で神谷を見下ろしているが、少し下がった位置で背中がくっついていて、それがバレバレになっている。
ふうっと、神谷が息をつく。
そして、ずっと手で結んでいた印を解いて前に進んだ。
「ぐわああああっ」
冬春が野太い奇声を上げて威嚇した。岩田はびくりと体を震わせた。前にいる羽生もだ。隣りの森山までは見えなかった。
これまで、声を出したやつはいなかった。奇声を聞いて、それに気づいた。声を出せるほどに実体に近いのか。それは、霊としての強さを表すのだろうか。
神谷は奇声にかまわずそのまま前に進む。そうして伸ばした手を、男が弾く。そして、また神谷の眼前で威嚇の声を上げた。生きた人間だったなら、顔面に唾を浴びるような近距離だ。神谷が威嚇にかまわず、男の体に右手をぶつけた。
瞬間、激しくバチバチィッと部屋に音が響く。光が弾け、焦げた匂いが流れて来た。
男は硬直して、それでもまだ足を踏ん張っていた。
更に左手をあてる。再び、激しい音と光が部屋を満たし、焦げ臭さが増した。
男が前かがみに倒れそうになっているが、まだ腰のあたりがぬりかべに張り付いている。
神谷は両手で男の襟をつかむとバリっと音がして、ぐいっと強く引くと男が引きはがされた。神谷は男をその場に放り出し、ぬりかべに向かう。すぐさま指で印を組み、真言を唱えた。
岩田には、角が一瞬、かげろうのように歪んで見えた。先ほどまでの透明な分厚い水槽のような歪みとは違う。それはすぐに消え、角はただの角になった。
神谷はすぐに黒っぽくなった男を片手でつかみ、穴の方へ向かう。どうやら、彼らに重さはないらしい。穴の脇に戻ると、神谷は思いっきり男をぶん投げた。
平伏した霊たちの後ろでバウンドして、更に跳ねる。
そうして、冬彦のいる奥の間に続く渡り廊下の手前で、何かにぶつかったように落っこちた。
神谷は、投げた勢いで腰から転倒していたが、上半身は起きて保っている。穴の方を見て、冬彦と目を合わせたようだった。
そうして、一音を発する。
壁は、元通りの壁になり、ひらりとお札が舞って落ちた。
「終わり、ました」
そういって、神谷はそのまま横倒しにぶっ倒れた。
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