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百物語が終わる迄  作者: 藤田 一十三
休憩中 第4回目
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転んだら、起きられないんです。

「あ、みっけ」

 森山が三階の男性用トイレに入ると、神谷は洗面台でパーカーの袖を絞っていた。

「あの黒いやつ、落ちた?」

「はたいたら大体落ちたんですけどね。気持ち悪いから袖だけ洗いました」

 まあ、よくわからないが霊的な何かだったんだろうから、気持ち悪いという気持ちはわかる。

 森山が用足しをしている脇で、神谷は袖をぱたぱたさせてシワを伸ばしている。

「あのバチッてのすごかったけど、あれ、何? どうやってんの?」

「あれは、私がさわるとか体に突っ込むとかすると、拒否反応みたいにショートするんですよ、勝手に。ちょっとふらふらしてるだけの相手だとそれだけで消えますけど、私が特別何かしてるわけじゃないので、こちらは消耗しないので便利です。でもコントロールできるわけじゃないので、手加減もできないしもっと強くとかもできません」

 嫌いな生き物にうっかり触れるとぞわっとするようなものなのだろうか。ずいぶん反応が激しいものだが、それだけ嫌われているということなのだろうか?

「へえー。ああ、田中さんは先に休憩所に引き上げたよ。石井さんが連れてった。石井さんが言うには、明日の参加者は今日は休憩所に泊まれって」

「はあ。まあ、仕方ないですね」

 森山が手洗いへ移動しようとしたら、神谷は先に出てますね、とトイレを出て行った。

 三階は明かりを点けていない。しかし、二階からの吹き抜けの明かりがあるので不自由はないし、トイレは別に自動点灯するので全く困らない。

 トイレのドアが閉まって少しして、バターン、と外で何かが倒れる音がした。

 森山は慌てて、水洗いしていた手が濡れたまま、戸を引き開けた。男女トイレと多目的トイレは、フロアから戸一枚分開けた壁の奥にある。

 フロア側に抜けたすぐのところに、神谷が突っ伏して倒れていた。

「どうした!?」

「・・・・・・転びました」

 神谷は半ばもがくようにして起きようとするので、森山は慌てて手を拭いてから、腕を引いてやる。とりあえず座らせた。

「いってぇー」

 顔もぶつけたのか、左の頬あたりをなでている。羽生と、続けて岩田も飛び出してきた。

「何事ですか?」

「神谷さんがコケた」

「何もないとこで?」

 森山が入るとき、何かがあった覚えはない。今見てもあるようには見えない。

「毛足長いからね、この床」

 岩田がフォローしているが、確かに、つっかえる人もいるかもしれない。足が上がらなくなってきたご老人には危険な床だ。

 足が上がらなくなってきた・・・・・・。

「神谷さん、疲れてる? よな、そりゃ、あれだけやれば」

 毛足の長い絨毯に足を取られるほどに、疲れて足が上がらなくなっているのだろう。

「あー、正直、きついですね」

 せっかく起こしたのに、神谷は今度は後ろにひっくり返った。

「五分でいいのでこのまま置いといてください」

「何もトイレの出入り口前で寝なくても・・・・・・」

 言いつつ、森山は転んだときに放り出されたらしい神谷のパーカーを拾う。本人は目を閉じてしまっていた。さすが山で洞穴暮らしもこなした男は違う?

 パーカーは袖が濡れているが、ポケットには何も入っていないらしく、軽い。パーカーで見えなかったが、神谷はベルトの右腰側に小さなバッグを付けていた。

「そういえば、スマホは? さっきのバシィーってやつで、壊れなかった?」

「今日はリュックに入れてます」

 神谷が、目を閉じたまま答えた。立ったり座ったりしているときにはわからなかったが。神谷はだいぶ厚みが薄い。肩幅はそれなりにあるし、腰のバッグで腰幅が稼がれていたために気づかなかった。七分袖で隠されていた腕も、骨と皮とは言わないが、あまり肉の要素はなさそうだ。

「まあ、ちょっとほっといてあげましょう」

 岩田が先を歩き、エレベーターの先まで行って三人で下をのぞき込む。もちろん、誰もいない。

 相川と、あの向こう側に行った人々は、きちんと導かれたのだろうか。

「あ、そういやあの向こうの人、あれ、岩田さんの元カレ?」

 穴の奥にあった空間の、最奥に立っていた男。白い着物に白い袴。背はそれほど高くはないが、細い人だった。

「多分、そうだと思う。髪も髭も伸びてたし、雰囲気だいぶ違ったけど。でも、あの奥の間に一升瓶が並んでるのがちょっと見えたから、可能性高いと思う」

 酒瓶が決め手か。よくあの暗さで見えたものだ。酒への愛の力か。

「さっきのバチッての凄かったね。あれで消耗したのかな」

 岩田が転げている神谷を見て言う。

「あ、それさっき聞いたら、あっち側の拒否反応とかで、あれで本人が消耗することはないんだってさ。さわったり突っ込んだりするとなるんだと。ちょっとしたものはあれで消えちゃうんだとか」

「・・・・・・さわるとか突っ込んだりって、普通はさわれませんしさわりたくありません」

「突っ込むってのは、さわれないときの話なのかな」

 ごもっともなご意見だ。森山とて、距離を置こうとは思ってもさわりに行こうとは到底思わない。しかし、相川に猫おやつをパスしたりはした。もっとも、ふれてはいなかったが。

「まあ、本人が消耗しないならいいけど」

「コントロールはできないんだってよ」

「便利なんだか不便なんだか?」

 羽生が神谷を眺めて言う。トイレの前に転げている人物が先ほどの人物と同一人物か? という感じだ。

 なんというか、片耳イヤフォンの音読劇と映画館鑑賞のド迫力もののクライマックスくらいギャップがある。

「今日はあと三話か。で、明日は何話話せばいいんだあ?」

「ごめんねえ。三人だもんね」

「今日で六十六話。百話だとすると、残り三十四話ですね」

「一人十一話? わー」

「いっそ、課題フリーならいいのですけれど。思いつくまま話せばいいのですから。個人を特定できないようにしさえすればいいのですし」

「俺は課題あった方が連想ゲームでネタ思い出せていいけどね」

「それもそうですね」

「ごめんねえ」

 南瓜を抱いたまま、岩田が言う。そういえば、トイレにも連れ込んでいた。

「謝るのはなしですよ。私も引き際が見えれば引きます。明日いるとは限りません」

「わー。二人で三十四話? きっつ」

 羽生に帰られたら、森山と神谷だけになる。

「森山さんも、三十年前の分が終われば、帰っても支障ないのでは?」

「でも、明日、一人で二階から一階玄関まで歩いて行ける気しないんだけど。やめるなら岩田さんと同じタイミングがベストじゃないかな。俺は、そりゃ、親の事件のは、見届けるけど」

「・・・・・・確かに、そうですね。田中さんと、岩田さんがいなくなるなら、私も無理に残らなくてもいいのかも知れないわ」

 彼らと関係ない霊能者の役割はなんなのか。確かに、一般人寄りな参加者のフォロー役のように思える。森山は憑依された加害者の身内なので、どちらかというと神谷側に入るのだろう。

「少し考えるけれど、今はまだ引き際ではないわ」

「私も、残り三話は頑張るよ。ちょっと、席の後ろが怖いけど」

「あ、俺も」

 森山と岩田の後ろの角が、先ほどの塊が出現した場所だ。ついでに言うなら、背後のエレベーターも怖い。絶対に今は開けたくない。

「そういや、これ終わったらどうやって下に降りるんだ? エレベーター?」

「あんまり乗りたくないね。あ、でも私は一階扉から出るから階段か」

「考えても仕方ないでしょう。いい道を案内してくれるでしょう、石井さんが。それより、席替えしてはどうかしら? 順番は変えない方がいいでしょうから、私が田中さんの席に移動して、お二人が私と相川さんの席に移動」

「それがいいなあ」

「そうしようそうしよう」

 話が決まったところで、三人は吹き抜けから神谷に視線を移す。

 そろそろ、始めた方がいいだろう。

 気配を察知したのか、神谷が動いた。しかし、すぐには起き上がらない。どうやら、起き上がろうともがいているらしい。

「ちょっと手伝ってくる」

 森山は神谷のもとに小走りで向かう。少し休んだくらいでは回復できなかったのだろうか。

「大丈夫かい」

 森山はそばにしゃがんで、腕をつかみ背を押して神谷を起こす。

「ありがとうございます」

 意識ははっきりしているらしい。しかし、起こすにも違和感があった。

「ちゃんと体に力入る? 大丈夫?」

「大丈夫です。起きるのが苦手なだけです。ケガの後遺症で、上半身は非力なんですよ。自分のベッドなら慣れで反動ですぐ起きられるんですけどね」

「ああ、筋とか神経とかやられた?」

 立つのも手伝ってやる。立たせてやると、あとはいつもどおりの姿勢良い若者になった。

「リハビリで腕は上がるようになったんですけどね。握力は下手したら小学生にも負けます。背筋力も腕力も低いから、ペットボトルの箱も持てないんで不便ですよ」

「それは不便だね」

「まあ、お札くらいなら持てます」

「そら紙切れだもんな。あと、背中熱もってない?」

 また転ばれたら大変なので、パーカーは返して腕を組んでやる。おとなしく組まれているので、本人も注意が必要だと思っているのだろう。起こすのにふれた背中が熱かった。腕は低いくらいだが。

「傷痕がね、少し動きすぎると熱くなったり腫れたりするんですよ。だから鍛えることもできないんです」

「さっきのバチッて、もしかしてケガの後からの反応?」

「そうです。何かを失うと、代わりに能力を得られるって説がこの業界ありますけどね。上半身の物理的な力の代わりに、幽霊たちのアレルギー源になったみたいです」

 たいしたアレルギー反応もあったものだ。

 怪談を集めていると、いろんな説を聞くことがある。目の悪い人が霊能者になったとかそういう話からきているのだろうと思っていたが、本当にそういうことがあるとは。

 階段は、神谷を挟むようにして四人縦に並んでまとめて降りた。神谷の転落防止だ。

「そういえば、相川さんは一緒じゃなかったけど大丈夫なのかな?」

 岩田が神谷に尋ねる。

「相川さんは、取り込まれてなかったようです。なんかほんわかした人に見えましたけど、意志の強い人だったんじゃないですかね。ある意味、特別性の媒介でしたよ。とりこぼした犠牲者を、あれらは欲しがっていました。相川さんが消えた直後から気配が強まってましたから」

「相川さんは、本当に奥様とお嬢さんが大好きな方だったんですよ。あと、将棋のプロ寸前まで活躍されていた方ですから、ある意味普通の人じゃなかったのもあるんじゃないかしら」

 羽生は褒めているのかけなしているのかわからない。

 森山は神谷を席まで送り、パーカーは椅子にかけてやった。人がいない側になった神谷の右腕には、ポロシャツの袖からはみ出した深い傷が二本見えた。夏でも七分袖が手放せないわけだ。

 その間に、羽生と岩田でダンボールと南瓜を外に出す。そうして、三人は荷物を持って席を移動し、森山と岩田は喉にお茶を流し込んだ。おやつは諦めることにする。

 お札づくりの板をリュックにしまった神谷が、三人の準備が整うのを確認する。

「じゃあ、再開しましょうか。今度は一気に三巡です」

 照明が、すうっと落とされていく。


 百物語、第十巡に入る。


次から百物語に戻ります。

ブックマーク、評価、感想お待ちしております。

特に感想ほしいです!! よろしくお願いいたします。


二年前の事件は、本来であればそれを防ぐ役割が冬季にありました。そのために修業して来たわけです。

しかし、姉の車で甥っ子と三人で実家に帰る予定で姉のマンションに向かったら、約束の時間よりも早く行ったけどそれでもすでにそれは起きていて、甥っ子はまさにベランダから落とされる寸前だった。本当にギリギリセーフで腕を掴まえた。

もし、もっと早く来ていたら。

もし、甥っ子が落ちたあとに来ていたら。

冬季は、冬治と対峙することができていたはずです。

もしくは、甥っ子が落ちるのを犠牲として対峙していれば、ですね。

冬季が冬治と対峙していたら、その後の犠牲は違ったはず。

準備もない状態で怨霊に勝てたかどうかは別にしても、冬治の動きを止めて捕まえるくらいはできたはずで。

だから、冬季は二年前の事件にはたくさんの後悔があるのです。怖かったし悔しかったし、期待にもこたえられず恩人もその娘も姉も無関係の人も殺された。甥っ子も死にかけたし自身もひどい目にあった。

今回、その決着をつけたわけですが、だからといって後悔は消えないし怖さも消えないのです。

三階に行ってしばらくは体がガタガタ震えていたし、二年前の事件やその時の想いを思い出してどうにもやりきれなくなっていました。ようやく落ち着いてきたころに森山が現れたのです。


ちょっとくらいは、弱気モードも許してやってください。

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