神谷 こそばゆいと言われましても。
二日目に入ります。
また、全員の開始前エピソードが入ります。
百物語のみをお楽しみの方はとばしていただいて構いません。
神谷 こそばゆいと言われましても。
なんか、おいしそうなにおいがする。
意識が浮上してきて、そう感じとる。
しかし、神谷の自室はファミリーマンションの部屋の個室なので台所のにおいなど入ってこない。なので、それはLDKのソファでうっかり寝てしまったときに甥っ子が料理でもしてくれないことにはありえない。しかし、甥っ子の料理にしてはおいしそうなにおいだ。
そこで、神谷は自分の部屋ではないことを思い出した。
目を開けると、正面のキッチンで動く女性の後ろ姿が見えた。
少し考える。
気まずい。
視線をそらすと、テレビの上方に壁時計がかかっていた。十二時半だ。
この部屋に転がり込んだのが八時過ぎ。シャワーを借りて出てきたまでは覚えているが、どうしてちゃんとベッドに寝ているのかは覚えていない。
三時間で目を覚ますとは偉いな。
自分で褒めてみる。
しかし、ここに転がり込んだのが良策だったかどうかは非常に疑わしいところだと自分でも思う。
疲れすぎて、テンションがおかしくなっていたとしか思えない。
「あれ? 起こしちゃいましたか」
テーブルに料理を運ぶタイミングで、女が神谷が目覚めたのに気付いた。
「ちょうど起こすところでしたよ。十二時半に起こしてって言われてたし、ご飯もできたんで」
頼んだことも覚えていない。
とりあえず、もそもそと体を起こす。
「ごめん、お世話になりました、ありがとう」
「まあ、びっくりしましたけど。頼っていただけたのはうれしいですよ」
そっぽ向いて言う様子に、ついかわいいとか思ってしまった。いかんいかん。
仕事が片付いたのが朝の七時半。ぎりぎり、その日の仕事のために集まる社員たちの集合時間に間に合った。彼らに状況を説明したものの、すでにかなり限界で周りもこりゃだめだと思ったらしく、報告書の概要も同僚が作ってくれることになって早々に帰宅させてもらえた。建物から出たものの、駅はどっちだっけ状態。ここは三鷹だ吉祥寺の向こうだと唱えたところで、ふと思い出したのだ。
大学二年のときにばったり再会した中学の後輩が、吉祥寺に住んでいると言っていたことを。それも、吉祥寺と三鷹の間でどっちにも歩いて行けると言っていたことを。
はっきり言って、電車で座ったら即落ちる(寝る)自信があった。
迷っている余裕はない。どうせまともに思考は働かない。えいやと通話ボタンを押したら、十歩歩いたくらいで相手が出た。ものすごく焦った様子で。
「今、三鷹なんだけど、突然で悪いんだけど、ちょっと助けてほしいんだけど」
助けてくれと言われたらその後に何を言われようが先に助けると言ってくれるだろうという打算が働いたわけではなく何も考えていなかった。『はい。なんでしょう』と言われたあとに部屋で休ませてくれと言ったら、わずかな沈黙のあとに『はい』と返事があった。後は近くのコンビニまでの道を教えてくれた。
コンビニで適当に買い物をしたところで彼女が迎えに来てくれて、すぐ隣りのマンションに連れて行かれた。
よれよれなのはわかったらしく、聞かれるままに一昨日からの仕事状況飲食状況を説明し終えたところで部屋に入れてもらえた。そして、そのままシャワーに突っ込まれた。
コンビニで買った下着とTシャツに、借りたバスタオルを巻いてシャワー室を出たと思う。
風呂はないんだなと、ちらっと思った覚えもある。
少し寝させてもらいたいと言って、どうぞ、とベッドを示されて、いや床でいいからと言って、床はこれから勉強するので邪魔だがベッドなら邪魔じゃないと言われタオルケットをめくられた。
それ以上考える余力がなくて、わかった、借ります、と、ベッドに腰かけた覚えがある。あとはわからない。自分で枕に頭を乗せた覚えもなければ十二時半に起こしてくれと頼んだことも覚えていない。
「本当に死んだかと思うくらい爆睡してましたよ。ほぼ意識不明じゃないですかね、つついても何しても無反応でしたよ」
「何したの・・・・・・」
バスタオルはちゃんと巻いたままだ。
「頭の下に枕仕込んで。足を床におろしたままパタッといっちゃったから足をベッドにあげましたよ」
「・・・・・・すんません」
「とりあえず、簡単ですが、ご飯どうですか?」
コンビニでパンを適当に買っておいたはずだが、小さなテーブルにはトーストとベーコンエッグと、カットしたキュウリとトマトが並んでいた。
「・・・・・・いただきます」
トイレを借りて、昨日履いていたチノパンを履いてから示されたクッションに座った。
「私、紅茶派なんで飲み物紅茶なんですけど、いいですか? ティーパックですけど」
「いただきます」
コーヒーメーカーのポットにティーパックが投げ込まれている。そこから、カップ二つに分けて注いでくれた。
「お土産のデザートを朝ごはんにしちゃったんで、私も今日はちゃんとしたご飯これが最初なんです。ですんで、朝ごはんなメニューです」
「ありがとうございます」
「先輩、ちょっと遠慮しすぎじゃないですか?」
「大変ご迷惑おかけしました」
「あはは、食べましょうよ」
「いただきます」
とりあえず、ありがたく朝食をいただくことにした。
彼女、三尾菜摘と大学二年の年末にばったりと再会したのは、バイトでの仕事先のホテルだった。
その池袋のホテル一階カフェでは、クリスマスイブ限定で女性同士男性同士(ただしラブラブ不可)で来場した場合のみケーキ食べ放題という謎の企画をやっていたのだ。仕事を終えたところで、支配人が正社員の男と二人でいかがですか社員割りしますよと割引券をくれた。なんでも、近くの同人誌販売店にのみポスター掲示したそうで、ほぼ満員という程度で回っていて男二人くらいなら入れそうな状況だったのだ。
正社員の先輩が甘い物好きだったし、自分も疲れていてケーキが食べられそうだったので奢りで一緒に入ったのだが、自分が座った斜め前に彼女がいたのだ。
中学の頃よりもちょっとだけ大人になっていたが、髪の長さも同じで化粧もしていない、いたって地味な服装で。
自分に気づいた彼女は「先輩生きてたんですかっ!?」とのたまった。
小学校も同じで人数の少ない学校だったので全員顔見知りだったが、特に接点はなかった。自分が中二で彼女が中一で、部活が一緒になったのだが、自分は中二の夏以降学校には行っていなかったし、地元ではどこにいるかわからない扱いだったと思う。しかし、年に一回の祭りにはちゃんと帰っていたというのに。まあ、祭りはみんな色々仕事があるから、見かける機会もなかったのかもしれない。なので、生死不明扱いは別にかまわないのだが、公衆の面前で開口一番言うセリフではないだろう。
わたわたしたまま、とりあえず連絡先を交換した後、彼女が仲間たちに一発ずつゲンコツを食らっていたのは見た。まあ、池袋の同人誌販売店から流れてきた女子グループというだけで、お察しだ。
それから、春になったころにケーキバイキングで一緒だった正社員のサポートをまたしたときに彼女のことを聞かれて、そういえば、と、思い出した。神谷に友人はほぼいない。ゼロではないが、十四から十八まで山で修行をしていたなどという特殊人材は近寄りがたかったらしい。彼女は、地元民だからいろいろ事情も知っている。それで連絡をとってみたら、ちゃんと彼女なりにおしゃれをして会いに来てくれた。それ以降、なんとなく時々会って食事をしたり行きたいところに一緒に行ったりしている仲なのである。
二年前の事件の後、しばらくこちらから連絡をとらずにいたら、十二月の頭にぽつっと『今年のクリスマスイブも仲間たちとケーキバイキングです』とメッセージが届いた。
正直、放置していることにさえも気づいていなかった。大恩ある神宮だった母の従兄と、姉夫婦が亡くなり、叔父が神宮になった。それらに関する始末や甥っ子のフォローに忙殺されていた。自分のことはすべて後回しだった。
メッセージを見て、気持ちに余裕がなさすぎる状況を客観的に見ることができた。
そこで『じゃあクリスマスは空いてるのかな?』と返してみたら、『クリスマスも今日も明日も空いてますよ』と返事が来た。
それ以来、またたまに会うようになった。
就職してケーキバイキングの正社員が同僚になり、また彼女のことを訊かれてそんな状態だといったら、こそばゆいと言われた。
なので、つきあいはなんだかんだ三年近くになるのだが、お互いの部屋に入ったこともなければどこかに泊まったこともないし、なんなら二人きりの密室というのも今日が初めてという状態である。
いきなり、いろいろすっとばした。
多分、カラーボックスに急遽かけられたらしい手ぬぐいの向こうには薄い本が詰まっているのだろうし。あちこちにふんわりとハンカチや手ぬぐいを掛けられた下にはフィギュアなどがいるのだろうと察せられる。まあ、趣味はかまわない。言われずとも再会場所が再会場所だったので趣味はわかっている。
それより、朝から昼までだけども泊まった認定になるのか何もしてないけどそういう扱いになるのかという相手側の認識が、とっても気になる。
いや別に、普通にはいいのだが。
自分が背負う実家の業がある。
無関係な配偶者が殺される。関わった人間が殺される。そんなことがある家なのだ。
あまり近づきすぎず、フェイドアウトした方がいいと、思ってはいる。つきあう別れる以前に付き合わないつもりだったのだ。なのに、部屋に上がり込んでしまった。
「あのー、先輩」
「あ? はい?」
菜摘が、トーストに挟んだ半熟目玉焼きから垂れる黄身をなめとってから口を開いた。
「こないだ、家に帰ったときに、先輩にたまに会ってる話を親にしたわけですよ」
「ああ、そう。それで?」
「なんか、親、興奮して、頑張れとか言ってました」
「・・・・・・わかって言ってるのかな、それって」
「わかって言ってますよ、一応、三尾の家長ですから、親」
彼女の生まれは、神谷本家含む三家をサポートする七家のうちの一つ、二屋だった。しかし、二屋家は彼女を残して一家全滅した。神谷の家とは関係のない事件だったが、『おほらさま』がもっとも弱る七年祭の直前に起きた事件だけに、その加護の弱まりが一因と思われている。そして、神谷本家の采配で、二屋家の機能ごと彼女は三尾本家の養女となった。彼女も、どっぷりと因習の中にいるのだ。自分が属することを拒絶もせず、当たり前として自分の自由もちゃんと満喫している。
神谷の本家家長は珍しく若い頃に神宮となった男である。旧村の中での地位は、神宮経験者が高い。現在、経験者で生存しているのが家長一人という状態だった。その次が裏を牛耳る相談役たる女だ。二年前に相談役が死んで次の代に冬季の母方の祖母がなっているのだが、前相談役ほどの能力は発揮できておらず、その後継に頼っていると聞いている。その次に七縛りの者たちになるのだが、七縛りの中でも神谷は血が濃いとして筆頭格扱いになっている。つまり、若いうちに神宮になって生き残れば家長となる者という扱いだ。神谷の家長は事実上旧村内のトップなのだ。
狭い世界の話なのだけれど。旧村は代々の家長がやり手だったうえに政財界の顧客が多くいるため、住民全体が神社か関係企業の従業員だったりそのお膝元で商売をしていて、豊かに暮らしているのだ。決して世間的に知れた場所ではないし外から人が越してくるようなことはない排他的な土地柄でもあるのだが、日中訪問者は夜間の三十倍いると言われている。二面性を持つ土地だった。三家以外は平均寿命も長いし、子だくさんも多い。自然人口が増加している珍しいエリアでもある。たびたび殺人事件が発生しているのに、非常に明るい土地なのだ。神様のご利益なのかもしれない。
「・・・・・・どうだろうね、身の危険はあるからね」
三家だけは、例外だ。中心たる三家は、血族は六十三より長く生きることはない。何より、この五十年ほどで殺されたり自殺したりと異常死した関係者は二十人を超えているのだ。
彼女は、じろりと自分を見た。
「先輩、デザート入ってるからって、コンビニの袋くれましたよね」
「入ってたでしょ?」
プリンパフェを買った覚えがある。
「朝ごはんにいただきました。買い物、全部同じ袋に入れてましたよね」
「そうだね」
着替えの下着とTシャツと靴下を出してから渡した。朝食用のパンと土産のデザートと・・・・・・。
「・・・・・・」
思い出した。
「まあ、あれですよ。もしものときの、備えなんですよね。友達なんかは言ってますよ、たしなみだって」
同じ年頃の異性の部屋に同意を得て押し掛ける。
コンビニで、通りがかりに見かけて、過労で深く物事を考えず行動していた勢いで、確かにそれを籠に入れた覚えがある。
「言い訳の、しようが、ない、かな」
それが入ったまま渡してしまったのだ。もはや、買った認識さえもなく。
「いや、その、備え、というか。いや、でも、今日は使わないよっ! 時間ないから後は帰るしっ!」
馬鹿である。
「今日は、ね」
「・・・・・・今日は。あと・・・・・・同意が、なければ」
「はい。・・・・・・とりあえず、預かっておきます」
「・・・・・・はい」
「パンももらいますよ?」
「はい、どうぞ。ごちそうさまでした」
食事を終え、洗面所を借りて顔を洗って出てきたら、彼女がその小箱を持っていた。
「ここにしまっておきますね」
と、クローゼットの奥に置くのを見せてくれた。
「わかった」
避妊具の収納場所を確認して。神谷は、すごすごと帰り支度をする。
帰る前に昨日の疲れ果てた仕事がちゃんとこなせていたか心配なので一応現場に寄って、それから帰宅して時間があれば杞冬にたたき起こすよう頼みこんでもうひと眠りして、焼きそば食べて早めに遊園地に行こう。そんなスケジュールを考える。
支度ができたところで、彼女も皿洗いを終えてきた。
「・・・・・・なみちゃん」
「はい?」
部活の後輩だった昔から、彼女のことはそう呼んでいた。同級生が呼んでいて部員みんながそう呼んでいたのだ。本名は『なつみ』なのだが、本人の希望で短縮されたという。
「あのね。そろそろ『先輩』呼び、やめない?」
菜摘は、まばたきして沈黙した。
「まあ、呼び方は、考えておいてよ。祭りは帰るんだろう?」
「はい」
「向こうで会えたら、教えてもらうよ。会えなかったら、また、来るから」
「はい。わかりました、考えておきます」
冬季は靴を履いてドアの前に立つ。
「じゃあ、お世話になりました、ありがとう」
「先輩、ちょっと待った」
ドアノブに手を伸ばしたら、止められた。
「私おたくなんで、いろんな定番に詳しいわけですよ」
「はあ」
「だから、定番は、起きた方がうれしいんです」
「・・・・・・」
あいにく、神谷は漫画も小説もほぼ読まないのだが。
目の前に立つ彼女との距離感で、なんとなく要望はわかった。
身長差はあまりない。玄関スペースの段差分更に縮んだので、ほんの少しかがむだけだ。
「えーと、いいのかな?」
肩に手を置きつつ訊いてみる。
「はい、お願いします」
お願いされてしまった。
少しだけかがんで、彼女の唇に唇を落とす。
やわらかいな。
物足りなくて、ちょっとだけ舌先で唇をつついて、離れた。
「じゃ、また」
「はい」
神谷はそうっと、外に出た。余韻でなんだか動きが静かになった。お互い顔を見て別れたのだが、見慣れない表情をしていた。自分もどんな顔をしているのかよくわからないが、冷静な顔だとは思えないので手で口元を隠しつつ階段に向かった。
なんかいろいろヤバイ。
朝とは違う意味で良く分からないことになった頭を抱えて、神谷は彼女の部屋から現場に戻って行った。
こそばゆい・・・・・・。
そして、現場に戻った神谷がまたトラブルに巻き込まれて貴重な睡眠時間を失うのが、目に見える。




