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百物語が終わる迄  作者: 藤田 一十三
第五巡 古い話
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第二十六話 田中 防空壕

 小学校の時のことです。

 夏の校外学習で、バスで少年自然の家に一泊するというのがあって、そこから歩いてすぐのところにある崖下へ行ったんです。

 海岸っぺりで、崖になってて、その上の方が工場地帯になってるんですけど、戦時中はそこは軍需工場だったんだそうです。

 戦争も終わる頃には、その上の方は爆撃されまくって工場は全然機能してなかったって、戦争体験したおじいさんが話してくれて、崖下の防空壕に案内してくれたんです。

 ぽっかりと黒い穴が空いてて、そこから、砂浜が見えるんです。工場の水源である川から海に死体が流れて、その砂浜は打ち上げられた死体だらけになったんだと説明を受けました。

 おじいさんは、警報が鳴るとこの中に逃げ込むんだ、そこの海に艦隊がずらっと並んだときはずっとすごい音が海から上からし続けたって話をしていました。海から崖上の工場地帯を攻撃しているから、逆に崖下は大丈夫だったんだそうです。でも、上陸してきたら砂浜の目の前だから真っ先にやられる。交替で小舟で兵が上陸してこないか見張ってたって話をしていました。そこには、崖下の住人のうち半分くらいが逃げ込んでいたらしいですね。自宅に作ってる人とかもいたので全員ではなかったそうです。それでも、五十人以上が暑い中、すし詰め状態でじっと閉じこもっていたそうです。

 幸い、防空壕は爆撃を受けなかったそうですが、長年の戦争の間に、そこで死んだ人も何人もいたそうです。崖上が標的とはいえ、たまに飛行機で崖下に落としていくのもいて、自宅用の防空壕に直撃した家もあるし、重傷を負ったまま避難して、逃げ込んだ人たちの間でずっと苦しんで苦しんでだんだんに弱って亡くなっていった人もいたそうです。

 で、説明のあと、ちょこっとだけ、防空壕の中に入れてくれたんです。普段は柵があって入れないんですけど、鍵を開けてくれて。ほんとに三メートルくらいだけ。

 そこに何人も入れませんから、班ごとに分かれて入ったんです。六人ずつの班だったんですけど、 僕の班は最後から二番目でした。外は日陰も崖際にちょこっとしかなくて、みんなで崖にへばりつくようにして順番を待っていました。水が染み出して濡れていて、苔とかシダとか生えてました。手に水を溜めて飲んだやつもいて、冷たくておいしいって言ってたけど、僕は真似できなかったなあ。でも、地元の人たちはその水を飲水に使っているって後で聞きました。もちろん、戦争中も。

飲み水があって、魚も採れるので、そこはほかよりは恵まれていたと言っていました。それらを上の親戚に届けに行くこともあって、そうすると、ばらばらになった人とか、血塗れの穴とか、建物は穴だらけ燃え跡だらけ。一斉攻撃があった後はそんな話を防空壕で大人たちが話していたそうです。

 で、入ると、三メートルほどでまたネットが張ってあって、少し広い空間がある。おじいさんが奥の様子とか戦中の防空壕の様子を話してくれる。外でみんな待ってるので、ほんとに一分くらい。おじいさんが照らしてくれる懐中電灯一つで中にいました。

 なんか、その真っ暗な空間が、すごく怖かったんです。

 じゃあ交替、て言われてすぐ、僕はダッシュで外に逃げ出しました。同じくらいすぐ飛び出した子もいました。

 小学生ですし、外にいた最後の班のいい笑いものになったんですけどね、こっちにしちゃ笑いごっちゃないんですよ。ちなみに見学が終わったら班ごとに少年自然の家に戻っていいことになっていました。

 ですけど、一緒に飛び出した奴と二人、夏の陽射しの中、日陰にも入らず直射日光を浴びてじりじり焼かれて。もう、その暑い中、両手を取り合って。その手の間が汗だくになってね。そっちの方が気持ち悪いと思えるまで、二人で手を握ってましたよ。防空壕の入り口からなんか出てこないか見ながら。

 そうしている間にも、次の班が中に入って行って。

 僕らが逃げ出して来て笑われたのをたった今見たばかり、もしくは、自分たちも笑ったって連中なわけですよ。

 この場合、多少のことじゃあ、逃げて来られませんよね?

 それが最後の班だったんですけど、その班、記録班でもあって、写真撮ったりして他の班よりちょっと長く中にいたんです。

 出て来た時、六人中四人は顔こわばらせて、ガチガチ震えて黙りこんでましたね。

 おじいさんは平然としてましたけど。

 あとで人が見てないところでこそこそと、その四人がバラバラに僕らのとこに来たんです。

「いたよな?」て。で、話を聞いたところでは、ちゃんと視たヤツはいないんですね。僕たちも視てはいません。

 ただ、彼らが言うには、懐中電灯が暗くなったり、光だけが揺れたり、生臭い風を感じたり、冷たい何かに触れたりした、と。

 薄暗いいわくありげな場所で、見えなくてもそんなの、ヤですよねえ。僕は絶対ヤダ。

 その校外学習は、写真を模造紙に貼って感想書いたりして、保護者見学にそなえて教室の後ろに張り出して成果を見せようってことになってたんです。で、後日、写真もできて、その作業したんですけど。

 たくさん撮ったのに、先生から渡されたのって、たった八枚だけだったんです。

 学校での様子と、防空壕へ向かう様子、あと、防空壕の周りだけ。中で撮った写真が一枚もないんです。

 もちろん、僕らは文句言ったわけです、撮ったのに肝心なのがないって。先生は、中が暗かったから何も映ってなかったんだって。

 でも、映ってたんですね、本当は。

 僕は、ちょうどその日は日直で、帰りに当番日誌を置きに職員室に行って、先生の机の上に写真が置いてあるのをみつけたんです。

 僕は、その机に近づけませんでした。なんだろうと思って机の写真に気づいたんです。防空壕で感じた、とにかく怖い、それだけなんですけど、とにかく怖いんです。ちょうど先生が職員室に戻って来たんで、日誌手渡して逃げました。

 後日、家が神社の音楽の先生がお祓いしているのを見たって話を聞きました。

 特に、災いはなかったようですけど、後にも先にも、防空壕見学はその年だけでした。

 そういう怖い思いも当然したくないんですけど、でも、その見学で戦争なんてものは、絶対ダメだって思ったので。夏場に増える戦争のテレビとかは、時々観て思い出してます。

 ちなみにその時のおじいさんによると、血塗れの穴っていうのは、爆弾の直撃を受けて人体は木っ端みじんになって穴に血液しか残らなかったものだそうです。普通の人が、ただ普通に、出かけただけだったでしょうにね。


 語り終えると、語り部は一本の蝋燭の火を消した。


田中本人の裏設定はあまりないです。

霊感はゼロではありませんが全く無自覚で、怖いなと感じたことを認識する前にその場所を避けて動くような感じです。なので、団体行動などの時だけ経験します。

田中の祖父の忠冬が神谷の実家の神社の出で、学生のうちに家を出て外に家を構えました。その娘で田中の母の冬子は「とうこ」読み。「冬」が七縛りにつけられるようになっているけれど、実際は「ふゆ」という読みに意味があると忠冬が気づいて、したがっている風でいて音を変えて七縛りの呪縛(七年祭に絡む生死)から逃れさせようとしたんですが、祭りなどには強制参加させられていました。効果があったのか、亡くなるまで神様の器になることはありませんでした。

なお、ここの設定上神様の器になった人を「神宮かんみや」と呼びます。

二代の間、神宮にならないと七縛りの呪縛は消えます。それは、その間の世代が亡くなるまでわかりません。田中は七縛りの年生まれではなく、母親が神宮にならなかったので、その子に受け継がれることはありません。

祖父の忠冬はやんちゃして家を出たわけですが、呪縛のこともそのうち諦めて現実的に対策を考えるようになっていき、中の人を外に出す手伝いを積極的にするようになった。特に神谷一家四人を家から出すのは結構大変だったけども頑張ってくれた功労者です。脱出させたときの神宮は忠冬の従兄で、やはり神宮が終わるときには63になり亡くなるのが確定している人で、忠冬と共に一族内の環境改善に努めていたので、この冬雄という人も功労者です。

現在は森山の異父兄弟にあたる冬太という人が、外に出たい人の支援をしています。やはり忠冬にいろいろ助けてもらった人です。

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