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百物語が終わる迄  作者: 藤田 一十三
第十六巡 死者の主張
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水路の中を、点検してみました。

本来百物語冬季回ですが、お昼寝中のため、別話となります。百物語のみお楽しみの方、大変申し訳ありません。次回の亜希回は百物語です。

 陸奥冬之介(むつふゆのすけ)は、十歳近い年で終戦を迎えた。

 物心ついたころには家業を手伝っており、庭仕事や馬の世話の手伝いなどをしていたのだ。

 だから、アメリカの戦闘機が上空を通ることがあるからと掘られた防空壕に、空襲警報を聞いて避難したこともあるし、戦後、水路北側の家人用防空壕の天井を掘り崩して倉庫にする作業も手伝ったし、冬光の事件以前の建物もそれ以後の建物も、建築時手伝いに入った。

 九十の齢も近いが、まだまだ庭仕事の手伝いくらいはできると、日がな一日竹ぼうきとちりとりを持って神社の参道や駐車場を掃いているか、低木の枯葉や萎れた花をとったりといった作業に従事している。

 祭りの時には生き字引として声を掛けられることも多いが、まさか五十年も前の事件の頃のことで頼られるとは思わなかった。

「この辺のことだろうなあ」

 冬光と冬野の遺体が見つかった部屋の、南隣の部屋の水路。その部屋の真ん中辺。そこに何かないか点検し、何かあれば神谷の家長に言って神宮様の指示を仰げ。呪物(じゅぶつ)の可能性があるため、確認だけすればよい。

 相談役代理の、亜希からの指示だ。

 冬之介は、その場所の横に立ち、工具を持つ子や孫たちに、場を示した。

 その下は、防空壕を上から掘り崩した倉庫となっている。

 事件当時もそうだ。

 戦前に防空壕を作ったとき、地下を水路沿いに掘りぬいた。

 そもそも、ここに水路が引かれたのは、神社と母屋などの居住エリアの間に、崖からの清水で細い川ができていたからだった。

 その川自体の水量はさほどなく、居住区全体で使うには足りない。

 そのため、母屋を建て替える際に崖から数か所に分かれて落ちて来ていた清水を崖下に新たに作った水路にまとめ、神社下を通る水路にまとめ、神社下から湧く水と併せて居住区の生活水とした。

 崖下からの清水の一部は、今も母屋の相談役の部署にだけ引いている。その程度の量だった。

 地盤も神社と居住区は岩盤の上になるが、清水が流れていた辺りだけ地盤が弱かった。なので、水路も人力で掘れたし、防空壕を材木で支えながら掘りぬくのも容易だった。

 そんな地盤だから、戦後は天井を掘り崩した。

 敷地の、東西水路の南側の村人用の防空壕は、戦後を見越して石積で作られたため、今もそのまま水路となって残されている。人が腰を曲げて歩けるし、ずらりと並んで座って空襲警報下で過ごせるだけの大きさがある。

 東西水路の北側は、すでに水路があったし、崖下でもあり、また、家人は神宮様の加護を信じていたので、簡易な防空壕で良しとされたのだ。

 もともと、馬小屋には神馬が二頭いた。馬小屋自体が神社の南東にあった。戦中は一頭だけになり、日常的に人を乗せて街に降りることも多かった。防空壕を作った時に、その存在を隠すために馬小屋は神社と居住区の間に移動した。そして、戦後は新たに神馬二頭に復活させることになり、東西水路の南側の、村人用防空壕入口を隠していた馬小屋を拡張して馬を入れた。

 馬屋番の家は、戦中は北側は居住用、真ん中は作業用の部屋、南側は馬屋の世話道具を置いたりといった倉庫の三部屋構成となっており、防空壕への出入り口は倉庫にあった。

 戦後は、北側の防空壕はすべて掘り崩し、南北水路に沿った大きな地下倉庫となった。そのうち、元の 北側の部屋と真ん中の部屋は床高のある床とし、南側は庭と同じ高さの床高に板を張り、南側から地下倉庫に入れるようにしたのだ。

その工事が間もなく終わるという頃に、冬光(ふゆみつ)が復員して来た。

 工事に合わせて馬が増える。ちょうどいいからと、冬光はそのまま馬屋番の助手として馬屋番の家に住むことになった。馬屋番は陸奥の家の者で、別に家があった。休憩所として使う予定だったところに、冬光が住み着くことになったのだ。

 冬光は、過酷な戦場で神経を病んでしまっていた。

 きちんと仕事もするし受け答えもするし、普段は問題ないのだが、何かのきっかけでひどくおびえて小屋から出てこられなくなる。戦争に行った村人の中にはやはり病んで戻って来た者たちがいたし、冬光は二~三日で詫びを言いながら出てくるため、周囲もあまり気にしていなかった。そもそも、予定外の人手だったので余裕があったし、食事などはまとめて作られるので運んでやりさえすれば良かったため、世話もさして手がかからなかった。

 神谷の三家及びそれを支える七家の中で、海軍に送られたのは冬光だけだった。

 ほかの者は徴兵されても近隣の配置で、遠くても国内で済んだ。冬光は修業先から当家の関知しないまま徴兵されたために、特別扱いがなかったのだ。

 冬光が復員し、その後、約三十年。馬屋番の家は、冬光が冬野と密会する場となり、二人が死を迎える場所となった。

 火事のあと、建て替えた家は北側に延びた。

 そのため、冬光と冬野が死んでいた奥の部屋は今では奥から二番目の部屋となっており、その南隣の部屋と倉庫はまとめて、庭と同じ床高の倉庫となった。

 その倉庫の南端に、地下倉庫への出入り口がある。

 しかし、老人は、その倉庫の北寄りの庭に近いところを指さしていた。

 一面、木の床である。ピンポイントで示しているとはいえ、床板を五、六枚は剥がすしかないだろう。 

 しかし、剥がせばすぐに水路の石蓋が見えるはずだ。

 陸奥の若者たちが、地下倉庫からの様子を確認して戻ってくる。

根太(ねだ)も二本ばかし切るしかねえですよ」

「しかたあるめえ。とりあえず、この辺横板五枚ばかり外そう。三分の一くらいで床板切って、引っぺがすぞ」

 若者たちが作業にかかる。

 若いと言っても、四十五十の者たちだ。冬之介の息子が指示し、孫たちが動いている。

 冬之介は、生まれたときは七縛りだと思われていた。そのため、冬の字をもらった。

 しかし、神宮(かんみや)になる機会はなく、六十三を過ぎても死ななかった。そうして初めて、自分が七縛りではないと知った。

 理由はわからない。冬之介の祖母が神宮だった。母はその娘だ。血筋では七縛りのはずだった。神宮の血筋で二代まで、と言われているが、違う者も稀にいるとは聞いていた。冬之介がそれだった。

 冬之介は七縛りでもないのにそれがわからなかったため、六十三の齢まで敬われていた。その齢にもなれば子も孫も大勢いるし、陸奥家を切り盛りしてきた実績と、生き字引きとしての価値もあり、表立って(うと)まれることはなかった。

 しかし、冬光は子を亡くしたあと、悪霊を入れたために神宮候補から落ち、親族から疎まれた。冬之介も、冬光より三十近く年下だったのにもかかわらず、彼を軽く見ていた。

 その冬光があの事件を起こしたとき、ああ、と思った。

 想像はしていなかったが、ある意味納得がいった。

 だから、淡々と後片付けを仕切り、淡々と再興した。

 それなのに、今になって。

 冬之介の指示した場所周辺の床板が、切り取られた。

 水路の幅は三尺(約九十センチ)。そこに厚みが四寸(約十二センチ)ほどもある石が底と側面に積まれている。内径幅は二尺二寸、約六十五から七十センチほどだ。深さは約六尺に底石があるので、百七十センチほど。ちょうど、人一人がすっぽりと立って入れる幅と深さがある。

 石蓋は水路と同じ三尺の幅に、二尺(約六十センチ)の長さ。

 大きな床穴から外せるのは、石蓋一枚だけだった。

「根太も切ったから床板に体重かけたら危ねえな。下から外そう」

 床板を貼る前の骨組みの土台を大引(おおびき)という。そこにだーっと根太と呼ばれる角材を間隔を空けて打ち、その上に、根太に対し直角に床板を貼る。居住スペースなら二重だったり板と板の間が組まれていたりもするが、ここは倉庫なのでただの板が張られているだけだ。普段からぎしぎしと音がしているようなところなので、切断された根太の上にある床板で重量物は扱えない。息子も孫も、ちゃんとわかっている。

 孫二人が地下に踏み台を設置して大穴から顔を出し、石蓋一枚を二人がかりで外して降ろす。蓋の厚みは二寸ほど。一人で持つには重いが、持てないこともない。

「隣りの蓋が、細工されてるぞ」

 息子が言う。見れば、隣りの一枚だけ、厚みが一寸(約三センチ)ほどしかない。高さを合わせるために、両縁に一寸の石棒が置かれ、側面からはわかりにくくされていた。

 冬之介は、懐中電灯で水路の中を見る。ロープが見えた。

「その石も上げろ。穴を広げなくてもずらせば大丈夫だろう」

 冬之介の息子は、冬之介と一緒に中を確認すると、その息子たちに指示を出す。

 冬之介の孫たちは細工された石蓋を床の大穴の方へ少しスライドさせてから外した。先ほどの半分の重さだ、軽々とこなした。

 石蓋を外した両端、高さをごまかすための石棒と石棒の間には、石に穴をあけて木の棒が渡されてつなげられていた。H型に繋がれた棒の真ん中には、板を巻いたロープが巻き付けられていた。

 冬之介の息子は、慎重にそのロープの巻きを外す。懐中電灯を持つ冬之介がうなずくのを見て、ゆっくりと、そのロープを引き上げていった。

 水路の深さは大柄の人の背ほどもあるが、水深はもとより一メートルもない。ロープの先に白っぽいような塊があるように見えた。

 五十センチほどロープを引くと、夜の地下空間でも懐中電灯の光で何かの容器に入った白い塊だとわかる。

「止めろ」

 冬之介は、それが水面に出る前に息子を止めた。引き出してしまえば確認も楽だが、確認したら神宮に指示を仰げと言われている。その正体だけ確認できればいいのだ。

 膝をつき不安定な床の縁ぎりぎりまで身を乗り出した冬之介は、懐中電灯をその白いものに向けて目を凝らす。脇で、息子も目を凝らしている。

竹籠(たけかご)か」

 陸奥の者なら竹細工はお手の物だ。そして、冬光は陸奥の者といることが多かったため、竹細工を覚えた。これは彼のお手製だろう。

 白いものは、荒く編まれた竹籠の中にある白布だ。沈めるために入れたらしいこぶし大の石も、籠の中にいくつか入っている。ロープが編まれたうえに、竹籠が乗せられているようだ。

「白布は神社にいくらでもあるよな」

「昔もいろんな所で使っていた。待て、赤いところがあるぞ」

「本当だ、染みみたいだな」

 こぶし大の赤い染み。竹籠は、石蓋より一回りほど小さいから出そうと思えば出せる。これを冬光は出し入れしていたのだろうか。いったい何を。

 冬之介は、思い出した。

 元は白い布だっただろう、大きな布に包まれて出て来た、丸太。

 土葬の墓地を改葬するときに出て来た。

 この水中の布包みと、大きさが近い。

「まさか」

「なんだ? 親父、何かわかったか?」

 とても口に出せない。

 冬之介は、そうっとロープをおろすように指示を出す。

「神宮様へお伺いを立ててもらおう。お前らは上に上がってこい。外からただ見張ってろ。中は見るな」

 冬之介が直接孫たちに指示を出す。

「おい、親父。なんなんだ、あれは?」

 息子が、ロープを棒に巻き付けなおしながら怪訝そうに尋ねる。

「神谷の家長を探して連れて来い。亜希様の指示だと。呪物(じゅぶつ)をみつけたから緊急で対応願うと言え」

 亜希から、呪物とは聞いているが、それがどんなものかは伝えられてきていない。

 冬之介は、息子の襟を引き、その耳元でささやく。

「冬光の赤子だ。家長にだけ、それを言え」

 息子は目を剥き、青ざめ、小走りに神社に走って行った。冬之介は孫たちと外に出る。五分もせず、神谷の家長である冬俊(ふゆとし)が、息子の後を走って来た。

 冬光め。

 冬之介は思う。

 我が子に、呪いをかけるとは。

 孫たちが、滅多にみられない神谷の家長の慌てた様子に驚いている。

 冬之介は、ふつふつと湧き上がる怒りに、しわだらけのこぶしを握り締めた。

 我が子を、呪いに変えるとは。


次からは再び百物語です。


戦争神経症・戦争後遺症と昔呼ばれていたものは、今は戦闘ストレス反応というそうです。

PTSDの症状を示すものも含まれます。

戦中は臆病者扱いで、殴られたりひどい扱いだったそうです。

日本軍の海外での死者は、戦闘そのもののほか、マラリアなどの病気などもありました。そして、餓死が死因だったものも多かったそうです。根性論で無茶をさせ、飲食はいきなり上陸した先で現地調達しろ。兵士は消耗品扱いで、戦闘機などにも兵士を守る構造はほぼなし。

AI時代になり、攻撃の多くはドローンや無人機になり、迎撃ミサイルもあるでしょう。

けれど、直接の守り手は変わらず人ですし、制圧して入ってくるのは人間の兵士です。

日常は消え失せ、物資も動かず、作れず、届かず。安心して眠る場所と食べ物を求め、得ることはまれな中、一日が終わるのです。

戦争はこの世の地獄です。

なんの行動をしろとも言いません。行動が伴わなければいけないとも言いません。理由は利己的で構いません。「戦争を起こさせない」という想いだけは、持ち続けてください。

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