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百物語が終わる迄  作者: 藤田 一十三
第一巡 悪い霊
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第三話 羽生 天井の池

 皆様ご存じのように、私は霊能者と呼ばれています。

 霊と言われているものが確かに視えますけど、それだけと言えばそれだけです。

 それらを吹っ飛ばせるわけでもなければ、仲良くお話できるわけでもありません。

 霊能者として仕事をするときは、視えた状況を依頼人に説明して、心当たりを自分で探して解決してもらっています。

 ですので、悪霊に背中を見せて裸足で逃げだすこともあれば、とっさにからパンチしてすっころぶなんてこともあります。

 英雄譚は期待しないでください。

 ついでに、依頼人に対する守秘義務ともありますので、人物の背景や場所については嘘をつくことがあります。どうぞご理解ください。


 まずは、私が、小学生の時の話です。

 叔母が、仕事を引き受けてきました。霊能者である私への。両親はしぶりましたが、もう約束してしまったからと、 私は叔母に連れられ、自宅から車で4,5時間もかかる山奥の村に行きました。県名などは覚えていません。土曜日に出て、日曜の夜までに戻るという条件つきで、両親の許しが出たのです。

 古い大きな家でした。

 その家の西にある一室に、とてもタチの悪い霊がいるので祓って欲しいというお話でした。

 家には若いご夫婦と小学校にあがる前の子供たち、あとはお手伝いさんが住み込んでいらして、大きな家に三人で暮らしている。なんでも、代替わりしたばかりでお手伝いさんを除く一家はまだその家に住み始めて半年と経っていないのだそうでした。

 けれど、子供たちは広い家の西半分には近づきたがらないし、夜中に天井裏を這いまわる物音が聞こえたり、問題の部屋だけ異臭がすることがあったり。

 長年住み込んでいるお手伝いさんは、晴れた日の真昼にだけ、辺りの窓という窓を開け放って入るだけ光を入れて、部屋の明かりもつけて、それでようやくお掃除をする気になれると話してくれました。

 着いた時にはもう真っ暗で、けれど、一晩しかありません。お夕食をごちそうになりながら一通り話を聞くと、すぐに、問題の部屋に案内されました。

 近づくうちに、何か重い気配が西の方と、上の方・・・天井ですわね、に、あるのがわかりました。

 意思のない、ただ重く溜まった暗いものの気配が。

 まだ、私は霊能者として仕事を受けたことがほとんどありませんでした。せいぜい、叔母の都内の知り合いの家やお墓に連れていかれて、霊がいるならいると告げるだけ。あとは、写真の鑑定を頼まれたりする程度でした。本当に視えるだけだったのです。

 きちんと供養しろ、お参りしろと対処を説明するのも、叔母が言っていました。私は、そこにこういう困った状況の人がいる、写真のここにこんな想いを残した人がいる、などと言うだけでした。

 そんな私に、霊を祓うなんて依頼がこなせるはずがないのです。私は、廊下で立ち止まってしまいました。叔母にイヤだと言いました。けれど、半ば引きづられるようにして連れて行かれました。

 部屋に押し込められてしまうと、もう、逃げることもできないくらい体が強張ってしまいました。

 叔母は、強力な霊がいるようです、と案内してきたご夫婦に告げ、一晩西側の部屋には近づかないよう言って追い帰しました。

 そうして、私に言ったのです。一晩、この部屋で過ごすように。一生懸命お祈りして霊を祓うように。そろそろ、次の段階の依頼がこなせなきゃダメでしょう、と。自分は、部屋の前でずっと待っているから、今晩しか、チャンスはないのだから、と。

 霊能者が問題の部屋に一人こもり、つきそい人は廊下で待つ。そういう形を依頼人に見せたかったのでしょう。

 叔母はお線香やお塩を部屋に置いて、私を残して、襖を閉めてしまいました。

 部屋の明かりは点いていましたが、まとわりつくような暗さがありました。全身が強張ってしまって、私はしばらくの間、目だけで辺りをうかがいつつ、ずっと立ち尽くしていました。動けば、何かが起きそうで・・・・・・。部屋の隅々にある闇が、うっすらと 部屋にただようような闇が、一気に私めがけて飛び掛ってきそうな、そんな気がしたのです。痺れて手足の感覚がなくなって、肩や首が痛くなって、どれだけの間、立ち尽くしていたかわかりません。

 廊下からご夫婦と叔母の話し声が聞こえてきて、ふと、力が抜けました。

 ご夫婦が立ち去って、叔母が襖の向こうに座る気配がしました。座布団を勧めに来た様子でした。私は、ようやく、動きました。 一歩下がって、襖に背をつけて、叔母に声を掛けました。出して、と。

 一晩の我慢だから、と、叔母は出してくれませんでした。

 後にも先にも、そんな無茶な指示を叔母がしたのはこの時だけです。この仕事以降は、私の意見を尊重してくれるようになりました。

 叔母は、私に依頼を持ってきていながら、それまでは幽霊なんて信じていなかったのです。もちろん、私が霊を視られることも信じていなかったのです。

 私は観念して、部屋の中央近くへ進みました。真ん中の照明から少しずれた場所に座り、改めて 気配を見ました。

 ただ、気配だけがあるのです。暗く重い、今にも天井が落ちてきそうなくらいそれは上に重く溜まっている。それが少しずつ、気化すると空気より重くて下に溜まるガスか何かのように、室内にうっすらと溜まっている。そんな感じでした。

 お祓いも何もできない。けれど、叔母の勧めで、般若経だけは覚えていました。それで、気配をうかがいながら、心の内で それを詠み続けることにしました。

 当時、私は髪を長く伸ばしていて、腰辺りまでありました。正座をすると、ちょうど床に届くくらいでした。

 気配を探っていると、叔母が襖の前を離れるのがわかりました。少しして、誰かが襖の前に立って中をうかがっている。 すぐに、その人物は襖をそっと開け、中に入って来ました。私は構わず、目を閉じたまま心の内で経を読み続けました。

 その人は、私の前に座りました。向かい合うようにして、膝がぶつかりそうな近くにです。私は、ただ経を詠み続けました。

 叔母が戻ってくる気配がしました。それから、叔母が柱に寄りかかって、眠りに落ちようとしているのが、わかりました。

 部屋の明かりが、いつのまにか消えていました。目を閉じていても、明かりがついていればわかるはずですのに、ふと気づいたら 消えていたのです。

 真っ暗な中、私は誰かと、向かいあって座っていました。

 重い気配はますます強まって、天井が下がってきているように感じるほどでした。ふいに、私の手に、人の手が触れました。向かいにいた、人・・・女性の手でした。

 数珠を持ち手を合わせる私の手を、片方の手のひらでそっと触れてきて、それから、両手でつかんできました。

 誰だかわかりませんでしたが、天井の恐ろしい気配の圧力に身を固めていた私には、すがりつきたいくらいに優しいつかみ方でした。

 ずっと、辺りは静かでした。

 なのに、手をつかまれてすぐ、ぼたっ、と。

 何かが落ちる音がしました。

 私の手をつかむ両手が離れて、彼女は、私の前に膝立ちになり、私を頭から抱え込みました。

 ぼたっ、ぼたっ、と、室内のあちこちで水っぽい塊が落ちるような音がしました。私を抱く女性の体に落ちる音を聞きました。そして、私の肩にも。

 その音は、だんだんと激しくなり、まるで部屋中で雨漏りがしているかのように絶え間なく続きました。

 女性の体中に。女性の体に納まりきれなかった、私の体に。それは、ぼたぼたと強く激しく、落ちかかり続けました。

 私は、女性に庇われながら、般若経を詠み続けました。声に出して詠みました。ぼたぼたという音が激しくて、自分の耳にも聞こえないほどでしたけれど。女性は力強く私を抱き続けてくれました。

 畳の上に落ちたそれらが溜まって、膝元から衣服に染み入ってきました。

 私は、それを血だと感じました。天井から、大量の血が、どしゃぶりの雨のように降り注いでいる。

 畳一面を血の池が覆っている。天井一杯に、血が溜まっている。いつまでも血の雨が降り続け、室内に溜まって、私は血の海でおぼれてしまうのだと、そう思いました。

 お経を詠んでいられなくなりました。私は女性にすがりついて、女性の膝に顔を埋めて、自分の泣き声で ぼたぼたと落ちる音から逃れようとしました。体に落ちかかってくる血。服に染み入ってくる血。畳に溜まった血だまりに落ちて跳ね返る血を受けながら、大声で泣きわめいて、ずっと、誰とも知れぬ女性にしがみつき庇われて、一晩を過ごしました。

 音が間遠になって行く気配がしたのは、後から思えばもう夜明けの頃。

 降り続けた血は、私が恐れていたように溜まって私を溺れさせることなく、やみました。

 ようやく落ち着いて、けれど、全身びしょぬれのまま長く二人で抱き合っていたためか、ちょっと身動きしたくらいでは女性から離れることができず、無理やり体を起こす気になれなかった私は、そのまま、女性の膝の上で眠ってしまいました。

 そうして、朝、私は叔母によって発見されました。

 部屋中を満たした強烈な腐臭の中、落ちた天井板を布団代わりに、一人で部屋に倒れているのを。

 気づいた時には、私は別室でお布団に寝かされていました。

 服は替えられ、手足や顔も洗うか拭くかされた風でした。そして、長かった髪は、肩先で不ぞろいに切られていました。

 改めてお風呂を借りて身支度を整えてから、一晩過ごした部屋へ行ってみました。

 近づくと、縁側が開け放たれているのに、泥臭い腐臭がひどいのがわかりました。

 部屋は、腐っていました。

 天井は腐り落ち、畳も一面、湿り気を帯びてぼろぼろに腐って、壁も、襖も、少ない調度品も、皆。

 すべてが水分を吸って濃い赤に染まって、腐臭を放っていました。

 その赤い液体が何かはわかりませんでした。血かもしれないし、違うかもしれません。その錆に赤く染まった水が染み込んだような色。そして、腐った匂い。

 私が着ていた服も、同様に腐っていたそうです。着物も帯も足袋も。肌が露出していた顔と手と頭は、あの女性に庇われていたおかげで無事でした。髪だけは、血の雨に打たれた部分は、駄目だったので切ったと言われました。実際どんな状態になっていたのか、見ていないのでわかりません。

 結局、私を庇ってくれた女性が何者だったかはわかりませんが、おそらく、あの家を守護するご先祖の方だと思います。

 溜まっていた重い気配が血の雨という形で落ちて、一部屋を腐らせてしまいましたけれど、それ以降、おかしなことは起きなくなったのだそうです。私は、自分が霊を祓ったという思いはありません。何が起きてどう作用してああいった形で事態が収まったのかもわかりませんが、私は、あの女性が、私を利用してあれを退治したのだと、そう思っています。

 あの女性が現れなかったら・・・・・・私は、ここにいなかったでしょうね。


 語り終えると、語り部は一本の蝋燭の火を消した。


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