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百物語が終わる迄  作者: 藤田 一十三
第十四巡 出るだけ
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第七十六話 亜希 露天風呂の白い影

 従姉妹が旅行に出かけた時のことです。

 旦那さんの仕事の都合もあって、子供が生まれてからはじめての記念すべき家族旅行だと、従姉妹は張り切って出かけて行きました。

 もうその子が小学校に入学する直前くらいでしたから、本当に久しぶりの旅行だったんですね。

 おみやげは何がいいかとか、うるさいくらいはしゃいでいたんです。

 なのに、戻って来たら気ぜわしく辺りを見回したり、ちょっと茶碗を置いた音とかにもビクつく有様で、とにかく落ち着かなくて、どうしたんだって訊いたら、幽霊を見たって言うんですよ。

 泊まった旅館に、出たって言うんです。

 旅館は露天風呂もある、結構いいところでした。

 男女別々で、旦那さんは一人で男風呂に行き、従姉妹は子供と一緒に女風呂に行きました。

 まだ気温は低い季節、夜になって更に冷え込み、内風呂から露天風呂へ出るともうもうと湯気が上がっていて、景色なんか見えたもんじゃなかったそうです。

 ちょうどほかのお客さんが上がってしまったばかりだったので二人で独占状態だったんですけれど、従姉妹は景色が見たくて、できるだけ奥の縁の方へ寄って暗い景色をそれなりに堪能しようとしたそうですが、お湯が熱かったせいもあって子供は早く出たがりました。

 従姉妹は、子供が寝てからまた来ることにしようと、子供にいつものように十数えたら出ようと提案したんだそうです。

 子供は喜んで数え始めました。

 その子はその頃、動物や昆虫にこっていて、お風呂でも何々が一匹とかって数えるんだそうです。

 その晩、その子が選んだのは、蟻でした。

「アリさんがいっぴきー。アリさんがぁ、にひきぃー」

 従姉妹も膝に乗せた子供と一緒になって数えました。

 すると、三匹目を数えた時、急に背筋が冷えたんだそうです。

 腰から一瞬で首筋までを寒気が走って、お湯は肌が赤くなるほど熱かったのに、急に冷水になったかと思ったと言います。

 母親が急に身震いしたために、子供も数えるのをやめて従姉妹を振り返り、

「ママ、どうしたの?」

 と心配してくれて、従姉妹は何でもないのよと、再び数え始めることにしました。

「アリさんが、よんひきぃ」

 とたんに、視野を遮っていた湯気が消えました。

 上がっていた湯気が昇っていって、続くはずの新しい湯気が止まってしまったんです。

 急に辺りが見渡せるようになって、従姉妹は驚いて首を巡らせました。

 そうして、内風呂に戻るガラス戸に、その姿をみつけたんです。

等身大の、白い影を。

「アリさんが、ごひきぃ」

 子供は一人で数え続けました。

 その声に刺激されたように、もやもやとした白いモノが形を少し変えたのです。

 首の部分が細くなり、両腕が分離し、下の方が足首の位置に向かって細くなった。

 従姉妹は唖然としてその影を見ていたそうです。

「アリさんが、ろっぴきぃ」

 その声に、影に陰影が生じました。

 影の頂点辺りがぼんやりと黒っぽくなり、目と鼻の影ができました。

 大きな胸の形が見えました。そして、片腕が上がり、それはガラス戸の引き手に伸ばされていたんです。

「アリさんが・・・」

 従姉妹は、数え続けようとする子供の口を、とっさに両手でふさぎました。

 白い影は変わらない。

 彼女には、もはやお湯は水でした。しかし、子供の身体は温かかったそうです。

 けれど、自分の身体は冷え切ってしまっていました。

 子供は早く出たいがために母親の手から逃れようと、もがきました。

 冷たさに手がかじかんでしまい、子供の口は彼女の手を逃れてしまいました。

 そして、逃れるなり、子供は楽しげに叫びました。

「ななひきぃぃっ!」

 その声に重なるように、ガラス戸がガラッと開かれました。

 従姉妹は悲鳴をあげましたが、ひきつってほとんど声にならなかったそうです。

 子供も驚いて戸口を見ました。そして、きょとんと母親へと顔を戻しました。

 三十センチほど開かれたそこには、誰もいなかったのです。人影も、白い影も。

 そうして、湯気が戻りました。

 浸かっていた水がだんだんと温かくなっていきました。冷えた体もじわじわとほぐされていき、従姉妹はやっとのこと緊張を解きました。

 それでも、なんとなくガラス戸から目を離す勇気が出ず、また、すぐ崖っぷちになる奥にいるのも不安で、彼女は子供を抱いたまま石造りの露天風呂の真ん中へと移動しました。

 ほっと息をついて様子をうかがっていた子供に笑ってやると、子供も笑顔を見せ、そして、言いました。

「アリさんが、はっぴきぃっ」

 チャプッと、後ろから湯をかき混ぜたような湯の流れと音を感じ、振り返った従姉妹は、

 顔半分を湯からのぞかせ、彼女を睨みあげている女と目を合わせました。

 かさばる黒髪は水を含んで広がり、その髪が広がる湯に、赤いモノが滲んでただよっていました。

 距離は一メートルと離れていなかったそうです。

「アリさんが・・・」

 子供の声に、従姉妹は悲鳴をあげ、子供を抱えてそれから身を引きました。

 喉も張り裂けんばかりに悲鳴を上げ続けていたのは覚えているそうです。

 湯から上がろうとしたところで子供ごと転倒して、後のことはもう、わからないそうです。

 悲鳴に驚いた旦那さんが大慌てで隣りの男湯を飛び出して、通りがかった従業員さんに一緒に女湯に入ってもらったら、従姉妹が露天風呂の方で倒れていて子供が取りすがって泣いていたのだそうです。

 そして、倒れた従姉妹の足先には、お湯に滲んだ赤い手形があったのだそうです。湯船へとずるずると赤い筋が引きずられて残り、また、数本の長い髪の毛が手形に絡むように残されていたそうです。

 その時、確かに女湯には従姉妹と子供の他に客はおらず、露天風呂への戸が三十センチほど開いていたのだそうです。


 語り終えると、語り部は一本の蝋燭の火を消した。


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