最終日が、始まります。
次回から百物語を再開します。
エレベーターからは、冬太と、女性が二人。Tシャツに七分袖の綿シャツを羽織りアウトドアなズボンを履いた短髪眼鏡女性と、美容院でかっちりと髪を整えた完璧メイクに谷間強調ワンピースの女性だ。
「こんにちはー。神谷家新メンバー到着いたしました! よろしくお願いします! 私は宮内亜希と申します!」
動きやすい服装の元気な女性が一番バッターであいさつをする。
「神谷家家長の家内です。神谷冬沙と申します、よろしくお願いいたします」
対照的に色気を醸し出しつつ家長の妻と威厳を見せるという技を繰り出す知的美女が、浅く頭を下げる。
「深見冬太です。よろしくお願いします」
静かに、にこやかに、冬太が深く頭を下げる。遊園地を満喫してきたのか、お父さんな顔をしていた。
昴らも自己紹介をする。もっとも、実際に参加するのは昴だけだ。メイドは昼に交替になり、おばちゃんというよりおばあちゃんになった。メイドのおばあちゃんに促されて一同が席に着く中、昴は冬季を呼びに行く。
ノックして呼びかけると了承の返事が聞こえた。
休憩室に戻ると、飲み物を配られていた。昴はコーヒーをお願いする。席次は、新メンバー対旧メンバーで対峙する形になっていた。新メンバーは冬沙、亜希、冬太の順だ。旧メンバー側の一番上が空いていたのでそこは冬季の席だろうと下座に行こうとしたら、羽生と岩田にそこに座れと指示される。そのうえで、羽生と岩田が席をずらした。旧メンバー側は、昴、冬季、羽生、岩田となった。
昴は、目の前の冬沙を見る。視線が合うと、一瞬、マスカラたっぷりの目と真っ赤な唇の動きに侮蔑が見えた。すぐに消えたが、雑魚はどうでもいいんだなあと、身に染みた。
その顔は、冬季が現れると歓喜に変わる。なんて正直な人なんだと思う。
冬季は、また七分袖のパーカーを羽織ってきた。
「亜希さんお疲れ様です。冬沙さんも」
「はあい、大変だったわね。って、今日はもっと大変か」
「ユキさん、大変だったわね!」
席を立って近づこうとする冬沙のワンピースの襟首を、ガシっと亜希がひっつかむ。
「何するのよ!」
「私は神宮様からようく言いつかっているの。あなたをユキちゃんに近づけるなって。大変な時に余分な手間かけさせないでちょうだい」
吠える冬沙に、亜希が笑顔で言う。女二人が怖い。冬太は微笑を浮かべたまま見守っている。今日の修羅場のメンバーとしては、ちょっと不安だ。
冬季は、おばあちゃんに紅茶を頼んで亜希の向かいに座る。羽生と岩田にも声をかけているが、少し眠そうだった。
「ユキちゃん、薬飲んでるの?」
亜希が問うのに、冬季がうなずく。
「どうせ二、三時間しか効かないから昼寝にちょうどいいかなと。もうすぐ切れますよ」
どうやら、夜に備えて無理やり昼寝したらしい。まあ、午前中もお札を作ったりしていたので、回復のために睡眠が必要だったのだろう。しかし、睡眠導入剤の常習者なのか。
ついつい様子をうかがうのに、冬季が昴を見る。
「今はたまに使うだけですよ、常備はしてますけど。ケガの痕が邪魔で寝つきが悪いんです」
「相変わらずあおむけには寝られないの?」
亜希がからかうように問う。
「たまにやりますよ。ちょっとだけ寝るときは短時間で自然に目が覚めるから便利です」
そういえば、昨日、塔の三階でごろ寝していた時はあおむけだった。痛みで目が覚めるということか。自虐的目覚ましか。
「いろいろ大変でしょう、杞冬君もいるんだし。うちに帰ってらっしゃいよぅ」
冬沙が軽く首を傾げながら言う。
「問題ありません」
冬季は視線も向けずに一声返す。おばあちゃんがコーヒーと紅茶を置きに来たので少し間を空けると、冬季は亜希を見る。
「亜希さん、先に報告があります」
「なんでしょう?」
「昨夜、神社までの道を開くのに、自分の洞を使いました」
亜希は、わずかに眉を寄せる。冬沙はその意味を理解していないのか、また首を傾げる。冬太は、目を瞬かせて、次に顔をこわばらせた。
「・・・・・・今回のことは、奈々谷津が勝手に始めたのよね?」
「そうです。始まってから気づいたので、私の落ち度もありますが」
「そうね、あなたがそれをやるってことは、ほかに方法がなかったんでしょうから、そちらについては口添えするけれど。奈々谷津の勝手は、しかるべく・・・・・・。あなたが神宮候補から落ちるのは、影響が大きいわ」
「えっ!?」
冬沙が声を上げる。亜希と冬沙を見比べ、更に冬太の顔をのぞく。ようやく言葉の意味を理解したらしい。
「なんてこと・・・・・・っ!」
厚化粧でも、顔色が変わったのがわかる。
「冬沙さんも冬太さんも、神宮様になる確率が大幅に上がったわね」
冬太は何も言わない。
神宮というのは、特別な存在でありながらも、なりたいとは思えない役目なのだろう。
「亜希さん、奈々谷津、こってんぱんにしてやって・・・・・・」
美女台無しの険しい顔をして、手を震わせながら冬沙が言う。
「家長の妻公認で? 張り切っちゃうわ」
亜希は、口振りに反して冷静に言う。すでに奈々谷津をこてんぱんにする計画が脳内を走っているらしい目付きだ。
冬季は何も言わない。さっきは冬沙攻撃から逃れられるという話だけしていたのだが、それどころではないらしい。もっとも、冬季はその話の時にすでに理解していたのだろう。だからこそ何も言わないのだと思う。
「まあ、それはそれとして、今回のことと、今日の予定を教えてもらえます?」
亜希が、昴を見て言う。冬季ではなくなぜ自分なのかなと思いつつ、冬季を見ればお願いしますというように頷くので、やむを得ずおとといからのことを大雑把に説明する。今日は残り三十四話。五人で手分けして話せば終わるはずだ、と。
「はず。うん、はずですね。いやあ、昨日は神社、すごかったですよ」
今度は、亜希が冬季に霊を送られた神社の様子を話してくれる。
突然、神社から強い力が感じられたと、一部の家の者たちが慌てだした。
神社の隣りに親族が大勢住んでおり、また、夜間は神社に寝ずの番が一人いる。寝ずの番が紐を引くと屋敷の方で音が鳴り響くようになっており、皆が慌てだしたところでその音が響き、みなで神社に駆け付けたのだという。
拝殿の向こうの神殿に、次々と血まみれの霊がやってくる。しかし、水路を境界に、誰も行くことができない。寝ずの番は、隅っこで震えていたらしい。そこは、神宮の独壇場となり、彼らは次々と消えて行った。それでも、神宮は彼らを入れることなく奥の間に立ち続けていた。そうして、再び血まみれの霊たちがやってきて、神宮が対応してすべてが消えると、ようやく、拝殿で見ているだけだった彼らが立ち入れるようになったのだという。
神宮は奥の間に行き祈祷を始めてしまったので、事情を訊けない。家の者や神官たちがなんだかんだともめながら神殿を清めたりなんだりして落ち着いた頃、冬季が亜希に連絡を入れてきて状況がわかったのだという。
「神宮様のご祈祷も真夜中まで続いたし、神殿を清めてからはみんなそこに詰めて対応してたのね。私は門外漢だから家の方で資料探ししてたけど」
「神宮様が素晴らしかったわ。いつも静かにご祈祷されているのに、彼らを祀り上げるために丁寧に、時に強く、ええ、みんな見事に祀り上げられましたよ。視ることができなくて残念ねえ、亜希さん」
「視えないと楽よー? ユサさん。あのあとみんなお風呂で気絶しそうになってたらしいね、ユサさん大丈夫だったの?」
「みんな、神宮様の気にあてられちゃったのよねえ。私は問題ないわよ。神宮様に侍る女があれしきのことであてられることはないわ」
「あ、神宮様から寝ずの番どころか昼番も禁止令出たからね、ユサさん。神事以外で神殿立ち入り禁止ね」
「直に聞かない限り信じないわよ、ご心配なく」
「家長からお達しが行くから、当番表からも外しておくので安心してね」
この二人と一緒に今夜過ごさねばならないのかと、昴は冬太を見てみる。冬太は、さきほどのショックからまだ抜け切れていないらしい。
「資料はユキちゃんの部屋? 奈々谷津に大事なものは保管しておいてもらって、荷物はできれば極力なしで行きたいね。地下で護摩焚いてるなら、火事の危険もあるし」
亜希も、冬季と同じ懸念をいただいているようだ。
「スマホも置いてったほうが良さそうですよ。壊れるかも」
昴が忠告する。おととい、冬季はズボンのポケットにスマホを入れていたが、昨日はリュックに入れていた。破損を恐れてのことだと思う。
「連絡手段はあった方がいいんだけどね」
そういう亜希に、昨日の冬季に対する霊たちのアレルギー反応について説明する。亜希は大笑いだ。
「念のため無線機持ってきたから、スマホは置いて行くわ。昔はそんなことなかったから、その大ケガの代償ってこと? ユキちゃん。それくらいないとねえ」
亜希は、大ケガ後の療養中に手当てを手伝っていたのだそうだ。
しかし、さすが冬季の実家の者たちだけある。多少のことでは動じていない。亜希は視えないそうだが、血族はみんな、普通に視えているのか?
「あのー、質問よろしいですか?」
岩田が亜希に対して手を挙げる。
「はあい」
「昨日までは羽生さんがいたので、私たちとても助かっていたのです。そちらのお二人は、霊とかいろいろ視えるんですか? 冬季さんの補助ができるんですか?」
素晴らしい。昴が聞きたいことを空気クラッシャーは訊いてくれる。
「お任せください、ご心配には及びませんわ」
自信満々に冬沙が言う。
「我々は視えるだけですよ。祭事では一緒にご祈祷したりしますけど、一人で効力あるような人は神宮様以外じゃ家長とユキ君くらいです。家長は元神宮様だから、ユキ君が珍しい」
冬太が正直に言う。そこには、劣等感も優越感も忌避感もない。あるがままを受け入れる感じは、冬季に似ているかもしれない。
「視えるだけ、なら、私と同じになってしまいます。私はプラスで舌先三寸ですが」
羽生がこれまた正直に言う。
「ユサさんの舌先三寸より実態があるわよね」
本人を前にして言う亜希は相当だ。
「視えるだけではなく、その結果によるフォローができますわ」
「出たよ舌先三寸」
亜希も冬太も無視だ。冬沙は少しむくれている。
「残る犠牲者たちは遠い昔、私以外のみなさんと共通のご先祖様がいた。それと、三人の七縛りの存在。これらによって、残る犠牲者たちが顕れやすい状況を作るってことよね? 私たちは各自自衛するので、そういう意味では羽生さんのお役目は今日は必要ないのよね。私は視えないけど、気配はわかるわよ。森山さんは?」
亜希がざくっと説明する。
「えーと、一応、視ようと思えば視えますが。自衛って、なんもできません」
視えないように視ないように生きてきたのだ。それこそがこれまでの自衛だった。
「相手が何かしようとしているのが視えればいいんですよ、殴ってきたら避けるでしょ? 私たちだってその程度ですよ。あとは、ユキちゃんのお札に期待ってだけ。それ以上の危険があるなら、私は逃亡するから。そもそも残り三十四話って、本当に必要なのかしらね? 遊園地企画としては必要なんでしょうけど、こちらとしては片付けばいいのよ。それだって、無理に今日じゃなくてもいい。ユキちゃんが乗るっていうから来たけどね、奈々谷津が勝手に始めたことなんだから、自分らで責任取ってくれていいのよ本当は。これは、かなり危険なことだわ。神宮様も止める気はないようだから、やめろとは言わないけれど、この勝手はとうてい不問にはできないわ」
亜希が、相談役としての顔を見せる。やはり、ただの元気なお姉さんではないようだ。
そこに、エレベーターの音がして、石井が現れた。
亜希たち三人に丁寧に挨拶をしてくる。三人は、座ったままそれを受けた。
「女性お二人には、休憩室をご用意させていただいております」
二人は場合によっては泊まるのだという。冬太は帰るのか。昴が見ると「明日仕事なので」と言う。明日は月曜、急なことだし、そうなるか。昴も出勤だが、午後出でも休みでもいいよと言われている。小さい会社のいいところだ。
「そうね、時間もあるようだし、一度部屋に行かせてもらいましょう」
冬沙が席を立つ。
「ユキ君はそっちの部屋だっけ?」
座ったまま、亜希が石井に問う。
「はい、シングルにお泊りです」
冬季は何も言わない。石井も冬季のことは基本的に無視に近い。
「で、私たちは?」
「お隣り側のツインにお一人ずつでご用意しております」
屋敷の真ん中あたりのことを言っているのだろう。バルコニーなどの外観から、三階は、今いる端っこ側がシングル、真ん中がツイン、反対端は身内エリアのようだった。
「シングルに空きは?」
「一部屋ございます」
「じゃあ私はそこでいいわ。冬沙さんを案内してあげてください」
「恐れ入りますが、本家の相談役代理様にそのようなお部屋をご利用いただくわけには・・・・・・」
「相談役代理ごときが、冬季よりいい部屋に泊まることはできないわ」
スパっと、亜希が切り捨てるように言った。これは、冬季をないがしろにしているという話なのだろう。山で洞穴で暮らしたこともあるという冬季自身は、まったく気にしている様子はなかったのだが。
石井が、言葉を失って立ち尽くす。
冬季も、家同士のことには口を出さない。
「冬沙さんは家長の妻だから行くといいわよ」
「あら、そうよね。案内をお願いするわ」
石井は更に粘ろうとしたが、家長の妻を待たせるなと亜希に言われ、やむなく冬沙を先導して行った。エレベーターから出てシングル側と反対に行くとドアがあった。そちらから抜けられるらしく、二人はそちらに曲がって行った。いなくなってから、
「俺は簡素な方がいいんですけど?」
と冬季が亜希に言う。
「ユキちゃんの好みはわかるけど、家の問題なのよね。わかってるでしょ?」
冬季は息を一つ落とす。理解しているからこそ口を出さなかったのだろう。
社会的影響力は奈々谷津の方がよほど大きいと思うのだが、旧村の中では違うということか。だとしても、奈々谷津ほどの規模のところを、なんとかできるだけの力があるのか?
「まあ、それはおいといて」
簡単に打合せをすることになった。亜希は前日までの状況を、羽生や岩田にも尋ねる。相談した結果、冬季のお札等以外は身軽に行く、札を肌身離さず持つ、着いたらまず避難用シューターをチェックする、進行役は昴がやる、冬季は必要に応じて語り部から降りて対応する、各自任意のタイミングで離脱判断してもいい、ただし離脱時の安全確保は自己責任。
冬季がいうには、お札は前日よりもパワーアップさせたという。昨日と同じようにエレベータールートで、ある程度選別されてやってくるという前提ではあるが、そもそも残る冬光事件があったのは、呪術を行っている冬尚が生まれた年のことである。実際にどういう形になるかわからないので、臨機応変に対応するという。
「あちら側からも引っ張ってきているようなんですけど、普通、小さい子は残ってないと思います」
「なんでわざわざ寝た子を起こすようなことするのかしらね。あちら側にいるならそれでいいはずじゃない?」
「そう思います。ただ、もしかしたら、冬光は常にはあちら側にいて、七年祭が近くなるとこちら側に来ているのかもしれない。それで、手がかりになる者を掴まえて、芋づる式にずるずると関係者を引っ張ってきて、主役を引きずりだす、ということを冬尚さんはやっているのかもしれません」
「そんで、無理やり連れ戻しちゃった者は神宮様に祀り上げてもらう、と? 私にはわからないけど、家長がいうには、昨日送られて来た彼らは、神谷家のご先祖として守護神として祀り上げられたそうよ。子孫が家の者だからって、配偶者も一緒にね。少なくとも血族は亡くなった当時にも同様にしていたはずなんだけど、分裂しているとかなんとか? 分裂するんだか増殖するんだかよくわからない言い方だったけど、当時祀り上げた守護神もすでにいて、更に守護神が増えた的なことを言っていたわ。ユキちゃんわかる?」
「まあ、一応、言ってることはわかりますよ。実際のところはわかりませんよ、誰も、あっち側の仕組みなんて。もしかしたら守護は強くなるかも知れませんが、わざわざやることじゃないです」
「ユキちゃんほどの七縛りを神宮候補から落としてまで守護強くしなきゃいけないほど困ってないよねえ。守護がアップしたところで、怨霊どうにかできるわけじゃないんでしょう?」
「多少関係者の運はよくなるんじゃないですか? 事故防ぐとか。そもそも最高レベルだからこれまで以上って難しいですけどね」
「そうよねえ。この間、右折車に突っ込まれそうになったんだけど、何故か何事もなかったかのように行き違えてたわ。帰ってから神殿にお礼に行ったわよ。日本酒持って」
岩田がぴくりと反応したがおとなしくしている。
石井が戻ってきたので、亜希は各自の荷物の保管について相談する。各部屋へは彼らが戻るまで立ち入りしないということで、施錠後鍵は預かってくれるという。また、塔の外に連絡要員として自身が立ち対応するというので、無線機を持たせることになった。緊急時には三階の窓を壊す許可も得た。
メイドさんが二人でアフタヌーンティーの準備をしていた四時過ぎに、ひかりがやってきた。亜希は、沙汰は後日、とだけ言う。ひかりは深々と頭を下げ、ほぼ挨拶のみで立ち去った。
冬沙も戻り、一同、これまでにどんな話をしたかなど、ダブらないように打合せをしつつアフタヌーンティーをいただく。
次に食事にありつけるのは、早く見積もっても九時過ぎだ。サンドイッチやスコーン、数種類のケーキなどがふるまわれたので、昴は結構しっかりいただいたが、冬季は超スローペースでサンドイッチとケーキを一つずつ食べていただけだった。種類豊富なだけに、ひとつずつは小さいというのに。
五時前になると、冬季は支度をすると言って部屋に戻った。手伝うという亜希と冬太に、二十分後くらいに来てくれと言いおいて行く。
「ユキ君、上半身の力が少ないでしょ? 一応、自分で装束着られるけど、帯とか袴とか緩みやすいのよね」
一見してわかるような障害ではないし、障害者手帳がもらえるほどでもないのだというが、不便なものだ。
冬季は水シャワーを浴びて部屋に出ると、着物だけ羽織ってお札の点検をする。事前に作れるものもあるが、その場に引っ張られてきた神様の協力を得るようなものは、その時にならないと作れない。紙と筆と墨が予備含めちゃんとしているかも確認する。リュックにはそれらだけを入れ、ほかのものは出してすべてひとまとめにしておく。
ノックが聞こえたので、亜希と冬太を部屋に入れる。亜希には、塗り薬を渡す。冬太には、装束の準備を頼んだ。
「結構良くなったじゃない。思ってたよりは綺麗よ」
亜希が薬を塗りながら言う。退院後本家で療養中、亜希が薬を塗ってくれていた。傷のひどさに、さすがの冬沙も恐れをなしたのだ。元自衛隊員は痛がるのも生きてたから痛いのよと言ってのけて薬を塗りたくってくれていた。
鉈で滅多打ちにされた傷は、深いものも浅いものもある。線上に残っているものあれば、荒い縫い痕が残る傷もあるし、化膿して歪んだものもある。右肩の骨は一部欠けヒビが走ったし、右の後頭部にも骨まで切れたところがある。
傷が多すぎて、常にどこかの傷が痛む。保湿しておかないと古傷痕が切れることもある。薬といっても、成分はほぼ保湿剤だ。乾燥する冬場は毎日塗らないと血だらけになることもあるし、今日のようにどう動くかわからないようなときは夏でも塗る。自分では手が届く範囲しか塗れないし、杞冬には頼めないので、冬は汚れ防止にさらしを巻いている。
冬治は、相川と姉夫婦を包丁で襲い、杞冬に鉈で襲いかかった。杞冬はベランダに逃げるしかなかった。そこで一撃を受け、身をかばって左腕と、かばいきれなかった左の頬に傷を負った。そのまま足を持ち上げられ落とされたが、杞冬はベランダの柵を一瞬つかんだ。体重と勢いを支えきれずに手が滑ったところを、冬季がギリギリ掴まえた。鉈は、杞冬に一撃を食らわせただけの新品だった。
太い血管が集中する首もさんざん打たれた。頸動脈が無事だったのは奇跡としか言えないと医者は言っていた。パニック状態の冬治は、刃の向きを狂わせて殴るだけになったところも多い。失血死寸前まで血を流したが、助けに入った隣家が刑事で、看護師の妻も部屋にいた。一階下で杞冬を救ったのが消防署の救急隊員。冬治が去ったのに冬季が杞冬を離せずにいた間にも、可能な限りの処置が施され、一命を救われた。
薬を塗り終わると、亜希は部屋を出て行った。
冬季が着物の合わせを自分で整え、帯などを締めるのを冬太がしてくれた。
事件後、七年祭が翌日にあった。奈々谷津の病院に転院すると民間救急車で冬季と杞冬は東京の病院から移動し、神社に連れて行かれた。冬一と亜希と、そして冬太が対応してくれた。熱と痛み止めで朦朧としていたので、断片的にしか覚えていないが、冬太は、神殿に座布団を積み上げて冬季に抱かせてくれた。そして、杞冬に隣りの壁際にいるように言い、自身は冬季と神殿の広い空間の間にいた。
神殿で三人が殺されたとき、冬季はすぐ脇にいた杞冬を抱き寄せて見せないようにした。その後ろで、冬太が二人をかばっていたのを知っている。崩れた座布団をかぶせられた。
あの場で、神宮の次に対処できるはずの自分が、かばわれることしかできなかったのだ。
装束はきつく締めてもらった。物理的な力は低くなったが、それでも状態はいい方だ。午前中の札作りでの疲労対策で、睡眠導入剤に頼ってまで昼寝したかいはあった。
準備はできる限りした。あの時とは違う。
「ユキ君」
風呂敷などを畳みながら、冬太が言う。
「君に、二年前の責任があるわけじゃない。無理はしないでくれ」
大人な大人はそう言うのだ。ひかりのように、正直になってもいいのに。
そして、自分も大人になった。
「できることしかしませんよ。先送りもできますからね」
笑ってみせる。
けれど、決して。
途中で投げ出すつもりはない。
後顧の憂いは残さない。
自分が生き延びたのは、いつか、怨霊と対峙するためだ。それが、今夜なのだ。
「行きましょう」
冬太と一緒に部屋を出る。鍵は冬太がかけ、リュックは自身で持った。
休憩所でみんなにお札を配る。留守番組の羽生と岩田にも、簡易なものではあるが持たせた。冬季の襟には、昴がお札をつけてくれた。
石井が休憩用の飲食品と蝋燭、そして課題をダンボールに詰めて持ってきていた。塔の二階は昨日のままだという。もはや、準備に入ることができないのだそうだ。そして、課題は当初の予定の十七巡までしかないので、以降は無題となるとのことだった。飲食はしないが、念のため初期消火の助けにもなるので飲み物だけ持つことになった。おやつは置いていく。一応、南瓜のおやつだけは持たされた。あれは、管理人冬尚のペットなのだという。塔の中に、今もいるのだという。
ひかりも来ていた。状況に応じて、話は止めても良いと、それだけ。
冬季は、外に待機するという石井と、ここでモニター越しに見ているというひかりにも、前を通るときにお札を渡した。
石井が先頭に立ち、休憩所エリアと遊園地エリアを繋ぐ扉を抜ける。やはり地下以外にも近道はあるか、と思いつつ後について行く。今日のメンバーは五人。昴を先頭に、一階扉から塔に入る。真っ赤なはずの部屋が、真っ黒に視えた。薄墨のプールのようだった。
昴がダンボールを持って入り、そのあとに冬沙、亜希、冬太、冬季が続く。扉は、石井によって閉められた。
うっすらと見える階段を上り、全員二階へと無事に抜ける。あの中を抜けるくらいは札の効力で持った。通り道くらい祓いたかったが、刺激して余分な何かが起きるのは望ましくない。
二階の三角の部屋に入る。手分けして、古い蝋燭を新しいものに変える。赤いカーペットは、エレベーターがあるはずの角を中心に薄汚れてしまっていた。順番は、昴、冬沙、冬太、冬季、亜希の順に決まり、その順番で席を決める。人数で割れば残る三十四話は約七巡。三巡ごとに休憩を入れることにしたが、必要に応じて冬季は外れる。耐えられなくなったものは三階に避難する。避難経路は梯子を利用することにした。
非常口を押し開け、全員で一度三階に行き、シューターを点検する。昴、冬太、亜希は緊急時には準備できると確認した。冬沙は参加する気はなく、冬季は力不足でシューターの展開はできない。
非常用梯子の上部を解放し、下から上がってこられるようにする。
亜希は無線機をテストして石井と話し、背負ってきたリュックを吹き抜けの近くに置いて下の様子を眺め、また、窓を点検していた。トイレを済ませて、全員で下に降り、非常口を閉めた。非常階段は、おそらく早期に使用できなくなるだろう。
冬季は、梯子を一人では登れない。あえて言いはしないが、少なくとも亜希は気づいているようだった。
各自席に戻り、蝋燭に火を灯す。各自の六本だけでは足りないので、空席の蝋燭立てでも四本灯す。マッチ一本で六本一気に点火した冬季は、リュックから数種類のお札の束を出す。事前準備できた種類のものだ。襟や袂に分散して入れておく。そうして、全員、席に着く。
すうっと、照明が消えて行く。
「じゃあ、三日目、始めます」
昴が言う。
「三巡したら休憩の予定です。課題は、第十三巡『名残り』、第十四巡『出るだけ』、第十五巡『悪い霊』です。各自終わったら、蝋燭を一本消してください。では、始めます」
百物語の、三夜目が始まった。
次から百物語を再開します。
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