第91話
第91話
その言葉を最後に――
ヒュン。
巨大な大剣が、俺の横をかすめていった。
反射的にわずかに身を捻らなければ、間違いなく胴体が真っ二つになっていただろう。
「ま……待ってくれ! 俺は本当に、何の悪意もなく、ただ話し合いに……!」
「これまで我らが、どれほど多くの人間の命を奪ってきたか――貴様は知っているのか?」
その言葉に、俺はごくりと唾を飲み込んだ。
当然、俺は知らない。
「この村全体を覆い、その上に山を積んでも余るほどの人間を斬り、また斬った」
「な……?」
「だが……貴様らが殺した我ら同胞の数と比べれば、それなど『せいぜい』に過ぎん」
――知能がある。
――言語もあり、互いに意思疎通もできる。
――村落を作って生活している。
見方によっては、人間と大差のない存在だ。
それでも人間は、彼らを“モンスター”と定義した。
たぶん、言葉が通じない種族だと思い込んでいるから。
彼らの文化や技術の水準が、人間より低いから。
そうやって、“人間とは違う”と線を引き、モンスターにしたのだ。
この世界には、数え切れないほどの人間がいる。
そして人間の中には、モンスター狩りを生業にする者までいる。
それが数十年、数百年と続いてきたのなら――当然、彼らが人間に殺されてきた数も、計り知れない。
彼らだって、同胞が死んでいくのを見たくないはずだ。
生きるために反撃した……そう考えれば筋は通る。
「これまで一度たりとも『対話』などしようとしなかった人間どもが……今さら突然、村長と話をしに来た? それを信じろと言うのか?」
俺が人間である以上、信じろと強要することはできない。
だが――手がないわけじゃない。
「信じなくていい。だが、せめて“お前の仲間”だけは信じてくれ」
俺を連れてきたこいつ。
こいつも、以前俺を襲ったあのオークと同じように、人間が心底嫌いなんだろう。
それでも、こいつは俺を村落まで連れてきた。
信頼か、罠か――どちらにせよ、俺に何かを感じ取ったからこそ、ここまで連れてきたはずだ。
「人間を信じられないのは分かる。でも、お前の仲間が俺を連れてきたんだろ? 何であれ……仲間の判断くらいは信じてやるべきじゃないか?」
その言葉に、オークは視線だけを動かしてウルカを見た。
ウルカが冷や汗を浮かべながら彼女を睨み返すと、彼女は俺を見てから、深く息を吐いた。
「……人間のくせに、口は達者だな」
そう言い捨てると、彼女は剣を背に収め、踵を返した。
「もし村長様に何かあれば……二人の人間はもちろん、ウルカ。貴様も必ず斬る。覚えておけ」
「あ……ああ、分かった……」
言い終えると、彼女はどこかへ歩いていった。
「はぁ……」
緊張で詰まっていた息が、一気にほどける。
「だ……大丈夫?」
「大丈夫だ」
戦わずに済んだのは、幸運だった。
「ついて来い、人間。村長様のところへ案内する」
「分かった」
再び歩き出すウルカ。
俺はフレイアと並んで、その背を追った。
* * *
トントン。
ウルカが扉を叩く。
すると中から、誰かが慌てて駆けてくる足音が聞こえた。
「どなた……でしょうか?」
返ってきたのは、低く細い声。
たぶん、オークの女の声だ。
「ウルカだ。村長様に客を連れてきた」
「しょ……少々お待ちくださいませ」
そう言うと、足音が次第に遠ざかっていく。
どれほど経っただろう。
扉が開き、ひとりのオークが姿を現した。
長い髪を編んで肩の前に垂らし、草を編んだ服を纏う女が、横へ身を引く。
「お入りください、とのことです」
頷いたウルカが振り返り、俺たちに目を向けた。
「入ったらすぐ村長様に頭を下げ、伏せろ。頭を上げろと言われるまで、絶対に顔を上げるな。もし破れば――その場で貴様らの首を落とす」
「……わ、分かった」
言うことがいちいち物騒すぎる。
俺はその注意事項をフレイアに小声で伝え、小屋の中へ入った。
小屋の内部は、妙に“見覚えがある”。
外観も、内側も――どうにもオークが作った小屋という感じがしない。
構造も造りも、人間が建てた家そのものだ。
たぶん、元々ここにあった小屋を拠点にして、周囲へ自分たちの建物を増やして暮らしているのだろう。
軋む床を踏みしめて奥へ進み、二階へ上がる。
ほどなくして、俺たちは一枚の扉の前に辿り着いた。
そこでウルカが顎でしゃくる。
――あれが、さっき言っていた“合図”か。
ドン、ドン。
「ウルカです。人間どもを連れて参りました」
「入れ」
薄い記憶の欠片に引っかかる、聞き覚えのある声。
扉が開き、俺たちは頭を下げたまま部屋へ入った。
ごくりと唾を飲み込み、伏せたまま顔を上げない。
「こ……こんにちは、村長様」
返事がない。
ちらりと前を見ると、足先だけが見えた。
なのに、なぜ何も言わない……?
「顔を上げろ」
恐る恐る頭を上げた瞬間、目の前にオークの姿が映る。
弁髪のようにまとめた髪。
皺だらけの顔。
口の外へ突き出た牙。
「……え?」
この姿は、間違いなく――前に会ったあのオーク……!
「ウルカ」
「こちらの人間のオスが、オークの言葉を理解できるようでして。村長様の元へお連れしました」
「分かった。下がれ」
村長の言葉に、ウルカが思わず目を見開く。
「む……村長様……それでは護衛が……」
「俺が、こんな人間の小僧どもにやられるとでも思うか?」
「し、失礼いたしました!」
ウルカは慌てて扉を閉め、外へ出ていった。
「……お前が村長だったのか?」
「そうだ。俺がこのクブティ村落の村長、クブティだ」
こいつが村長……!?
それなら最初に会った時、捕まえてでも話をしておけばよかった。
「貴様がオークの言葉を話せるとはな……そうと分かっていれば、もっと話しておくべきだった」
「それ、俺も同じこと思ってたよ」
クブティも、俺と同じことを考えていたらしい。
「オークの言語は大半理解できるようだが、どこで覚えた? 人間の言葉を知るオークは、そう多くないはずだ」
「それが……色々あって」
「色々、だと。オークの言語というものは、“色々”で身につくものなのか?」
疑いの色が濃い表情。
だからといって、正直に言えるわけもない。
……いや、正直に言ってもいいのか?
どうせオークは人間の言葉を――
――いや、このクブティは人間の言葉も話せるんだった。
「それより、ちょっとお前と話がしたくて来た」
「話?」
クブティは腕を組み、少し考え込む。
「以前から話したいと言っていたな。随分とよく喋る人間だ。いいだろう、話してみろ。何が聞きたい?」
「前に会った時に言ってた……“お前たちが人間を襲わざるを得ない”って話だよ。あれ、どういう意味なんだ?」
「ああ……その話か」
クブティが深くため息をつき、部屋のソファを顎で示した。
「まずは座れ」
「分かった」
立ち上がると、フレイアも俺に続いてソファへ腰を下ろす。
「ねえ、どういう状況なのよ?」
「今はちょっと待って」
「せめて説明くらいしなさいよ!」
何も分からないまま付いてきているフレイアへ小声で宥め、俺はクブティに視線を戻した。
「さて……どこから説明すべきか……」
クブティが腰を下ろすと、ソファが地面と一体化したみたいに沈み込んだ。
「まず聞く。貴様は人間か、魔族か」
「に……人間、魔族……?」
「そうだ。正直に答えろ。人間か、それとも魔族か」
人間か、魔族か。
考えたこともなかった。
俺の元の世界には、人間しかいなかったのだから。
答えるなら当然、人間。
……だが、俺は“別の世界”から来た人間だ。
この世界の人間と、同じ存在と言えるのか?
俺が持つこの能力。
それを考えると、魔族に近いのでは――とも思ってしまう。
とはいえ、俺にはマナもない。
魔法の使い方も分からない。
「とりあえず……人間、だと思う」
「……思う、だと?」
理解できないといった顔で、クブティが問い返す。
「少なくとも魔族とは関係ない。それは確かだ」
そうだろう。
この世界へ来たのは、俺に能力を与えた創造神の意志が関わっているはずだ。
創造神が魔族でない限り、俺が魔族であるはずがない。
「……そうか」
クブティはしばし逡巡し、やがてゆっくりと言った。
「いいだろう。ならば説明した方が良い」
「魔族だったら説明しないつもりだったのか?」
「魔族なら、その場で貴様の首が飛んでいた」
一瞬、意味が分からず言葉を失う。
「だって……オークってモンスターだろ? モンスターなら魔族に従うのが――」
「人間どもが言う『モンスター』とは、所詮人間側の分類に過ぎん。俺たちからすれば、人間こそがモンスター……いや、魔族と大差ない存在だ。まだマシな点があるとすれば――魔族の中には、お前のように“モンスター”に分類された者へ『話し合おう』などと言い出す奇妙な奴がいないことくらいだ」
「はは……」
それ、褒められてるのか……?
「さて……どこから始めるか。まずは――俺たちがここへ渡ってきた理由から話すべきだろうな」




