第6話
第6話
2ヶ月間で稼いだお金をほとんど全てをはたいて小屋を買った。
だが俺の目の前に現れたのは、小屋を建てるための材料である大量の板と、ハンマーやノコギリといった各種道具類だった。
1日が過ぎ、2日が過ぎ。
底辺から始めて、一人で家を建てている。
疲れると椅子に座ってぼんやりと湖を眺め、少し休んではまた家作りを繰り返す。
「それでもやりがいはあるな。」
基本的な土台は完成した。
タイルともいえる木材を一つ、一つ運びながら合わせていく。
最初は途方もなく思えたが、徐々に完成していく小屋を眺めていると達成感がこみ上げてくる。
もう少し、もう少しだけ頑張ろうと心に言い聞かせながら作っていた小屋は、いつの間にか完成を目前に控えていた。
「雨が降らなくて本当によかったな。」
あくまで初めて小屋を建てたのだから、その間に雨が降ればどこかしら傷んでしまったかもしれない。
もしそうなったら、お金は無駄になり、時間も無駄になったことだろう。
鉄製のハシゴを壁に立てかけ、ゆっくりと屋根の上に登った。
空いている場所はたった2ヶ所。
「最後だ…。」
2本の長い板を、残りの部分に置いていった。
ガタン。
ガタン。
「終わったー!」
2ヶ月かかって、ようやく家1軒を建てた。
「うん…悪くない。」
どれほどの苦労の連続だったことか。
何もない空間にできた小さな小屋。
ドアを開けて中に入ってみた。
俺が作ったとは信じられないほど居心地の良い空間。
部屋が2つに、トイレと浴室が1つずつある、さほど大きくない小屋だが、一人で暮らすには十分だった。
「じゃあ次は家具の番か。」
残ったお金で生活に必要な様々な家具を購入して部屋に運び入れ、トイレと浴室、台所は浄水ポンプとパイプを繋いで湖から水を引き込めるようにした。
チーッ。
蛇口を上に向けると、湖から汲み上げた水が勢いよく流れ出てくる。
「くぅー…。」
これが幸せなのだろうか。
会社で働いていた時には決して感じることのできなかった感情がこみ上げてくる。
便器も置いたし、浴槽も置いた。
置くべきものは全て置いたが、残りの一つが問題だ。
「ボイラーはどうしよう…。」
生活において最も重要なのはお湯だ。
お湯が出なければ、簡単に体を洗う時も、風呂に入る時も水を沸かさなければならない。
しかし、ボイラーを設置すればその必要はないのだが、残念ながら俺はボイラーの設置方法を知らない。
‘とりあえず買っておくだけにするか…?’
購入ボタンを押そうとした俺は、買うのをやめてコンビ∞を閉じた。
「とりあえずこのまましばらく暮らしてみよう。」
寒い冬は過ぎ、これからは日がどんどん暖かくなる。
暖かい春が来れば、お湯を使うことも少なくなるだろう。
簡単に体を洗う時は冷水を使えばいいし、風呂に入る時だけ大きな水桶に水を沸かして浴槽に注げばいいだけの話だ。
「はぁ…」
部屋に入り、ベッドに横になって天井を眺めた。
日本でも叶えられなかったマイホームの夢を、自分の力で叶えた。
もちろんコンビ∞で購入した材料を使ったとはいえ、直接積み上げたのは俺自身だ。
ふかふかのベッドの上でこのまま眠りにつきたいが、まだ眠るわけにはいかない。
今日は最後の納品期限日。
街に戻って石鹸とシャンプーを納品しなければならない。
「さてと…」
インベントリの中に石鹸が150個、ガラス瓶に入ったシャンプーが286本ある。
「シャンプーが少し足りないな…。」
まだ時間はある。
俺は机に向かって椅子に座り、インベントリからシャンプーボトルと空の瓶を取り出した。
「やっぱり床でやるより、はるかに楽だな。」
先週までは納品と同時に家まで作らなければならず苦痛だったが、これで大きな仕事の一つは終わった。
契約期間ももうすぐ終わりだ。
契約が終わったら、契約を延長せずに俺の屋台で色々な商品を売ってみようと思っている。
武器や防具もいいし、お菓子や果物といった食べ物も良さそうだ。
「やきそばでも作って売ってみるか…。」
この世界にはないトッポッキの商売をしても悪くないかもしれない。
「時間はたっぷりあるから…。」
会社に勤めていた時のように時間に追われて急ぐ必要はない。
ただゆっくりと、良いアイデアが浮かぶまでこの小屋に住んで何を売るか考えてみよう。
数多くの馬車。
頭に色とりどりのベレー帽をかぶった人々が、一つの建物の前に集まっている。
誰かは話をし、誰かは馬車の中の荷物を整理し、ある人は荷物を持って出て馬車に積み込んでいる。
「ここが商人ギルド…。」
お金を稼ぐことを主な生業とする人々が集まる場所だけあって、建物の一つ一つが立派だ。
チリン、チリン−
ドアを開けるや否や、頭上から鈴の音が聞こえた。
中には外よりも多くの人がいる。
「そちら様~」
入り口に入ってきた俺を呼ぶような声。
視線も俺の方を向いていたので、俺は特に迷うことなくカウンターの方へ移動した。
「いらっしゃいませ~。商人ギルドに加入しに来られたのですよね?」
後ろで結んだ長い茶色の髪。
つぶらな瞳に、左の頬骨から右の頬骨まで続くそばかす。
かなり活発そうな若い女性が俺を眺めて笑っている。
「え、どうしてそれが分かったんですか?」
「それは簡単ですよ!ズバリ服装です!商人たちは皆ベレー帽をかぶっているんですよ。」
それなら俺もベレー帽をかぶって歩かなければならないのだろうか。
「心配なさらないでください。ベレー帽をかぶることが義務というわけではありませんから。大商人であり商人ギルドのマスターであるジェラードさんを見習うために、皆がスタイルを真似しているだけなんです。それが定着してしまっただけで。」
読心術師でもないのに、女性は俺が考えること全てを読み取っている。
「よかった…」
「でも、外では概ね商人といえばベレー帽をかぶった人だと思われていますから、外で商売をするのであれば、ベレー帽をかぶる方が良いですよ。」
その言葉を終え、顎に手を当てて俺を見つめる。
「どう見ても商人としての素質はないように見えますが…。」
「え?」
「表情ですよ、表情。私が何か言うと、表情に全て出てしまうので、何を考えているのか全て分かってしまうんです。」
俺はそんなに表情豊かな人間ではないはずだが、どうやらこの女性も商人ギルドの人間なので、見る目があるようだ。
「それでもやりますか?」
「はい、とりあえずやるつもりで来たので。」
「分かりました。では…」
カウンターの下から紙を取り出し、置く女性。
「申請書に記入してください。」
‘うっ…’
紙に書かれた文字は日本での言葉でも英語でもなく、判別するのが難しい。
‘やはり文字から学ぶしかないのか…’
「もしかして字が…読めませんか?」
「はい、私は少し遠い場所で生まれ育った者なので、ここの文字は分かりません。」
「それだと商人として生きていくのはもっと大変でしょうに…」
「代わりに書いていただけませんか?お願いします。」
「代理作成は法的に禁じられている事項ですので、それは難しいかと…」
‘仕方ないか…’
誰かにまず教えてもらうしかないようだ。
思いつくのはハンスさんとメガンさんくらいだ。
「では、また今度…」
「それならこれはどうですか?」
体を反転させ、帰ろうとしていた俺に女性が提案する。
「仕事が終わったら、私が一定金額をいただいて字を教えるというのはいかがでしょう!」
「え?」
「最近欲しいものができまして。少しお金が必要なんですよ!」
「それでも大丈夫なんですか?」
「ええ。ご心配なく。私、こう見えても誰かを教える腕前は抜群ですから!」
ハンスさんもメガンさんも仕事が終わればへとへとになるだろう。
困った時は助け合おうとは話したが、仕事が終わる遅い夜に助けてくれと頼むのも迷惑な話だ。
そんなに高くなければ、この人に教わるのも悪くないだろう。
「分かりました。」
「やったー!じゃあ、日が暮れて、街で鐘が鳴る時間頃にまたここに来てください!」
返事を終えてUターンする俺に向かって女性が手を振る。
文字。
人と人の間で言葉が通じるのも重要だが、文字を読み書きして伝えることも重要だ。
‘今からでも学べてよかったな。’
もしかして独学で学べるかとコンビ∞を探してみた。
公用語を検索すると、「子供たちが学ぶホルン大陸公用語」という本がある。
‘とりあえず家に帰って、今夜までに簡単に見ておくか…’
俺は本を購入してインベントリに入れ、家に向かった。
甘い味が心地よく喉を通る。
それと同時に香るコーヒーの香り。
「やっぱりコーヒーはマキシムだな。」
家のすぐ隣の湖を眺めながらマキシムを飲める人が何人いるだろうか。
多分俺一人だけだろう。
‘これも売ってみるか?’
マキシムなら十分に金になる。
だが、このマキシムを売った時に起こるシャンプーよりもさらに大きな人気の波を考えると、売らない方が良いだろう。
「はぁ…。」
コーヒーで気分が良くなるのとは逆に、今の俺の気分はかなり滅入っている。
「どうしてこんなに難しいんだ…。」
俺に文字を教えてくれることになった女性、ラティアの助けを借りて勉強している。
しかし、文字が難解すぎる。
象形文字のように見えるが、似ているものが全くないので表意文字か表音文字のようだ。
かろうじて似ていると言える文字はヘブライ文字。
それもかなりよく見て似ているというだけで、実際に見るとかなり異質だ。
「俺、こんなに頭が悪かったか…」
大学に通っていた頃までは、教授が話すことは頭にすんなり入ってきたのに、会社勤めをするようになってから頭が固くなったようだ。
「それでも久しぶりの勉強だから楽しいな。」
徹夜続きの反復労働に比べれば、これはずっとマシだ。
特に、仕事の時のように業務に必要な知識だけでなく、実生活に必要な知識なので、よりやりがいを感じる。
ゴン、ゴン、ゴン—!
いつの間にか空が夕焼けに染まり、街の中心にある鐘楼から鐘の音が響き渡る。
「さて、それじゃあ今日も行くか…。」
残りのコーヒーを一気飲みし、俺は席を立ち、本をインベントリに入れて街に向かった。
文字を学ぶのにそれほど時間はかからなかった。
そもそも日本での言葉と文字が違うだけで、文法や発音などは全て同じだったので、大きな困難は感じなかった。
ただ問題は、どれもこれも似たような文字ばかりだったことだけだ。
「これか…。」
硬貨と天秤の模様が刻まれた、片手で握れる銀色の小さな鉄製の牌。
これが商人ギルドの証票だ。
「これさえあれば、物を売ってもいいってことか…」
俺はインベントリに証票を投げ入れ、周囲を見渡した。
最後の納品後なので、インベントリの金庫にはそこそこお金が残っている。
だから今日は商人ギルドに加入した記念に、街で休憩しようと思う。
街のあちこちを巡り、気に入った物があれば買い、食べ、飲み。
友達でも一人いれば連れて歩いたが、今、この街に友達と言える人間はいない。
「ふむ…」
それならどこから回るのが良いだろうか。
「やっぱり食べ物だ!」
目覚めるや否や、商人ギルドに駆け込んできた状態だ。
俺の腹は完璧に空っぽだ。
コンビ∞でミールキットを買って食べてもいいが、今は文字も読めるので、どこが食堂で、どんなメニューがあるのか分かる。
「さあ、腹を満たしに行くか~?」
どんな食べ物があるだろうかと考えながら、楽しげに歩みを進める。
だが、食べた物が問題だったのだろうか。
俺は翌朝から一日中、トイレにこもりきりだった。