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第3話

終わりが見えないかのような広大な森。

様々な鳥の声と虫の音が耳に届く。


「すーっ、はぁ…」


深く息を吸い込むたびに感じる草の香りが、精神を清々しくしてくれる。


今俺がいるのは、俺が滞在する街フロイテナの近くにある森だ。

街で暮らすのも悪くはないが、スローライフを楽しむためには、人が多い場所よりも少ない場所が良いだろうと判断した。


それでこの数日間は、ずっと朝は散歩がてら周りに住みやすい場所がないか調査し、昼食時間が過ぎた午後からは財を蓄えるがてら商売を繰り返している。


「今日も空振りか…」


特に気に入る場所は見当たらない。

マップを開いて見ても、俺が望む場所は見つからない。


暖かく降り注ぐ太陽。

のんびり釣りができるほどだが、広くはない湖。

危険な猛獣一つなく安全な、そんな場所。


「こんな世界でそんな場所を探すのは難しいのかな…」


適当に妥協して決めるべきか。


ピリリリ。


腕時計に設定したアラームが鳴る。


「もう昼か…」


とりあえず戻って商売を再開しよう。


***


「いらっしゃいませ!」


簡単なテーブルと椅子、そして長時間日差しを遮ってくれる天幕が一つだけある露店。

これが俺の職場だ。


初日は何も知らずタオルだけを売っていたが、今は品目を変更している。

もちろん、初日と考えが大きく変わったわけではない。

今俺が販売しようとしている対象は貴族ではなく、ごく普通の都市住民たちだ。

彼らにとって宝石は贅沢品であり、それほど必要ないだろう。

そして彼らは中世に似合わず、清潔と衛生に気を遣っていた。


「石鹸とシャンプー…シャワータオル…」


彼らにとって大きく異質ではない品物を選びに選んだが、数個しか出てこなかった。


「昨日はこれらを小分けにするのに苦労したな…」


ポンプ式ボトルに入ったシャンプーは、彼らにとっては異質なものだ。

彼らにとってより自然な姿のガラス瓶を購入して小分けにしていると、ろくに眠れていないせいで今、全身がグリースを塗っていない機械のようにギシギシする。


「いらっしゃいませ~石鹸売ってます!髪質が良くなるシャンプーもありますよ!」


俺の叫び声が響き渡るが、やはり来る人は少ない。

だが、地道に開いたのが功を奏したのだろうか、屋台を開くたびにいつも来る人が現れた。


「今日も出たのか?」


まさにすぐ近くの宿屋の主人であるハンスさんだ。


「ええ、ご覧になりますか?」

「これは…石鹸か?」


ハンスさんは俺の石鹸を手に取って見てから匂いを嗅ぎ、驚いた表情を浮かべる。


「石鹸から花の香りがするな」

「元々石鹸から香りがするのは基本じゃないですか?」

「花の香りがする石鹸はかなり高価で貴族がよく使うもので、私たちのような市民は何も香りのない石鹸を使うんだ」


無香料の石鹸。

確かに花の香りがする石鹸は添加物の費用もかかって、より高価になるだろう。


「そしてこれは…」


シャンプーが入った瓶をあれこれ見たハンスさんが蓋を開けて匂いを嗅ぐ。


「これも石鹸か?」

「石鹸と似ていますが、体を洗うのに使うのではなく、髪を洗うのに使うものです」

「髪専用の石鹸ということか…」


何度か匂いを嗅いでいたハンスさんは、やがて石鹸とシャンプーが入った瓶を一つずつ握りしめ、ポケットを探る。


「全部でいくらだ?」

「150ブロンです」


ごく普通の市民にとってはかなりの高額品だが、周辺の市場で売られている石鹸の基本価格は200ブロンほど。

二つ合わせて150ブロンなら、かなり安い値段だった。


「(もちろん、コンビ∞では石鹸一つが30ブロンしかしないがな)」


いくらになろうと、コンビ∞で安く買って高く売っているのだから、俺に損はない。


「はい、これ」

「いつもご利用ありがとうございます~」


1と書かれた銀貨一枚と、10と書かれた銅貨5枚を置き、気分よく再び宿屋へ向かう。


そうしてまたしばらくの間、静寂が流れる。

やはり中央市場の外れにある場所だからか、人があまり来ない。

場所を変えるべきか悩んでいると。


カツ、カツ。


ここで今まで聞いたことのない靴音が高らかに響き、俺の目の前で止まった。


周囲の市民とは全く異なるデザインの衣服、手首と首元にフリルがついた白いブラウスに紺色のスカートを着用し、黄金色の美しいブロンドの髪、青く澄んだ瞳に紅を塗ったかのようなピンク色の唇を持つ美しい女性。

彼女は後ろに召使いのように見える女性を連れ、俺の露店の品物を見ている。


「ここでも石鹸を売っているのですね」

「ええ、ぜひご覧ください」


女性は石鹸を手に取り、匂いを嗅ぐ。


「ラベンダーの香りですね」

「よくご存知で」

「石鹸はよく使いますから」


やはり貴族か。

ハンスさんが言っていたように、貴族は香りのある石鹸を使うようだ。


「ネル、どう思う?」


彼女が連れてきた召使いの女性、メイド服に丸い眼鏡をかけたような鋭い目つきの女性が前に歩み出て、石鹸に触ってみた。


「品質はかなり良いようです。香りもこれまで嗅いだどんな石鹸よりも清潔ですわ」

「そう?じゃあ、買うのがいいかしら?」

「一度買って使ってみても良いかと思います」

「分かったわ。これ、一つだけいただけますか?」


「(たった一つ…?)」


貴族ならもっと太っ腹に10個くらい買ってもいいんじゃないか?

貴族をこのまま帰すのは、何だか惜しい。


「よろしければ、こちらも一度お試しになってはいかがですか?」


貴族の女性が、今まで目もくれなかった瓶を見る。


「これは…何ですか?」

「シャンプーというものですが、石鹸が体と顔を洗うのに使うものなら、これは髪を洗うのに使うものです」

「石鹸で髪も洗うのではないのですか?」

「そうではございますが、これは石鹸とは違い、髪の毛を柔らかくするのです」


柔らかい髪質。

女性なら誰もが望むものだ。

特に貴族であれば、他の人々と話す機会が多いだろうし、石鹸だけを使っている他の貴族に比べて、格段に柔らかな髪質をしていれば、貴族たちの様々な関心を集めるはずだ。


蓋を開けて匂いを嗅いだ女性が、後ろにいるネルという召使いに尋ねる。


「どう思う?」

「これは商人の単なる商法に過ぎません。買わない方が良いと思いますわ」

「商法?」

「はい。私がご令嬢の美容のために世界各地の美容品を様々に調査してまいりましたが、今までシャンプーという名の美容品は聞いたこともございません。これはただの石鹸を溶かした水、それ以上でもそれ以下でもないでしょう」

「では、今私が詐欺でも働いているとでも言うのですか?」

「現状から見ますと、そう考えられますが?」


今まで正直一本で生きてきた人間だ。

詐欺を働く気もないし、詐欺を働く甲斐性もないのが俺なのに、そんな俺を詐欺師扱いするとは。


「いいでしょう」


使用感をまだ知らない消費者に、最も効果的なマーケティング手法を用いる時が来た。


「サンプルとして一つ差し上げましょう」

「サンプル?」

「ええ。私が一つ無料で差し上げますので、一度使ってみてください」


シャンプーを受け取った女性が、明るく笑う。


「本当にいいんですか?」

「ええ。一度使ってみてよろしければ、またお越しください」

「ご令嬢、商法に乗せられる必要はございません。ただ石鹸だけをお持ち帰りください」

「ネル、そう言わずに一度使ってみましょうよ」

「ですが、ご令嬢。証明もされていない品物を使って、もし髪や肌を傷つけてしまわれたら…」

「ね、お願い?」


幼い子犬のような目でネルを見つめる女性。

ネルは大きくため息をつき、頷きながら眼鏡をかけ直す。


「分かりましたわ…ご令嬢がそうおっしゃるなら…」


そして俺を睨みつけながら言う。


「もし万が一、このシャンプーとやらを使ってご令嬢の美しいお顔に傷でもついたら、この手で必ずあなたを殺しますので、そのつもりで」


かなり殺伐とした言葉を口にしたネルが、エプロンの中からコインを取り出し、露店にカツンと置くと、女性と共に立ち去った。


「はあ…」


本当に完璧なクレーマーだ。

売らなければよかったかとも思うが、後ろにいた召使いよりも貴族の女性が笑う姿を思い出すと、悪くない取引だったと思える。


「それにしても、一時間で3つも売れたなら、結構売れた方だな」


昨日は一日中やっても10個も売れなかったのに比べると、確かに多く売れた。

この調子なら、自分だけの店を持つことも可能かもしれない。


「趣味がてら出すのも悪くないな」


もちろん、先ほどのネルのような厄介な客がいなければ、だが。


***


翌朝。


ドンドン、ドンドン。


「優司!起きろ、優司!」


誰かが俺が寝ている宿屋の部屋のドアを叩く。


「どなたですか…」


あくびをしながら起き上がり、ドアを開けると、俺の部屋の前にいるのは他ならぬハンスさんだった。


「こんなに早朝から何かご用ですか?」

「昨日買ったあのシャンプーとやら。もしかして、まだあるか?」

「シャンプーですか?ええ、少し残ってはいますが…」


正直に言うと、たくさん残っている。

ぞっとするほど、昨日あの貴族の女性に売ったのを最後に、一つも売れていなかったのだ。


「ちょっとこっちに来い」

「ハンスさん、ちょっと待って…!」


俺の腕を無理やり引っ張るハンスさん。

彼は階段を下って俺を連れて行くと、カウンターの奥の部屋に入った。


自宅の居間のように整えられた部屋の中に座っているのは。


「この方が坂本・優司さんですか?」


顔に刻まれた皺から年齢がわかる。

フリルが施された華やかな赤いドレスと、財力を物語る宝石がちりばめられたイヤリングとネックレス。

髪を丸く巻いて後ろで綺麗に結んだ女性が、笑顔を浮かべて頭を下げて挨拶する。


「あ…こんにちは」

「挨拶しろ。こっちが坂本・優司だ。そしてこっちが俺の妻のメガンだ」

「はじめまして。メガンと申します」

「あ、はい…」


ハンスさんがシャンプーがまだあるかと尋ねたということは、もっと買うつもりなのだろうが、それならその場で取引したはずで、ここまで呼び出すことはなかっただろう。


「ところで、一体どういったご用件で…ここまで私を連れてこられたのですか?」


メガンさんが深く息を吸い込む。

そして立て続けに言葉を紡ぎ出す。


「昨日の晩、夫が買ってきたあのシャンプーというものを私が使ってみたら、髪の毛がとっても良くなってしまって!香りもなんて素晴らしいこと!寝て起きたのに髪が柔らかくて、まるで絹に触れているようでしたわ!それからあの石鹸!石鹸が特に良かったんです!今まで使っていた石鹸は体にこすると肌が剥がれるようだったのに、これは柔らかくてずっとなでてしまって…」

「ちょっと!ちょっと待ってください」


起きるなり早口のラップを聞かされて、頭が混乱する。


「私の商品を気に入ってくださるのはありがたいのですが…まだ早朝なので、もう少し眠りたいのです。すぐに本題に入っていただけませんか?」

「あら、私としたことが。申し訳ありません。私、普段はこんなにおしゃべりな人間ではないのですが…」


メガンさんがほほえみながら、俺に再び尋ねる。


「昨日売っていらした石鹸とシャンプーというもの。もしかして、まだお持ちですか?」

「ええ、持っています」

「どのくらいお持ちでいらっしゃいますか?」


俺はインベントリからシャンプーと石鹸をすべて取り出した。

相当な量がテーブルに現れたせいか、二人の目が大きく見開かれた。


「これくらい持っていますが…」

「まさか…亜空間バッグをお持ちの方とは…」

「亜空間バッグ?」

「今お使いになったのが亜空間バッグですが…」


俺の表情を見たメガンさんが、まさかという眼差しで俺を見つめる。


「まさか、亜空間バッグが何かも知らずにお使いになっていらっしゃったのですか?」

「えっと…あー…はい」


答えを聞くと、メガンさんは大きくため息をつき、首を振る。


「亜空間バッグというのは、亜空間に物を入れることができる能力を指しますわ。私の知る限りでは、亜空間バッグは商人の神の祝福を受けなければ得られないと聞いていますが…」

「商人の神?」

「やはりご存じないのですね…」


ここにどうやって来たのかも知らないのに、この世界の神を知る由もない。


「まあ、それは追々お教えするとして…」


メガンさんが笑いながら俺に言う。


「この商品。私と独占契約しませんこと?」

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