第14話
第14話
「うぅぅ…」
何かがうまくいかないのだろうか。
頭をガシガシと掻いていた女性は、紙を破り捨て、席を蹴って立ち上がった。
それも、奇声に近い悲鳴を上げながらだ。
「あ…マスター…?」
「何よ?」
すっかり神経が尖った女性が、鋭い目でルエリを見ると、やがてゆっくりと視線を俺の方へ移した。
「何?後ろにいる人は?」
「その…この前、マスターがジェルノータでシャンプーを納品している人を探せと…」
「ああ、そうね。そうだったわ。で、その人は誰?」
「この方が、シャンプーを納品されている坂本優司様です…」
怯えた表情で震えながら話すルエリの言葉を聞いた女性は、目を見開いて驚いた。
「何ですって?シャンプーの納品業者を連れてきたですって?」
「は…はい…!」
女性は額をポンと叩くと、深いため息をついて頭をガシガシと掻いた。
「私がいつ連れてこいと言ったの?ただ探せと言っただけでしょう!」
「で…ですが、確かに探せと…」
「ああ、もう…そうね、私の言い方が悪かったわ、悪かった。ご苦労様。その人を置いて、あなたは出て行きなさい。」
「はい…」
褒められるとでも思っていたのか、ルエリは涙を浮かべながら外に出て行く。
今、残されたのは俺と目の前の女性だけだ。
「あの…」
「とりあえず、そこへ行って座って。」
かなり気性の荒い女性だ。
今まで見てきた商人の姿とは、全く正反対の様子である。
ひとまず、女性の言葉通り、彼女が指さしたソファへと歩いて座った。
「紅茶?それとも緑茶?」
「緑茶でお願いします。」
「そう?変わった人ね。」
ティーポットの中に乾いた葉を入れ、冷たい水を注いだ女性は、ソファへと歩いてきて、ティーカップに緑茶を注いだ。
‘これ、ただの水じゃないか…’
10秒も経っただろうか。
冷水に入れた途端にすぐに注いだので、香りがほんのり感じられるだけで、味はただの水だ。
「まず挨拶から。私はトゥスカード商人ギルドのマスター、ルアナ・ベリルよ。」
「坂本優司です。」
「この辺りで聞くような名前じゃないわね。東方でも聞いたことのない名前の形式だけど。どこかの少数民族の出身?」
「ただ両親がこう名付けただけですから、気にしないでください。」
無礼を知らない女性だ。
こんな女性がどうしてマスターになれたのだろうか。
資質さえ疑わしい。
「そうね。じゃあ、自己紹介も終わったことだし。本題に入りましょうか。」
ティーカップの水を一気に飲み干し、ルアナが真剣な表情で俺を見つめて言った。
「あなたが持っている品物を、私たちに納品してほしいの。」
瞬間的に変わった雰囲気に、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「俺が持っている品物、ですか?」
「ええ。あなたが知っているかは分からないけど、あなたが扱うそのシャンプーという品物は、本来、個人が販売するのは危険なのよ。」
「危険、ですか?」
「突然現れた商人が、証明もされていない品物をいきなり販売するわけでしょう?本来なら、とっくに調査が入っていてもおかしくないことよ。」
「ですが、調査は…」
「ええ。入らなかったでしょうね。あなたは納品しただけで、販売したのは実質的にメガンさんだったから。メガンさんがこれまで築き上げてきた信用があったから良かったものの、もし信用を築いていない人が販売していたら、ジェルノータに指名手配書が出されていたわよ。」
検証されていない品物。
確かにシャンプーは俺だけが知っている製品であり、この世界の誰も知らない。
文字通りの未検証品だ。
未検証の品物を日本で売っても犯罪だが、ここも変わらないだろう。
「メガンさんはベテランの商人だから、きっとシャンプーについては何らかの措置を取ったでしょうけど、もしあなたがシャンプーを売っていたら、それが可能だったかしら?」
俺も日本で会社員をしながら、大雑把に話す上司の話を聞いて核心を見抜く能力を養った。
この言葉の意味は、つまり。
「つまり、俺が持っている品物を安く納品しろということですか?」
「私の話の核心は、安く売れということじゃなくて、私たちにあなたの品物を任せろということよ。あなたが私たちに品物を納品すれば、私たちが様々な検証を通して確認した後に、認証を受けて販売するから。」
ルアナがソファに寄りかかりながら言葉を続ける。
「そうなれば、あなたも面倒なことなく品物を売れて得だし、私たちも私たちであなたの品物を売れて得だし。お互いに得する話だと思うけど。どう?」
「値段は?」
「値段は、あなたがまず提案すれば、こちらで適正な価格を再提案する形で。そうやってお互いに間隔を詰めていく形式にしましょう。」
ルアナが言ったことが事実なら、彼女の提案は悪いものではない。
俺が売れば犯罪になる品物を、このギルドが代わりに売ってくれるというのだから。
しかし、あくまでそれが事実である場合だ。
もしルアナの言葉に嘘が混じっていれば、彼女は俺が持っている品物を安く買うための口実を作っているに過ぎない。
カモを捕まえるための口実を。
「俺がメガンさんと契約していることはご存知ですよね?」
実際にはメガンさんと契約はしていないが、既に契約した人がいるように見せかけて利益を得るのも、技術と言えば技術だ。
「知ってるわ。だからメガンさんの店でシャンプーを売っているんでしょう。メガンさんには申し訳ないけど、私たちも商人じゃない?利益になる人物を知っていながら、そのまま放っておくことはできないの。」
腕を組んだまま考えていた俺は、席から立ち上がった。
「少し考えさせてください。」
「考える?何を考えることがあるのよ。聞くだけでもあなたに利があるのが分かるじゃない。これが見抜けなきゃ馬鹿よ。そうでしょう?」
強要するような彼女の口調が、かなり気に障る。
俺をカモだとでも思っているのだろうか。
「契約をろくに調べもせずに結ぶほど、馬鹿ではありません。」
「そういう意味じゃなかったんだけど…」
「では、決めたらまた伺います。」
「泊まる場所はあるの?良ければ私が…」
「いえ、自分で探しますから、ルアナさんは気にせず、お仕事をお続けください。」
「え?う…うん、分かったわ。もし何かあったら言って。大抵、この村のことなら私が助けてあげられるから。」
「分かりました。」
そうしてドアを開けて外に出ると、ルエリが驚いて俺を見つめていた。
「あっ、優司様!そ…その、盗み聞きしてたわけじゃなくて…」
「とりあえず、俺は宿屋を探してみるよ。後で時間があったら会おう。」
「え?でも…私がお招きしたのに、宿代くらいは私が…!」
「いいって。子供に宿代まで出させるほど、情のない奴じゃないから。」
「絶対にそんなこと思ってません!」
「冗談だよ。本当に大丈夫だから、ここで別れよう。」
「はい…」
小さく答えるルエリ。
俺は階段を下りて、ギルドの外へ出た。
「契約、か…」
ギルドマスターという奴は気に入らないが、ルアナが言った通り、俺にとってはかなり得になる取引ではある。
俺に手頃な値段を払って、勝手に売ってくれるというのだから。
「それでも、ひとまずは考えてみないと。万が一、抜け穴があるかもしれないし。」
ルアナはああ見えてもギルドマスターを務めるほどのベテラン商人だ。
そんな人物が、やすやすと俺に良い条件を提示するはずがない。
もう少し考えて、次に会いに行く時は、質問することをまとめてから行こう。
「行くぞ、ハル。」
ワン!
ハルがハァハァと息をしながら先頭を歩き、俺はハルの後を追って歩いた。
***
「この辺りでいいかな…」
今、俺は村の外の森で場所を探している。
何の場所かと言えば、俺がしばらく飲み食いできる場所だ。
村には宿屋も食堂もある。
しかし、どちらも俺の気に入らなかった。
まず、ベッドはマットレスがなく、木の板の上に布を敷いただけの状態で、かなり硬く、変な匂いもする。
特に、寝る時には藁の中に住んでいる虫まで俺の体の上を這い回るので、痒くて眠れない。
食堂もそうだ。
食べ物がまずいわけではないが、調味料をかけすぎて、しょっぱくて甘くて辛い。
これも最初に食べる分には問題ないけど、一日三食を同じような食事で過ごすとなると、飽きるだけでなく、俺の心臓が危なくなる。
この幸せなスローライフを満喫して、長く生きたいのに、食べ物一つで健康を損ねて早く死にたくはない。
「さてと…」
マップを開いて周りを見渡しながら、前へと歩いた。
どうせ数日間過ごす場所だ。
小屋までは必要なく、コンテナを置いて、その中にベッドでも置いて寝泊まりし、村を見物しながら過ごすつもりだ。
「ここがいいな。」
ムルバスからさほど離れていない森の中。
コンテナ一つくらいは余裕で入るこの場所に決め、俺はコンビ∞でコンテナハウスを購入した。
ドスン!
目の前に四角いコンテナボックスが現れる。
「これはまた完成品で出てくるのか?」
さすがコンテナ。
別荘として使うにはもってこいの空間だ。
「でも、中は空っぽだな…」
中まで空っぽなのは残念だが、こうして中が空いているということは、このコンテナの中を俺好みのデザインに飾れるということだからな。
「さて、どう飾ろうかな…」
ハルが中に入って体を丸め、俺を見つめている。
「そういえば、ハルの寝床も作らなきゃな。」
かなり大きくなったとはいえ、ハルを外で寝かせるわけにもいかない。
この広さなら、中で寝ても問題なさそうだ。
「サービスだ。」
ハルが座って寝るのにちょうどいい、大型犬用のクッションを購入してコンテナの床に置くと、ハルは自分にくれるものだと分かったのか、クッションへと歩いていって座った。
「ふかふかで気持ちいいだろ?」
ワン!
俺の手に頭を擦り付けてくるハル。
大きくなったとはいえ、ハルはやはり可愛い。
「じゃあ、俺が寝る場所も飾ってみるか…」
こうしてデザインしておいて、インベントリに入れて持ち運べば、移動式の宿舎になるのではないだろうか。
ひとまず飾ってみて、家に帰る頃に一度試してみるのも悪くないかもしれない。
それができれば、こうして遊びに来て宿代に金を使う必要もなくなるからな。
***
香ばしいパンの香りがムルバスに広がる。
「うわ…」
いつだったか、徹夜明けに会社での仕事を終え、早朝にアパートへ帰ったことがある。
その時、パン屋の前を通り過ぎたのだが、そのパンの香りが何とも言えなかった。
疲労困憊していたにもかかわらず、まるで何かに取り憑かれたかのようにパン屋に入り、気に入ったパンをいくつか買って家で食べたことがあった。
神々の食べ物であるアンブロシアとは、こんな味ではないだろうか。
そう思えるほど、その時に食べたパンの味は、言葉では言い表せないほど美味しかった。
チリン、チリン。
「いらっしゃいませ~」
女性の声が響き渡る。
ふくよかな顔と体。
頭に頭巾をかぶり、エプロン付きのドレスを着てパンを運んでいたおばさん。
「こんにちは。」
「初めて見る顔だけど、ここに来るのは初めてかい?」
「はい。」
「よく来たね。ムルバスはそんなに大きな村じゃないけど、人も親切だし、宿代も高くないから、きっと滞在中は安くて快適に過ごせるよ。」
「そうみたいですね。」
「そうだろう?」
おばさんは、お盆の上のパンを陳列台に一つずつ置いていく。
バゲットから食パン、丸いドーナツやクッキーなど、パン屋の中は様々なパンでいっぱいだった。
しかし、日本のパン屋で売っているようなソーセージパンやクリームパンのようなものは見当たらない。
クンクン。
ハルが鼻をひくつかせながら、周りを見回している。
「この匂いは…」
たった今焼かれた、温かいパンの匂い。
「今、焼いてるのは何ですか?」
「バゲットだよ。」
おばさんは窯からパンを取り出し、俺に手渡してくれた。
「一つ、味見してみるかい?」
「では…」
少しちぎって差し出されたパンを受け取り、俺は一口かじった。
「はぁ…」
二度と感じることはないと思っていた。
あの温かくも香ばしい、出来立てのパンの味を。
「すごく美味しいですね。」
「ありがとう。小さな店をやってるけど、これでもパン作りには自信があるんだよ?」
「バゲットを3本いただけますか?」
「あら、ありがとう!」
おばさんがバゲット三本を袋に入れて手渡し、ハルが俺の体に飛び乗ってバゲットの匂いを嗅いでいる。
「ハル、お前は小麦粉を食べちゃダメだ。」
クゥン…
「そんなに可哀想な声を出しても、ダメなものはダメなんだ。」
犬は小麦粉を消化できないため、食べてはいけない。
「ありがとうございました~、またどうぞ~」
そうして外に出て、バゲットをちぎって食べながら、ハルと一緒に通りを歩いた。
今朝、ラーメンを食べようか悩んでいたのだが。
やはり村に来て正解だった。