第10話
第10話
銃を撃つたびに閃光が走り、目の前の光景が写真のように一瞬だけ切り取られる。
左、右。
動き回る山の主の姿が目に映る。
バン、バン、バン!
この暗闇の中で山の主に当てるのは不可能だ。
「この辺りを明るく照らせるもの…何かないか…何が…」
パニックに陥った瞬間、人間の思考は停止する。
だが、実際にパニックになったことのない俺は、その言葉を信じていなかった。
なぜあんな切羽詰まった状況で何もしなかったのか、と。
テレビ番組や映画を見て、もどかしく感じることがよくあった。
しかし、いざ自分がその立場になってみると、本当に頭が働かない。
深呼吸して状況を整理しようとしても、頭が追いつかず、まともに整理できないのだ。
「頼むから、何か思いついてくれ…!」
何でもいいから、とにかく辺りを照らせるものを。
そう願いながら、俺はひたすら販売リストをスクロールした。
そして、ほどなくして一つの火器が目に入った瞬間、頭の中がすっと晴れていくのを感じた。
「これだ!」
すぐに購入ボタンを押した。
目の前に現れたのは、持ち手のついた箱。
そのロックを外し、中身を確認する。
リボルバーのような形をした朱色の拳銃。
そしてその隣には、ショットガンの弾薬のような形をした弾が並んでいる。
それを拳銃に装填し、空に向けて撃った。
ヒュゥゥゥゥ―――
夜空を照らす火の玉が、天高く舞い上がる。
まるで小さな太陽のように明るく輝き、赤い光で四方を照らし出す。
明るくなった視界に、山の主の姿がはっきりと見えた。
グルルル……。
激しく動いたせいか、山の主は荒い息を吐きながら、俺へと視線を向けた。
キャン、キャン!
俺に向かってこようとするのを、ハルが飛びかかって阻止する。
しかし、山の主の巨大な前足に殴られ、ハルは遠くまで弾き飛ばされてしまった。
ハルが殺される前に。
俺はフレアガンを置き、再び拳銃を手に取って山の主に狙いを定めた。
山の主が目を剝き、突進してくる。
息を止めた。
心の中で数を数える。
一。
二。
三。
バン!
そのまま体勢を崩し、俺の横を通り過ぎていく山の主。
振り返って、その姿を見る。
肩に銃弾がめり込んでいるせいか、起き上がろうともがくが、立ち上がれないでいる。
奴が痛みに慣れる前に、とどめを刺そうと体に狙いを定めて引き金を引いた。
カチッ、カチッ。
その間に弾を使い切ったのか、弾が出ない。
インベントリから石弓を取り出す。
石弓が奴の分厚い皮を貫けるかは分からない。
だが、試してみなければ分からない。
奴の頭の方へ走り寄ると、無傷な方の前足を振り回し、俺を攻撃しようとする。
石弓を山の主の頭に構えた。
空に浮かぶ太陽のような照明弾の光が消えかけ、暗闇の中で奴の目が光った、その時。
俺は石弓の引き金を引いた。
「はぁ…はぁ…」
静まり返った森に、俺の息遣いだけが響く。
目がゆっくりと暗闇に慣れていき、山の主のシルエットが見えてきた。
さっきまで振り回していた前足が、ぴくりとも動かない。
頭に刺さったボルトをそのままに、俺は辺りを見回しながらハルの名前を呼んだ。
名前を呼べばいつも返事をしてくれたハルの声が聞こえない。
もう一度、頭上でフレアガンを撃って照明弾を打ち上げ、辺りを見渡した。
そして、ハルを見つけた。
口から血を流し、苦しそうに息をしている。
「ハル!」
すぐに駆け寄り、ハルの体を確認する。
幸い、体に大きな傷は見当たらない。
おそらく前足の衝撃で、頭がくらくらしているのだろう。
俺はハルを抱きかかえ、山の主の横を通り過ぎて家へと歩いていった。
早朝。
目を覚まして、すぐにハルを見た。
朝になれば、眠たげながらも必ず起きてきて俺の方へ歩いてくるハル。
しかし、ハルは朝になっても目を閉じたまま、息をしているだけだった。
俺はつるはしを手に、外へ出た。
あちこちに昨夜の痕跡が生々しく残っている。
畑へ向かい、踏み荒らされたジャガイモを片付け、再び土をならした。
壊れた椅子を全て片付けて新しいものを置き、あちこちに空いた山の主の足跡をシャベルで埋めて痕跡を消していく。
半日も経たないうちに、全てが昨日と同じ姿に戻ったが、一つだけ足りないものがあった。
そのせいで、毎朝ハルと一緒に椅子に座って湖を眺めていた俺のルーティンも変わってしまった。
プシュッ。
インベントリからビールを取り出し、一口飲んだ。
ぬるいビールの麦の香りが口の中に広がる。
ワン、ワン!
思わず手が止まった。
勢いよく立ち上がり、小屋のドアを蹴破るようにして入ると、ハルがご飯を食べ終え、水を飲んでいるところだった。
そして、俺を見て吠える。
「はぁ…」
安堵のため息を漏らした。
このままハルが目を覚まさなかったらどうしようかと思っていた。
「お前のせいで、本当に…」
俺はその場にへたり込み、安堵と虚脱感が入り混じった表情でハルを見つめた。
昨夜、山の主が家の前に来た時、ハルが静かにしていれば、何事もなく通り過ぎていったかもしれない。
奴が俺の言うことを聞かずに外へ飛び出したから、こんなことになったのだ。
この全ての出来事は、俺がハルを訓練しなかったせいで起きたこと。
もう山の主も死んだので、これ以上危険なことはないだろうが、万が一に備えて訓練しておくのが良さそうだ。
「ハル、お前はこれから大変だぞ」
今すぐハルを訓練したいところだが、目覚めたばかりの奴が明日にはまた目を覚まさない、なんて話もある。
まずは休ませて、数日間様子を見てから訓練するかどうかを決めよう。
外へ出ると、朝とは打って変わって、太陽がさんさんと輝いているように感じられる。
伸びをしながら明るい空を見上げ、俺はふっと笑って手に鍬を握った。
「さて、仕事でもするか」
ハルが寝ている間に、商売をするため街へ向かった。
以前より眠る時間が長くなったようで、かなり長く寝てはいるが、起き上がってはいるし、俺が畑仕事をしている間、あちこちで転げ回っているのを見ると、一人にしておいても大きな問題はなさそうだ。
「さて、と…」
久しぶりに露店を出し、ゆっくりと商品を並べていく。
今回売るのは武器であり、道具でもある。
そう、山刀だ。
この辺りの森は獣のせいで危険なだけでなく、地形も決して安全とは言えない。
特に西の森は沼地だ。
そんな場所に足を踏み外せば、沼に落ちてそのまま溺死してしまう。
「さあさあ、毎日あるチャンスじゃありませんよ~!西の森へ行く時に絶対必要な木を切るためのナイフ!山刀がたったの1200ブロンで…」
パパパーン!
どこからかラッパの音が聞こえる。
祭りでもあるのかと、音が聞こえる城門の方を見ると、馬に乗った鉄鎧の騎士と兵士の一団が、歓迎を受けながら中へ入ってくる。
そして彼らが運んできたのは、紛れもない山の主の死体だった。
ウェーブのかかった金髪をなびかせながら入ってくる騎士は、周りの人々に手を振っている。
「テルブライアン様、万歳!」
人々が万歳三唱しながら騎士の名前を叫ぶ。
「女か…?いや、男だ」
遠くから見た時は長い髪のせいで女だと思った。
しかし、近づくにつれて男性特有の角張った顔立ちとはっきりした目鼻立ちが見え、男だと気づいた。
それにしても、相当な美形だ。
まるでミケランジェロが魂を込めて彫り上げた彫刻作品のように、完璧な顔立ちである。
「あれが噂のサーベルタイガーっていう獣なのね」
「うわあ、あの恐ろしい目つきを見てよ!」
「牙もすごいわね。見てよあれ。一噛みで体が引き裂かれそうよ」
市民たちが兵士の運ぶ山の主を見ながら、口々にささやく。
「さすがはテルブライアン様だ。討伐令が出てから数日で仕留めちまうなんてな!」
「俺が仕留めた奴とは別の個体か?」
俺は山の主の姿を注意深く観察した。
肩に空いた穴と、頭を貫かれた穴から見て、あの山の主は俺が処理した奴で間違いない。
「死体を持ち帰って、自分が処理したように見せかけてるのか…」
騎士も、ある意味では公務員のようなものだ。
公務員が手柄に目がくらむのは珍しいことではないが、まさか他人の功績を偽ってまで手柄を立てたいものだろうか。
「まあ、残念ではあるけど、自分の手柄を横取りされるなんて、一度や二度のことじゃないしな」
俺を3年間も徹夜でこき使った会社の上司がよくやっていたことなので、もう慣れた。
むしろ好都合だとさえ思う。
俺のスローライフを楽しむためには、有名になることとは距離を置かなければならないのだから。
「あら、そういうことでしたの?」
「うわっ、びっくりした!」
背後から突然聞こえた声に驚いて振り返る。
そこに立っていたのは、以前俺の店で石鹸とシャンプーを買っていった貴族の少女だった。
「何かお買い求めですか?」
「いえ、ただ興味深いお話が聞こえてきたものですから」
彼女の後ろで、ネルが中指で眼鏡を押し上げながら、俺を睨みつけている。
「ねえネル、あのサーベルタイガーを優司さんが倒したって、本当かしら?」
「偽りに決まっております。何一つ力を持たない商人が、どうしてあのような強い獣を倒せましょうか」
「そう?私の考えは少し違うのだけれど…」
「は?」
エレシアさんが意味深な笑みを浮かべる。
何か知っているような目で見られると、なんだか怖い。
貴族と関わって良いことなどないだろう。このまま黙って見過ごすわけにはいかない。
「もちろん、ただの嫉妬で言ってみただけですよ。武器一つ持たない俺が、どうやってあんな化け物みたいな奴を倒せるっていうんですか」
「時々、露店を開いては珍しいものを売る方ですもの。きっと珍しい武器もお持ちなのでしょう。これみたいに」
エレシアさんは露店に置いてあった山刀を手に取り、あちこち眺めながら言った。
「それで倒せるとお思いですか?」
「さあ、どうでしょうね?あなたがと・く・べ・つ・な!能力を持っていて、こんな小さな武器一つで、あの山の主を倒したのかもしれませんし!」
何度か振り回す真似をして、再び露店に置いた貴族の少女は、にっこりと笑った。
「この件については、私から父に話しておきますわ」
「いえ!その必要はありません」
目を丸くして驚いたように俺を見つめる。
「え?どうしてですの?私がお話しすれば、父が全て取り計らってくださいますのに。そうすれば、あなたも騎士の爵位を授かって貴族になり、一生安泰に暮らせるのですよ?」
「それも魅力的ですが、別に威張って暮らしたいとは思いませんから」
俺が望むのは、今のように誰にも干渉されず、自然の中でゆっくりと生きていくスローライフだけだ。
貴族になって、貴族たちが通うパーティーに義務的に参加したり、自分がパーティーを開いてもてなしたり、自分の地位を維持するために様々な人間関係に気を遣わなければならない貴族にはなりたくない。
「ふぅん、本当に不思議な方…。他の市民なら命と引き換えにしてでも欲しがる貴族の地位を、望まないなんて…」
腕を組み、顎に手を当てて疑わしげな視線を送るエレシアさんに、ネルが近づいて言った。
「それはもちろん、自分が討伐していないことがバレるのを恐れて、断っているのでしょう」
「そうかしら?」
「まあ、そんなところです」
俺は椅子に座り、ネルに向かって、あっちへ行けというように手を振った。
「これから商売の邪魔になるので、お二人とも買う気がないなら帰ってください」
「ふん、私たちだって帰ろうとしてましたわよ!」
フグのように頬を膨らませた貴族の少女は、くるりと背を向けて歩き出そうとしたが、すぐにまた俺の方へ振り返って言った。
「わたくしはアウルア家の長女、エレシア・デ・アウルアと申します。これから、よろしくお願いいたしますわね」
「え…?あ、俺は坂本優司です」
「坂本優司さん…」
唇に指を当て、にやりと笑ったエレシアさんは、再び背を向けて歩き出す。
「また来ますわね~」
エレシアさんはその言葉を最後に、どこかへ歩いていった。
「貴族、か…」
目を閉じて、自分が貴族になった姿を想像してみた。
貴族が着るような服をまとい、広い屋敷で召使いたちを従える生活。
「うぅ…」
ぞっとした俺は、ぶるりと体を震わせて考えるのをやめた。