ツンデレ勇者の嫁になったら、ヤンデレ魔王が追いかけてきた
ちょうど一万文字くらいの軽いお話です。
お茶請けがわりにどうぞ。
「君を妻には迎えたが、僕は君を愛するつもりは無い」
勇者ソメイルは冷たい横顔をエリスに晒したまま、淡々と言った。魔王を倒した豪傑とは思えないほど、ソメイルは若く、静かな面差しをしていた。
戸籍上夫となったソメイルは、向かい合って座った馬車の中で、一度もエリスと目を合わせようとはしなかった。
エリスは物心ついてから出たことの無かった聖女宮を後にして、その足で教会に赴くことになった。その時に初めてソメイルと対面し、神父の前でソメイルと結婚の誓いをした。出席者も誰もいない、とても簡素な結婚式だった。
会って数十分でソメイルの妻となったエリスは、ただただ戸惑っていた。
どうして自分が勇者ソメイルの妻に選ばれたのだろう。
エリスは何度か目を上げて、ソメイルの顔を窺った。しかし、ソメイルの冷たい横顔からは、何の情報も得られなかった。
さらに冒頭の言葉。
愛するつもりもないのに、なぜ自分を花嫁にと願い出たのだろうか。聖女宮にはエリスの他にもたくさんの聖女がいる。エリスはその中でも一番の下っ端だ。
孤児院出身のエリスは、出世とは無縁の生活をしていた。聖女の仕事よりも、掃除や洗濯などの雑用の方が多い、未熟な聖女であるというのに。
そんな自分を、魔王を倒した勇者ともあろう人が、なぜ花嫁に選んだのか。
エリスは選ばれた喜びよりも、自分の身に降りかかった思いもよらない事態に、ひたすら困惑していたのだった。
「……なぜ、私なのでしょうか」
「そんな余計な事は考えなくていい。
僕は魔王ゲオルクを倒した。
魔王を倒した褒賞は、僕の立場上、辞退することが許されない」
「そういうもの、ですか」
「そういうものだ。
そこで、目に付いた君を、求めたに過ぎない」
◇ ◇ ◇
勇者ソメイルは、人類の悲願であった魔王ゲオルクを討伐した。
勇者パーティ全員が瀕死の怪我を負うほどの激戦で、ようやく魔王ゲオルクの息の根を止めた。
ソメイルは共に戦った勇者パーティたちと王都へ戦勝報告に出向き、熱烈な歓迎を受けた。
魔王を討伐した褒賞として、勇者パーティはそれぞれの望む願いを叶えられた。
戦士は、国宝級の鎧と盾を。
魔術師は、王立魔法研究所の指導者の地位を。
僧侶は、自作の回復ポーションの専売権利を。
そして勇者ソメイルが望んだものは。
「聖女、エリスをいただきたい」
◇ ◇ ◇
「わたし、お会いしたことがあったでしょうか……」
おずおずとエリスが尋ねると、ソメイルはちらりとエリスを見て頷いた。
「聖女の祝福を受けに、我々パーティは何度か聖女宮を訪れていた。
君はよく、中庭で洗濯物を干していた」
「そうですね。先輩聖女たちの洗濯物は、ほとんど私が担当しておりましたので」
「溢れる陽光の中、君が小さく微笑みながら洗濯物を干す姿は、爽やかで可憐で実に清々しく、ずっと目に焼き付いていて」
「………………え?」
「しかも、戦士も魔術師も僧侶も、『あの子めっちゃ可愛くね?』『うわー、まじ可愛い。聖女にしとくのもったいねえな』『聖女って、特例ない限り一生独身だろ』『おい、美少女の無駄遣いかよ!』『聖女じゃなかったら、俺今すぐ行くけどな』とか、注目しまくってるし。
一番初めに見つけたの、僕なのに!」
「………………はい?」
ソメイルは、げほんげほんと咳き込んだ。
軽く風邪でも引いているのだろうか。
ソメイルはエリスと目が合いかけて慌てて目を逸らした。ほんのり耳が赤くなっている気がした。
「とにかく!
君は勇者の嫁として、僕の元で働いてくれればそれでいい。国王陛下より郊外に小さな邸宅をいただいた。そこを守ることが君のこれからの主な仕事となる」
「はい」
「勇者という職業柄、留守にする事も多いかと思う。その間、僕の家を守ること」
「はい」
「できるだけ家から出ないように。買い出しなどは下男夫婦を雇っているから、彼らに頼むこと。その可愛らしい顔をなるべく世間に見せないように」
「……はい?」
「僕が帰ってきたら、必ず笑顔で。そしてハグとキスで出迎えること。これは必ずだ。
食事はできる限り共に。できるだけ近い方がいい。あーん、とかできるくらいの」
「あの……」
「風呂では背中を流してもらうのもいいな。君はもちろん、は、裸で」
「あのう……」
「夜はなるべく君に負担のかからないようにするつもりだが、そうなってみないとわからない」
「えー……」
「そのために魔王を倒したんだ。
もう、ほんっとに大変だったんだ。全然倒れないんだもん、あいつ。何度も起き上がるから最後は馬乗りで滅多刺しだよ。何度刺しても全然手応えないしさ」
「はあ」
「これだけ散々苦労して、ようやく君を手に入れたんだ。ベッドの上の君を前にした僕は、野獣と化して君を壊してしまわないか、今から心配している」
「…………私を、愛さないんでしたよね?」
「ああっ」
勇者ソメイルはキリッとした顔で横を向いた。すでに顔は完全に上気して赤く染っていたが、鋭い視線は馬車の窓の向こうを見据えていた。どうやら恥ずかしくてエリスのことを見れないようだった。
「……そうだ。僕は勇者だ。
最大級にカッコつけて、『君を愛するつもりは無い』、ってセリフ言ってみたかっただけ、なんてことは、絶対にない」
郊外の勇者ソメイルの邸宅は、こじんまりとした一階建ての建物だった。門から邸宅まで広い庭を備えている。下男夫婦は通いのため、邸宅は無人で二人を迎えた。
ソメイルは邸宅内をエリスに軽く案内した。リビングルーム、台所、応接室、客間、書斎、台所、トイレ、風呂場、最後に夫婦の寝室だ。
「キングサイズのベッドを入れている」
「はあ……」
「どんなに暴れても壊れそうにないやつ」
「……ベッドの上で何をするおつもりですか?」
「せ、聖女がそれを、僕に言わせるのかっ?!」
「言わせてるのは、旦那様ですけど」
エリスの言葉に、ソメイルはぐぐっと自分を抱きしめた。グネッと身体を動かすのが、ちょっと気持ち悪いなとエリスは思った。
いったい、どうしたというのだろう。
ソメイルは、長身である自分の肩までしかないエリスを窺った。
「も、もう一回。呼んで」
「?」
「僕のこと」
「旦那様?」
「ああっ、いいっ!すごくいいっ!」
「あの……」
「でも、名前でも呼んでっ」
「ソメイル様」
「いいっっっ!言霊が全身貫くくらい、いいっ! なんか僕、脳天から足先まで痺れた気がするっ。
……もーだめだ。もう限界だ。
エリス、しよう。今すぐしよう」
「な、何を……っ?」
「ベッドはそこにあるから。魔王討伐を決心してから、待ちに待ったやつだから。
ようやくご褒美タイムだ! ここまでくるのにすげーかかっちゃったよ、まったくもー!
エリスこっち来て。ああもう、戸惑う顔が超可愛い。さあ、始めよう。さあさあさあさあ!」
ソメイルはエリスの腰を抱いて寝室のドアを開けた。ドアを開けた二人は、目を見開くことになった。
部屋を占領しているキングサイズのベッドがまず目に入る。ソメイルの言う通り、とても頑丈そうだ。白いシーツは確実に新品だろう。
そのベッドには、先客がいた。
長い真っ直ぐな黒髪に捻れた二本の角。尖った耳。ベッドから半身を起こし、上半身裸で枕に背を預けている。
ソメイルが魔王城で倒したはずの魔王ゲオルクが、キングサイズのベッドにいた。
「魔王っ?!」
「ん? なんだ、勇者じゃん」
「お前っ、 死んだはずだろっ! 僕が確かにトドメを刺したのに……!」
「あー、勇者が馬乗りでトドメ刺してた、あれな。
あれは、俺手製の藁人形。よくできてただろ?」
「なっ……!!!」
「リアリティ出すのに苦労した。しかもソメイルってば、核壊せばすぐ止まるのに、心臓ばっか狙うから。
核は額だよ、額。常識だろ」
「魔族の常識なんか知らねーよ!
最後に頭にきて、力任せに頭どついたら倒れたんだ。おかしいとは思ってたんだよ!
そんなことより、どうしてゲオルクが新婚夫婦の初夜のベッドにいるんだよ!」
魔王ゲオルクは、キョトンと首をかしげた。
え、何言ってんの? という可愛いキョトン顔だ。魔族のくせに純粋な目でキョトンしている。
「だって、これから俺とエリスの、嬉し恥ずかしワクワク初ベッド対決じゃん。いまからくんずほぐれつ大乱闘するんだから。
勇者こそ邪魔しないでくれるかな」
「……お前、何言ってんの?」
「ねえ、エリス。エリスからも言ってあげてよ。俺たちの邪魔しないでって」
「ゲオさん、私もどうなっているのか、ちょっとよく分かっていないのですが」
「…………ゲオさん? ゲオルクのゲオさん? 名前で呼んでるの? そんな親しいの?
てか、そもそも魔王とエリス、顔見知り……?」
魔王ゲオルクはベッドから降りてソメイルの……正確にはエリスの傍に歩み寄った。逞しい筋肉でできた上半身は裸だが、下は黒パンツを履いていた。
ソメイルは他人事ながら少しホッとした。そもそも男の裸の下半身など見たくない。
「俺とエリスは、今から一年以上前に出会ったんだ。
俺が、聖女宮の中庭で昼寝してたらな」
「魔王が聖女宮の中庭で昼寝すんな」
「めんどくさい部下にみつからない穴場なんだよ、聖女宮。
風に煽られた洗濯物を追ってエリスが寝てる俺の所まで走り寄ってきて」
「やん、ゲオさん。私の粗忽がバレて恥ずかしい」
「やん、恥ずかしがるエリス可愛い。
この可愛いエリスが、俺の角踏んづけてな」
「…………は?」
ゲオルクは右側の角に触れた。角はほんの少し内側に傾いていた。
「右の角、曲がっちゃったんだよね」
「ごめんなさいっ」
「いいんだよ、エリス。魔王の角曲げるくらいの聖なる力を秘めたエリス。その時の衝撃から、俺は君の虜なんだ」
「ゲオさんたら、またよく分からないこと言って」
「この俺の本気の気持ちが伝わらない、聖女宮の鉄壁聖女教育! 一年かけてもまったく伝わらないんだ! もう、落としたくてウズウズするぜ!」
エリスに手を伸ばしたゲオルクから、ソメイルはエリスを遠ざけた。エリスをひょいと右から左へ動かしただけだが。
ゲオルクはむっとソメイルを睨んだ。
「勇者、邪魔だな」
「その言葉そっくり返すぜ、魔王。
お前がエリス狙いだというのは分かった。だがゲオルクとエリスの初夜というのは有り得ない。エリスと結婚したのは、この僕だ」
「俺だって学習したんだ。
俺の友達の悪魔が言ってたんだぞ。人間界を楽しみたいなら、郷には郷に従えと」
「郷に従え?」
「その方が、しがらみに雁字搦めになった人間の悪感情が余すところなく美味しくいただけるぜぐふぐふぐふ、とか言うからな」
「絶対その悪魔、変態だろ……」
「魔王を倒した者には褒美をつかわす、って国王が触れを出したっていうから。
人間が倒せる程度の魔王人形を用意して、勇者に魔王を倒させてやった。つまり、俺が魔王討伐の功労者」
「……は?」
「だから俺は褒美をもらう権利があり、褒美はエリスと決めている。
さあ、エリス、めくるめく官能の世界へいざゆかん」
ゲオルクはシュバッと動いてエリスの手を取った。ソメイルが防ぐ間もない動きはさすが魔王だ。
ただし。
エリスの手を取ったゲオルクの手が、もくもくと煙を噴いていた。
「うああああ……」
「ゲオさん、私に触れると焼けちゃうんだから。前から触るのは止めましょうって、何度も言ってるのに」
「エリスの聖なる力、半端ねぇ……このじくじくと痛むのが…………いわゆる、恋心?」
「火傷です」
「ああっ、ゾクゾクする、この痛みっ! 何百年ぶりだろう、痛みに溺れたいと思ったのはっ」
「お前も充分変態だな、魔王」
「あ、ちょっとヤバい。骨までいきそう」
ゲオルクはエリスから手を離して自分の手をふうふうし始めた。ゲオルクの爛れた手はゆっくりと肉を纏い再生されていく。それを見守るエリスも落ち着いているところから、何度も繰り返されている日常の現象らしい。
ソメイルはちょいちょいとエリスを引っ張り、耳打ちした。
「ねえ、エリスにとって、ゲオルクってどんなヤツ?」
「え? 私の仕事を手伝ってくれる、気のいい魔法使いさんだと」
「あの捻れた角とか長い耳見て、人間じゃないとは思わなかったの?」
「人間には色んな人がいるんですよ、ソメイル様。
肌の色や髪の色が違ってたり、操る言葉が違ってたり」
「頭に角が生えている人間て、いないんだけどね……」
「それに、ゲオさんはよく働いてくれるいい人ですし。特に洗濯は助かりました」
「洗濯?」
「洗濯物を干すのをよく手伝ってくださいましたから。特に雨の日は乾かないので、風魔法と火魔法をアレンジした『乾燥機モード』が素晴らしいです。洗濯物がふかふかに乾きます」
「魔王による、『乾燥機モード』」
「血眼になって私の下着を探そうとするのが悪いクセなのですが」
「変態だ」
「まさか魔王さんだったなんて。
とてもそんな悪い人には思えませんでした」
「……実は犯罪者だったって知った時の、近所の人のコメント」
「私に触れる度に煙を噴いていたので、なんかおかしいなあ、とは思ってましたけど」
「結局鈍いんだな、この子は!」
あれえ?と首を傾げるエリスは、聖女宮で曲がることなく成長した、純粋培養聖女であった。困った子だが、仕草も表情もとても可愛い。
この子と人生やっていくの、割と大変かも。とソメイルは覚悟した。
治った、と両手を見せるゲオルクに笑顔で拍手をしているエリスを眺めた。
クソ可愛いじゃねえかこのやろう、とソメイルは巡り巡ってゲオルクを恨んだ。可愛い笑顔をそんな間近から向けられてるんじゃねえ。
ソメイルがゲオルクに勝てそうもない喧嘩を売ろうとしたその時。エリスが耳をそばだてるような仕草をした。
真剣な顔が、何かを掴もうとしているのが分かった。
「何か、下から気配がします」
◇ ◇ ◇
邸宅の地下には貯蔵庫が設置されていた。
普段使わない物や、保存食などを置くウォークインスペースだ。レンガ造りのしっかりした空間だった。
前の住人が置いていった何かしらがいくつかあるが、ガランとした貯蔵庫は、地上よりひんやりとした空気が満ちていた。
エリスは階段を降りて気配を窺っている。真剣な眼差しで辺りを見回した。
すっと、壁の一箇所を指さした。
「あの向こうに何かいます」
「何かって」
「分かりません。良くないものです」
「だって、壁だぞ」
「壊せばいいじゃん」
魔王ゲオルクは軽く拳で壁を叩いた。呆気なく崩れるレンガの壁。ゲオルクの膂力がおかしいのだ。
壁の向こうは洞窟のような空間が広がっていた。土と岩をくりぬいてできたような空間だ。洞窟の奥は暗闇で塗りつぶされ、どこまで続いているのかわからない。
その暗闇から、唐突に複数のピンク色の触手が飛び出した。
ソメイルは咄嗟に剣を抜き触手を次々と切り落とす。高速で伸びてくる触手を瞬時に切り落とす剣技は、さすが勇者であった。
「ゲオルク、奥に何がいるかわかるか?!」
「モンスター・トードかな。カエルのでかいやつ」
「そんな魔物が、なんで僕ん家の地下にいるんだよ!」
「知らねえし。
それより、モンスター・トードは雑魚なんだけど。そいつを好物にしてる魔物が割と厄介で……」
ゲオルクの言葉の終わらないうちに、緑色にぬるりと光る巨大な頭が、高速で貯蔵庫に飛び込んできた。ソメイルは咄嗟に剣を振るった。ガキンと鋭い歯に剣が弾かれる。弾かれた剣の鍔を返して、ソメイルは緑色の喉首に剣を突き刺した。
長くうねるヘビの体が、貯蔵庫の中をのたうった。
「ジャイアント・ナーガかよ!」
「カエルときたらヘビだよな」
「そういう、普遍的な食物連鎖の常識的解釈なんていらないんだよ! ここ、僕ん家の地下だって言ってんだろ!」
「そんなにイキられても」
「いやあん!」
女の子の悲鳴が上がり、魔王と勇者は同時に声の主に目を向けた。
ジャイアントナーガの尻尾が、エリスの身体をグルグルに巻いていた。腕ごとお腹の周りをグルグルと巻かれたエリスは、横向きに転がされていた。細身の体の割に豊かな胸が強調され…………
「「 えっろ 」」
「てめえ、どこ見てんだ魔王ゲオルク!」
「お前こそ、どこに目をつけてんだ勇者ソメイル!」
「あんなに細身に見えるエリスが、すんごい宝物持ってたとか、思ってないからな!」
「とっくに諦めてた、あんなことやこんなプレイが可能になっちゃったじゃねえかなんて、考えるなよ!」
「あのっ、喧嘩してないで助けていただけると嬉しいのですけどっ」
ソメイルはタンっとヘビの尻尾を切り落とした。
ゲオルクは拳の一撃でヘビの頭を潰した。
助け出されたエリスは、少し恨みがましい目でソメイルとゲオルクを交互に見つめた。やましいことを考えていた男二人は、綺麗に目を逸らしていた。
エリスはそれでも深々と頭を下げて二人にお礼を述べた。
「あの、ありがとうございました」
「いやまあ」
「これくらい、お安い御用」
「お二人はとってもお強いのですね」
「まあ、僕は勇者だし?」
「俺なんて魔王だし」
「すごく、素敵でした。
ところで、穴の中からたくさんのお目目が、こちらに向けて光っているのですが」
「「 あ? 」」
ソメイルとゲオルクは同時に穴を振り向いた。
深い穴の向こうから無数の目がこちらを狙っていた。どう考えても友好的な目ではない。明らかに殺気がビシビシと吹き込んできていた。ぬるりと巨大なヘビの頭がいくつも鎌首を上げて侵入してきた。ジャイアントナーガは、一匹ではなかったのだ。
ソメイルはギリっと剣を握り直した。
静かな怒りがソメイルの意識を支配した。
この、爬虫類ども。
……人んちの地下で繁殖してやがんのか、このクソ魔物どもめ。こちとら好きになった女子相手に、繁殖行動すらできてねえってのによ!!!
「エリス、ゲオルクのそばを離れるな」
「……はい」
「ゲオルク、エリスにかすり傷一つ、つけんじゃねえぞ!」
「おー」
「一匹残らずぶっ殺してやる。
くらえ、雷撃剣!!!」
勇者ソメイルの必殺剣が、ソメイル宅の地下で炸裂した。
◇ ◇ ◇
エリスはリビングルームでソメイルの手当をしていた。
地下の魔物を全滅させたソメイルは、暗い目を据わらせたまま、ボロボロになって穴から出てきた。勇者、という肩書きは今のソメイルからは感じ取れなかった。
聖女修行を続けていたエリスである。治癒魔法をかけるのはお手の物であった。軽く《ヒール》をかけるだけで、ソメイルの傷はみるみる閉じていく。ソメイルのもともとの回復能力も強いのであろう。祈りを捧げれば目に見えて治癒されていく。
今まで聖女として働いた経験があまりにも少ないエリスである。大勢の聖女が祈る大聖堂の片隅で、雑用の仕事を終えてから片隅で祈らせてもらう。たったそれだけの経験が、エリスの聖女としての仕事だった。
自分の祈りで人の体が治癒されていく。聖女の仕事とは、人を癒していくもの。
その現場を初めて目の当たりにしたエリスは、衝撃を受けた。
聖女の仕事というのは、とても尊いものなのでは。
治療されているソメイルは不機嫌だった。
穴の奥でジャイアント・ナーガを切りまくり、最奥にあったヘビの巣の卵を散々叩き割って、ボロボロになって貯蔵庫へ戻ったソメイルである。
疲れきったソメイルが見たものは、「せっせっせーのよいよいよい」と歌いながらお手手を繋いで遊んでいる、エリスとゲオルクであった。
ゲオルクは己から溢れ出ている魔素を調節することで、短時間ならエリスに触れることに成功したらしい。途中で煙が出始めると、残念な顔をして手をふうふうしていた。
油断しまくっている魔王をソメイルは蹴り倒し、エリスの手を取ってリビングに戻ってきた。そこで力尽きて倒れたソメイルに、エリスが《ヒール》をかけた。そんな流れであった。
《ヒール》のおかげで回復したソメイルは、むくりと起き上がった。《ヒール》をかけるため自分に翳されていたエリスの手首を掴んだ。
「君は、僕の妻だ」
「はい」
「だから、他の男に肌を触れさせてはいけない」
「……ゲオさんにも、ということですか?」
「そうだ。小器用にエリスに触れられるようになりやがって、あの魔王……」
「ゲオさん、せっかく頑張ったのに」
「ダメ! エリスは僕のだから!」
子供のように主張するソメイルが可愛く見えて、エリスは思わず笑みを結んだ。勇者のくせに、子供みたい。
ソメイルは息を飲んだ。
めっちゃくちゃ可愛いじゃないか、こんちくしょう……
「エリス」
「はい」
「大切にする。僕の一生をかけて」
「……はい」
「子供もたくさん欲しい。君と僕との子供を」
「子供は可愛いですものね」
「僕の子供を、産んでくれるか?」
「祈りましょう。天に祈りが通じるといいですね」
「そうだな、天に祈る……」
ソメイルはふと違和感を感じた。
おかしな会話ではなかった。
だが、決定的な何かがズレているような気がした。
ソメイルは、そっとエリスを窺った。
「……エリス、子供の作り方、知ってる?」
「もちろんです。ちゃんと聖女宮で学びました」
エリスは胸の前で祈りの形に手を組んだ。
「結婚した男女が同じベッドで祈りながら眠ると、大きな白い鳥が赤ちゃんを運んできてくれるのですよね」
「………………」
「私は聖女宮で一生を終えると思ってましたので、そんな神秘的な鳥さんを見る機会はないと思っていました」
「………………」
「ソメイル様に感謝致します。早く鳥さんに会えるといいですね」
「………………聖女宮め、チクショウ!!!」
ソメイルは拳を床に叩きつけた。リビングに大きな穴が空いた。
聖女宮で作り上げた、超純粋培養聖女乙女は、人類の繁殖の仕方を知らされることはなかった。
子供は奇跡の授かりもの。天の神秘が形になったもの。それこそが、かけがえのない命。
……って、綺麗事だけでガキができるか!!!
実地で教えたるわ、コラあ!!!
と、憤然としたソメイルがエリスに向き合うと、怯えたようなエリスが自分を見ていた。儚げな容姿で涙目の女の子に、僕は何をしようとした。
ソメイルは急速に我に返る。
……怯えさせてどうする。
男女のことを知らされていないのは、エリスのせいじゃない。クソ聖女宮の、クソ教育のせいだ。
知らないのなら、教えていけばいい。
怖がらせないように、ゆっくりと。
まずは、おしべとめしべから……
「おい、ソメイル。馬鹿力で貫通させんなよ」
床から声が聞こえた気がした。
ソメイルの開けた床の大穴は貯蔵庫の天井も破壊していたらしい。
覗き込むと、貯蔵庫が一変していた。豪奢なベッドや家具が設置され、ガウン姿のゲオルクがソファで寛いでいた。
「…………ゲオルクお前、人んちの貯蔵庫に何してくれてんの?」
「俺明日からさあ、こっから魔王城通うわ」
「おいっ」
「エリスに触れる修行は、これからが佳境だし」
「無駄な修行今すぐやめれ」
「ソメイルの監視も必要だ。
……エリスに手、出すなよ」
「エリスは僕の妻だ!」
「エリスの所有権は、俺にある」
床と天井を挟んで、二人の男はギリギリと睨み合った。
激しい睨み合いを傍で眺め。
エリスはソメイルの手を握った。
こちらを見あげるゲオルクに、にこやかな笑みを送った。
自分が二人の男に狙われているとはつゆとも思わない聖女エリス。聖女らしく、朗らかに宣言した。
「みんな、仲良くしましょうね」
――終――
頭を空っぽにして、空っぽのまま終わる作品を目指しました。「ぷっ」とか思っていただけたら、足跡を残したということで。
作中にちらりと話題の上がった変態悪魔。
拙作『アイドル王子(自作自演)と、深窓の姫君(余計なコブ付き)の、【偽装結婚】?!』に、余計なコブとして登場してます。作中ではもっと変態です。よろしければそちらもご覧ください。
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