06:開戦演説
「泣いていたな」
セコンド席に戻るなりトァザが言う。
「泣いてなんか――」
「セフィじゃない。相手の闘技士だ」
トァザが言うには、ラバニスの闘技士はあの時泣いていたという。私には人形みたいな無表情にしか見えず、感情は読み取れなかったが、彼の目は少女の僅かな機微を感じ取ったのだろう。
それでなくともアーロンの振る舞いは不快だ。身体をいいようにされて悲しみこそすれ喜ぶものはいない。泣いているというのも理解できる。
アーロンは「闘技士は屍なのだから人権はない」という口ぶりだった。自作の愛玩人形に個人の趣向を反映させる……それが技巧整備士の特権だと恥知らずに言うだろう。
「これから開戦だというのに、戦い辛いな」
闘技士ティカは、囚われている……。
そんな幼気な少女に向かってトァザは拳を振るうのだ。
「情けは無用だよ。トァザ。
勝って、あの闘技士を楽にしてあげよう」
トァザの拳が一瞬、硬く握りしめられる。
「……あぁ」
迷いを振り払い、リングに向かうトァザの背を叩き見送る。相手側は既にリングの上で開戦を待っていた。
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14時。
両国の国王陛下が開戦演説を行う予定だ。
空にはモニター中継用カメラドローンが飛び交い、鳶のように闘技場を旋回している。両者リングインに伴い会場は興奮は最高潮に達した。遮音と安全確保を兼ねた透明な結界防壁が展開され、彼らの声援は遠くなる。
会場のスピーカーからはラッパの音色が響き渡り、後に続く鼓笛隊が開戦時刻を告げると、モニターは国王両名を映し出した。円卓に用意された玉座からそれぞれ立ち上がり、国民は再び割れんばかりの歓声を上げる。
私はリングに目をやると、トァザが背筋を伸ばしてストレッチをしているのが見えた。
本人的には居住まいを正す程度に誤魔化しているつもりだろうが、太陽が照らす闘技場で肉体美の黒い輝きは思っている以上に目立つ。
私の視線に気付いて、トァザは手を振る。私は手を振りかえしながらも顎でモニターを指した。しゃんとなさい。
トァザはストレッチをやめて、まっすぐにモニターの方へ体を向ける。
次に私は、ラバニスの闘技士を眺めた。
先ほど見たドレスは変わらず、その上に外装を追加したか、曲線美を描いていた小さな肩は鎧で覆い隠されている。白い肌、白い鎧、オレンジ色の長い髪。全ては微動だにせず沈黙している。
その姿はどこか所在無く、迷子のように見えた。
スピーカーから小さくノイズが漏れる。マイク音声が繋がったのだ。円卓所属の整備士団が今回の戦闘立会人を務めるという旨の短い挨拶の後に、両国国王が紹介され、開戦演説は始まった。
会場の観客席は緊張の面持ちで静かに傾聴している。
先ずは最後通牒を告知した側――ラバニスの国王演説。
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「敬愛するラバニス国民の皆様、そして長き友邦であったラザンノーチス国民の皆様へ。
IDEA加盟国の一員として、そしてラバニスの指導者として、私は誇りを持ってこの場に立っています。
……私は、重大な決断を下すためにここに立ち上がり、あなた方に向けて開戦宣言を行います。
ラバニスは、国土面積こそ小さな国ですが、海中資源に恵まれ、経済的にも発展を遂げてきた自由の国であります。しかし、私たちの自由は今、ラザンノーチスとの国土の領有権を巡る争いによって脅かされています。私たちは平和的な交渉の道を試みましたが、残念ながらその道は閉ざされ、ついには合意に達することはできませんでした。この結果、私たちは最後の手段として戦争を選ばざるを得なくなったのです。
私たちラバニス国は、まだ記憶に新しい旧第七国家ユグドとの戦争に勝利した経験があります。ユグドは国土も人口も我が国よりはるかに大きな国家でした。それでも、我々は勝利したのです。
……これは私たちの勇気と団結の証です。この経験から学び、我々は再び勇敢に立ち上がり、我が国の自由と安全を守るために行動しなければなりません。
ラザンノーチスの国民の皆様へ。我々は本来、敵対する運命ではなかった。私たちはただ、自国の権利と自由を主張しているのです。戦争は私たちが望んだ結果ではありませんが、私たちはこれ以上、抑圧されることなく、誇り高く生きるために闘わなければならないのです。私たちは、あなた方が抱える痛みや損失を理解しようと努めています。しかし、私たちラバニス国民も同様に苦しんでいるのです。互いに理解し合い、和解することができれば、平和的な解決も可能です。
ラバニスの皆様へ、度重なる戦争は私たちにとって困難な時代と言えるでしょう。しかし、私たちは逞しい。私たちは自由を信じている。今再び団結して立ち向かわなければなりません。私たちはユグドとの戦争で証明されたように、困難に立ち向かい、勝利を収めることができるのです。私たちの自由と繁栄のために、国家と共に戦いましょう。
――そして、我が国が戦争に勝利し、栄光を手にした暁には、マルドゥーク・ジャンヌ=ダルクが提唱した国家統治思想が、ついに我がラバニスによって実現されるのです」
この瞬間、ラバニスの本当の狙いが露わになった。
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観客席の反応は当然真っ二つだった。
ラザンノーチスの国民は不満を溜めて、『円卓』の観客席の向こう側半分を睨む。そこかしこから怒号が飛び交い、一部の観客は拳を振り上げて叫んだ。一方で興奮のあまり涙を流す者さえいた。
一方ラバニスの国民は称賛一色。ユグドとの戦争の興奮から冷めきっていないのか、もう戦勝の妄想に酔っている。
だが、重要なのは最後の一言だ。誰も最後の一言にまで注意深く聴いていないのか……私は舌打ち一つ、脚を組んで目を閉じる。静かにラザンノーチス国王の演説を待つ。
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「我が第六国家ラザンノーチス国民の皆様、そしてラバニス国民の皆様へ。私はラザンノーチス国王ガストー=ソル・ホーエンハイムである。
皆、大いに混乱していることだろう。しかし、まずは落ち着いてほしい。この重大な瞬間に、私は立ち上がり、あなた方に向けて開戦を宣言する。
最後通牒を突きつけ、宣戦布告を行ったラバニスに対し、我々もまたこの場で応じねばならない。
まず初めに、我々は平和と対話を重んじる国家であり、それは今も変わらない。大霊戦争の終結から七十年……戦場は世界から円卓へと移った。だが、それでもなお戦争は悲劇であり、破壊と苦痛をもたらす。私たちは過去の歴史の闘争から学び、現代社会での対話と外交手段を第一に重んじてきた。
ラバニス国民の皆様へ。我々はあなた方の主張や願望を理解している。現代においても、戦争は無理解と社会の分断を引き起こす。我々はその痛みを共有し、和解の道を模索する意志がある。我が国は、協力と寛容の精神に基づき、平和的な共存を追求してきた。
ユグドとの戦争において勝利を収めた事実は否定しない。しかし、戦の勝利を誇示することは、我々の誇りではない。悲しき過去から学ぶべき教訓があるとするならば、それは、平和を愛し、戦争を回避する努力を怠らぬことだ。
我々ラザンノーチス国民は、ラバニス国民と同じく、自由と尊厳を求める。しかし、自由とは他国を侵略し、紛争を引き起こすことではない。我々はIDEAの掲げる正義を尊重し、同じ価値観を持つ友邦と手を取り合うことを望む。
この円卓にて、未来の分水嶺が決することとなる。だが、まだ対話の余地があるのならば、今日の戦争に白旗を掲げることを、私は拒まない。
我が国の民よ、どうか心を一つにしてほしい。ラバニスの誤れる国家思想を打破するために、我々は歩みを共にする。
私は国王として、IDEA加盟国の代表の一人として、ラバニスの蛮行を許さない。そして、この円卓に勝利を飾る暁には、大切な隣国、第七国家ユグドを解放することを誓う。
私は屈しない。
我々は屈しない。
ラザンノーチスの誇りは揺るがない。我らが勝利を収めるとき、ラバニスの驕り高き太陽は、光を失うこととなるだろう」
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会場の反応は先程とは反転した。ラバニス側からブーイングの嵐が届く。
私は一人の国民として、拍手で国王を讃えた。
蛮行を許さない……全くもって同感である。
通常、円卓で行われる戦争に賭けられるのは、最後通牒の内容の撤回と、島国の領有権の獲得だ。戦勝国はそれらの権利を手に入れることになる。
しかし今回は勝手が違う。
ラバニスははっきりと告げた。
『国家統治思想を実現する』――と。
通常勝ち取れるものではない国家そのものをぶん取ろうとしている。発展途上の島を巡る所有権を争っていたはずなのに、勝てば国家全てを手に入れる気だ。
実際、先の戦争でラバニスは第七国家ユグドを征服した。
それに、『統治』という言葉も引っかかる。
ユグドを合併吸収したのではなく、実効支配したということだ。それは重大な侵略行為ではないのか……?
ラバニス国王は『マルドゥーク・ジャンヌ=ダルクが提唱した』と言い含めていたが、私の知る限り、平和維持に身を捧げたマルドゥークの思想とは異なっている。
私は隣の空席を叩いた。
「くそっ……!」
最高技巧整備士団IDEAの思想は侵略でも統治でもない。同盟だ。
尊敬する祖父の提唱した平和を歪曲するラバニスは許せない。
アンダー・アーロンも一国家に属する以前に円卓の技巧整備士だろうに。ラバニス国王の危険思想を否定するべき立場なのに……。
いや、あいつにそんな期待をするのは無駄なのだろう。とっくに腐っている男だ。
譲らない正義が渦を巻く『円卓』の中、国家としても、個人としても、絶対に負けられない戦いが始まろうとしていた。