10:午後の『円卓』Ⅲ
『円卓』はラザンノーチス技巧整備士の申請した三時間のテクニカルタイムアウトを了承した。
テクニカルタイムアウトとは。
円卓での第二戦後に各国代表の整備士が一度だけ申請できる施術時間である。但し、申請は一度だけ、その上次の戦闘(第三戦)で勝ちを収めなければその次の戦闘(第四戦)で霊素補給不可のペナルティが課せられる。なにより、この時間で敵国も技巧を仕上げる猶予が手に入る。
つまり先に申請した国がペナルティを背負うため、本来は我慢比べの駆け引きが伴うものだ。私達は第三戦でティカを破壊しなければ敗戦が確定するだろう。
それでも、今の私達には他の手段はなかった。ここで申請しなければ第三戦すら望めない。戦闘不能と判断されて敗戦となる。
円卓から流れるラザンノーチスのテクニカルタイムアウト申請のアナウンスに、ラバニスの嘲笑とブーイングが響き渡る。『悪足掻きはよせ』、『潔く負けを認めろ』と、悪口が耳に届いた。
確かに悪足掻きだ。
だけど、潔く負けを認める訳にはいかない。
辛酸を浴びせられる思いだが悔しがる暇はなかった。漏出する霊素を堰き止める安定剤をトァザに投与すると、補助整備士が腹部二箇所の止血と応急処置を行う。技巧の交換準備は彼らに任せて、私は古びたトランクの中身と対峙する。
円卓の保管庫に眠っていたトランクは四つ。ずしりと重く、中には金属の塊によって構成されたトァザの手足が収められている。力に魅せられた当時の私が生み出した兵器は、軽量化を軽んじていたのだと実感する。強さに固執して、なんにも見えていなかったのね……。
――久しぶり、ザルバニトー……。
私が生み出した、最も手に負えない問題児。
今の状況では、トァザの四肢をスペアに取り替えた所で勝利はない。それはわかっている。かといって、最終兵装を上手く扱えるかは未知数だ。いや、どうだろう……トァザに接続した後で起動する保証はない。
私はトランクを開け、重い右腕を引きずり出す。ダークグレーの緩衝材にすっぽりと収められたその腕は炭のように黒く、鈍い光沢がある。トロリークレーンで吊り上げ、作業台に移すと台が軋んだ。見た目は人間の腕一本。その重量は想像以上だ。
額に汗を滲ませて換装用ハンガーまで運ぶと、固定具に各部を接続した。これをあと三回、左腕と両足分繰り返す。
頭の中ではこの後の施術をイメージしようとするが、不安ばかりが膨らんでいく。
どうしたって賭け勝負……私達が負けてしまえば、どうなるのだろう――ふと、そんな考えが頭をよぎる。
開戦前に見せたアンダー・アーロンの視線……品定めをするような、じっとりとした性的な眼差しが、私の恐怖をより具体的なものにした。
この戦争であの男はティカを使い潰し、勝利を収める。
そして敗戦国から次の闘技士となる素材を調達し、他の国に戦争をふっかける。
円卓に立つのは……身体を弄りまわされ闘技士となった私……。
ティカ・ペネロレッタと同じ運命を辿り、トァザはきっとこの世にいない……考えるだけで背中が粟立つ。そんな未来はごめんだった。
『そんな未来はごめん』……?
私がそんなことを言えるのだろうか?
整備士である私だって、トァザの体を散々弄ってきたじゃないか。
――ダメだ。
私は首を振る。
――そんな自問自答がしたいんじゃない。
ザルバニトーに換装する。これは決定だ。その後に起きるであろう問題、トァザとの親和性の調節をクリアしないと。
過去にトァザと接続した時、ザルバニトーは装着者を灼き尽くす勢いだった。兵装の補助脳に格納した高エネルギー化された霊素が、どうしてもトァザ自身を傷付けてしまう。何か最適化の目処はあるかと知恵を搾るが、今の私から見ても改善案が思い浮かばない。
破壊と美を兼ね備えた、ザルバニトーは最高傑作の中の最高傑作だ。
なら、今回も結局トァザに適合できないかもしれない……それならやはり、スペアの四肢で挑んだ方がいいのではないか……? それで勝てるのか……?
私の指先はまた温度を下げる。行き詰まった思考は鈍ってしまう。
……スペアの技巧の方が安定しているけど、ティカに勝てる見込みがない。トァザだってザルバニトーへの換装を望んでる……あぁ、もう……!
「クソッ……っ! クソッ! クソッ! クソッ! ……泣き言を言うな、セフィリア・アストレア!!」
私は自責の念に思わず叫ぶ。
不安は消えないが、気休めでもいい。
奮い立たせないと泣きたくなる。
糸口はあるはずだ……私は換装用ハンガーに固定されたザルバニトーの右腕で拳を作り、私の頭を殴らせる。
私を赦してくれるような痛みが必要だった。
悩みを忘れさせてくれるような、人の形を失うほどの罰をつい求めてしまう。
この世界に神なんていないと、私は知っているはずなのに。
「……人の形を、失う……?」
私は何か重要な見落としに気付いたような気がして、トァザを見つめる。
「この世界に神はいない……そうだ……」
トァザは四肢を取り外され、輸血も完了している。霊素安定剤によって意識はないが、顔色はすっかり良くなっていた。
闘う意志を無くしたら、技巧整備士は勤まらない。
国家の戦争を引き受ける技巧整備士と闘技士は切り離せない二人組だ。
トァザは無敗の誓いのために全てを抛った。
私は……無敗の誓いのために何を捨てる?
❖
二時間経過。
ラザンノーチス側セコンド席では、一心不乱にザルバニトーを分解する私がいた――第三戦まで、あと一時間。
「補助整備士は、ザルバニトーの四肢それぞれの兵装基盤に動的磁器ケーブルを装着してください。各自、装着できたら私に伝えて」
私の指示に整備士達は頷き、急いで作業に取りかかる。
その一方で私自身はトァザの第七頸椎に埋め込まれた補助脳を取り外して、霊素複製装置に接続した。次に、元々用意していたトランクを開けスペアの技巧四肢、両腕と両脚を全て分解し始める。
いよいよセコンド席の床は足の踏み場もない程に部品が散らばり始めた。血液やオイルが辺りを汚して、そこかしこに人の肉片が転がる。陰惨な殺人現場の様相だ。
「セ、セフィリア・アストレア……! これから分解するんですか……!? 間に合わないですよ!!」
準備してきた全てのスペアを手当たり次第に壊していく私を見て、さすがの補助整備士も驚き、正気を疑う。
「そんなことわかってる……! それでも可能性はこれしか無い……。
最後の、最後の敗戦のカウントギリギリまでには間に合うように力を貸して……!」
もとより間に合うなんて思っていない。私はただの人間だ。技巧整備士なんていう役職について、神に近い人間なのだと思い上がった事もある。
おかしな話だ。その時の失敗作、力に溺れた当時の私そのもののような問題児が、今になって必要になるなんて。
でも、過去を乗り越えるには、まず向き合わなくちゃいけないの。
分解して、見つめなおして、整理して繋ぎなおす……。
ザルバニトー……ねぇお願い。力を貸して――!
私は祈りながら全ての分解を終える。そしてワイヤーの神経束を途中から切り取り、スペアの四肢側、ワイヤー神経束に接続する。組み立て方は頭の中にしか無いので、技巧整備士達に口頭で指示を出すことは出来ない。
なので私が右腕を再構成している間、可能な限り私と同じ術式を左腕に行うようにお願いした。わからない部分、見逃した手順はその場で私が対応する。骨格の組み立てが終わると、整備士はその形状を眺めて息を呑む。ありあわせの部品から、トァザの技巧を再構成していったのだ。
私は人工筋肉の移植を丸投げし、右腕を整備士に託す。
――大丈夫。残り時間36分。
焦りからかセコンド席は浅い呼吸音が響く。国家の命運が、残り36分に賭けられている。
まだザルバニトーの両足の組み立て作業がまるまる残されている。
「ザルバニトーの右腕が完成しました……!」整備士が震える声で報告する。「でも……本当にこれであっていますか……?」
自身のない声に私は作業の手を止めて、完成したという右腕を一瞥する。
「ありがとう、……手が空いてる補助整備士は右腕をトァザに接続して。仮接続でいいわ、最終接続は私が行います」
「り、了解……!」
整備士が不安がるもの無理はない。設計図の無い土壇場の悪足掻き、こんな無茶によく付いて来てくれている。
「セフィリアさん、兵装基盤に動的磁器ゲーブルを接続しました!」
「四つ? 全て完了したのね? 補助整備士同士でダブルチェックして。四つ全て」
私は右脚の組み立てを中断し、同時進行していた霊素複製装置を確認する。モニターに表示されたステータスは問題なく完了《Complete》の文字が映されている。トァザの霊素も私に協力してくれているのだと信じて、気を引き締める。
「各補助脳をこちらに交換して、ザルバニトーに組み込んで下さい。……あ、あとトァザを起こしてあげて」
「はい……!」
「気をつけて。複製体とトァザ本人の補助脳を間違えないように確認して、刻字で見分けがつくから」
補助脳を整備士に手渡し、再び右脚の分解を始める。残り時間24分。間に合え……、間に合え……!
右脚の技巧も同じようにワイヤーの神経束の取り替えと、人工筋肉の交換をして組み立て直す。当然この術式も鏡写しのように左脚を整備士達が担当した。
「右脚出来ました。……仮接続お願い」
最後に左脚が終わり、仮接続に回す。手の空いた私は息つく暇もなくトァザの右腕に駆け寄り、最終接続を行う。
筋繊維の配置は脳に叩き込んである。
私は瞬きも忘れてトァザとザルバニトーを繋いでいく。
トァザは少し朦朧としているが、再起動して目が覚めていた。
「……セフィ……どんな感じだ……?」
「やれることはやってるけど、とにかく時間がないわ……!」
トァザは円卓のモニターを見上げ、メディカルタイムアウトの残り時間を見つめる。
「……ぶっつけ本番だな。……大丈夫。俺はセフィを信じてる」
「いえ……」ちらりとだけトァザの目を見る。「私がトァザを信じてる」
左腕、右脚、左脚……残り時間3分。やはり時間はオーバーする……! 敗戦までのカウントダウンを含めても、もう猶予はない。
「複製完了した四つの補助脳はザルバニトーに接続した? ……了解。」私はトァザに向き合う。「ぶっつけ本番……! ザルバニトー神経接続開始……!」
私は外部接続されたレバーを下ろすと同時、円卓からはアナウンスが響いた。
『メカニックタイムアウト、三時間が経過しました。これより第三戦を開戦致します』
全ての施術は完了した。しかし、ここからが正念場だ。
ザルバニトーから流れ込む霊素の流入によりトァザは強制的に気絶した。……定着するまでは起きないだろう。少なくともバイタルに乖離反応の兆候はない。
今行った施術では、トァザの補助脳の『摘出』・『複製』・『接続』を行った。これはザルバニトーに格納された霊素の同期率を底上げするための術式だ。
そしてザルバニトー側には『分解』と『再解釈』。を……それによりザルバニトーは、いや、トァザは人の姿から外れてしまった。
トァザは無敗の誓いのために全てを抛った。
私は無敗の誓いのために、プライドと美意識を捨てた。
私は完璧を諦めた。
私の思い描いた最高傑作にトァザを同調させるのではなく、トァザに合わせてザルバニトーのスペックを落とし、あえて不完全なものにした。トァザにかかる負荷は大幅に軽減するはずだ。そのかわり、兵装の攻撃力も落ちている。……勝てるかどうかは、彼次第だ。
大丈夫。私は心の中で唱える。トァザを信じる。
ここからが正念場。
やることは全てやった。後は適合することを祈るだけ。
円卓の観客席は不審なざわめきが溢れ出す。ラザンノーチス側の闘技士が一向に姿を現さないからだ。
私はドローンに見つめられ、モニターに映される。目を閉じて、トァザを待つ。
円卓に現状を伝えることは出来ない。もし、トァザの施術は終了していること。その上でトァザの霊素が安定するまで時間がかかることを伝えてしまえば、円卓は現時点を持ってラザンノーチスの闘技士が戦闘不可能であると判断するだろう。
目を開き、リングを睨む。
禍々しい最終兵装の砲口をこちらに向けて、ティカは静止している。
私は懐中時計を握りしめて祈る。
――お願い……トァザ……!!
❖
『第六国家ラザンノーチスの闘技士トァザに通告します』
『直ちにリングに現れない場合、第三戦は戦闘続行不能であると判断します』
『その時点で第六国家ラザンノーチスの敗戦が決定いたします』
私は後ろを振り返る。
トァザは未だ昏昏としていた。
『10カウント、開始』
モニターが暗転し、無情にもカウントダウンは始まった。
ラザンノーチスの客席からがなり声が飛んでくる。一方で敗戦を悲観した発狂が混ざって耳に届く。
…9、…8、…7、…6、……。
補助整備士はプレッシャーに耐え切れず、気を失って倒れた。仲間がうろたえながらも肩を支える。皆唇まで真っ青だ。きっと私も同じ顔をしているだろう。
ラバニス側の観客席が責め立てるようにカウントダウンを数え始めた。ラザンノーチスの技巧整備士席で、私の脚が震えている。
負けてしまうの……?
お願い、起きて……!
…5、…4、…3、…2、…1、……――




