31.恋人役は、もう終わりです
お兄様は陛下の提案を受け入れて、ベルファス王国の使節団が帰国するまでは王宮にある限られた者しか立ち入れない区域で匿われることとなった。
ベルファス王国の使節団の面々が躍起になってお兄様を探し始めるだろうと推測した陛下は、宮廷魔法兵団の研究部隊に頼んで、徹夜でお兄様の模造品を作らせた。
それは私でも見分けられないくらい精巧にできており、完成品とお兄様が並ぶと、どちらが本物か見分けがつかなかったことは黙っておく。
模造品はお兄様の血液一滴と宮廷魔法兵団の団長が流し込んだ魔力を動力に動き始め、ベルファス王国の使節団の中に潜んでいる暗殺者を翻弄して王都中を逃げ回り、最後は暗殺者の前で海の中に飛び降りたのだった。
「ベルファス王国の使節団を上手く騙せて良かったよ。おかげで大人しく帰国してくれて安心した」
ラファエルはそう言うと、今日のために新調したらしい淡い灰色の上着の前を合わせ直した。
三つ揃えに合わせているのはパリッとした白色のシャツで、薄紫色のアスコットタイには彼の瞳と同じ青色のブローチを着けている。
いつになく念入りな装いに身を包むラファエルは、まさに貴公子と呼ぶにふさわしい見目をしており、道行く人々の視線をかっさらっていく。
――今日はラファエルと約束していた、外食の日。
いつも通りの外出用のドレスを着て待ち合わせ場所へ行った私は、そこにいる気合が入りまくった仕様のラファエルを見て、気後れしたのだった。
(私も……新しいドレスを用意した方が良かったのかしら?)
今更ながら気になってしまうが、これからドレスを買いに行くわけにもいかないから後の祭りだ。
ラファエルにエスコートしてもらって馬車に乗り込むと、さっそく私たちは沈黙してしまった。
「……」
「……」
実を言うと、ラファエルとこうして二人きりになるのは数日ぶりだ。
これまではベルファス王国の使節団の対応や、お砂糖ちゃんとその手先たちの尋問に追われて、その時間がとれなかった。
「……そういえば、クライネルト伯爵令嬢と彼女が雇った誘拐犯たちの処刑はもう明日だね」
「ええ。お砂糖ちゃんが陛下の逆鱗に触れたので一族全員が消されてしまうかと思いましたが、想像していたよりは優しい罰ですね」
「どうかな。彼女のご家族は爵位剥奪に領地と全財産の没収……社会的に消されてしまったから、死刑よりも苦しい罰のような気がするよ」
お砂糖ちゃん――もといクライネルト伯爵令嬢は、王妃と侍女の誘拐未遂で死刑判決が下った。
未遂と巻き込み事故とはいえ、王族に刃を向けてしまった罪をなかったことにはできない。
やがて、私たちと重い空気を乗せた馬車が予約していた店の前で停まった。
「……暗い話になってしまったね。今からは明るい話にしよう」
ラファエルは先に馬車から降りて、私をエスコートしてくれる。
今回私が予約したのは、肉料理が美味しいと陛下からお墨付きをもらっている名店。
以前ラファエルが予約してくれたお店のような高級店らしい煌びやかさはないけれど、こっくりとした色合いの調度品が並ぶ内装の雰囲気が良く、落ち着いた空間で居心地がいい。
私たちは店主直々に案内してもらい、店の中を横断してバルコニーへと出た。
「陛下からお二人をこの席に案内するようにと伺いました。どうぞ素敵な時間をお過ごしください」
にっこりと微笑んだ店主を見送った私たちは、店主がいなくなった後、二人して顔を見合わせた。
「予想はしていたけれど、やっぱり陛下が俺たちのデートを黙って見ているわけがないよね……」
「そうですね。他にもドッキリが待ち構えているような気がして、思わず周囲を探りたくなってしまいます」
「と、とりあえず乾杯しようか」
運ばれてきた食前酒が入っているグラスを持ち上げ、私とラファエルは乾杯をした。
「せっかちで申し訳ないんだけど、ロミルダが話したい『今後の話』について、聞かせてくれるかな?」
「聞いたら食事を食べられなくなるかもしれませんが、いいですか?」
「大丈夫。どちらかと言うと、俺にとってはロミルダの話が今日の夕餐のメインだと思っているから」
「……わかりました」
今日の外食で、どのようにラファエルに想いを伝えたらいいのかと、ずっと悩んでいた。
何が正解なのかわからなくて、何度も言葉を考え直した。
ラファエルが傷つかず、そしてラファエルが私から離れてしまわないような、そんな言葉を見つけたかった。
「ラファエル、ごめんなさい。私、あなたを好きになってしまったんです。だから女性恐怖症のあなたの側にはいられないと思って、恋人役を変える提案をしようと――」
「変えないよ。絶対に」
カタンと音を立てて、ラファエルが椅子から立ち上がる。
「お義兄さんに言った通り、俺はロミルダが陛下への片想いを終わらせるまで見守ろうと思っていたけれど、これからは遠慮なく俺の気持ちを伝えていくつもりだから、逃げないで」
「逃げるとは言っていません」
「ものの喩えだよ」
口ではそう言うくせに、ラファエルは私の逃げ道を塞ぐように目の前で床に膝をついた。
真摯な眼差しで見つめられると、胸の奥が小さく軋む。
「俺はてっきり、ロミルダはずっと陛下に想いを寄せているとばかり思っていた……」
「断じてありません。たとえ天と地がひっくり返ったとしても、私があの悪魔を好きになったりなんかしませんよ」
「そ、それはさすがに不敬だよ」
「誤解です。恋慕はないということです。家臣として陛下を尊ぶ思いはあります。私は陛下に命を救われた身ですので」
散々振り回してくる、どうしようもない主だけれど、私は今も彼に救われている。
彼が私にかけてくれた言葉が、壊れかけていた心が壊れてしまう前に、助けてくれたから。
「任務に失敗したから毒を飲んで死のうとした私に、陛下は『たった一度の失敗で腕の立つ人材を捨てる国なんかに身を捧げる必要はない。命を捨てるくらいなら、俺に預けろ』と言ってくれたんです」
正直に言うと、さっきまで自分の命を狙っていた人にそのような言葉をかけるなんて正気ではないと思ってしまった。
それでも、私は――。
「当時の私は兄の本心を知らず、兄のような存在の愛情に飢えていましたから――畏れ多くも、陛下を兄のように慕っていたのは事実です」
「それじゃあ、ロミルダは本当に、俺のことを……」
「ええ。私はラファエルを愛しています。恋人役を変える提案をしようと思っていましたが、それを取り下げてしまうほどあなたのことが好きです」
「――っ、不意打ち!」
ラファエルは目にも留まらぬ速さで両手で顔を覆ってしまい、表情がわからない。
だけど手で隠しきれていない耳が、真っ赤になっている。
「まるで私が卑怯な手を使ったかのように言わないでください! 歓迎パーティーの夜だって、ラファエルを好いていると言ったじゃないですか!」
「そうだけど! 面と向かって言ってもらえるのは初めてだから、衝撃が大きくて! 嬉し過ぎて死にそうで!」
ラファエルは顔から手を離すと、そのまま私の左手を取る。
「もう……恋人の演技は止めよう」
そう言い、ラファエルは薄く形が整った薔薇色の唇を、その手の甲に触れさせた。
まるで一枚の絵を見ているかのように美しいその姿に、私は瞬きも忘れて見入ってしまった。
「俺を、本当の恋人にしてください。俺には弱い部分も見せてほしいし、頼ってほしい。どんなロミルダも、愛おしいと思えるから」
「……っ!」
耳に届く声の切実さに、彼が向けてくれる眼差しの熱に、胸の中にあったわだかまりはすっかりと溶かされて。
「ええ、喜んで」
彼を愛おしく思う気持ちだけが残り、私を突き動かした。
「恋人役は、もう終わりです」
ラファエルの胸に飛び込むと、彼は抱き留めてくれた。
なお、このやり取りは全部陛下に筒抜けで。
私たちが翌朝、陛下の執務室へ行くと、陛下と王妃殿下二人が待ち構えており、盛大に祝ってくれたのだった。
ちなみにこの日以来、ラファエルは養父に睨まれたり、お兄様から時おり悪戯のような襲撃を受けるのだけれど。
ラファエルは上手く躱して今日も、私たちの結婚を認めてもらうために任務に励んでいる。
そんなラファエルが陛下にいいように利用されているように思えてならないから、そろそろ私も、結婚を勝ち取るために動き出すつもりだ。
(結)
最後までおつきあいいただきありがとうございました!
パッと見はカッコいいのに、中身はへにょへにょとしている残念なイケメンをどうしても書きたかったので、ラファエルをの登場シーンをたくさん書けて満足しました!
不定期投稿でしたが、少しでもみなさまの日々の潤いになれていましたら嬉しいです。
それでは、新しい物語の世界でまたお会いしましょう!




