23.不可侵領域
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陛下のデートは、俺とロミルダの徹夜残業が功を奏して、安全で安心な環境の中で、つつがなく終わった。
そうして翌日、回復薬を飲んで疲れた体に鞭を打って仕事へ向かう。
これから陛下に会って、王都で感じた殺気の持ち主について捜査をする許可を貰うつもりだ。
「あれ? いない」
いざ陛下の執務室に辿り着くと、陛下の姿がなかった。
陛下の秘書官の話によると、庭園で散歩しているらしい。
デートの翌日に散歩とは、随分とのんびりしている。
(しかたがない。散歩中の陛下を捕まえて話すか)
殺気の持ち主については一度陛下に報告しているけれど、陛下は平然とした反応だった。
それどころか、しばらく泳がせておいたらいいと言っていたけれど、俺は一刻も早くあの殺気の持ち主の正体を暴いて対処するべきだと思っている。
(それに、ロミルダの不安を取り除きたいし……)
顔は青ざめており、体を震わせていたロミルダの姿を思い出すと、早くこの問題をどうにかしたくて焦燥に駆られる。
あんなにも怯えているロミルダを見たのは初めてだ。
これまでに陛下の無茶ぶりに散々振り回されて、凶暴化した魔物の群れに突撃したり、訪れた者には死の呪いがかけられるという恐ろしい場所へ送り込まれたことがあったけれど、俺が悲鳴を上げている隣でロミルダは平然とした顔で任務にあたっていた。
(陛下も魔物も呪いも全く恐れないロミルダが怯える人だから、かなりの強敵なのかな?)
もしかすると、騎士団の人員総出で立ち向かわないと捕えられないような、とんでもない強者なのかもしれない。
やはり早く動くべきだろうと決心したその時、王宮の庭園にある四阿に陛下とロミルダが二人きりでいるところを見かけた。
「――好きです」
そう告げると、ロミルダは気恥ずかしそうに目を伏せた陛下から視線を外す。
自分の耳を疑った。
聞き間違いだろうと思ったけれど、ロミルダの頬は微かに赤くなっていて。
どこからどう見ても、恋をしている人の表情だ。
ロミルダが口にした言葉が、ロミルダの声で何度も、頭の奥で反芻して――目の前が真っ暗になった。
(本当に、陛下を好いているのか……)
漠然と予想していたことが本当になってしまった衝撃に、眩暈を覚えた。
(ひとまず、ここから立ち去ろう)
二人に気づかれないように足音を消して、元来た道を辿って戻ろう。
陛下の執務室の前で待っていれば、陛下は帰ってくる。
話はその時でいい。
今は目の前にいる二人と顔を合わせた時に備えて、心を落ち着かせなければならない。
しかしその立て直しのための猶予さえも、俺には与えられなかった。
回れ右をしようとしたまさに直前で、陛下と目が合ってしまう。
あまりの間の悪さに、寿命が三年は縮んだ。
「おや、ラファエルか。こんなところにいるなんて奇遇だな」
「あ、ええと……陛下に任務に関するお話がありまして……」
「わかった。執務室に戻ろう。ロミルダも仕事に戻れ」
「……はい」
ロミルダは目を伏せたまま返事をすると、俺には一度も目もくれずに、素通りして王城の中に入ってしまった。
(泣きたい……)
好きな人の告白現場に居合わせ、好きな人に無視されて、泣きっ面に蜂もいいところだ。
弱り切った心に、現実が容赦なく鋭い刃物を突き刺してくる。
満身創痍のまま執務室に入ると、陛下はすぐに話を切り出してきた。
「それで、任務に関する話とは?」
「先日報告した、王都に潜んでいる者のことです」
「ああ、二人とも報告してくれた、例の人物か」
「ロミルダも……報告したんですね」
陛下の家臣なのだから報告するのは当たり前のことなのに、なぜか胸が騒めく。
まるで鉛を飲みこんでしまったかのように、胸の中に重い何かがつっかえているような感覚がしてならない。
「その殺気について、ロミルダは何と言っていましたか?」
「う~ん、そうだなぁ……」
わざとらしくたっぷりと間を置いた陛下は、その目を三日月形に細めて、意味深に笑った。
「秘密だ」
「はい?」
「ロミルダの個人的な問題にも関わる話だから言えない。ロミルダ本人に聞いてみろ」
「聞きましたけど……何も教えてくれなかったんです」
「ほう、まだまだロミルダからの信頼が足りないようだな」
「うっ……もう少し優しい言葉をかけてください」
「俺はいつでも可愛い甥に優しい言葉をかけているつもりだが?」
「傷心気味の俺には傷口に塗られた塩同然です」
失恋した直後の弱い心に痛い一撃を食らってしまって、やはり泣きたくなる。
「とにかく、国民の安全のためにもその者を早く対処した方がいいでしょう。騎士団での捜査を承認していただけませんか?」
「その件については、ロミルダが動くことになったから任せておけ。ラファエルにはベルファス王国の使節団が来る際の警備体制の強化を頼む」
「……かしこまりました」
自分ではロミルダの不安を取り除けないのかと、己の不甲斐なさを呪う。
「ところで、ロミルダとの恋人役は上手くいっているか?」
「概ね、上手くいっているかと……思います」
ついさっき、失恋したから俺が一人で気まずくなっているけれど。
失恋の事実を思い出すと、またもや気が重くなる。
(本当に泣いてしまう前に退散しよう)
陛下にこの失恋を気取られたら最後、いじられるに違いない。
身の危険を感じた俺は、そそくさと執務室を後にした。
「陛下には、話したのか……」
口を衝いて零れた言葉が、余計に惨めさを増幅させた。
(俺には何も教えてくれなかったのに)
ロミルダに信頼され、想われている陛下を、心底恨めしく思う。
「ああ、モヤモヤする。ロミルダって、陛下にだけは心を許しているんだよなぁ……」
それは、陛下がロミルダの命の恩人だからなのだと、思っていた。
「好きだから、なのかぁ」
いつから好きなのだろうか。
もし、陛下の妃選定の頃から好きだったのであれば、ロミルダはどんな思いで妃殿下を補佐していたのだろうか。
(それに、俺と恋人役になれと言われた時だって辛かっただろな)
これからロミルダがどんなに望んだとしても、一夫一妻制が定められているこの国では、陛下の伴侶にはなれない。
それに陛下は妃殿下にぞっこんだから、ロミルダに振り向くことはないだろう。
「ずっと待っていたら、振り向いてくれるかな?」
もし俺がロミルダの養父こと財務大臣に結婚を認めてもらえたら、その時はロミルダの気持ちを守って、ロミルダの片想いが終わるまで、夫婦役をすればいい。
ロミルダは貴族である以上結婚を免れられないのだから、事情を知っている俺が結婚相手になって、ロミルダの片想いを陰ながら見守っていたい。
「我ながら、ずるい考えだな」
ロミルダの失恋を利用してまでロミルダの隣にいようとするなんて、自分の浅ましさに苦笑するしかない。
(こんな気持ちのまま、ロミルダの顔を直視できる自信がないんだけど……)
次に顔を合わせた時にはきっと、告白を思い出して、動揺してしまいそうだ。
「<薔薇>なんかじゃなくて、<鉄仮面>になりたいな」
一朝一夕でなれるものではないから、きっと明日にでもロミルダに会えば動揺してしまうのだろう。
やるせない思いが募り、空を仰いだ。




