02.恋人になる難解なお仕事です
相棒への連絡を終えた私は、そのままワゴンを押して、陛下の執務室の中に入った。
陛下は黒色の髪をいつも短く整えており、分けられた前髪から覗く瞳の色は青色。
即位前は騎士団の騎士たちに交じって剣を振っていたため、しっかりと筋肉がついた美丈夫だ。
ちなみに御年三十歳。
「陛下、休憩のお時間です」
「うむ。ご苦労」
「毒仕込みカトラリーを添えたお茶とお菓子をお持ちしました」
「はははっ。毒入り菓子ではないのだから安心した」
そう言い、レンシア王国の国王陛下こと私の雇い主は手に持っていた書類を机の上に置いた。
妻子がいるというのに、陛下は子どものように休憩時間のお菓子を楽しみにしている。
そして、大の悪戯好きだから大変手のかかる大人だ。
しかしこの人は暗殺に失敗した私を、自分の命を狙っていた暗殺者であるのにもかかわらず生かして家臣として側に置いてくれている命の恩人。
おまけに衣食住を保証して、お給金もかなりの額をくれている。
そんなお人好しな陛下だからこそ、守りたいと思う。
「厨房に忍び込んだネズミはバルヒェット卿が駆除しますのでご安心を」
「ああ、もう捕らえたと聞いている。じきにここに来るだろう」
陛下は積み上げられた書類の合間から私を見て、ニヤニヤと笑みを浮かべている。
……なんだか嫌な予感がするわ。
陛下があの笑みを浮かべている時は、よからぬ企みをしている事が多い。
これまでの経験上、早くこの場を立ち去った方がいいかもしれない。
(とはいえ、バルヒェット卿の報告があるから離れられないわね)
私は手早くテーブルにお茶とお菓子をセットし、予備のカトラリーを置いて陛下に休憩を促す。
よからぬ企みをしているのなら、お菓子の力で忘れさせるのみだ。どうか忘れてくれ。いや、忘れやがれください。
心の中でそう念じていると、ひと仕事終えたバルヒェット卿がマントを翻して執務室に入ってきた。
彼は私に気づくと、今日も律儀にウインクを飛ばしてくる。本当にキザでいけ好かない。
「陛下、厨房に忍び込んだネズミについて報告に上がりました」
「ふむ。仕事が早いな」
「仲介したのはインメル候爵です。恐らくは今日のお菓子を妃殿下が手配していたので、陛下が毒で倒れるのを口実に妃殿下を陥れて自分の娘を後妻にしようとしたのでしょう」
「やれ、妃選びの時から陰湿で姑息な事をしてきたものだし、もう爵位を取り上げねばならんな」
陛下はのんびりとした口調で桃と薔薇のムースケーキに舌鼓を打つと、優雅な所作で紅茶を啜る。
「そんなことより、お前たちに重要な任務を言い渡す」
重々しい声音に、私もバルヒェット卿も、思わず背筋を伸ばした。
固唾を呑んで任務の詳細を待っていると、陛下は唇の片側を持ち上げた。
その笑顔、やはり不吉なんですけど。
「お前たち、今日から恋人として振舞え。二人であちこちでイチャイチャして周囲に恋仲であることを知らしめろ」
「……は?」
陛下相手に、思わず素で聞き返した私の隣で。
「……え?」
バルヒェット卿は口元に両手を当て、目を見開いて瞬きしている。
なんだか、いつものバルヒェット卿らしくない反応だ。
もしかして、こっちの方が素なのかしら。……いや、ただ驚いてしまっただけよね。
「実はお前たちの事で由々しき事態が起こっている。このところお前たちが目立っているから、隠密としての役割に支障が出そうなのだよ」
「目立っている? バルヒェット卿はそうかもしれませんが、私はそんなことありません」
「いいや、ロミルダも十分目立っている」
そう言い、陛下は魔法を使って一枚の書類を呼び寄せると、私とバルヒェット卿の目の前に寄越してきた。
「<薔薇騎士様>のラファエルに熱を上げる侍女と女官はもとより、<鉄仮面>のロミルダに罵られたいという危ない嗜好に目覚めてしまった騎士たちまで現れてしまったのだ。このままお前たちのファンが増えると隠密としての行動がとれなくなってしまうから厄介だ。だから当人たちがくっついてこの事態を収拾せよ」
「……私に対してそのような目で見る者はいないと思いますが?」
なんせ、堅物で<鉄仮面>の愛称を持つ私を王宮の使用人たちや騎士たちは遠巻きに見ているのだから。
中には、目を合わせようともしない者だっている。
別に取って食ったりなんてしないのに。
「いや……<鉄仮面>の侍女に冷めた眼差しで見つめられたいと騎士たちが話しているのを聞いた事がある」
と、バルヒェット卿が国王陛下の嘘のような話を肯定してしまった。本当にいるのか。
とはいえ――。
「敢えて私たちが付き合わなくてもいいでしょう。それぞれが別の恋人を作るのはどうですか?」
なんたって、この軟派な相棒と顔を合わせる回数が増えるのなんて御免だ。
それなのに国王陛下はニヤニヤと企み顔のままで。
「命令だと言っただろう。任務は完璧にこなせ。事態が収拾すれば別れるといい」
私の逃げ道を塞いできやがる。
命令と言われると、私に拒否権はない。
私はある程度の自由を許されているけれど、それでも陛下の隠密として生かされている存在だから、命令は絶対なのだ。
陛下の執務室を出た私は、バルヒェット卿に詰め寄った。
「バルヒェット卿はこれでいいんですか?! この<鉄仮面>より美人でボンキュッボンな恋人の方がいいでしょう?」
「え……いや……俺は……仔猫ちゃんがいい……かな」
いつもは饒舌なバルヒェット卿が珍しく歯切れの悪い返答をするせいで調子が狂う。
「はぁ……。それなら、さっさと終わらせましょう。これからよろしくお願いしますね――ラファエル」
「……っ、な、名前!」
「名前で呼び合った方が恋人らしいですよね?」
「う……、あ、そうだね」
軟派な騎士様が、なぜか乙女のように頬を染めるものだから、やはり調子が狂うのだった。
さて、この面倒な任務をどうやって最短で終わらせようかしら?