第八十三話 あなたのために飲みたい
ごきゅ ごきゅ ごきゅ ごきゅ・・・・・・ どん!
「あー・・・・・・。これのために毎日頑張ってるようなもんだわー。飲めるって、幸せだね!」
緑はちゃぶ台に、勢いよく大ジョッキを置いた。中身はビールではない。今日は濃い目のハイボール。いつもとは違う気分らしい。
頬をやや赤らめて、緑はブラウスの第二ボタンをはずし、襟元をかなり緩めた。
「やだねぇ、お姉ちゃん。言動がもう、若い女子とは思えなーい。中年サラリーマンみたいだし」
「いひひひ! いーじゃん、うみ! これぞ、みどりセンパイの飲み姿だもん!」
「それで、どうなんですか? 最近の、緑さんの職場は?」
飛鳥と千加は、今日も温田家に飲みに来ていた。今、時計の針は夜十時を過ぎたあたり。
キヌは昼間の配達が疲れたらしく、九時過ぎには既に部屋へ行き、寝てしまったらしい。
「なんかね、まぁ・・・・・・うん。忙しいね! その一言に尽きるわ! 今日は三倍くらい疲れたー」
「そうなんですか。確かに今日も、帰りは九時過ぎでしたもんね。お疲れ様です」
「ありがとね、千加。今日から新しい人が来てたり、配置換えでドタバタがあったりでさー」
「うちはよくわかんないですけど、みどりセンパイなら何だってだーいじょうぶですよっ!」
「そうだといいんだけどねー。わたしも、けっこう毎日ギリギリでやってるんだよー?」
「そうは見えないですけどねーっ。みどりセンパイ、めっちゃ根性ありますもん」
飛鳥は、皿に盛られた中華クラゲをぱくりと食べ、缶ビールをごくんと飲む。
「根性だけじゃ、わたしの職場は多分乗り切れないかもなぁ・・・・・・」
緑は、ニラ醤油がかけられた冷や奴をぱくりと食べ、それをハイボールで一気に流し込む。
「そうなんですか? 私たち、学生だからか、どうも職場のイメージが涌かなくて・・・・・・」
千加は、小皿の冷やしトマトを一片、ぱくりと食べる。そして、缶ビールを一口飲んだ。
「今日から来てるアルバイトの子がさ、みんなと同じ年齢でさー」
緑はジョッキをくるりくるりと振りながら、海、飛鳥、千加の顔を見渡した。
「え、そうなの? お姉ちゃん。その人って大学生?」
「ううん。短大出て、フリーターだったんだって。でも、素直だし真面目だし、良い子だよ」
「ふーん。そうなんだぁ。フリーターかぁ。いま就職の採用率、デビオの影響でやばいもんなー」
「役所でもアルバイトって雇ってるんですね? 市役所にアルバイトの人がいるって、意外です」
海と千加はトマトを食べ、緑の顔を見ながらしみじみと話す。
「わたしも知らなかったんだけど、けっこう、臨時採用の職員っているみたいでさ」
「そうなんですか! うちも役所でバイトしてみたいなー。時給ってやっぱ、高いですか?」
「知らないよぉー。わたし、人事とかそういうこと、わかんないもんー」
「えー。でも絶対、ホワイト企業っぽそうー。役所のバイトって、楽そうですか?」
「楽なわけないじゃん! 基本的にわたしみたいな正職員と、やることは一緒だよー」
「えぇ? そうなんですか! えー。じゃあ、やめとこうっと」
「緑さんたち正職員と同じ仕事内容でも、お給料って、やはり安いですよね?」
「だからー、わたしは知らないってば! だけど、まぁ、多分そうだと思うよ?」
飛鳥と千加は、ビールを飲みながら「しばらく学生でいたいね」と笑っている。その隣で海は、トマトをつまみながら、じっと緑の顔を見つめている。
「ん?」
「・・・・・・お姉ちゃんさぁ、何か、無理してない?」
「へ? ・・・・・・な、なんで?」
「顔が、疲れてる」
「そ、そりゃあ残業して帰ってくれば、疲れるでしょうよ」
「いや、あたしが言いたいのは、そうじゃなくって。何か、無理に頑張ろうとしてる?」
「む、無理になんてこと・・・・・・」
「いーや、無理してる! だって、あたしが作ったニラ豆腐、全然食べてないもん」
「え? ・・・・・・ちょ、ちょっとずつ食べてるのっ!」
「お姉ちゃん? もしかして、なんか・・・・・・食欲無いんじゃないの?」
心配そうに姉の顔を見つめる海を見て、飛鳥と千加もぴたりと笑うのを止め、口を閉じた。
「や、やめてよ海! せっかくの飲みの場が、しらけっちゃうでしょ! あ、あははは!」
緑は、一気にハイボールを飲み干し、「日本酒に切り替える」と言って冷蔵庫から純米吟醸の四合瓶を持ってきた。
「み、みどりセンパイ・・・・・・なんか、無理してるようなら、うちら、真剣に話聞きますよ?」
「緑さん。もし、何かあるなら、言ってください? 私たちでよければ、聞きますから」
「・・・・・・。・・・・・・。・・・・・・あ、ありがと! でも、ほんと、何も無いから! だーいじょうぶ!」
緑はグラスに日本酒を注ぎ入れ、冷や奴をぱくりと食べてからきゅうっとそれで流し込む。
「(お姉ちゃん、絶対無理してるな。・・・・・・何か色々、あるんだろうな・・・・・・)」
海は、二人と笑って飲み交わす緑を見て、小さな溜め息をついた。
「ほらーっ! 海が変なこと言うから、二人だって変に心配しちゃったじゃんー」
「・・・・・・はいはい。ごめんねってば。・・・・・・じゃ、あたしも・・・・・・」
海はふっと笑みを零して立ち上がり、台所からもう一つ、グラスを持ってきた。
「え? なに? 海も日本酒にするの? 珍しいなぁ」
「・・・・・・金曜だし、あたしも今夜はとことん付き合ってあげる。お姉ちゃん、お酒ちょうだい」
緑はしばらく目を丸くしていたが、にっこり笑って、妹のグラスに酒を溢れるほど注いだ。




