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みどりは太陽に向かってのびてゆく  作者: 糸東 甚九郎 (しとう じんくろう)
第2章 青葉若葉と藤の花
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第七話  緑、テレフォンショッキング

 緑は入庁から二ヶ月が経とうとしていた。

 前期の新人職員研修はデビオウイルス感染拡大防止により、秋に持ち越しとなった。そのため、新人研修を経ずして、緑たち新人は、そのまま実践業務の場に放り込まれ、叩き上げられている。


   カタカタカタカタ パチッ!  タタタッタタタッ パチッ!


「福島主査、支出負担行為の支払伝票チェック、お願いしますっ!」

「・・・・・・支出額。・・・・・・検査検収日。・・・・・・請求書受理日に・・・・・・。んん?」

「なっ、なにか、抜けちゃいましたか!」

「・・・・・・ここ」

「へ?」

「おまえ、自分でハンコ捺してあんのに、なんでここ、金額がこんななんだよ?」

「へ? はい?」

「・・・・・・よく見てみろ。このまんま会計課に出したら、やべぇぞ。まぁ、俺がまず通さねぇがな」

「あ! やばっ! 十万円なのに、百万円になってる!」

「・・・・・・自分でチェックをしてからきちんと捺せってんだ! 元気だけじゃ、話になんねぇ!」

「はいっ! すみません、すぐ直します!」


   RRRRRR! RRRRRR! ガチャ!


「はい。柏沼市学校教育課、紫前です。・・・・・・はい。・・・・・・はい。それにつきましては――――」


 紫前も、一年目の新人とは思えないほど手慣れた受け答えで電話応対をしている。


   RRRRRRRR! ガチャ!


「おはようございます! 柏沼市学校教育課、温・・・・・・」

「〔ちょっとぉ! あのさぁいい加減WDV#%VBFVN*g・・・・・・――――っ!〕」

「いいっ! うあっ!」

「・・・・・・ばかやろう。何やってんだ新人!」

「だって福島主査! すっごくどぎつい怒鳴り声がー・・・・・・」

「だからって、話聞かねぇで受話器をぶん投げるバカがいるか! ちゃんと名前と要件を聞け!」

「は、はい! ・・・・・・すみません、お待たせしました。あの、どのような用・・・・・・」

「〔だっかっらっ! いい加減WDV#%VBFVN*g・・・・・・だろぉがっ!〕」

「(ま、まずい! これ、わたしの耳と脳ミソじゃ、処理しきれない言語かもしれない!)」


 緑はまた電話を保留にし、福島へ目とジェスチャーで「無理っぽいです」と伝える。


   RRRRRRR! RRRRRRR!  ガチャ!


「・・・・・・はい。柏沼市学校教育課、福島です・・・・・・」

「(えー。そ、そんなぁー・・・・・・)」


 タイミング悪く、福島の前に置かれた電話が鳴り、彼はそちらの対応に入ってしまった。


「温田君! 温田君! 温田君! なにをやっているんだね! 早く対応したまえ! 勉強だ!」

「(だって、いくら何でもヒートアップしすぎてて、聞き取れないですよこれ!)」


 緑はしぶしぶ、再び保留を解いて電話に出た。


「お、お待たせしました。温田と申しますが・・・・・・」

「〔あんたさっきっから、ヤル気あんのかあああぁっ! どうなんだよ!〕」

「(み、耳がヤられそうっ! ま、まけるなわたし! これは、戦いだ!)」


 受話器から響く怒鳴り声は、スマートフォンのスピーカー機能をも上回る音量だ。


「えっとですね、その、お客様のご用件は、どのような内容でしょうか?」


 きりっと表情を変え、緑は片手にペンを持ち、必死に電話先の相手に食らいつく。


「〔さっきっから、言ってることわかんねぇんかよ! どうなんだ! え!〕」

「すっ、すみませんっ! もう少し、声を抑えていただいても大丈夫ですので・・・・・・」

「〔なんだってそんな上から目線なんだよ! クソ公務員がぁっ!〕」

「そ、そんなこと言われましても。上から目線などにはなってませんし、ご用件を・・・・・・」

「〔給食費さげろ! 給食が食えねぇって言ってんだ、うちの子がぁ!〕」

「きゅっ、給食費? あのー、給食費を下げろというのは、どういう・・・・・・」

「〔頭わりぃんかおめぇ! うちの子は給食食えねぇの! だから、さげろ!〕」

「は、はぁ。わかりました。そういう用件でしたか。えっと、給食費を下げてほしい、と・・・・・・」

「〔あんた、わかりましたって言ったよな! じゃあ、さげろ! 決まりな!〕」

「えっ! ちょっとお待ち下さい。わたし、『わかりました』と言ったのはそうではなく・・・・・・」

「〔さげろ、って言ってわかりましたって言った! たしかに、言った!〕」

「で、ですからー。えーと、そういう了承のわかりましたではなくてですね・・・・・・」

「〔だいたい、まじぃ給食で金とんじゃねぇよ、この税金泥棒共が! おいこら!〕」

「ぜっ、税金泥棒ーっ? いくらなんでも、それは・・・・・・」

「〔間違ってねぇだろが! いいな! 給食費さげねぇなら、払わねぇかんな!〕」

「ちょ、ちょっと! すみませんが、お名前いいですかっ! どちら様でしょうか!」

「〔んだよ! 何度も電話してんのに、ふざけんなよ! 鬼島! 鬼島岩子だよ!〕」

「お、鬼島・・・・・・岩子様、ですね。では、その件については、内部で協・・・・・・」


   ・・・・・・ガチャリッ!

   ツー  ツー  ツー  ツー


「(え! ど、どうしよう、話し終える前に切られちゃった!)」


 緑は目をぱちくりさせ、ふうっと息を吐いてから受話器をそっと置いた。


「・・・・・・えーと、福島主査、金沢補佐。ご相談が・・・・・・」

「聞こえてたよ温田君。鬼島さんだろ? 今年度もかかってきたかー。あー、めんどい」

「あんなにでけぇ音漏れじゃ、おまえの相談を聞くまでもねぇな」

「じゃ、じゃあ!」

「温田君。これも、接遇の勉強だ。それと、こういう市民から逃げる姿勢は、いかんよ?」

「鬼島岩子は、まぁ、有名だかんな。給食費のことについては、ここの仕事じゃねぇんだ」

「え、そうなんですか? てっきり、給食費ってわたしたち教育総務担当の係なのかと」

「おほん。勉強したまえ温田君。ここは、各小中学校の施設管理や庶務は、請け負ってるがね」

「同じ学校教育課でも、隣のラインはまた、違う仕事だ。それはわかんだろ?」

「あ、はい。隣は学力向上とか学校教育課程についての、学校教育担当ですね!」

「そうだよ温田君。そこまでわかっていながら、なぜ給食費のことを知らないんだ?」

「ごめんなさい。わたし、ちょっとまだそこまで余裕が無かったんで・・・・・・」


 緑は照れ隠しをするような笑顔で、たどたどしく金沢と福島に答えていた。その様子を、黒沼は課長席から、瞬きせずにじっと見つめている。そして、たった今電話対応を終えた紫前と、笑う緑へ交互に視線を移し、黙ったままなにか頷いている。


「・・・・・・で? どうすんだ?」

「へ?」

「鬼島岩子と何やらモメちまってたろ? 給食費、下げるって返事にしたのか?」

「え! いやいやいやいや! わたし、そんなつもりじゃなく、普通の相づちとして・・・・・・」

「ばかやろう! おい新人! 役所の返事は市民にとっちゃ、都合の良い方にしか取んねぇんだ」

「そ、そんなぁー。確かにあの人、なんか、一方的な感じでしたけどー・・・・・・」

「福島君の言うとおりだ温田君。勉強だと思って、自分で受けた以上は最後まで対応したまえ」

「ええええー・・・・・・。わっ、わかりました! やってみます! わたし、何とかします!」

「・・・・・・で? どうするつもりなんだ?」

「どうしたらいいんでしょうね?」

「ばかやろうか、おめぇは! 無策で鬼島相手にどう対応すんだよ!」

「と、とりあえず、給食費とか給食についてのクレームだったので、その主務者に・・・・・・」

「主務者、って・・・・・・。誰に話を持ってくつもりなんだよ?」

「だ、だれなんでしょう?」

「だから、ばかやろうかおめぇは! ・・・・・・やってらんねぇ。あとは、自分で考えろ!」

「そ、そんなぁー。福島主査、教えてください。すみません、お願いします!」


 緑はぱしんと両掌を合わせ、神頼みをするかのように、何度も福島へ頭を下げている。


「・・・・・・紫前さん? ちょっと。紫前さん、いいかしら?」


 その時、黒沼が課長席から立ち上がり、紫前へ声をかけた。紫前は手を止め、「はい」と答えて黒沼の前へ小走りで出る。


「課長、お呼びでしょうか?」

「温田さんの件、どう思う? どう考えたかしら?」

「はい。・・・・・・簡単ではない相手なので、わたくしは、より丁寧な対応が必要かと思います」

「そうねぇ。そうよねぇ。・・・・・・金沢くん。あなたは、どう考える?」

「そうですなぁ。まぁ、鬼島さんですからなぁ。意外とゴマカシ効かない相手なんですよねぇ」

「足立くんは? ちょっと、手を止めて、温田さんのこの件、考えてほしいな」

「ウース! そっすね! オイラは、給食センターにもすぐ話をした方がいいと思うっすね!」

「給食費や給食については、あっちが主務だものね。話をしとくべきよねー?」

「給食センター、ですか。ふむ。そうですね。それが良いと思います!」

「・・・・・・給食センターにはまた詳しく鬼島の件を話すようですね。課長の言うとおりです」


 金沢と福島も、黒沼の意見に賛同する姿勢を見せた。


「オイラ、とりあえず自分の仕事してぇっす! そろそろいいっすか、課長?」

「はい。では足立くんは、その仕事進めてね。遅れてるんだから、早くやってちょうだい」

「ウイース!」

「じゃあ、この件は給食センターに早急に内容を伝えること。そちらと協議して返答すること」

「(え。ど、どうしよう。なんか、課内が大変な感じになってきちゃった・・・・・・)」


 緑は、細めの眉をハの字にして、小さく頭を垂れている。


「・・・・・・さん? 温田さんっ! ねぇ、聞いてる!」

「はっ! す、すみません課長! 給食センターですね。わたし、責任取って行ってきます!」

「勘違いしちゃダメよぉ? 金沢くんと行ってきてちょうだい」

「は、はいっ! すみません金沢補佐、お手数かけますがよろしくお願いします」

「まったく。もっと温田君は丁寧に相手側へ対応して! こういうことになっちゃうんだから!」

「すっ、すみません!」

「温田さん、いいかしら? 課長補佐級の仕事と並行して、新人の仕事も見る大変さ、わかる?」

「わ、わかります! ほんと、すみません!」

「わかるなら、なんで鬼島さんの電話、先輩や上司に相談せずにひとりで対応したのかなぁ?」

「そ、それは・・・・・・みなさん忙しそうで、申し訳ないと思いまして。受けた自分が責任を・・・・・・」

「その結果が、これでしょお? 二度手間じゃないのー。上司なら、躱し方を知ってるのにね」

「す、すみません・・・・・・」


 緑は、やんわりと染み込むように届く黒沼の言葉を受け、ひたすら「自分がやってしまった」という罪悪感を抱き始めていた。


「金沢くん。それじゃ、給食センターに今から、温田さんと行ってきてぇ?」

「か、課長。それがですね・・・・・・。思い出したんですが・・・・・・」

「え? どしたの」

「この後、私も課長も、学校教育担当と一緒に県の教育委員会からの来客が入ってまして・・・・・・」

「あら、私も出席だっけ? あっはっは! じゃあ、ダメだ。温田さん、そういうことだから」

「え? あ、あの・・・・・・」

「福島君。福島君。福島君。このあと・・・・・・」

「ダメですね俺も。柏沼北中のエアコン取付工事の業者と、打ち合わせあるんで」

「そ、そうだったね。じゃあ、足立君! 足立君!」

「ええー? オイラ、急ぎの仕事あるんすよぉ! ・・・・・・でも、給食センターかぁ」

「お! 行ってくれるかね!」

「うーん。まぁ、いっすよーっ! 緑チャンと、行けばいーんすよねぇ?」

「そういうことだ。すまんが、頼むね」

「ウーイ!」

「す、すみません足立主任。わたしのせいで・・・・・・」

「いーってことよ! これだってオイラにとっちゃ実績になるぜぇ! じゃ、行こうぜぇ!」


 足立はパソコンをぱたりと閉じ、肩掛けバッグを持って、公用車の鍵を棚から取る。それを緑に手渡した。


「ほい! 運転は、まかせた! でけーワゴン車しかないけど、よろしくぅー」

「え! あ、あの主任! わたし、大っきい車、運転したことないんですけど。怖いです!」

「心配ねぇよぉ! オイラ、助手席に乗るのはうまいんだ! さぁ、行こうぜぇ!」

「(えええええー・・・・・・。ふ、不安しかないよぉ)」


 足立に鍵を手渡された緑はバッグを持ち、黒沼や金沢に「行ってまいります」と力なく告げた。


「温田君。温田君。・・・・・・センターに着いたらまず、栄養教諭の藤野先生へ話をするのだぞ?」

「藤野先生、ですね? 栄養教諭の藤野先生。藤野先生・・・・・・と」

「電話の話は、受けた温田君しか詳しくわからないんだから、しっかり話すんだぞ」

「わかりました、金沢補佐。・・・・・・あの、その藤野先生って、どんな人なんですか?」

「まぁ、こう言っちゃあれなんだが、鬼島さんの件を話すと、たぶんキレるかもしんないな」

「ええええええ! そっ、そんなぁー。どうしようー・・・・・・」

「これも勉強だから、あとは任せた。全てはキミのためだ温田君。課長もそう言ってるしな」


 溜め息を連発で吐く緑はとぼとぼ歩く。足立は浮かれながらその後ろをついていくのだった。


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