第四十九話 クラッシャー上司?
じゃーっ・・・・・・ ぱしゃぱしゃぱしゃぱしゃ
「(・・・・・・何なんだろうなぁ、わたし・・・・・・。何やってるんだろう・・・・・・)」
役場一階奥にある洗面所で、萌葱色のハンカチを咥え、緑は念入りに手を洗っている。
ぱしゃぱしゃぱしゃぱしゃ ぱしゃぱしゃぱしゃぱしゃ
水道から流れる透き通った水は、残暑が厳しいこの時期でも、ひんやりと冷たい。
「・・・・・・はぁ。・・・・・・自信ないよぉ、もう・・・・・・」
蛇口の水を止めた緑は、目元から水を滲ませる。
・・・・・・ぽん!
「わっ! び、びっくりしたぁ! ・・・・・・って、伶先輩に・・・・・・かなみ先輩っ!」
手を拭き終えた緑の後ろから、藤見野と進藤が肩を叩いた。
「温田。・・・・・・ちょっと、時間ある?」
「みどり。レイに打ち合わせの様子、聞いちゃったのー」
「せ、せんぱぁいー・・・・・・。・・・・・・うぅ・・・・・・。わたし・・・・・・もう・・・・・・」
涙を流し始めた緑。藤見野と進藤は洗面所から廊下をきょろきょろと見回し、「場所を変えよう」と言って自販機コーナーへ緑を引っ張っていった。
「・・・・・・ここならこの時間、ほぼ職員はこないだろうからね」
「うんうん。レイ、いい判断! ・・・・・・みどりー。なんか、大変だったんだって?」
「・・・・・・ぐす。・・・・・・。・・・・・・わ、わたしがわるいんです・・・・・・」
「なんでなんで? 詳しくはわかんないけど、みどりはきちんと、準備してきたんでしょ?」
「・・・・・・。・・・・・・はい・・・・・・」
緑はハンカチで目元を何度も拭っている。
藤見野と進藤は顔を見合わせ、何も言わずにお互い、首を数回振った。
「温田。・・・・・・あの課長さんは、今どこに?」
「・・・・・・ぐす。・・・・・・なんか・・・・・・住民課に知り合いがいるらしくて、いま、話してます・・・・・・」
「そうか。まだ数分は大丈夫そうだね」
「うんうん。みどり。辛かったね。でも平気だよぉ。プレゼンの一つくらいさー」
「かなみ! 温田の様子を見て言葉を選んでよ!」
「え! だ、だってー・・・・・・」
自販機コーナーの黒いベンチに座っている緑は、鼻をすすっている。涙を何度か拭い、少しずつ呼吸も落ち着いてきた。
「・・・・・・ずび。・・・・・・わたし、自信喪失です。・・・・・・伶先輩みたいには、無理です・・・・・・」
「何を言ってるんだよー。あの資料、作ったのは温田でしょ?」
「え? ・・・・・・まぁ、はい・・・・・・」
「よくできてたよ! 見やすいし、要点もまとめられてた。説明文も読みやすかったよ」
「ほ、ほらほら。うんうん。レイもこう言ってるしさ、みどりっ?」
「・・・・・・ほ、ほんとは・・・・・・わたし・・・・・・あれをきちんと説明できたはずなんです・・・・・・」
「ど、どういうこと、それ?」
「え? え? ねぇねぇ。どういうこと?」
「・・・・・・うちの課長が・・・・・・説明時に持ってたメモ・・・・・・。あれ、わたしのやつなんです・・・・・・」
「え?」
「どっ、どぉゆーことっ?」
「プレゼンするために・・・・・・きちんと準備したんですけど・・・・・・。なぜか、課長の手元に・・・・・・」
「そういうことだったのか。それで温田は、あたふたしてたわけかー」
「説明しようとしたらメモがなくて。・・・・・・メモが無いと説明できないわたしがダメなんです」
緑はまた、目からぽたりぽたりと涙を落とす。
「う、うんうん。辛かったねそれは。ま、まぁ、でも、打ち合わせはきちんと終わったんだしー」
進藤は腰を屈め、肩を震わせる緑の背中をさすっている。
「温田。・・・・・・今回の件だけで言うのは邪推だけど、どうもあれは職場イジメの感じがするんだ」
「・・・・・・へ?」
「レ、レイ? 一年生のみどりにそんなことまで、話しちゃうの?」
「伶先輩・・・・・・。職場イジメ・・・・・・って。・・・・・・え? ええっ?」
緑は思わず顔を上げ、藤見野と目を合わせる。
「気に入らない新人を、表向きは『指導』や『成長のため』ということして、潰しにかけるんだ」
「そ、それって・・・・・・。え・・・・・・? そ、そんな・・・・・・。気に入らない新人・・・・・・を・・・・・・」
「役場や民間問わず、そういう『クラッシャー的』な上司によるイジメの事例、あるんだよ」
「そ、そんなぁ・・・・・・。わたしは、課長に認めてもらいたくて、一生懸命に・・・・・・」
「私は普段、温田の職場を見てないから何とも言えないけど・・・・・・。思い当たる節は、ない?」
藤見野は心配そうに、緑へそう問いかけた。緑はしばらく俯いて考え込んだ。この半年間、黒沼とやりとりをした時間の全てを、頭の中で巻き戻そうとしていた。
「・・・・・・。・・・・・・うっ! ・・・・・・ううううう! ・・・・・・う・・・・・・っく!」
「温田? どうした? 温田!」
「・・・・・・うくく・・・・・・。うぅ・・・・・・。ひっく! ・・・・・・うっく! ・・・・・・ひっく!」
突然、緑は嗚咽し、身体を震わせて再び泣き出してしまった。
ロビーから「温田さぁん」と呼ぶ声が響く。藤見野と進藤は、緑の肩を二人で抱き寄せている。




