第四十一話 緑 VS 鬼島! ラウンド3! さらに・・・・・・
「・・・・・・――――昨日の選挙関係、お疲れ様ね。じゃ、各担当ラインから連絡お願いね?」
市議会議員選挙翌日、多くの職員が時差出勤になるかと期待していたが、総務課判断により通常勤務となっていた。開票作業に従事した緑たちは、目の下にクマを作りながらも、遅刻せずに月曜日の朝礼を迎えていた。
「・・・・・・――――はいっ。学校教育担当は、今週、吉崎さんと古川君が学力向上会議で・・・・・・」
学校教育担当側の課長補佐が、今週の係担当内での予定を課内のメンバーに連絡している。
緑は足立と紫前の間で、勝手に降りてくる瞼を指で押さえながら、必死に連絡事項を聞いている。
「(や、やっばぁ。・・・・・・ねむいー。これは今日、眠気が最大の敵だー・・・・・・)」
ピースサインのようにした指で両瞼を押さえている緑を見て、紫前と足立は吹き出すのを堪えている。
「・・・・・・――――以上です。次、教育総務担当、よろしくお願いします」
「はいっ。ええと、今週の教育総務担当は、福島君が水曜日に業者と現場確認。足立君がー・・・・・・」
金沢が、手帳とパソコンのウェブスケジュール表を見ながら、連絡事項を話す。
「・・・・・・で、温田君が木曜日に美布町へ課長と出張にー・・・・・・」
「へ? え! あ、はいっ?」
緑は半分意識が飛びかけていた。金沢の連絡事項の中に出た「温田」という言葉に、反射的に返事をしてしまったようだ。
「温田君。温田君。温田君。呼んでないから! いま、オレが話してるだけだから!」
「え? あ、あっ! すみませんー・・・・・・。あはは・・・・・・」
緑は照れ笑いし、メモ帳で顔を隠す。すると横から、囁き声で紫前が緑へ声をかけてきた。
「(温田さん。大丈夫? だいぶ疲れてないかしら)」
「(ね、眠いんだぁ、さすがに。・・・・・・紫前さんは平気なの? 昨日、そっちは何時解散?)」
「(第三開票所は、日付が変わる前に終わりましたわよ。ぐっすり寝られましたわ)」
「(そ、そうなんだぁー。いいなぁー・・・・・・。わたしの出た第一開票所はさ・・・・・・)」
「ねぇ! そこのお二人ぃ? いま、金沢くんが話してるんだけど、聞いてるのぉ?」
ひそひそと話していた緑と紫前を、黒沼はぎろりと睨んでいる。金沢はぴたりと話を止め、課内の空気が一瞬、凍り付いた。
「あ! あ、あはは! き、聞いてますよ課長! うん。きちんと聞いてますんで!」
「あらぁ、そーぉ! じゃあ温田さぁん? 金沢くんが連絡したこと、七秒で全部言って?」
黒沼はにやっと笑い、緑へ強い口調でそう告げた。福島は小声で「あのバカ」と言って、手で顔を覆っている。足立はこめかみから一滴、汗を垂らした。隣の学校教育担当ラインの職員たちも、緊張の面持ちだ。
「は、はい! 福島主査は水曜に業者と現場! 足立主任は今日、生涯学習課と打ち合わせでー」
緑はまるで聞いていなかったはずだが、黒沼へスラスラと答えている。
「(す、すごいわ。温田さん。聞いてないようで、きちんと聞いていたなんて・・・・・・っ!)」
横で表情を固めていた紫前も、これには驚きを隠せないと言った感じで感心している。しかし、紫前が感心するも黒沼は瞬きをせず、じっと緑の目を見つめているだけだ。
「・・・・・・紫前さんが金曜に東中で会議。わたしが木曜に課長と美布町へ出張・・・・・・です!」
金沢が連絡したことを、緑はひとつも漏らさずに言い切った。これには、福島や足立なども感心した顔。金沢も拍手を数回したが、黒沼の方をちらりと見ると、咳払いをしてすぐに手を止めた。
「ふぅん。・・・・・・ま、そういうこと。聞いてるなら、きちんと聞いている態度で聞きなさいよ」
「はい。すみませんでしたー」
緑は黒沼の方へ、ぺこりと頭を下げた。
「(ふふふ。こんなこともあろうかと、朝イチでメモ帳に全員のスケジュール写したもんねーっ)」
緑はメモ帳で顔を覆ったまま、静かに笑っている。
「・・・・・・ところで! 昨日の選挙事務で、ある投票所では、ゆゆしきことがあったらしいわ?」
黒沼は急に声色を強め、視線を緑の方へぎろりと向けた。
「まぁ、本人のプライバシーもあるから、どの投票所の誰かは伏せておきますがー・・・・・・」
福島は少し首を傾げ、眉をぴくりと動かして緑の方を見ている。
「やる気の無い人のせいで、その投票所の職員全員が懲戒になりかけました!」
ざわざわ・・・・・・ ざわざわ・・・・・・
学校教育担当ラインの職員は、お互いに顔を見合わせてざわついている。
「私語がひどいとクレームもあり、投票用紙も紛失騒動があり、自覚がまったくありませんね!」
黒沼はじっと、緑を睨んだように見つめている。緑は、目を合わせない。
「(わ、わたしだって夜中ずっと反省しましたよ・・・・・・。朝から責めないで下さいってば・・・・・・)」
「・・・・・・――――ってこと! 温田さぁん! ねぇ、今度は聞いてたよねぇ!」
「はぁい! きちんと聞いてました!」
間髪入れず、緑は黒沼の大きな声に対して大きな声で返事をした。黒沼は「ふぅん」と言って、その後すぐ、朝礼の終了を告げた。各自は席に戻って、いつも通りの事務を始める。
・・・・・・どす! どす! どす! どす!
その時、廊下に大きな足音が響いてきた。
「ん! こっ、この足音はぁ・・・・・・。まずい! 眠いままじゃ、戦えない!」
緑はぴしっと背筋を伸ばし、両頬を叩いて眠気を一気に吹き飛ばした。響いてくる足音の主を既に察したのだ。
・・・・・・どかり! どかり! どかり! どかり!
「・・・・・・え・・・・・・っ? も、もう一つ、足音が!」
緑が気合いを入れてきりっとした顔をしたのも束の間。強く重々しい足音はもう一つ、並んで一緒に近づいてくるようだ。
「・・・・・・じゃあ、私は課長会議に行ってくるから。金沢くん、あとは頼むわね」
「え? あ。あーっ。そうだそうだ。オレも確か、急な業者との打ち合わせがー・・・・・・」
黒沼と金沢は別扉から事務室を出ていった。福島と足立は既に、会計課や他課に出払っている。
「そ、そんなぁー。まぁたこのパターン! ・・・・・・し、紫前さんー・・・・・・」
「ファイト、温田さん。あなたならきっと、大丈夫!」
そう言って、紫前は自分のパソコンに向かって黙々と事務を進めている。
「・・・・・・はぁー・・・・・・。今朝、冷や奴じゃなくお肉でも食べてスタミナつければよかった・・・・・・」
緑は溜め息をつきながら、渋々カウンターの方へ向かった。二つの足音は、もう、目の前にまで迫っている。
「・・・・・・よぉし! 別に、熊やライオンを相手にするんじゃないんだ! 人間。うん、人間だ!」
両拳をぎゅっと握って、緑は口を真一文字に閉じ、気合いを入れ直した。
どす! どす! どす!
「おぉらぁ! 温田ァ! どうなってんだこのやろう、おらぁ!」
「(ひ、ひっさびさに、来たぁ! 鬼島さんだ! 熊じゃなく、鬼だね相手は! よぉし・・・・・・)」
どかり! どかり! どかり!
「くるぁ! 教育委員会! どうなってんだあの通学路! くるぁッ!」
「(あ、新しい人ぉ! わたし、この人は初だ! しかも、ライオンみたいな髪型だぁ・・・・・・)」
学校教育課の窓口に現れた、久々の鬼島岩子。赤いジャージの両肩には龍の刺繍が入っており、その迫力とパワーは以前と変わらず。しかも今回は、虎の刺繍が背中に施された青いジャージを着た、鬼島同様の体格をした女性も現れた。二人の表情は、まさに怒り狂った鬼のようである。
「(お、鬼島岩子は仲間を呼んだーっ? ま、まずい! どうする、わたし・・・・・・)」
鬼島ともう一方の女性は、カウンターを掌でばしばしと叩き、緑を威圧している。
ばしばし! ばしばし! ばしばし!
「(ふぅー。・・・・・・落ち着け、わたし。・・・・・・昨日のティッシュ箱より、マシだ!)」
緑の目が、大きくくわっと開いた。
「おぅらぁ! 説明しろや温田ァ! 通学路ぉ! 危ねぇ通学路があんだよぉ!」
「てめーが担当者かァ! 温田緑だァ? 青くせぇネーチャン、なめんなよ!」
「ま、まずは落ち着いてお話を聞かせて下さい。ええと、鬼島さんに、お客様は・・・・・・」
緑は冷静な対応で、青ジャージの女性へ名前を伺った。
「ああァ? んだぁてめー。この虎畠りな子を知らねぇってのか! くるぁ!」
「す、すみませんねー。わたし、虎畠さんとは初めてなものですからー・・・・・・。あははは・・・・・・」
「なめてんのか、てめー。おぃ! くるぁ!」
「温田ァ! なんとかしろってんだ!」
「あ、あのぅ・・・・・・。通学路がどうとか話に出てましたが・・・・・・?」
「そうだっつってんだろ! 通学路! 給食センター横の、通学路ぉ!」
「くるぁ! なめてんのか、てめー。通学路っつったら通学路!」
「通学路のことはわかりました。それで、その通学路が、なにか・・・・・・」
「ウチの子がよぉ、あの通学路で、変質者を見たんだよ! 何とかしろや!」
「くるぁ! 通学路はてめーらの管轄だろが! 変質者ぶっ飛ばせよ!」
「へ、変質者ぁ! あ、あのー。それはもう、警察のほうがー・・・・・・」
「おい温田ァ! おめぇまさか、あの通学路は把握してんだろうなぁ!」
「通学路・・・・・・ですね。少々お待ち下さい?」
緑はせかせかと足早に事務室内の書架へ行き、鬼島たちが指摘した通学路の載った「通学路一覧表」をカウンターに持ってきた。
「ここで間違いないんですか? その、変質者が出るって言うのは」
「ここだここ! 給食センターのとこ! 温田ァ! 見に行けよ今日!」
「え! わ、わたしが? 今日・・・・・・ですか?」
「行け! おめぇ、担当者だろ! 市民の安全を守れよ税金泥棒が!」
「くるぁ! 虎畠りな子をなめんなよ! 変質者は夕暮れに出んだよ!」
「ゆ、夕暮れ・・・・・・」
「とっ捕まえてこいや温田ァ! おめぇだから言うんだこのやろう!」
「・・・・・・へ?」
「こういう話は、温田ァ! おめぇしか聞いてくんねぇだろうがよぉ!」
「なめんなよ、くるぁ! てめー、何とかしろ!」
鬼島と虎畠は、カウンター越しに緑の顔を睨みつけながらも、変質者を何とかしろと執拗に頼んでいる。緑は二人の圧力に屈せず、簡単に返事はしない。
「あ、あのー。さすがにわたしが変質者を捕まえるのは、違うと思いますのでー」
「あんっだと、おらぁ! ここまでこの鬼島が頭下げてんじゃねーか!」
「なめんじゃねぇぞ、くるぁ! この虎畠の頼みも聞けねぇってんかよ!」
「むっ、無理ですよぉ! だいたい、変質者って、どういう人かもわかりませんし!」
「通る女のケツを揉むんだとよ! ぶっ飛ばすしかねぇだろうが!」
「くるぁ! ウチの子、女なんだよ! 襲われたらどうするってんだよ!」
「む、むしろお二人が直接捕まえた方が、早いんじゃないかなぁー・・・・・・。あ、あはは・・・・・・」
「くそったれ! おらぁ! そんなこと怖くてできるわけねーだろが!」
「くるぁ! あぁ? 変質者だぞ! おっかねぇだろうが! くるぁ!」
「わたしはお二人の方が怖いですよぉーっ! ・・・・・・と、とにかく、わたしはー・・・・・・」
「行ってくれるって事だな! おらぁ! 温田ァ! 頼んだぞ温田ァ!」
「え! い、いやいやいやいや・・・・・・」
「くるぁ! てめーに頼んだかんな! 何かあったらてめーのせいだ!」
「え! ちょ、ちょっと! わたし、請け負ってなんか・・・・・・」
鬼島と虎畠は般若のような顔をしたまま、緑の話を最後まで聞くこともなく帰っていった。
紫前は、カウンターに突っ伏す緑をちらりと見てから、またパソコンで仕事を進めている。
「・・・・・・なぁんで、こうなるのー。・・・・・・はぁー・・・・・・。知らないよぉ、変質者なんてー」
ふくれっ面をして、ふらふらと席に戻った緑は、来客対応記録の報告書をすぐにパソコンで作り始めた。鬼島と虎畠が来庁した時間、内容、今後の対応策などを、打ち込んでいる。
「(・・・・・・そうだ。・・・・・・給食センターの横って言ってたっけ。・・・・・・聞いてみるか)」
緑はパソコンを打つ手を止め、斜め前の電話機に手を伸ばした。
PRRRRRRRR・・・・・・ PRRRRRRRR・・・・・・ ガチャ
「〔はい。共同給食センター、所長の石島です〕」
「あ! 学校教育課の温田です。石島所長、ちょっと今、市民の方からありましてー・・・・・・」
電話に出たのは、給食センターの石島貴宏所長だ。柔らかい口調で、緑の報告を優しい相槌を返しながら聞いている。
「〔・・・・・・大まかなことはわかった。地元駐在にも言っておくよ。ありがとうな、温田君!〕」
「い、いいえー。やっぱり危なそうなんで、すぐお知らせした方がいいかと思いまして・・・・・・」
「〔近くの小中学校にも言っておこう。こちらも、注意して見てみるから〕」
「よろしくお願いします。わたしから、課長や金沢補佐には報告しておきますのでー・・・・・・」
電話を切った後、緑はふうっと大きく息を吐いた。「朝から疲れるー」と言いながらも、報告書をまとめ、クリップボードに挟んで「課内報告」のボックスへそれを真っ直ぐ整えて、置いた。




