第二十二話 一人の緑。緑は一人。
ぶるるるるん・・・・・・ きいっ
夕暮れにさしかかる頃、柏沼市と書かれた白い軽自動車が、東中の来客用駐車場へ停まった。
「わぁ! 変わってないねぇー、わが母校! ・・・・・・あ。東畑電機さんのトラック、来てる!」
降車した緑は、半袖ブラウスの上に薄手の作業服を羽織り、来客用玄関へ入っていった。
「・・・・・・――――じゃあ、東畑電機さんと、分電盤を見させていただきますのでー・・・・・・」
職員室で入校受付を済ませ、緑は校舎の裏手に回った。
すると、そこには機械油や塗料で汚れた作業着を見に纏い、腰のベルトにはいくつもの工具を携えた大柄な職人の男性が立っていた。年齢は七十歳手前くらいだろうか。大柄でよく日に焼け、無精髭を生やした顔は厳つく、かなりワイルドな風貌だ。
「(あ! もしかして、あれが東畑電機さん? ご、ごっつい感じだなぁ。コワモテだー)」
緑に気づいた東畑は、のしのしと歩み寄ってきた。
「お、お忙しいところお世話になります! お電話しました学校教育課の温田と申します」
「おうっ! なんだや。思ってたのと違って、人形みてーな、細いねーちゃんだなや!」
「え? そ、そうですか? わたし、そこまで細いですかね・・・・・・」
「細かんべぇ! 俺ぁ九十キロあんだぞぉ? ねーちゃんは、三十キロぐれぇけ!」
「そ、そこまで細くないです! あははは。・・・・・・四十五キロくらいですかねー、いま・・・・・・」
「んじゃ俺の半分だべや! どははは! ・・・・・・申し遅れた。東畑電機工業代表の東畑醍醐だ!」
「代表! じゃあ、社長さんなんですね!」
緑は東畑にぺこりと一礼し、柔らかい笑顔を見せる。雑談で少し、緊張が解れたようだ。
「まぁったくよぉ! ねーちゃんよぉ。おたくの課長に頼んでた件、ほんと、どうなってんだ?」
「すみません。その件なんですが東畑さん、わたし、今年度入ったばかりでして・・・・・・」
「なんだやっ! 聞いてねぇんか? いま八月末だから、ねーちゃん、まだ四ヶ月ぐれぇかや!」
「すみません、そうなんですー。・・・・・・えっと、課長に頼んでいた件っていうのはー・・・・・・」
「去年の担当者だったねーちゃんが、十二月と一月にやった補修工事の支払いしてねぇんだよ!」
「え! は、初耳です!」
「いい加減、支払ってくれねぇかな役所さんよ! あんまりだと、法的に訴えっかんな?」
「えええ! ちょ、ちょっと待ってください東畑さん? その話はわたし、初耳なんで!」
「音沙汰ねぇから先週、課長に催促の電話したんだ! そしたら、緑ってのが担当だっつぅべ?」
「へ? みどり? ・・・・・・そ、それ、先週の中でも、いつの話ですか?」
「あぁ? だから、先週のぉ・・・・・・水曜だ水曜! 間違いねぇ! 俺ぁ宇河宮の現場で・・・・・・」
「あ、あのー・・・・・・。そのー・・・・・・。緑、っていう人が担当って言ってたんですか?」
「ああ! なんだか、去年の担当者のねーちゃん、辞めちったんだと?」
「えっ! あ、ああ。まぁ、はい・・・・・・。んー? ・・・・・・緑が担当? ええ? ・・・・・・緑が担当?」
緑は東畑に気のない返事をしながら、何度も考え込んで首を傾げる。緑がそうしているうちに、東畑は分電盤の確認と修繕作業を始めた。
「(先週の水曜? 北中のお花の納品確認して・・・・・・課長に厳しく指導された日・・・・・・だな)」
「おう! おうっ! ねーちゃん!」
「え? あっ! はい!」
「おたくの部署の緑ってのは、どういうやつなんだや! 直接、俺が怒鳴ってくれっから!」
「へっ? み、緑・・・・・・さんは・・・・・・。元気な人です! あ。怒鳴られると泣いちゃうかもー」
「泣いたってしょうがあんめや! どうせそいつぁ、手抜きで適当にやってるやつなんだべ?」
「ええっ! え、えーと。緑って人は、きちんと、頑張ってると思いますよ? あ、あははは」
「ずぼらなんけ? 金を払ってくんねぇんだぞ? まぁったくよぉ。きっとだらしねぇんだ!」
「そんなそんなぁ! そんなことないですよ! だらしなくはない・・・・・・はずです!」
「おうっ! ねーちゃん! さすがに身内びいきだなや? しゃぁねぇなぁ、まったくよぉ!」
「い、いやいや、そんなー。・・・・・・緑・・・・・・さんは、きっと、最近大変なんですよー」
「大変だってのは言い訳んなんめや? こっちゃ食うか食えねぇか、生活かかってんだぞ!」
「そ、そうですね。確かにそれは・・・・・・」
「ねーちゃんら公務員はいいべや! 仕事しなくったって、でけぇ金を毎月もらえんだからよ!」
東畑はほぼ修繕作業を終え、額の汗を袖で拭う。東畑の言葉は、段々と語気が荒くなっていた。
「い、いやぁー。民間会社より安いみたいなんですよ、わたしたち役所職員の給料なんてのはー」
「おうっ! ねーちゃん、何言ってんだ! 俺らの汗水垂らした税金が、それなんだぞや!」
「あっ! す、すみません! すみません! つい・・・・・・」
「そういう意識だから、公務員は税金泥棒のでれすけ(馬鹿者)なんだんべ! ねーちゃん! おうっ!」
「は、はい。すみませんー。失言でした!」
「まぁいいや。ねーちゃんも新人じゃ、そこんとこ肝に銘じとけや。俺ぁ、あんたは気に入った」
「え! あ! は、はい・・・・・・。ありがとうございます!」
「あんたの目は、素直で澄んでらぁ! 一生懸命やろうとしてるのが、伝わってくんだ!」
「そ、それはー・・・・・・。ありがとうございます・・・・・・」
「ところで、ねーちゃん。温田って言ってたけど、下の名前は?」
「はっ? え! ええっと。・・・・・・み、緑・・・・・・です。・・・・・・温田緑・・・・・・です」
「ああ? 緑ぃ? なんだや! ねーちゃんとこには、緑っての、二人いんのけ?」
「いえ。あのー、それがですねぇ。・・・・・・緑は、一人です。わたし一人・・・・・・」
それからしばらく、その場の時が止まった。夕空にはカラスが数羽、鳴きながら飛んでいった。




